013 器の理由・仮説
「茶番に付き合うのは此処までだ」
程なくして、飽きたと言わんばかりの様子で薔薇がいのりから身を離した。
いのりも呆れた様子で薔薇から離れ、ジットリとした目付きで晴太を見る。
二人の絡み合いが終わってしまった事にどこか残念そうな様子を見せながらも、晴太は笑顔で二人に向けて、ありがとうと感謝の言葉を告げた。
「晴太くん、今の、どういう意味があったの?」
「意味? ンー、委員長も薔薇ちゃんも可愛いから!」
「……意味が分かんないよ」
「良いじゃんっ! 可愛い女の子二人が一緒にいたら、それだけでハッピーじゃん! 少なくとも俺はハッピー!」
晴太の言葉に、直江と佐竹が無言で力強く頷く。
やはり晴太達の考えることは良く分からないと呆れて、いのりは肩を竦めた。
それは薔薇も同様ではあるのだが、理解が出来ないものを目の当たりにした時の衝撃が勝ると言った様子でもあった。
――人間という生き物は、総じて欲深い邪悪な生物である。
それが薔薇にとっての真理であった。
晴太も欲深い人間であることには違いない。しかし、その欲の方向性が薔薇の知る人間のそれとはまるで違っていたのだ。
「……器よ。どうしてこの様な下らぬことに願いを費やした? 我を手籠めにすることすら出来たのだぞ?」
「手籠めってそんなコトしないしないッ! 薔薇ちゃんと委員長のツーショットの方が大事! だってこの機会逃すと、一生見れないかもしれないじゃん!」
にへらと笑って無邪気に語る晴太に、薔薇は一瞬、呆気にとられてしまう。
晴太の欲望はあまりにもシンプル過ぎたのだ。善も悪もなく、ただ我欲に忠実であるということは、転じて純粋であるとも言えた。
人間の邪悪さばかりを見て来た薔薇にとって、その純粋さは懐かしさにも似た情景を思い起こさせた。
薔薇の脳裏に、在りし日の勇者の姿が過る。
(成程。奴が器として選ばれた理由に成り得るか)
魂は肉体を求める。次元を超えた勇者の魂を受け入れる器――それがどの様な人間の肉体であるのかは、実際にその時が来るまで薔薇にすら分からない事だった。
晴太を器に選んだのは、シリウス本人の意志である。
春風晴太と勇者シリウス。
真逆の人間性でありながら、その純粋さはどこか似通う部分があるのかと薔薇は考える。
ただし、勇者の純粋さを透き通る清水と表現するのであれば、晴太の純粋さは能天気で破天荒な子供に近しいと言えるだろう。
「あの、もう私達、行ってもいいよね」
停滞し始めた空気を感じ取ってか、いのりが声を上げる。
その声に突き動かされたように、晴太は我先にと駆け出した。
「そーだった! 薔薇ちゃん! 俺と委員長があの穴、塞ぐところ見ててねーッ!」
「あ! 待て晴太このヤロウ! 何だか知らんが抜け駆けは許さんぞ!」
「そーだっそーだっ!」
薔薇に笑顔で手を振って走り出した晴太の後を、直江達が慌てて追いかけていく。勢いだけで動き出した四人に頭を抱えながら、いのりも急ぎ後を追う為、駆け出した。
ジェードの真横を過ぎ去って、いのりはふと足を止める。
いのりが足を止めて振り向いたことに気が付き、ジェードは顔を上げた。その顔付きは、先ほどまでの堂々とした様子は鳴りを潜め、ひどく沈痛であると言えた。
「あの、先ほどはきつい物言いをしてしまってごめんなさい。……色々と褒めてもらえて、嬉しかったです。それじゃ、失礼します」
頭を軽く下げると、いのりはジェードに背を向けて走り去る。
遠くなる背中を見つめながらいのりの名前を呟くジェードは、再び胸に込み上げる熱いものを感じていた。心臓が早鐘を打つ。顔にやけに熱が籠るのを不思議に思っていると、背後から薔薇に声を掛けられた。
「ククッ……、人間の小娘にでも惚れたか、ジェード」
「おわぁッ!? 惚れっ、惚れなどそんな! 我が心は、我が王にのみ常に在り……っ!」
「良い良い。貴様の好きにするが良い。……さて、無駄話はここまでだ。ジェードよ、貴様に命じる」
「……はっ、何なりと御命令ください。我が王」
一瞬で魔王軍四天王としての顔付に戻ったジェードは、薔薇の前に跪く。
薔薇もまた、高圧的な魔王としての顔付をしていた。
「門が開きすぎている。後、数刻とせぬうちに『アレ』が出てくるだろう。我の目的はただ一つ。この次元で勇者と結ばれることのみ。故に、今、この次元が潰されるのは我としても本意ではない。分かるな」
薔薇の目的にジェードは驚いた。
勇者と結ばれる。その言葉の真意を尋ねたかったが、口を挟めば機嫌を損ねることは必須である。何よりも無様を晒したにも関わらず、笑って許した寛大なる王の言葉に口を挟むなど、出来るものか。
そう判断したジェードは、ただ素直に薔薇の言葉に誠実に答えることを選んでいた。
「はっ、『奴』による破壊を必ずや阻止してみせます」
「貴様は補佐に回れ。我が『アレ』を倒す。……が、貴様も気が付いているとは思うが、この次元では我らは本来の力は出せぬ。この次元は、大気中に漂う魔力量が薄すぎる。故に『アレ』が現れる前に、少しでも魔力を集めねばならぬ」
「お供致します」
「許可する。征くぞ」
立ち上がったジェードは、晴太達とは真逆の方向に歩き出した薔薇の後を追う。
薔薇の言う様に、ジェードも確かに魔力……即ち、魔術を行使するためのエネルギー不足を感じていた。分厚いブロック塀を一刀両断にしたとはいえ、纏わせたいた風の出力は本来の半分程度に過ぎない。
魔術、魔法といった神秘の御業は、大気中に漂う魔力をその身に取り込むことで成立する。しかし、そういった御業の類の存在しないこの世界では、魔力は微々たるものしか存在しないのだった。
魔力の不足。それを補う最も手短な手段は一つ。
魔力を蓄えた生き物からの奪取である。
人気も少ない、広い駐車場の中心で薔薇は足を止めた。
傍らに控えるジェードの視界に、いつの間に集ったのだろうか。数多の魔物が姿を見せて、薔薇を取り囲んでいた。それら全てが恭しく薔薇を見上げ、羨望の眼差しを送っていた。
「良く集った。その命、我に捧げよ」
鷹揚とした態度で告げられた命令に、集った魔物達は皆一様に首を垂れた。駐車場から溢れても尚、次から次へと魔物達が姿を見せる。
「良い。決して無駄にはせぬと、この魔王ロズクォーツが誓おう」
穏やかに微笑んで、薔薇はその手を前方へ差し出した。
手の平を魔物の群れへ向けた途端、キンッと甲高い音が鳴り響き、辺り一面が白色の閃光に包まれる。
地面から吹き上がった光が魔物の群れを飲み込み、その姿を散り散りに消し去っていく。身を千切られているにもかかわらず、魔物達の表情はどこか誇り高くさえ見えた。
肉体が消し飛んだ魔物達の中から、虹色に輝く粒子が零れる。それこそが魔力であり、その全てが薔薇へ向かって集っていく。
両腕を広げ、薔薇は自身の中へ飛び込む魔力を全身で受け止めた。
自身を満たしていく魔力に、薔薇の顔には自然と恍惚とした笑みが浮かんでいた――。