012 良いものは良い
「……どのようにして我が主を誑かしたかは知らぬが、その罪、万死に値する!」
ジェードの怒声と共に、ブォンと甲高い風切り音が鳴り響く。
それが軽く振られた剣から発せられた音であると晴太が気が付いたのは、ジェードの真横にあったブロック塀が袈裟に斬られ、崩れ落ちるのを目にした瞬間のことだった。
一刀両断にされたコンクリートブロックの切断面は実に鮮やかで、斬られた部分を重ね合わせれば元通りに直ってしまうのではないかと思わせる。
コンクリートを斬っても刃こぼれ一つないジェードの剣は、その刀身に風を纏っていた。鋭い太刀筋と、ジェードが操る触れるものを切り裂く風が可能にする芸当だった。
晴太から血の気がさっと引いた。
先ほどまでの根拠のない自信はあっという間に消え去って、代わりに焦りが一気に湧く。
「うわっ! ちょっ、待った! やばいってそれ! 斬られたら俺、死ぬじゃん!」
「これ程度を乗り越えられぬ器に用はない。安心せよ。死したら魂のみ回収してやるわ。新たな器探しは骨が折れるが、致し方あるまい」
「薔薇ちゃん!? そんな軽率なリセマラあかんてェーッ!」
「我が主に慣れ慣れしい口をきくな! 我が剣の錆となれッ!!」
晴太の言動にとうとう我慢ならなくなったジェードは、頭上高く振り上げた剣を晴太の脳天目掛けて振り下ろした――!
刃の煌めきが目を焦がし、縦に真っ二つ、唐竹割にされる自身の姿が晴太の脳裏に一瞬で過る。
フライパンを持つ手を掲げたのは、声を上げる暇もない程の咄嗟の判断だった。
フライパンの底と、ジェードの剣がぶつかり合うその瞬間。二つの間に眩い光が生まれ、閃光となって弾け飛んだ。
「うおっ! 眩しッ!」
「な、なにっ……! この光は……っ!」
余りの眩しさに晴太とジェードは思わず目を瞑り、顔を背ける。
曇り空の暗さはその一帯だけが真昼の様な明るさを取り戻し、離れて見ていたいのり達も、目をしばたたかせる程だった。
「おぉ……っ、この忌々しいほどに気高き白き光は……っ!」
唯一人、薔薇だけは違った。
眩しさをものともせず、感極まった様子で光の中で震え上がる。
全てを消し去らんばかりの光の奔流の中、薔薇は愛しい男の姿を幻視していた。
程なくして光は収まり、晴太は恐る恐る目を開けた。
光の出所であるフライパンに視線を向けると、掲げられたままのフライパンは変わりなく健在だと分かる。その裏面には勢いを失った剣が当てがわれており、晴太は無事にジェードの一撃を凌いだのだと理解した。
「やっ……たぁーッッ!! 防いだ! 防いだぞコンニャロォーッ!!」
晴太は両腕を天高く突き上げ、勝利の雄叫びを上げた。
「やった……晴太の奴、生きてるーッ!」
「晴太くん! 無事なんだね!」
晴太の無事の様子に安堵して、いのり達はワッと声を上げながら晴太に駆け寄る。晴太を囲み、良くやったなとモテんズの三人が変わるがわりに晴太の頭を撫でまわす。
やめろよと言いながらも笑顔のままの晴太を、いのりは微笑みながら見つめていた。
すっかりお祝いムードの晴太達とは打って変わり、ジェードは信じられないと言った様子で呆然と立ち尽くしていた。
晴太を斬るどころか、フライパン一つ斬ることが出来なかったという現実が、ジェードに重たく圧し掛かる。自身の剣を阻んだ光の柱を思い出し、そんな馬鹿なとジェードは誰にでもなく一人呟いた。
「ジェードよ」
「……っ、我が、王……ッ」
薔薇に名前を呼ばれ、ジェードは慌てて振り向き跪く。
――魔王の前で醜態を晒す。
それは死に値する愚行であり、ジェードは己の命の終わりを覚悟した。
しかしジェードの覚悟とは裏腹に、薔薇からはひどく上機嫌な笑い声が上がるのみだった。
驚いてジェードが顔を上げると、恍惚とした表情を浮かべる薔薇と目が合い、ジェードの心臓は痛い程に高鳴った。
「ハハッ! 見たか、ジェードよ。あれはまさしく勇者の光! 器め、勇者の力を使いおった!!」
「……すると、本当にあの人間は勇者なのですか……?」
「あの器はただの人間だ。中に勇者の魂が入っている。ククッ……! 窮地に陥ればさしもの勇者も顔を出すかと思ったが……これはこれで良き収穫となった! 勇者の力は魂に由来する。つまり、力を使えば使うほど魂は活性化するであろうよ! これは大いなる切っ掛けと成ろうぞ。ジェードよ、良く器に力を使わせた。誉めて遣わす」
「は、ハッ! 有難き幸せ……!」
恭しく頭を下げたものの、ジェードには薔薇がどうしてそこまで喜んでいるのかを理解出来てはいなかった。しかし仕えるべき主が喜んでいる。その事実だけで今は良いと、ジェードは自らに言い聞かせるのだった。
立ち上がったジェードが薔薇の隣に控えると、入れ替わりに仲間から解放された晴太が薔薇の前に顔を出した。
晴太の顔付は期待に満ちていて、薔薇はそう言えばと先ほど晴太と交わした言葉を思い出す。
「薔~薇ちゃんっ!」
「ン、分かっておる。王に二言は無い。何が望みだ。言ってみよ」
「それじゃあ、ちょっとこっち、お願いしますッ!」
晴太は薔薇をいのりの真横に誘導した。いきなり薔薇が隣に来たものだから、いのりは少し驚いた顔で晴太を見やる。
当の晴太はと言えば、ご機嫌な笑顔を浮かべ、次の指示を薔薇に出していた。
「じゃっ、薔薇ちゃんと委員長で向き合ってもらって、手をアルプス一万尺みたいな感じで、互いに重ねる感じにしてもらいましてっ」
「え、晴太くん。私もするの?」
「お願いっ、委員長~! ちょっとだけ! ちょっとだけ付き合ってくれれば俺は満足するから……!」
「小娘。この我が付き合ってやっているのだ。貴様も付き合え」
「そんな理不尽な……。はぁ、はいはい、少しだけね」
二人から送られる種類の違う圧に挟まれ、いのりは渋々と晴太の指示に従うことにする。
「ありがと! んでっ、指は少し絡ませてもらって、そう! 見つめ合って! 最高ーッ!」
薔薇との距離感の近さにどぎまぎしているいのりを他所に、晴太は弾けんばかりの笑顔で二人を見つめていた。
二人の白魚の様なしなやかな指先が絡み合い、長い睫毛が触れ合ってしまうのではないかと言う距離で見つめ合う……。
どちらも容姿端麗であることが相待って、それは美しい絵画の様にも見える光景だった。
「なんです……これは……」
晴太の行動の意図が全く分からず、けれども目の前に広がる女性二人が至近距離で手を取り合っている様子の美しさに、ジェードは動揺を隠すことが出来なかった。
そんなジェードの前に、したり顔の宇都宮が眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら現れた。
「あれは、百合の園でござるな」
「百合の、園……?」
「女子同士にのみ許された、乙女の園でござる。晴太殿はそれを薔薇殿といのり殿で表現したかったのでござろう。自らが薔薇殿とイチャつけるかもしれぬチャンスを蹴ってまで、美少女同士の絡みを選ぶとは……流石、晴太殿でござる」
薔薇といのりを見つめ、うっとりとした様子の宇都宮の言うことの何一つも分からず、ジェードは呆けたように百合の園と呼ばれた二人に視線を向けていた。
下らぬことをと呆れながらも自信に満ちた顔付きの薔薇と、戸惑いながらも素直に頼みごとを聞いているいのり。
その組み合わせに、不意にジェードは胸が跳ねるほどの高鳴りを感じ取る。
そっと胸元に手を当てると、何故か少し温かな気持ちが湧いていることに気が付いて、ジェードは百合の園を見つめる己の瞳に自然と熱が籠っていることを知った。
「某の言う事が分からずとも、分かるでござろう。百合の園は、良い、と」
宇都宮の言葉に、ジェードは静かに頷いた。
「……ええ、良い、ですね。百合の園は……」
薔薇といのりを見つめるジェードと宇都宮の二人の間に、今、奇妙な友情が芽生えた――。