011 それぞれの成すべき事
「薔薇ちゃ~ん!!」
目を輝かせて背後に現れた薔薇に、晴太は歓声を上げた。
薔薇は何事も無かったかのように歩を進め、いのりとすれ違いざまに足を止め、口角を上げて笑った。
「良く、我が居ると気が付けたな」
「暁月さんにとって、晴太くん……ううん、勇者が一番の関心事である以上、近くに居るかなって思っただけだよ」
「ククッ……、良く分かっているではないか!」
機嫌よく笑いながら、薔薇はいのりの肩をポンと叩く。
余程、自身の勇者に対する想いを理解していることが嬉しかったのか。いのりに下がる様に告げる薔薇の声は、いつになく柔和なものだった。
「おぉっ……! 我が王!」
薔薇が正面に向き直ると同時に、ジェードの口から感嘆の声が上がる。ひりついた様子はすっかり鳴りを潜め、再会の喜びに涙を滲ませていた。
心底嬉しそうな様子で薔薇の前に跪く様子は、まるで飼い主を見つけた忠犬のようだと、いのりはすっかり小さくなったジェードを見て密かに思う。そして同じく薔薇の名を叫びながら薔薇に纏わりつく晴太の姿を目にして、こちらも似たようなものかとため息を吐き出した。
「……長い間、貴方様を探しておりました。こうして再びお会い出来たことの、何たる僥倖か……!」
薔薇の前に跪き、恭しく首を垂れたジェードが感極まった声色を上げる。
対する薔薇はと言えば、対照的にさして興味の無いといった無感動な目付きでジェードを見下ろしていた。しかしジェードからしてみれば、薔薇の視線が自身に向けられている――その事実だけで、震え上がるほどの歓喜に身が包まれる心地でいた。
尚、会いたかった、どこ行っていたの、寂しかったよと薔薇の隣で連呼する晴太には、薔薇の目配せ一つも与えられやしなかった。
「ジェード。我が勇者と共に次元から消えた後、どれ程の時が流れたか」
「はっ、約五十年が過ぎ去りました」
「ン……、次元間の時間の歪は想像よりも小さいな。して、貴様ほどの上位種が次元を超えて来られるほどに、門は開き切っているのか」
「いえ、門は未だ下級種のみが通れる程度であります。私はモルガナの支援を受け、此処に辿り着きました」
「ほう、モルガナも健在か。その様子では、我と勇者が消えても大した影響はなかったらしい」
薔薇は愉快そうに、クツクツと喉を鳴らして笑った。
それが自虐的に見えたのだろうか。ジェードは跳ねるように顔を上げると、それは違うのだと悲痛な声を上げた。
「王という統治者を失ったことにより統率は乱れ、中級種以下の魔物達は皆、理性を失った獣と化しました。上位種の我々は理性を残してはおりますが、ご存じのように数は少ない。増えすぎた中級種以下を制御できずにいるのです」
「世界に新たな魔王は誕生しておらぬというのか」
「我らにとっての王は、貴方様唯一人です」
「故に、我が戻り、統治せよと?」
「恐れながら……。私が此度、此処へ参ったのも、貴方を探し連れ戻す為であります」
悲痛な顔のまま、ジェードは再び深々と頭を下げた。
正確にいうのならば、薔薇から発せられるオーラに殺気が混ざり始め、これ以上、頭を上げてはいられなかったのだ。
薔薇の表情から感情と言うものは消え失せ、虚無が現れる。怒りとも違うそれは底なしの闇の具現の様でもあり、ただならぬ威圧感の前に、ジェードは臓腑の底から湧く恐怖を感じていた。
恐怖に必死に耐えるジェードを見下ろしたまま、薔薇の唇が動きかけた、その瞬間。
「おいっ、何勝手なこと言ってんだよ! 薔薇ちゃんはやることあんのっ! ねっ、薔薇ちゃん!」
やけに通る晴太の声に、薔薇は思わずピクリと目蓋を動かす。
それから薔薇は自らの殺気を緩めると、ジェードを見てにやりと笑った。
「フフ……そうだ。我にはやるべき事がある。故にこの次元に来たのだからな。成すまで帰る訳にはいかぬ」
薔薇の気配の変化に、ジェードは激しく動揺した。
一度機嫌を損ねれば命はない。それがジェードの知る魔王であり、その矛を収める姿を目にしたのは初めてだったのだ。
戸惑うジェードを他所に、薔薇は話を続ける。
「しかし、次元を超えてまで我を探しに来た貴様の忠義を踏み躙るのも野暮というものか。ジェード、この器と戦ってみよ。貴様が勝てば戻ることも考えてやらんでもないぞ」
「はっ! このジェード、貴方様の命とあらば喜んで剣を取りましょう!」
突然もたらされた薔薇からの提案に、ジェードは腰に下げた剣を鞘から抜き出し、意気揚々と立ち上がる。
ここにきてジェードが腰からぶら下げている剣が本物であるのだと気が付いて、いのり達から血の気が引いた。
「お、おい……あれ本物だったのか……?」
「某たち、すっごくヤバい人に絡んでいたのでは……」
「おっ、おい! 晴太! 刃物相手は止めとけっ!」
離れたところから成り行きを見守っていた直江達が、抜かれた刃の煌めきにざわめく。
しかしフライパンを肩に担ぎすっかり臨戦態勢の晴太には、その声は少しも届いてはいない様子だった。
既に対話で解決出来る状況ではなくなってしまった事を悔やみながら、いのりはどうにか自身の持つ護りの魔法を晴汰にも掛けることは出来ないものかと考える。しかし薔薇の鋭い眼光にひと睨みされ、それもまた危険であるのだと理解してしまった。
余計な手出しをすれば皆殺しにする。
薔薇の深紅の瞳が雄弁にそう物語っていたのだ。
「器よ。貴様はジェードの一撃を受け止めて見せよ。さすれば貴様の勝利だ」
「勝ったら、何かご褒美くれますかね!?」
「褒美か。よかろう。願いを一つ聞いてやる。ただし、勇者に関わること以外だ」
「シャッ!!」
晴太は拳を強く握り締め、大袈裟なまでのガッツポーズで気合を入れた。
「勇者……?」
薔薇の口から出た言葉をジェードは訝しむ。どういうことなのだと晴太を見るが、フライパンを構える姿と勇者と言う言葉はまるで結びつかない。
――どちらにせよ、叩き斬るまでだ。
ジェードは剣の柄を握りなおした。
「さぁーっ、かかってこいよっ! ヘイヘイヘーイッ!」
重心を低くした晴太は上下に小刻みに揺れながら、ジェードにフライパンの表面が見えるように縦に構えた。
晴太が本気でこの調理器具一つで一撃を受け止めようとしている事実に対し、ジェードはふつふつと怒りが湧き上がる。魔王軍四天王の一角としてのプライドが、晴太のふざけた態度を許せなかったのだ。
しかし晴太とてふざけている訳ではない。彼は本気でフライパンで防げると信じているのだ。
当然のことながら、今の晴太には何の力も備わってはいない。人としての力も並みのものである。通常であれば剣の一撃を受け止めることが不可能であることなど、晴太自身にも分かっていた。
けれども今の晴太には確信めいたものがあった。
(勇者の魂があるってンなら、剣くらい止めてみせらぁよッ! そして、薔薇ちゃんからご褒美を貰うッッ!)
――根拠も何もない確信である。




