010 魔王の部下と言えば四天王
学校まではそれほど距離があるという訳では無い。
しかしその道のりにはスライムをはじめとした魔物が蔓延り、行く手を遮る。
いかに弱い魔物ばかりとは言え、未知の生物に対する恐怖というのは耐え難いものがある。誰よりも気丈な様子のいのりでさえ、少しばかり足が止まる瞬間が何度かあった。
それでも前に進み続けることが出来たのは、魔物が自ら襲い掛かっては来なかったからだろう。
それにはいのりがアルルから受け継いだ魔法に理由があった。いのり自身は知らぬことだが、いのりから発せられる魔法の力が魔物達をけん制していたのだ。
学校に近づくにつれ、見上げる空の穴が視界を占める割合が増していく。
おっかなびっくり足を進め、残すは角を曲がるのみ、というところまで辿り着く。
五人の胸中に安堵が湧いた、次の瞬間だった。
「そこの人間、止まりなさい」
突然、背後から声を掛けられ、全員の足が止まる。
耳に届いたやけに通る声色だけで、晴太、直江、佐竹、宇都宮のモテんズ四人はその顔に嫌悪感を滲ませた。
振り向いた先に立っていた相手の姿を見て、モテんズの嫌な予感が的中する。
声をかけて来たのは長身の男だった。
短く切られた金の髪。しなやかに伸びた手足の筋肉質さは、分厚い生地で作られた、やけに丈の長い軍服じみた服装の上からでも良く分かる。整った顔つきは、一般的に男前と評されるものだろう。
男の瞳は鮮やかな赤色をしていた。それはまるで薔薇の髪に似ているようで、晴太は余計に苛立ちを覚えた。
「あの、あなたは?」
明らかに普通ではない相手に、いのりは慎重に声を掛ける。
するとどうしたことか、男はその表情に優し気な微笑みを浮かべ、いのりにゆっくりと近付いてきた。
いのりの前に立った男は、まるで晴太達が目に見えていない様子でいのりだけを見つめている。
戸惑ういのりの前で、男は右手を胸に当てて恭しく頭を下げた。
「私はジェードと申します。美しいお嬢さん。貴女の名前をお伺いしても?」
「えっ、え、わ、私は夏野いのり、です……」
「イノリ……賢者のレンズを身に着け、それに見合う凛とした佇まい。聡明さ溢れる貴女に良く似合う響きの名ですね」
「そっ、そんなこと言われたの、初めてです……っ」
ジェードと名乗る男の言葉に、いのりは顔を真っ赤にして盛大に狼狽える。
しかし、いのりの表情の中には明らかに喜びが混ざっているのが見て取れて、晴太達は大慌てで声を荒げた。
「委員長ーッ! 騙されンなーッ!」
「初対面でおだててくる野郎に碌な奴はおらーんッ! 晴太をみりゃ一目瞭然だぞ!」
「委員長から離れろー! このナンパ野郎ー!」
「そうでござる! 委員長はお前みたいな奴には絆されないでござる! ねっ、委員長!」
いのりの隣に二人ずつ別れ、四人はそれぞれ思いつくままに声を上げた。
その声の大きさに一瞬にして現実に引き戻されたいのりは、羞恥からか、顔を真っ赤にしてしまった。
「ちっ、違うのっ、違うのよっ、そういうんじゃなくてねっ、ビックリしただけっていうかっ」
珍しく慌てふためく様子を見せるいのりに、四人は思わず感嘆の声を上げていた。
すっかり蚊帳の外に置かれてしまいそうになって、ジェードはわざとらしい咳払いを一つ溢す。
いのりと四人は視線をジェードに向けた。勿論、晴太達四人の視線がジットリとしたものであることは、言うまでもない。
「イノリ、そんな下劣な人間の言葉になど、耳を貸す必要はありません」
「あんだとオメーッ! ちょっと顔が良いからって調子にのんなァーッ!」
顔が良いことは認めるんだと心の中で突っ込みながら、いのりは眉根を寄せて声を上げた。
「確かに晴太くん達は少し困ったところがあるけれど、初対面の人に下劣とまで言われる筋合いはないです」
ジェードに対してきっぱりと言い返したいのりに、晴太達は胸が熱くなる。
委員長はやっぱり俺たちの委員長だとやんややんやと歓声を上げている間に、ジェードは酷く悲しげな顔をして、いのりの肩に手を置いた。
あまりにも自然な動作であったために、いのりも晴太達も反応が遅れる。
一息遅れて気が付いて、再びいのりは顔を赤くし、晴太達は悲鳴にも似た声を上げていた。
「イノリ……貴女の様な女性まで惑わすとは……やはり、人間には碌なものがいない」
ジェードの冷たく切り捨てる様な声色に、いのりは驚き、一歩後退る。
気配のおかしさを感じ取った晴太はそのままいのりを後ろに下げると、代わりにジェードの目の前に立った。
「どうも、下劣な人間代表でぇ~す」
挑発的な表情と態度で迫る晴太を、ジェードは心底冷めきった目付きで睨みつけている。
負けてなるものかと、直江らも晴太に並んでジェードをねめつけた。
これ程度では動じることがないかと思われたジェードであったが、晴太が間近に迫った途端、目の色を変えた。
「貴様!? 何故、貴様から我が王の魔力の気配を感じるのだ!?」
「ン? 王サマ? あんたどっかの国の人なの?」
「黙れ! 貴様、我が王に一体、何をしたッ!!」
形相を変えたジェードが咆哮を上げると同時に、突風が吹き荒れる。
立っている事が不可能になるほどの風圧に、晴太達は思わず尻もちをついてしまう。
ただし、いのりだけは違っていた。いのりの前には青く光る魔方陣が、まるで身の丈ほどもある盾の様に展開されていたのだ。
事実、その魔方陣は突風からいのりを守り、いのりが転倒することを防いでいた。
いのりが自身の意志とは関係なく現れた魔方陣に驚いているように、ジェードもまた驚きに目を丸くする。
「その魔方陣……イノリ、貴女は魔法使いなのですか……!?」
「ジェードさんも、やっぱり人間ではないですよね……?」
突風の出所であろう、ジェードが纏う緑色のオーラにいのりは息をのむ。
ジェードの周りを旋回するオーラはまるで竜巻の様でもあり、ジェードのコートの裾をはためかせていた。
「ええ、私は魔物です。魔王軍四天王が一人、疾風の魔剣士――。この次元には、我が王を探しに来ました」
人のそれとは変わらぬ容姿でありながら、魔物と名乗るジェードにいのりは少なからず衝撃と興奮を受けていた。
ここまで目にしてきた魔物と言えば、フィクションの世界で目にするような動物じみたものばかりであり、とても対話が可能とは思えなかった。しかし、ジェードは違う。薔薇と同じく人の姿に似て、言葉も通じるのだ。
言葉が通じるのであれば、対話で解決が出来るのではないだろうか? という考えがいのりの脳裏を過る。
今日まで戦いとは無縁の日々を過ごしてきたのだ。極力、戦いを避けたいと思うのは自然なことだった。
再びジェードに立ち向かおうとする晴太達に待ってくれと視線で訴えて、いのりはジェードを真正面から見据えた。
「私達、あの空に空いた穴を閉じに行くところなんです。貴方の邪魔をするつもりはないので、通してもらえませんか?」
「穴……? あぁ、門ですか。……申し訳ありませんが、それは困りますね」
「どうして?」
「門を閉じられてしまえば、我々は元の次元に戻れなくなる。そうすれば、我が王を見つけたところで意味がなくなってしまいます」
きっぱりとしたジェードの口調に、いのりは思わずたじろいだ。
帰り道を失ってしまう。
真面目ないのりにとって、それは一大事に思えてならなかったのだ。
けれども、このまま空に大穴を開けたままで良いわけがない。いのりは必死に考えて、背後を見た。
いきなり振り向いたいのりに、晴太はきょとんとしてしまう。
しかし、いのりが困っているのだと理解すると、途端に顔に自信満々の笑みを浮かべて勢いよくサムズアップをする。
ところがいのりの視線は、晴太よりも後ろに向けられていたのだ。晴太の背後。何もいない筈の空間を見つめて、いのりは懇願するように口を開いた。
「暁月さん、姿を見せてもらうこと……出来ないかな?」
いのりの言葉に晴太はギョッとして、辺りをきょろきょろと見渡す。その視界に映る風景のどこにも薔薇の姿は見つけられず、晴太は千切れそうなほどに首を激しく振った。
「薔薇ちゃん!? どこっ! どこ!?」
「此処だ」
良く通る、凛とした声が響く。
突然響いた声に誰もが驚き、晴太の背後に視線を送る。その何もない空間から、まるで最初からそこに居たかのように薔薇が姿を現したのだった。