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さよならの向こう側

作者: morigan

ある街のある路線バスの廃止を記念して…


これはある街に住むあるバスが好きだった少年の半生とバスの運命のお話。


 あれは数年前のことだった。その日も何気なく動画を見ていた。その時ふと目に入った動画があった。内容は確か美しい音楽と共に1人の半生が描かれていたと思う。まるでそれはどこか懐かしく、少しだけ切ない動画があった。その動画に映っていた線路、またその時間の描き方は僕にこの疑問を残した。


“次に廃止になるのは、あなたの街のいつもの路線なのか?”


 それから時を戻して今日、いつものバス停からバス乗っている。普段から使っているこの路線は小さなコミュニティバスで、大きな駅同士を結んでいる。その昔は1時間に数本あるぐらいそれなりに多かったそうだが、気がついた時には1時間に1本あるかどうかになっていた。このバスに乗ると、昔の頃を思い出す。


 小学校低学年の時は窓からバスを眺めようと頑張っていた。教室は1階だったが、見ようと頑張って授業も聞いていなかった。それだけでなく休み時間もずっと窓を見ていたから、校庭に出なさいと先生に言われた。でも僕は眺めるのをやめなかった。そのバスがきっと僕を運んでくれると思ったからだ。


 学年が上がるとバスに乗る機会ができた。最初は街のお使いから始まった。近所のスーパーしか行ったことがなかった僕にとって、これは大きな冒険であり、大きな挑戦だった。バス停でバスを待って、運賃箱にお金を入れて、席に座れないから立ったまま大きな駅に向かった。その時はお使いするお店が駅の反対側にあったので、駅の階段を上がり改札を通り過ぎ、また階段を下がる。そしてそのまま少し歩いてお店で買い物をした。帰りはちょうどバスが出発した後だったので電車に乗って帰った。


 それからそのバスはことあるごとに使った。ある時は父方の家族に会うために、またある時は母の病院に付き添うために。気がつけば、学校の窓から見ていることよりも実際に乗ることが増えていった。休み時間も外で遊ぶようになったので先生も成長を感じていたのかなと思う。


 ちょうどその頃には、終点が大きな駅に変わっていた。それまでは役所や別の駅が終点だったらしい。ある日、このことを母が教えてくれた。どうやら母の友だちが元々のルート沿いに住んでおり、ルートから外れたことで不便になってしまったそうだ。その人たちにとっては可哀想なことだろう。しかし、大きな駅に向かう事できっと本数も増えるのではないか。まだ幼かった僕はそう思っていた。


 そんな僕も卒業生となり、バス停から1年生を案内することもあった。しかし、その時間に来るバスは1本しかなく、毎日同じ子を小学校に案内していた。いつしかその子に大丈夫と言われてからはしばらく話さなかったが、卒業式の日に強がってたことを謝られたときは思わず涙を流した。今でもあの子は僕のことを覚えているのだろうか。


 中学生になって、このバスのルート上に用は無くなりつつあった。それでも遊びに行く時や部活の遠征では使うこともあった。覚えているのは、まだ中学校に上がった数日後に冷やかし半分で小学校に遊びに来た時のこと、その時は帰りにバスを使ったのだが、運転手が僕のことを覚えていた。毎日バス停で待っていた所を見て、なんだか安心していたらしい。安心してくれるのはありがたいが、バスの時間を遅らせてしまったことについては謝りたい。だけど、その時の暖かい空気は今でも忘れていない。


 中学校の近くにはそれはまた別のバス停があり、別の路線があり、別の場所へ行ける。そして最寄りの駅までは歩けるし、バス停の終点からもどこへでも行ける。それを知ってしまったとはいえ、昔乗っていたバスも捨てがたい。コミュニティバスならではの小さな車体と、流れる緩い空気。中学校を通るバスにはないまったりとした雰囲気が好きだ。多少不便なのは事実だが、それもまた愛おしく感じるほど好きだった。


 中学生の時は友だちを連れて乗りに行ったこともあった。しかも、いつもとは違う逆の方面へ。いつもは大きな駅から自宅の最寄り駅までしか使っていなかった。その先は気になっていたが、少し怖かった。何が待っているのかわからなかった。だが、勇気を出して乗ることにした。バスは駅を通り過ぎ、中学校の近くをかすめていく。かすめてすぐの交差点で信号を右に曲がると、道なりに行けば橋まで着く。昔はこの川が県境だったり区境だったりと考えたこともあったが、今はわかる。これはまだ同じ自治体だということ。


 バスは道なりに進み、そのまま狭い道を通った。車同士のすれ違いも難しそうな道だが、コミュニティバスの小さな車体はそれを感じさせなかった。そのまま道を進むと用水路沿いのそれなりに大きな道に辿り着く。そこまで来たら今度は左に曲がる。左に少し行くと公園が見えた。その近くのバス停で降りようかと迷ったが、そのまま乗り続けることにした。バスの終点まで、もう少しあるからだ。


 バスの終点に着いた。あと数歩進めたら身体は県境を越える。それぐらいの場所まで来た。バス停の周りは特に何もなく、次のバスの時間まで待ちぼうけだ。ちょうど一緒にいた友だちは県境を越えて歩いて駅に向かった。そこにも駅があったからだ。しかし、僕は待った。何時間になるのかわからないが、とりあえず待った。持ってきていたゲーム機、今となっては懐かしい思い出だった。いつのまにかバスの時間となり、始発のバス停から自宅の最寄り駅まで1人で帰った。最寄り駅に着くと、一緒にバスに乗ってた友達が笑いながら手を振っていたの、ちゃんと見ていたよ。


 中学校の3年間はあっという間に過ぎていく。入学して気がついたらもう卒業式まで一年を切った。進路のこと、卒業式のこと、部活のこと、友だちのこと。考えるべき事は色々あれど、どれもちゃんと取り組んで、どれもしっかり考えていた。修学旅行が終わった後から勉強して、第一志望の高校に学校推薦で合格した。思えばあまり苦労しなかったのか、それとも先生からの評価が良かったのか。日頃の行いというのはこういう所に反映されるのだろうか。


 卒業写真に写る僕は綺麗な笑顔だったのだろうか。中学校の卒業式の日、ひさしぶりに泣いたのを思い出した。正直学校に友だちはいたが、綺麗な思い出ばかりでは無かった。気に入らない人を殴ったり、暴言浴びせて泣かせたりしたこともあった。クラス全体で先生に罵詈雑言の嵐をお見舞いして先生を病ませたこともあった。だけど、なんやかんや最後まで指導してくださった先生には頭が上がらない。そういう意味では綺麗事になってしまうのだろうか。汚い思い出は時代とともに忘れ去られてしまうのだ。


 卒業式の次の日、悲しいニュースが舞い込んできた。コミュニティバスの好きだった路線が見直しの候補になっていた。この頃になると、バスは1日数本になり、県境を越えるバスも1往復ぐらいに減っていた。卒業と言うのは別れと同時に出会いの場を作り出すものだと中学の先生が言った。それは本当なのだろうか、まだ信じられずにいた。


 高校生になるとより勉強と部活の両立で忙しくなった。趣味に割いている時間は取れなかった。しかし、時間がある時はなるべく乗るようにしていた。時間潰しというわけではないが、乗らないと気が狂いそうになっていたからだ。ちょうどその時は、何もかもから逃げ出したくなった時だった。


 部活の後輩たちに教えることや、大学受験への勉強、さらにはクラスや友だち付き合いなど抱えるものが多すぎた。おまけに家族とも一緒にいたくない時期が続き、放っておけば消えてしまうかもしれない。そんな時に遠くに行こうと思ってバスに乗った。そんなに時間が経ってないはずなのに、バスの車内には緩い空気が変わらずに残っていた。まるで、そこだけは僕の楽園が広がっているかのように。ゆるい空気と柔らかい風、太陽の暖かい光を乗せて終点までまっしぐらに向かった。


 いつか聞いたあの動画で流れていた曲、ずっと探していたあの曲もこのバスの中で見つけた。どうやら昔放送していたアニメの主題歌だったそうだ。小学校の時に見つけて、僕に疑問を投げかけたあの動画は、今でも胸に刻まれている。いつか聞いたあの曲と、優しい風の中で。高校の時の、ちょっとした思い出話だ。そんな思い出ももう少しで終わってしまう。高校を卒業してからの進路を決めなくてはいけないからだ。こんなふうにやっている暇は、もう無かった。


 大学は高校と違って一筋縄では行かない。指定校推薦で入りたかった大学は、他の人を推薦してしまったから一般で進むしか無かった。一般受験は茨の道だった。試験勉強は1日8時間を越えたが、それでもまだ足りなかった。模試の結果に一喜一憂して、落ち込む時もあった。それでも第一志望の大学に合格するために大好きだったことも封印した。


 ある冬の朝、大学から通知が届いた。しかし、茨の道の先にあったのは、現実という結果だった。大好きなものも封印して全てをかけた大学受験、魔物は自分自身だったのかもしれない。第二志望の大学には合格したものの、第一志望の大学は不合格となった。悲しい現実はまだ続く。検討されていた見直し案の結果が出た。僕が好きだったあの路線は、廃止になるようだ。廃止時期はまだ未定だが、近い将来廃止になるという現実も、もしかしたら茨の道の先にあった現実という結果だったのだろう。


 いつの日か問いかけていた疑問、その答えを唐突に突きつけられた。答えなんて出せない。それが答えだった。心の中で問いかけていた、しかしどこかで油断していた自分が恥ずかしく思えた。泣きたい気持ちも辛い気持ちも抑えなくてはいけない。もう、そんな歳じゃなくなったからだ。


 まず県境越えの区間の廃止が発表された。とある春の日のことだ。入学式も終わり、大学では友だちができた。高校時代とはまた違う、新しい友だちだ。その友だちはどうやらそのバスを知っており、今度乗りに行くそうだ。僕も連れて行ってくれないかと頼み、一緒に乗りに行くことにした。


 大きな駅の近くの橋の下、僕たちはそこでバスを待っていた。既に1日6本のみになった寂しい時刻表に、一本だけあった県境越えた先の駅の行先。もうすぐなくなるのがまだ実感できない。バスは大通りをすぐに曲がり小さな道へと進んでいく。そしてまた大きな道に出て、母校の前を走る。あの頃は無邪気で、馬鹿だった。そんな僕がここまで成長したことを知っている人は、この小学校にいるのだろうか。バスは僕の家の最寄りのバス停を過ぎ、最寄りの駅の前まで来た。ここから乗客は減って、僕たち2人だけとなった。バスはこのまま走り、いつか来た県境付近までたどり着いた。少し停車をした後、このバスは県境を越えた。


 少し走れば小さなバスは駅のロータリーに停車する。終点の駅の前には少しだけ明るい希望があった。どうやら今度、全部の電車が停まるようになるらしい。だが、それを見る頃にはあのバスが県境を越える事はなくなる。県境区間の廃止まで、あとわずか。秋めく風が哀愁と共にやってきた。折り返すバスに乗るのは、僕たち2人だけだ。


 狭い道に突入する感覚は、大きな駅に向かう小さなバスの特権なのだろうか。小さなバスは狭い道の狭いバス停でせっせと人を乗せていく。途中のホームセンターの近くのバス停では、もう椅子は埋まっていた。このまま途中の駅まではこの光景が続くのだろうか。そう思っていたが、次に止まったバス停は橋を越えた後すぐだった。駅に着く頃には少しの空席を残していたこのバスも、駅で人を下ろせば空席が増えている。確かに人は乗っていたが、空席が目立つという事は次に待つのはまた現実なのだろう。バスはこのまま母校の前を通り過ぎていく。


 通り過ぎれば国道と交差する。その頃バスは少しの空席があるものの比較的多くの乗客を乗せて国道を越えていく。越えた先にあるのは団地とスーパーと、家々だった。しかし、誰も乗る事はない。駅までのラストスパートをかけようとバスは駅に向かう道路を曲がる。曲がった先の道は曲がりくねった狭い道。運転手のハンドルもそれに応えるかのように腕を鳴らしている。バスは博物館を過ぎてすぐの橋の下が終点だ。駅はさらに少し進む。駅の階段を登ると、カフェの看板があった。そこで僕たちは一息ついた。美味しかったフライドチキンとコーラ、まるでカフェとは程遠いものかもしれないが、2人で話した事はカフェの中にあるかのような時間だった。彼はこのバスの廃止を次のように話していた。


“バスの路線は無くなってしまうかもしれない。けど、思い出はずっと残るものじゃないかな”


 今、僕はバス停でバスを待つ。県境区間が廃止になっても残った路線を。本数も平日に1日3本だけになった。土休日のバスは、もうない。揺れる風、揺れる想い、暖かい空気。でも、廃止まで秒読み段階だと思うとそれが儚くて寂しいものだと感じた。バスに乗っていた10年ぐらいの年月、今まで楽しいことも辛いことも、悲しいことも怒ったことも、全てが懐かしく思える。今でも小学校の時の友だちは元気にしているのか、中学校でふざけあった友だちはどんな職についているのか、高校時代に切磋琢磨しあったライバルたちは楽しく過ごしているのか…運賃箱にお金を入れて運転手後ろの席でぼーっと考えていた。


 バスを降りて用事を済ませて、帰りも時間がちょうど良かったからバスに乗ろうと駅近くのバス停に行くと全線が廃止になる張り紙があった。ついにその時はやってきてしまった。県境区間の廃止からたった1年と少しだけだったが、既にカウントダウンは始まっていた。バスに乗り込みながら、僕は静かに微睡んだ。


 気づいた時には終点に到着していた。今日のバスがこれで終わった。明日は土曜日だからしばらくバスは来ない。歩いて県境を越えようにも、僕にはその気さえ起きなかった。悲しみだけが僕を包んだ。来ないバス停で何もする気が起きないので、しばらく座って呆然としていた。考えた末に、歩き出すことをやめた。しかし、心配した親からの電話が僕を優しく包んだ。結局親は偉大で、それでいて優しくそばにいる。その事実はあれど、この悲しみが消える事はそこまでない。


 結局親に伝えたら、そんなちっぽけな話でと言われてしまった。まぁ、そんな事だろうと思ってはいた。だけど、その言葉がどこか諦めたような気がして少し許せなかった。だが、ここで抗議しても何も変わる事はない。僕はこの悲しい気持ちだけを持って廃止するその日まで待つしかなかった。


 廃止当日。僕は大きな駅のバス停にいた。セレモニーやお見送りなど大した事はない。ただ淡々とバスは出発準備をして乗客を呼ぶ。いつも見たような人々だけでなく、今日は珍しい客たちが廃止を惜しむためにわさわさと乗ってきた。車内は珍しく混雑していた。バスが重さに耐えかねて出発が出来ないかと思っていたが、それは杞憂だった。バスは狭い道を通り、少し大通りを走り、バスは母校を通過した。母校を通過すれば家の最寄りまであと少し。あと少しだと言うが、今日は何かが違う。今日は春休みだと言うのに、学校は何やら騒がしかった。バスはそのまま駅に向かい、さらに終点へ向かった。折り返そうとすると、珍しい客たちが写真を撮り始めた。道中でも珍しくカメラを持った人たちが車体を撮っていた。いつもはこんな感じではないが、路線の廃止と言うのはやっぱり宣伝としてはちょうどいいのだろう。


 あれからバスで1往復して最後のバス、行き先は変わらずいつもの県境の近く。県境を越える事はついに無かった。セレモニーも無しにバスは静かに出発した。バスは大通りを走り始めて少しした。そこでは旗を持って追いかける少年たちがいた。どうやら近くの住区センターの子どもたちが自主的にやったらしい。次のバス停では小学生たちが手を振っていた。これも、そのバス停の小学校の子どもたちらしい。国道を越えたあともサプライズは続く。次のバス停は住区センターのおじさんやおばさんたちが、さらに次のバス停では母校の後輩たちが手を振ったり演奏したりして路線の最後を盛り上げた。そして終点に到着する前に運転手が最後のアナウンスをした。きっと動画が上がっているだろうから録る事はしなかったが、誇らしくて少しだけ悲しい言葉だった。


 最後に聞きたいことがある。次に廃止になるのはあなたの街のいつもの路線なのだろうか。もしその廃止になった路線がいつもの路線だったら…あなたは廃止までどのように過ごすのだろうか。さよならの向こう側には何があるのだろうか。その答えをあなたは見つけることができるのだろうか。

さよならの向こう側には色々なものが見えるはずだ。ただ、この少年はまだ知ることができない。まずは廃止した事実から立ち直ることから始めないといけない。

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