わたくし、パパ活しますわ!
セシリア・バーデルは、波打つ金髪にサファイアのように透き通る碧眼を持ち、燃えるような真紅のドレスを好む、華やかな令嬢であった。伯爵家の令嬢だけあって気位は高く、その発言も強気で高飛車なものが目立つ。
彼女は愛用の扇を口元に添えつつ、常々こう言っていた。
「夜会などというものは、しょせん“婚活”の手段に過ぎませんわ」
貴族同士の高尚な社交の場である夜会についても、ばっさり言ってのける。
さらに――
「パパは常々“よき家柄の男と巡り合い、支えることがレディの幸せであり義務”とおっしゃっている。私にかかればパパの希望を叶えることなど容易いことですわ」
いい男などいつでも手中に収められる、という自信に満ちていた。
あながち過信ではなく、彼女は参加する夜会では常に主役格の座をキープしていた。
その気になれば格上である公爵家や侯爵家の令息さえ落とせる。まさに選び放題の最高級バイキング。
しかし、そんな彼女が選んだのは意外な男であった。
日中、あるダンスパーティーに向かうため、セシリアは馬車に乗っていた。
しかし、馬車の車輪部分が故障し、立ち往生してしまう。御者が修理を試みるが、一向にはかどらない。
こういった時、セシリアはむやみに御者を責めたりはしない。責めて馬車が直るわけではないと分かり切っているからだ。
とはいえ、このままでは行くことも帰ることもままならない。
どうしようか思案していると――
「よかったら、僕が直しましょうか?」
一人の青年が話しかけてきた。
ブルネットの髪の、精悍な顔つきの若者であった。
「あなたは?」
「フレリック・レイトと申します」
自己紹介をすると、フレリックは馬車の修理を始めた。
工具を近くの民家で借り、てきぱきと応急処置を施す。
修理している最中、セシリアはフレリックと話をし、彼の素性を知ることができた。
フレリックは国の中心部から少し離れた地域を領地とする子爵家の令息。道路は整備が行き届いておらず、馬車がトラブルを起こすことも多い。そのため、馬車の修理技術も自然と身についたという。
修理を終えると、フレリックは恩を着せるようなことを一切言わず、颯爽と立ち去った。
この姿に、セシリアの胸はしおらしくときめいた。
(なんて素敵な方なの……)
セシリアはベテラン執事のラルドに命じ、フレリックのことを調査させた。
そして、彼が参加するであろう夜会に出向き、フレリックに接触。猛アタックを試み、見事交際までこぎつけたのであった。
「フレリック、どうかお付き合いしましょう」
「ええ、セシリアさん……僕でよろしければ」
高飛車な令嬢が、実直な青年に恋に落ちる。
清く美しく、称えられるべき恋物語であるが、これを快く思わない者もいた――
***
セシリアの父、オーディス・バーデルは二人の婚約を認めなかった。
「子爵家の令息との婚約? そんなもの、認めるわけがなかろう!」
爵位としては格下、しかもセシリアは公爵家や侯爵家との婚姻も夢ではない逸材。
オーディスが難色を示すことも無理はなかった。
むろん、セシリアは父に反論する。
「フレリックのレイト家は、領民との関係は良好で、作物の収穫や鉱山開拓なども堅調。爵位こそ子爵家ですが、潜在的な経済力は豊富で将来性に満ち、今後の飛躍を大いに期待できますわ」
「貴族とは山師ではない。“将来性”などという不確かなものにかけて、娘を嫁に出せるか!」
「民を導く立場である貴族が、未来を見据えないでどうするというのです。時には投資も必要ですわ!」
「ああ言えばこう言いおって……とにかく、私は認めんぞ!」
セシリアも食い下がるが、取りつく島がない。
このままでは、フレリックと交際を続けることは難しい。それこそ駆け落ちでもしなければならなくなる。しかし、それはあまりにも現実的ではない。
自室でセシリアが悩んでいると、ティーポットを持った執事のラルドが声をかけてきた。
「お嬢様、紅茶でもいかがですか?」
「ありがとう、ラルド」
セシリアは笑顔で応じるが、表情には憂鬱さが漂っている。
「フレリック様とのことで悩んでおられるのですかな?」
「ええ、パパがどうしても彼を認めてくれなくて……頭が固いのよ、あの人は」
ため息をつくセシリアを、ラルドは励ます。
「フレリック様は立派な若者です。旦那様もそれを知れば、きっとフレリック様のことを認めて下さるかと……」
「そうよね。きっとそうだわ」
この助言をきっかけに、セシリアはあるアイディアを思いつく。
「私とフレリックとパパでデートするのよ。そうすれば、パパも彼の魅力に気づいてくれるはず!」
セシリアは両手をぐっと握る。
「パパを巻き込んでの婚活――わたくし、“パパ活”しますわ!」
活気を取り戻したセシリアを見て、ラルドはにっこりと笑う。
「実にお嬢様らしい、豪快な略し方ですな」
その後、セシリアはオーディスに、私たちのデートに付き添って欲しいと直訴。
このデートでパパが彼に魅力がないと感じたら私は潔く彼を諦める、とまで告げた。
「よかろう……。ならば一度ぐらいは、その男に会ってやろう」
オーディスからすれば、フレリックがどういう男であろうと「婚約は認めない」といえばそれで済む話である。
あまりにも分が悪い“パパ活”であるが、セシリアはフレリックならば父の心をも掴んでくれるはず、と想い人に全てを託した。
***
デート当日。空は朗らかな晴天。待ち合わせ場所は王都の時計台の下。
セシリアとオーディスの父娘はすでに到着しており、フレリックを待っていた。
すでにオーディスの機嫌は悪い。懐中時計をいまいましげに眺める。
「……遅い」
「遅いって、まだ時間じゃありませんわ」
「しかし、もう10分前だぞ。今日は私も来るのだから、少なくとも30分前には来て、私を待たせないようにするのが当然の配慮だと思うがな」
伯爵を巻き込んでのデートで、待ち合わせ時刻ギリギリに来るのは確かに心証がよくない。
セシリアの心にも焦りが募る。
やがて、ようやくスーツ姿のフレリックが姿を見せた。しかし、一人の老婦人と手を繋いでいる。
どうやら、手を引いて歩いているようだ。
「ここが時計台です」
「どうもありがとうございました……」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから」
老婦人と別れ、フレリックがセシリアたちの元に駆け寄る。時間は待ち合わせ時刻ギリギリである。
「すみません、遅れました!」
セシリアが念のために尋ねる。
「さっきのおばあさんを案内していたのね?」
「ええ、あのご婦人が時計台に行きたいけど、場所が分からないというので、手を貸して……」
説明するフレリックの顔には、生来の優しさや真面目さがにじみ出ていた。
これを見てオーディスはつぶやく。
「ふん……。あながち全く見込みがないというわけでもなさそうだ」
この感触。フレリックは思いがけなく予想以上に得点を稼いだようだ。セシリアはほくそ笑んだ。
「初めまして、フレリック・レイトと申します!」
フレリックがオーディスに元気よく挨拶をする。
「うむ、私はオーディス・バーデルという。今日はよろしく頼む」
「はいっ!」
オーディスがフレリックの胸のあたりをじっと見る。
「そのネクタイ……ひょっとして、メーカーは『レダス』かね?」
『レダス』は服飾メーカーの名称である。紳士が好むような、落ち着いたデザインの服や小物に定評がある。
「はい、そうです。僕は『レダス』の愛好家でして……」
「実は私もなんだよ。今日着ているスーツは『レダス』だ」
「あ、本当だ! オーディス様と趣味が一緒だなんて光栄です!」
オーディスは返事をしないが、顔は若干ほころんでいる。
セシリアは父がさらにフレリックを気に入ったことを確信する。
「さあ、お二人とも、三人揃いましたし演劇鑑賞に参りますわよ」
令嬢、令息、令嬢の父による三人デートが始まった。
セシリアの先導でまずは演劇鑑賞に向かう。
***
劇を観終わり、三人は近くのレストランで食事をする。
演劇の内容であるが、テーマとしては騎士と王女の恋物語なのだが、そこに政治的な駆け引きなども絡まり、非常に複雑なストーリーとなっていた。
セシリアは「騎士が白馬で王女の元に駆け付け……」というようなストーリーを期待していたが、そんなシーンは一切なく、物語が中盤に差し掛かる頃にはすっかり退屈してしまっていた。
オーディスが娘に話を振る。
「セシリア、劇はどうだった?」
「まあ……面白かったですわ」
セシリアは白身魚のソテーを頬張りつつ、気のない返事をする。
「君は?」
フレリックに話を振る。
振られたフレリックはナイフとフォークを置く。
「とても面白かったですね。王国の上層部で繰り広げられる泥沼の政治劇の最中、その荒波を泳ぐように逞しく生きる騎士と王女が非常に魅力的で……」
「ほう、君の若さでもああした劇の面白さは分かるのかね」
「ええ、のめり込んでしまい、夢中になって観てしまいましたよ」
劇の内容について、男二人は会話に花を咲かせる。
あのシーンがよかった、あの演技がよかった、とまるで子供のようだ。
セシリアはそんな二人を眺め、恋人がさらに得点を稼いだことを喜びつつ、どこか複雑な心境でグラスに入った水を飲むのだった。
***
レストランを出ると、時間帯は昼下がりになっていた。
午前中のせかせかした雰囲気は消え、街並みは穏やかな時を刻んでいる。
三人で街を歩いていると、セシリアが大きな書店を見つける。
「ねえ、あそこに寄ってみませんこと?」
オーディスとフレリックもうなずき、三人は書店に入る。
セシリアは恋愛小説のコーナーを覗き、表紙に美男美女が描かれている小説を見ては胸をときめかせ、一冊買っていこうかしらなどと思案する。
「パパ、フレリック、お二人はどれが面白そうだと思う?」
セシリアが振り返ると、フレリックとオーディスは二人で別の本棚を眺めていた。
「君は好きな作家はいるかね?」
「そうですね……。テラン、リーゼン、あと海外の作家ですがバルドスキーなんかも好みですね」
「おおっ、私もその三人は大好きな作家だよ!」
「えっ、本当ですか!?」
趣味が合ったようで、お互いの導火線に火がつき、会話が弾ける。
「ちなみにテランは、どの作品が?」
「『青い砂浜』『揺れるカーテンの隙間に』あたりですかね」
「あー、いいねえ! 『青い砂浜』は大好きでね、私も何度も読み返して……」
「そうなんですか! いやー、なんだか嬉しいですね!」
「あの緻密な心理描写がたまらんよねえ……」
「ええ。ねちっこいんですけど、それが癖になるっていうか……」
「分かる、分かるぞ! 君はもしかして若い頃の私なんじゃないかね?」
「オーディス様こそ、ひょっとして未来の僕だったりして……」
笑い合う二人を見てセシリアはもちろん嬉しいのだが、二人の会話に割って入れないことにどこか焦りも感じていた。
***
書店を出ると、今度は様々なボードゲームが楽しめるという店に立ち寄った。
最初に入場料を払えば、店内で好きなゲームをプレイできるシステムになっている。
様々な年代の客で賑わう中、オーディスがあるゲームに目をつける。
「おお、『クリッポス』があるじゃないか」
「『クリッポス』ってなんですの?」
「二人でそれぞれ10個の駒を動かし合って、戦うゲームだよ。これがなかなか奥が深くてな……」
すると――
「オーディス様、僕『クリッポス』できますよ」
フレリックが自分を指差す。
「本当かね!? よし、ひと勝負といこう!」
「はいっ!」
ゲームが始まった。
オーディスは鋭く眼を光らせ、フレリックもその顔つきから接待プレイの気配は感じられない。まさに互いに本気の真剣勝負。
二人の腕前はほぼ互角、白熱した戦いとなった。
結局二戦して、一勝一敗という結果に終わる。
三戦目をやろうという話にもなったが、『クリッポス』をルールすら知らないセシリアから抗議が入る。
「私が退屈ですわ! 次の場所に行きましょう!」
オーディスは露骨に名残惜しそうな表情になる。
「うむ、仕方ない……。フレリック君、決着は後日ということで」
「そうですね、オーディス様」
すると、オーディスがフレリックをちらりと見る。
「フレリック君、“オーディス様”というのは少しよそよそしいんじゃないかね?」
「えっ、それはどういう……」
「君はセシリアと婚約したいのだろう? だったら私のことも……」
フレリックは緊張の面持ちで、オーディスを見据える。
「では……お義父さんと呼ばせて下さい!」
「うむ……悪くない響きだ」
にっこりとうなずき合う二人。
セシリアからすれば「ついにパパが恋人を認めてくれた」と感激すべき場面である。
にもかかわらず彼女は、そんな感激よりも、今日のデートで自分の存在感が全くないことへの空虚感を抱いてしまっていた。
***
三人でカフェに入る。
こざっぱりとしたインテリアで、若者たちの姿が多い。一瞥で流行りの店なのだろうということが分かる。
店員が注文を取りに来る。
「初めて来たのだが、オススメはあるかね?」
オーディスの問いに、店員は三人を眺めると、にこやかに応じる。
「アップルジュースがオススメですね。どの年代の方でも美味しく召し上がれる味に仕上がっております」
「なるほど、リンゴは我が国の名産でもあるからな。当然、ジュースもいい品になるというわけか」
「ちなみに、大きめのコップにストローを二つさすというサービスもできますが……」
セシリアとフレリックを見て、提案したのだろう。
「そんなサービスがあるのか。よろしく頼むよ」
二本のストローで、フレリックと同じジュースを飲む自分を想像して、セシリアは顔を上気させる。
(パパったら、私たちのために……)
まもなくアップルジュースが運ばれてきた。
ストローが一本入った小さなコップと、二本入った大きなコップ。
セシリアは当然、大きなコップは自分とフレリックの物だと思っていたが――
「ではセシリアはこれを」
父から小さなコップを渡される。
「え……?」
オーディスはフレリックと自分の間に大きなコップを置くと、フレリックを見る。
「それでは我々はこれで飲もう」
「そうですね」
二人の間に熟した果実のような甘いムードが漂う。
セシリアは、二人が一つのコップからジュースを飲むのをただ黙って見守る――
「お待ちなさい!!!」
――わけがなかった。
「ちょっと待って! 二人が仲良くなるのは嬉しいけど、いくらなんでも仲良くなりすぎよ! あんまりですわ!」
ついにセシリアの不満が爆発した。
演劇の感想でも、好きな作家トークでも、ボードゲームでも、セシリアは二人の会話に全く入れなかった。
この上、恋人と同じジュースを飲む権利すら奪われたらたまったものではない。
娘の悲痛な叫びを聞くと、オーディスはその言葉を待っていたとばかりに笑う。
「止めるのが遅いぞ、セシリア」
フレリックもうなずく。
「うん……セシリアさんがツッコんでくれなかったら、僕もどうしようかと思ったよ」
セシリアは気づいた。二人にからかわれていたのだと。
オーディスとフレリックも、先ほどからセシリアが蚊帳の外になってしまっていることは察していた。
そこで阿吽の呼吸で、セシリアに一つ“イタズラ”を仕掛けることを思いついた。
父親と恋人がカップル用のジュースを飲もうとしたらセシリアはどうするのか、試したのである。
セシリアはむっとする。
「パパったら、あなた普段はこんなことするキャラクターじゃないじゃないの!」
「私だって昔は結構ヤンチャしていたんだぞ?」
「何よ、ヤンチャって!」
今度はフレリックの方を向く。
「フレリック、あなたまで!」
「ごめんよ、セシリアさん……」
これ以上場を険悪にするわけにはいかないと、オーディスがなだめる。
「まあまあ、どうか許してくれ、セシリア」
いつになくしおらしい父親の姿に、セシリアも振り上げた拳を下ろす。
「……もう! 仕方ないですわね」
オーディスは小さなコップに入ったジュースを、ストローを使って一息に飲み干す。
「うん、美味い。では私が勘定を払っておくから、あとは二人で楽しむがよい。今日のデート、なかなか楽しかったぞ」
「パパ……」
「フレリック君、君の人となりは今日だけでよく分かった。娘を……よろしく頼む」
フレリックは力強くうなずいた。
「はい、お任せ下さい!」
あとはお若い二人で、と言わんばかりにオーディスは悠々と立ち去り、店を出た。
テーブルにはセシリアとフレリックが二人きりとなる。
「フレリックったら、さっきは本当に焦ったわ」
「本当にごめん、セシリアさん。お義父さんがやりたいイタズラをなんとなく察してしまって、つい乗っかっちゃって……」
「まあいいわ。許してあげる。愛した人のイタズラぐらい受け止める度量はあってよ」
「セシリアさん……」
「じゃあ……二人でこれを飲みましょうか」
「うん……そうだね」
アップルジュースの入ったコップには、ストローが二つささっている。
二人はそのストローを同時にくわえる。
黄色いジュースがコップから減っていく。
そして、二人の顔はリンゴの赤みがうつったかのように紅潮していった。
セシリアからすれば、これまでのないがしろぶりが帳消しになるほど、幸せなひと時であった。
(こんなに美味しいアップルジュースは初めて……)
***
程なくしてセシリアとフレリックは正式に婚約をし、結婚までの期間も順調に愛を深め、めでたく結婚式を迎えた。
二人の結婚式は、王都の教会で盛大に行われた。
バーデル家とレイト家、そして両家にゆかりのある人間が集まり、二人の行く末を祝う。
「皆様、ありがとうございます!」
「僕はセシリアさんを必ず幸せにします!」
純白のウェディングドレスをあでやかに纏ったセシリアと、白い礼服を着こなすフレリックがにこやかに手を振る。
若き二人を特に祝福し、涙を流していたのは――
「綺麗だぞ、セシリア! フレリック君、娘を頼むぞ~!」
他ならぬオーディスであった。
人目も憚らず顔をしわくちゃにする“父”の姿に、セシリアとフレリックも嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。