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君に触れた音のない恋  作者: 倉津野陸斗
第2章 憂鬱なセレナード
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両手に抱く二つの道

「あ! もうすぐ期末テスト! やばい!」


「いつも言ってるね」


 柊は今回の期末テストに向けて、またも焦りの色を浮かべている。その様子を見つめながら、結月は対照的に冷静な面持ちをしていた。彼女の落ち着きが、周囲に漂う緊張感を和らげるようでもあった。

 この学校は進学校で、周りは皆優秀だ。どこかの科目で突出するというより、全体的に水準が高いのが特徴で、誰もが一定の理解力を備えている。

 前回の中間テストでは、全教科で平均点が七十点を超えており、それは誰もが驚いていた。初めての定期テストとしては、なかなかの成果だと先生方も評価していた。

 しかし、今回は期末テストである。中間よりも出題範囲が広く、内容も一層深まっている。クラスの多くが、その難易度の高さを実感していた。

 私もまた、柊と同じように心中は焦りに揺れている。期末に向けての勉強量が圧倒的に増えていることに気づいてはいたが、どこまで手が回るか自信が持てない。部活との兼ね合いが次第に難しくなっているのを痛感し、親にも「もう少し勉強に集中したらどうか」と言われることが増えてきた。

 心の中で葛藤を抱えながらも、私はこの時期を乗り切るために何を優先するべきかを考えている。

 そしてふと、結月の冷静さに励まされるような気持ちにもなっていた。彼女のように平静でいることで、少しはこの焦燥感を鎮められるのだろうかと、密かに思うのだった。


「ま、今回むずいのは、数学くらいか」


 柊は、ふいに急に冷静な表情を浮かべ、淡々と分析を始めた。その口調はいつもよりも落ち着いていて、聞いているだけで妙に説得力がある。「暗記は得意だから、まずは日本史の範囲を全部頭に入れればいい」と自信に満ちた声で言い放った。

 彼は前回の中間テストで日本史の成績が学年で三位だったという実績もあり、確かに言葉に裏打ちされる信頼感があった。

 その話を聞いたとき、私は素直に「すごい」と思った。どれだけ暗記に時間を費やしても成果が出ない私とは対照的に、柊は物事を順序立てて効率よく覚える術を持っている。

 それが自然にできる彼が、まるで異世界の住人のように思える瞬間さえあった。暗記が得意な人の頭の中は、一体どうなっているのだろうかと不思議に思いながらも、羨ましさがじわじわと胸に込み上げる。

 しかし、ただの羨望だけではない。隣で冷静に日本史の要点を説明する彼を見ていると、どこか励まされるような気持ちにもなった。私にはないものを持つ彼と一緒にいることで、少しでもその良い影響を受けられたらと思わずにいられない。

 彼の落ち着いた視線と淡々とした分析は、単なる試験勉強を超えた、もっと大きなものを私に教えてくれるように感じられた。


「柊は、暗記得意なのすごいよ


「え、まあね。でも数学が苦手ぇ」


 私は、結月と呑気な柊のやりとりを目の前で見ながら、思わず笑みを浮かべてしまった。結月が一生懸命に説明する横で、どこ吹く風のように頷いている柊。  その姿が微笑ましくて仕方がない。彼女の真剣な眼差しと、彼ののんびりとした返答の間には、絶妙な空気が流れている。それは、互いに違う調子を持ちながらも、息の合った演奏のようだ。

 結月が眉を寄せながらも、根気強く彼に説明を続ける様子はまるで小さな先生のようで、柊もまた彼女の話を受け流しているわけではなく、時折素直な笑顔を浮かべて答えている。

 その姿に、私は自然と口元をほころばせ、二人の純粋で愛らしいやりとりが心にあたたかく響いてきた。


「うわー、でも、今回は点数下がる気がするなー」


 結月もまた、心の中で小さな不安を抱え込んでいる様子だった。ネガティブな思考が静かに心を蝕むように広がり、時折、視線が下に落ちる。その瞳には、数学だけでなく他の教科も思った以上に難しくなっている現実が映し出されていた。

 以前は解けていたはずの英語の問題が、今ではまるで異国の言葉のように感じられ、ノートに向かう彼女の指先もどこか落ち着きを失っている。

 それでも、淡々と問題と向き合う結月の姿には、揺れながらも諦めずに一歩ずつ進もうとする強さが微かに宿っていた。


「まあ、頑張るか」


 柊の元気で明るい声に私は、「そうだね」と答えた。



 その日の部活も静かに始まった。私はおなじみの動作でヴァイオリンを手に取り、慎重に弓に松脂を塗り込む。

 弦を一本ずつ確かめ、音が澄むように丁寧にチューニングを重ねる。このひとつひとつの所作が心を落ち着かせ、楽器と向き合う喜びを感じさせてくれる。

 そんな中、ふいに音楽室の扉が開き、柔らかな足音と共に大山先生が入ってきた。静かな空間に彼の気配が加わり、部屋の空気が少し張り詰めたように感じられた。


「はい、みなさん。ちょっとお話を聞いてくださいね」


 先生がそう言うと、皆んなは作業を止め、先生の方を向いた。


「えーと、再来週からテスト週間です。部活動よりも、まずは勉強に専念してくださいね。テストで赤点なんて取った暁には、部活動はできないと思ってください」


 優しい声色でありながら、大山先生の口から厳しい言葉が静かに響く。その瞬間、教室の空気がふっと引き締まり、周りの生徒たちも、思い思いに「勉強しないと」とつぶやいたり、「えー」と軽く声を漏らしたりしている。

 ひとつの教室に集まる声が異口同音に重なり、いよいよ高校生活の厳しさが本格的に始まる予感が漂ってきた。

 文武両道を求められるこの学校では、帰宅部でない限り、皆がどちらも求められる。

 今まではなんとなくのらりくらりと両方をこなしてきたが、これからはそうはいかないだろう。勉学に励む日々が待ち構え、その対極には部活動がある。どちらかを疎かにするわけにはいかず、両方に真剣に向き合わねばならない。

 そんな重圧が、胸に鉛のようにじわりと沈み込んでくる。これからテストという壁がいくつも立ちはだかり、そのたびに乗り越える努力が求められるのだろう。

 その不安はやがて淡く薄闇を帯びて、心に重く広がっていく。それでも、この先にある試練が青春そのものなのかもしれないと、少しだけ前向きな気持ちが浮かび上がる。

 困難を背負い、友人たちと共に分かち合い、乗り越えていく。

 きっとそれが、私たちの今だけのかけがえのない時間なのだと思えた。

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