自覚
背が高く、そのせいで制服が少し大きく見える。まるでイケメン俳優が目の前に現れたかのようだ。彼の首に巻かれている薄い青色のマフラーが、さらに爽やかな印象を与えている。
「え? いつからいたんですか?」と、思わず驚いてしまい、目を見開く。
彼は少し照れくさそうな表情を浮かべながら、「いや、歩いてたらたまたまコンビニから出てきたから。あと、タメ口にして! 照れくさいから」と答えた。
何故かその声にも、ほんの少し照れが混じっているように感じた。
急に心臓がドキドキし始める。彼の姿がすぐ近くにあることで、少し戸惑いながらも、彼との偶然の再会に心の中が高鳴っていた。
「そっか。家、この辺なんだね」と素直にタメ口に切り替えて、そして少し驚いた。
「そう。高校に入学する一ヶ月前に戻ってきたんだ」と、彼は軽く答えた。
「そうなんだ。だから知らなかったのか」と小さく呟き、納得した。
「一緒に帰る? 暗いし、危ないよ」と彼が提案してきた。
一瞬、断ろうかとも思ったが、驚くほど早く「うん」と返事をしてしまっていた。その瞬間、何か恥ずかしさがこみ上げてきたが、言葉はもう戻せない。
「じゃあ、行こ」と彼が爽やかに言う。
彼の言葉に、自然と歩き出し、隣に並んだ瞬間、少しドキドキが止まらなかった。
身長差のある二人が並んで歩くと、街灯の光が作る影は妙に歪んで見える。駅から少し離れると、周囲はすぐに暗くなる。街灯が等間隔に並んでいるが、どこか心許ない光だ。
沈黙が続く中、気まずさを感じてしまい、何でもいいから話したい気持ちでふと口を開いた。
「いつも何時に起きるの?」と、ついどうでもいいことを訊いてしまう。そして自分の質問に、勝手に気まずくなる。
「うーん、六時とかかな?」と、蒼太はあっさりと答える。
「早いね。眠くないの?」
さらに質問を続ける。
「眠くないよ。なんで?」と、蒼太は笑顔で返してくる。
「だって帰り、いつもこの時間でしょ? 私、昨日同じくらいの時間に帰ったけど、今日はすごく眠かったよ」と言うと、蒼太は前を向いたまま平坦な声で答えた。
「あー、すぐに慣れるよ」
その無邪気な返事に、少しホッとするが、今度は彼の生活が気になり始めた。
「いつも何時に家を出るの?」と、またもや思ったまま訊いてしまう。
「うーん、七時半かな」と彼はさらっと言う。
「同じだね」と、少し嬉しくなりながら答える。
「そうなんだ、じゃあ一緒に行く?」と、蒼太が軽く提案してきた。
「え?」と思わず大きな反応をしてしまった。まさかそんな提案をされるとは思っていなかった。横目でチラッと蒼太を見ると、彼は意地悪そうな目でニコッと笑ってこちらを見ている。
その笑顔は、ぷっくりとした涙袋やくっきりとした二重が際立ち、つい見とれてしまう。目の保養とはまさにこのことだと、思わず心の中でつぶやく。
蒼太は何も言わず前を向いたままだが、その笑顔だけで心が跳ねるような気分になる。
どうしよう。一緒に登校なんて、嬉しすぎる提案に対して言葉が出てこない。少し戸惑いつつも、断る理由が見つからない。
むしろ、一緒に登校できるなんて夢みたいだ。心の中はもう、すでに答えが決まっているのに。
蒼太は何も言わず再び前を向いて歩いている。その後ろ姿を追いながら、自然と私も一緒に歩く。身長差があるせいか、彼の影が長く、私はその影の中で歩いているような感覚だった。
街灯の明かりがちらちらと足元を照らす中、二人で一緒に歩く道はどこか温かかった。このまま明日も、彼と同じ道を歩けるのだと思うと、自然と頬が緩んでくるのを感じた。
「うん。行きます」
自分でも予期していなかった裏返った声で「うん」と返事してしまい、蒼太は驚いたような顔をしてこちらを見つめた。まるで、おかしな物でも見るような目で。そして、またもや意地悪そうにニコッと笑ってくる。その笑顔に心臓が跳ねる。
「じゃあ、ライン交換しよっ」と、彼は自然な流れでスマホを取り出し、私に差し出してきた。
「う、うん!」と、私はもう一度答え、少し震える手でスマホを取り出す。お互いにラインを交換し、登録が完了すると、画面に蒼太のアイコンが表示された。
どこかヨーロッパの街角を切り取ったような、モノクロームの写真だった。彼らしい、落ち着いた雰囲気が感じられる。
私のスマホにも自分のアイコンが映り、ふと彼の目にどう映っているのだろうと、気になってしまう。そんなことを考えているうちに、蒼太は軽くスマホをしまい、再び前を向いた。
「明日からよろしくね」と、あっさりとした声で言う蒼太に、私は小さく頷くだけで精一杯だった。
「これ、どこ?」と、気になって訊いてみた。
「あ、これプラハだよ」
「プラハ?」
「そう、チェコ。なんて言うっていうのかな・・・・・・中央ヨーロッパかな」
それは知っているが、いつ行ったのだろう。まさか、転校先は、チェコだったのか?
「もしかして、あの時転校したのって、チェコ?」
「いや、違うよ! あの時は大阪だよ。たまたまお父さんの仕事が転勤になった」
そうだったのか。蒼太の家は音楽一家だったなんて、全然知らなかった。蒼太の父は有名な指揮者で、日本を代表する指揮者の一人らしい。クラシック音楽ファンなら、一度はその演奏を聴いてみたいと思うほどの実力者だという。
蒼太と知り合った頃は、そんなこと全く考えもしなかった。ただ、ヴァイオリンを楽しそうに弾く彼を見ていただけだったのに。でも今考えれば、彼の技術の高さや音楽に対する真剣さが、どこか他の人と違っていたのは、その影響だったのかもしれない。
「大阪で指揮してたの?」
「大阪のオーケストラの主席指揮者でやってた」
さすがである。有力指揮者は、各地から指導をお願いしたいと連絡が止まないのだろう。
トボトボと歩いていると、私の家の前に着いた。
「綺麗な家だよね。変わってない」
「そう? 小さく見えるでしょ?」と、冗談めかしてからかってみた。身長が高くなったことをアピールするつもりだったが、なんだか少し恥ずかしい。
「え、まあ。確かに!」と、蒼太は鼻を押さえて笑った。少し恥ずかしそうな表情がなんとも可愛い。耳が赤くなっているのが見えたが、それすらも美しく、彼の魅力を引き立てている。
「じゃあ、帰るね。またなんか連絡してよ。話そ」
蒼太は手を振りながら去って行った。彼の背中が遠ざかる様子は、まるで何かのドラマのワンシーンのようだった。いや、私自身がドラマのヒロインになったかのような錯覚すら感じる。彼の姿を見送りながら、胸が高鳴り、頬が熱くなる。
遠ざかる背中が完全に見えなくなった瞬間、ふと頭の中で、シューッと蒸気機関車のような音がまた鳴った気がした。それが何を意味しているのかは、すぐに分かった。
私は、自分の気持ちを初めて正面から受け入れた。蒼太がいなくなった今、胸にぽっかりと穴が開いたような感覚がしている。でもその穴は、彼がいるからこそ感じるのだ。
私は彼を、彼の全てを、やっぱり好きなんだと心の底で強く実感していた。
これまでの何気ないやり取りが、彼との大切な思い出に変わっていく。ずっと憧れていた存在が、今目の前に戻ってきて、そしてまたどこかに行ってしまうかもしれない。そんな不安と期待が入り混じる感覚が私を揺さぶる。
また彼に会いたい。そう思いながら、家路を急ぐ私の足取りは、いつもより軽やかだった。




