9 因縁の対決
「え?」
ギデオンの言葉で、ハルワード先生がわかりやすく眉を顰める。
「ガルヴィネ先生って、お前、ラナルフと戦いたいのか?」
「はい、お願いします!」
「えー……」
追い詰められたような険しい表情のまま俺とハルワード先生とを交互に見つめるギデオンと、困惑しかない表情でそんなギデオンと俺とを見比べるハルワード先生。俺は余裕の薄笑いを浮かべて、一歩前に出る。
「いいですよ、俺は」
「いや、待てラナルフ」
「俺だって勇猛無比で知られたガルヴィネ辺境伯家の人間です。売られたケンカを買わないわけにはいかないでしょう?」
「これはケンカじゃない、授業の一環なんだ。生徒を危険な目に遭わせるわけにはいかないんだよ」
「でもそんな理由じゃ、ギデオンもここにいる生徒たちも納得しませんよ?」
「そうは言ってもお前たちじゃ、実力に差が――!」
「構いません」
俺とハルワード先生のやり取りにしびれを切らしたのか、ギデオンが淀んだ鋭い目つきで口を挟む。
「ガルヴィネ先生の実力がどんなものか、ぜひ間近で見せていただきたいので」
「いやいや、何言ってるんだギデオン。こいつの実力は――」
「では、こういうのはどうですか?」
必死になってギデオンを宥めようとしていたハルワード先生を無視して、俺はわざと煽るようにまくし立てる。
「せっかくギデオンが珍しくやる気になってるんです。ここはギデオンの申し出を素直に受けて、模擬戦の相手を引き受けましょう。ただ、先日ハルワード先生が紹介してくれた通り、俺は『向かうところ敵なしの剣豪』ですからね。実力に差がありすぎるのは目に見えています。ですので、俺のほうは木剣を使いません」
「え?」
「じゃあ、どうするんだよ?」
「木剣なしで戦うんですよ。それくらいのハンデは必要でしょうからね」
「お前……!」
もはやギデオンは、一応先生である俺に対して敬意の一つも払うつもりがないらしい。あからさまに目を吊り上げて、今にも飛びかかってきそうな勢いである。
「木剣のあるなしなんか関係なく、お前は俺に勝てねーよ」
「なんだと!?」
「ラナルフ! 煽るんじゃない!」
「はいはい先生。でも、その条件ならどうですか?」
俺の言葉にハルワード先生は渋い顔をしながらまた俺とギデオンとを見比べて、しばらく逡巡したあと仕方なさそうに軽く息を吐く。
「……いいだろう」
ハルワード先生の許可が下りた途端、ギデオンはいきなりえらい剣幕で言い放った。
「俺が勝ったら、モニカは返してもらうからな!」
…………は?
恐らく、俺の目は点になっていたと思う。そしてこの場に集まっているまともな生徒たちの大半が、同じように目を点にしている。
その言い方だと、まるで俺がラッセル男爵令嬢を奪ったみたいじゃない? そんなわけなくない? え、なんでこいつら、そろいもそろってこんなにバカなの? そこまで認知って歪むもの?
でも自分のセリフに一ミリの疑念もないであろうギデオンは、勇ましいほどの顔つきで俺を見据えている。
俺は豪快に笑い飛ばしたいようなため息をつきたいようななんとも言えない気持ちになって、大袈裟に肩をすくめた。
「じゃあ、俺が勝ったら、お前は俺の子分にでもなれよ」
「は? 何言って――!」
「それが嫌なら、俺に勝てばいいんじゃね?」
見下したように鼻で笑ってやると、ギデオンは「や、やってやる!」と腹立たしげに吐き捨てる。
「俺だって王立騎士団を率いるウェイド侯爵家の人間だ! おまえごときに負けるはずがない!」
「おう、そうかい」
「木剣を使わないという選択を後悔させてやるからな!」
いきり立って目が血走っているギデオン、ちょっと、いやだいぶ怖い。
そもそも王立騎士団を統括し、当主が代々騎士団長を務めるウェイド侯爵家と国境に接する辺境伯領を預かるガルヴィネ辺境伯家とは、実は折り合いがあまりよろしくない。
というか、はっきり言って仲が悪い。長い歴史の中では、犬猿の仲とされていた時代もあったくらいである。主に王都の治安を守り、王族の警護をし、伝統と格式を重んじる品行方正な王立騎士団と「勝ったやつが偉い」「勝てば何でもあり」の粗野で野蛮な武闘派集団である辺境伯騎士団。今でこそ表立って対立するようなことはないものの、内心ではお互いがお互いのことを蔑み、軽んじ、見下していると言っても過言ではない間柄。永遠に相容れない関係なのである。
だからギデオンが模擬戦の相手に俺を選んだのも、そういう両家の因縁が絡んでいないとは言い切れない。ラッセル男爵令嬢のことがあるから、なおさらなんだろうけど。
勝敗については、ハルワード先生の提案で『ギデオンは俺にひと太刀でも浴びせられたら勝ち』『俺はギデオンの木剣を奪えれば勝ち』ということになった。
生徒の一人が持ってきた木剣を乱暴に受け取って、ギデオンは模擬戦を観戦する生徒の輪の中央に立つ。
俺はその前に立って、準備体操よろしく首を回したり腕を動かしたり、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしてみせる。まるで緊張感のないその動きに、ギデオンが苛立ちを露わにして歯噛みする。
俺が辺境伯家を出て十二年。ろくな鍛錬もしておらず、体力は衰え剣術の腕も鈍っているだろうなんて甘く見てもらっちゃ困る。学園に在籍していた頃もミルヴォーレ侯爵家に入ってからも、毎朝の鍛錬を怠ったことがないんだよ俺は。強くなければ、アスタを守れないからな。
丸腰の俺が動きを止め、深く息を吸ったところでハルワード先生の声が校庭に響く。
「では、はじめ!」
その瞬間、ギデオンが「やあーー!」という掛け声と共に全速力で突進してくる。声だけは威勢がいいが、動きが遅すぎてスローモーションでも見ているかのようだ。
俺は体を数センチ横にずらしただけでギデオンの攻撃を難なくかわし、次の攻撃もその次の攻撃も必要最小限の動きでかわし続ける。恵まれた体格ゆえにギデオンの一撃一撃は確実に重いのだが、当たらなければどうということはない。しかもギデオンは明らかに日々の鍛錬を怠っていて、ちょっと木剣を振り回した程度でもう息が上がっている。
はあはあ、と荒い息を繰り返すギデオンは、それでもそのヘーゼルの瞳に仄暗い憎悪の炎を燃やし続ける。最初の数分で厳然と横たわる実力の差を嫌というほど痛感しただろうに、諦めようとしないのは若さゆえなのかそれとも単に負けず嫌いなのか。
どっちにしても、嫌いじゃないんだよな。そういうの。
俺は挑発するようにニヤリと笑って、徐に仁王立ちをした。
「来いよ」
「き、貴様……!」
逆上したギデオンが、力任せに斬り込んでくる。余裕のない、雑な太刀筋などとっくに見切っていた俺は一気にしゃがみ込んで、襲いかかるギデオンの腹に遠慮なく強烈な一撃を食らわした。
「うがっ……」
衝撃で立っていられなくなったギデオンはがくんと膝をつき、その拍子に手にしていた木剣が転がり落ちる。
足で軽く蹴り上げると木剣は宙を舞い、あっけなく俺の手の中に滑り込んだ。
「そ、そこまで!」
ハルワード先生の声が模擬戦の終了を告げても、校庭は気味の悪いほど静まり返っていた。呆けたように、誰もひと言も発しない。
「……ひ、卑怯だぞ……!」
腹を押さえたギデオンが、苦しそうに、悔しそうにうめく。
「は? 何が?」
「先生はケンカじゃないって言っただろ……! 素手で直接殴るなんて、ケンカと同じじゃないか……!」
「でも殴ってはいけないとも言ってないだろ? 丸腰の俺が使えるのは、自分の体と拳しかねーんだから」
「でも……!」
「ギデオン」
近づいてきたハルワード先生が、膝をついたままのギデオンに手を差し伸べて立ち上がるのを手伝う。
「確かに、己の拳でやり合う肉弾戦に関しては認めるとも認めないとも言っていない。だからこれは、明らかなルール違反とは言えない」
「そんな、先生……!」
「でもそれ以前に、力の差は歴然だった。それは直接戦ったお前が一番よくわかっているだろう?」
諭すような穏やかな声に、ギデオンは黙って眉根を寄せている。
「まあ、王立騎士団の戦い方しか知らないお前には、多少刺激が強すぎたかもしれないがな」
ふっと笑うハルワード先生は、実はこう見えてガルヴィネ辺境伯領出身なのである。若い頃にはガルヴィネ辺境伯騎士団にいたこともあって、俺のやんちゃな幼少期を知る数少ない人物なのだが。
「ラナルフ」
「はい」
「お前、ギデオンを保健室まで連れて行け」
「え? なんで俺が?」
「なんでって、こうなったのはお前の責任だろう? いくら模擬戦だからってちょっとやりすぎだ」
「えー」
「えー、じゃない。さっさと連れて行け」
ハルワード先生に促され、俺は仕方なく、腹を押さえながらとぼとぼと歩き出すギデオンのあとを追う。
「王太子殿下もとんだ暴れ馬を寄越してくれたもんだ」と嘆くハルワード先生の声には、聞こえないふりをした。