7 懐刀の猛攻
そもそもの話、なぜこういう状況になるとアスタが真っ先に呼ばれるのか? もはやアスタが学園での救世主的な存在として認知されてるのか? などという素朴な疑問が頭を掠めたが、一目散に現場に駆けつけようとするアスタを放っておくわけにもいかないわけで。
見知らぬ令嬢に案内されて向かった先には、さっき剣術の授業で会った令息たちと豊かなピンクブロンドの髪をなびかせ第二王子の腕に自らのたわわな胸を押しつけている令嬢、それから相対するように立ちすくむ栗色の髪の令嬢がいた。
「リディア! お前、先日のお茶会の席でモニカの悪口を言っていたそうだな!」
体格のいいギデオンが、真正面で蒼ざめる令嬢を指差して声を張り上げる。
「集まった令嬢たちの前で、モニカのことを複数の令息に色目を使ってたぶらかすはしたない令嬢だと言ったそうじゃないか!」
怒りで我を忘れたように叫ぶギデオンの言葉に、俺は思わず「その通りじゃん」とツッコみそうになった。いや多分、この場にいるまともな令息令嬢はもれなく同じことを思っただろう。
でもそんな場の雰囲気になど気づく様子もなく、ギデオンは語気を強める。
「知らないとは言わせないぞ! お前がそう言ったという令嬢たちの証言も得ているんだ!」
「リディア様、ひどいです! そんなことを言うなんて……!」
わざとらしく鼻をぐすぐすさせながら、ラッセル男爵令嬢が第二王子の腕にすがっている。
いや、何度も言うが、事実を口にして何が悪いというのだ。むしろ、そんなはしたない令嬢にたぶらかされて婚約者を蔑ろにしているお前のほうがよほど無茶苦茶だろうよと思うし、そのはしたない令嬢こそ諸悪の根源だと思うんだけど。
非難の的になっているリディア嬢は、蒼ざめた表情ながらも毅然とした態度で顔を上げる。
「そんなこと、私は言ってません」
「は!? 嘘を言うな!」
「嘘じゃありません……!」
言った言わないの水掛け論が始まったことで前に出ようとしたアスタを制し、俺は任せろとばかりにウインクしてみせる。アスタはハッとして、それからわかりましたとでも言うように頷いた。
「おいおい、一体何の騒ぎだ?」
ちょっと芝居がかった大声で人だかりの前に踏み出すと、生徒たちの視線が一斉に俺へと注がれる。たくさんの目にガン見されながらも怯むことなく中央まで進み、ギデオンの渋い顔を見据えながら俺はリディア嬢の脇に立った。
「何やってんだよ、お前ら」
「……先生にはかかわりのないことです」
「そうは言ってもな、お前たち五人が寄ってたかって一人の令嬢をいじめてるんだ。見過ごすわけにもいかねーだろ」
「は!? いじめてなど……!」
「違うのか? 俺にはそうとしか見えないけどな」
ふふんとせせら笑うと、ギデオンは睨みつけるような尖った目をして言い返す。
「いじめているわけではありません。リディアがここにいるモニカの悪口を言っていたと聞いたので、事の真偽を追及し抗議していただけで――」
「でもリディア嬢は言ってないって言ってんだろ」
「そんなの嘘です! 証拠だって――」
「証拠ねえ……」
俺ははっきりと呆れたような顔をして、ギデオンを見返した。
「……一つ聞きたいことがあるんだが」
「何ですか?」
「リディア嬢がそこの令嬢の悪口を言うのは、そんなに悪いことなのか?」
「は!? 何言ってるんですか!? そんなの当たり前でしょう!?」
「でも自分の婚約者がどこの馬の骨ともわからない下衆な令嬢に篭絡されたら、文句の一つも言いたくなるんじゃねーか? なあ?」
俺の言葉にギデオンは「なっ……!」と言ったきり言葉に詰まり、憤怒で顔を歪ませる。
見かねた第二王子が、下衆令嬢を左腕にぶら下げたまま一歩前に出て噛みつくように言い放つ。
「ガルヴィネ先生。今の言葉は聞き捨てなりません。モニカを愚弄するのはやめていただきたい」
「なんでですか?」
「え?」
「なんでフレデリク殿下がそのようなことをおっしゃるのですか? その令嬢は、あなたの婚約者か何かですか?」
「は!? 何を言って――」
「だってそうでしょう? 婚約者でもない令嬢を自分の腕にしがみつかせ、まるで庇うように愚弄するななんておっしゃる。婚約者でもない令嬢にそんなことをする義理はないですからね」
「婚約者であろうとなかろうと、まわりから蔑まれて一人苦境に追い込まれているのだ! 王族として手を差し伸べるのは当然のことだろう!」
「そうですか? じゃあ、たった今あなたたちに一人責め立てられているリディア嬢にはなぜ王族として手を差し伸べないのですか?」
返す刀で急所を攻め込まれたフレデリク殿下はわかりやすく狼狽えて、途端にしどろもどろになる。
「そ、それは、リディアがお茶会の席でモニカの悪口を言っていたからで……!」
「だからね、さっきも言いましたけど、なぜ婚約者でもない令嬢にそこまで肩入れしているのかって話ですよ。そこの令嬢が悪口言われようが何しようが、本来殿下には関係ないことでしょう? 何か弱みでも握られてるんですか?」
「は? ち、違う!」
「じゃあ、自分の婚約者を蔑ろにし、貶めてまでそこの令嬢に肩入れする理由は何なのですか?」
「か、肩入れしてなど……!」
「え、まさか肩入れしている自覚がないんですか?」
「き、貴様……! 不敬だぞ!」
フレデリク殿下が激昂し、とうとう伝家の宝刀『不敬』を持ち出した。
俺は待ってましたとばかりに、圧倒的なドヤ顔を見せつける。
「あのね、殿下。残念なんですけど、俺に『不敬』は通用しませんからね」
「なんだと!?」
「俺がこの学園に着任するにあたり、王太子殿下から『好きにしていい』と言われてるもんで」
その言葉で、今この場にいる全員が俺の存在意義を理解する。俺は身分や権力を後ろ盾にして好き勝手やっているこのアホ集団に、正義の鉄槌を下すべく王太子より遣わされた刺客なのだ。事は学園内では収まらず、噂は王宮の最奥にまで行き届き、危機感を強めた王太子殿下が間接的にでも当事者たちを諫めようと懐刀を送り込んできた。そう理解したまともな生徒たちが、ざわつくのも当然である。
王太子の名前を出されて一瞬で臆したフレデリク殿下は言葉を失い、「うぐ……」なんて王族らしからぬうめき声をあげて撃沈する。試合終了のゴングが鳴ったのは、誰の目にも明らかだった。
俺は隣に立つリディア嬢を見下ろして、「大丈夫ですか?」と小さく声をかける。
「あ、あの、ありがとうございます……」
「礼なら、アスタに言ってあげてください」
「アスタ、リド様、ですか……?」
野次馬の中に無表情で佇むアスタを見つけたリディア嬢は、ああ、という声を漏らしながら安堵した様子を見せる。ちなみに他人には無表情に見えているだろうアスタだが、心の中では「ラナルフ様、さすがです!」とテンションが爆上がっているのが手に取るようにわかる。ほんとに俺の婚約者、まじで可愛すぎるんだが。
リディア嬢を伴い、茶番劇の会場から撤収しようとしたときだった。
「あ、あの……! ガ、ガルヴィネ先生……!」
振り返ると、第二王子の腕に絡みついていたはずの諸悪の根源が、恍惚とした表情を浮かべながら一歩二歩と近づいてくる。
「あ、あの、私、モニカ・ラッセルと申します」
「は?」
「よろしければ、このあと昼食をご一緒にいかがですか……?」
「は?」
うっとりと、見惚れたような顔をして、ラッセル男爵令嬢が媚びるように体をくねらせる。
「殿下たちも決して悪気があったわけではないのです。この通り反省していますし、仲直りの意味も込めて昼食をご一緒に……」
「お前、バカなの?」
「は?」
「行くわけねーだろ。仲直り? なんだそれ」
「え」
「ていうか、どさくさに紛れて近づいてくんなよ」
すぐ目の前まで近づいてきていたモニカ嬢は、俺の言葉でぴたりと動きを止める。
「アスタの言ってた通り、てんで話にならないやつだな」
「え……」
「アスタ、行こうぜ」
俺は男爵令嬢を完全に無視して、人垣に紛れていたアスタまで一直線にたどり着く。真顔で誇らしげな視線を向けるアスタが可愛すぎて、つい肩を抱いてしまったがアスタは何も言わなかった(顔はまた真っ赤になっていたから、俺の『記憶の残滓』が見えたのだろう。どのアスタが見えたのかは定かではないが)。
こうしてこの日、アスタには二人目の友だちができたのだ。
しかし面倒ごとは、なおも続くのである。