6 剣豪という名の刺客
「ラナルフ様が?」
早速、剣術の授業の特別講師を頼まれたと伝えると、アスタは表情を変えずに大声を出した。
「どういうことですか?」
「王太子殿下から直々に頼まれたんだよ」
「直々に?」
「ああ。これでも辺境伯家出身だし、剣術には自信があるからさ。適任だろ?」
「では、いよいよフレデリク殿下たちをフルボッコにする算段がついたのですね?」
「……違うから」
アスタよ。期待のこもったまなざしで俺を見つめるのはやめてくれ。
「……違うのですか?」
アスタよ。そんな可愛らしい顔つきで俺をじっと見つめるな。抱きしめたくなるだろ。
悩ましいことに、アスタときたらもはや神業レベルの自分の可愛らしさにまったく気づいていないもんだから、こうやってたびたび無自覚に俺を誘惑しようとするのだ。
いくら触れることを許されているとは言え、『記憶の残滓』のこともあるからいまだに手をそっと握るとか頭を軽くなでるとか、その程度で我慢しているというのに。本当は可愛らしく成長したアスタにあちこち触りまくりたいし、なんならあんなこともこんなこともと妄想しそうになるが、ちょっとでも気を抜いたらタガが外れて暴発するのは確実だし、そしたらアスタにどんな怖い思いをさせてしまうかわからないから日々グッとこらえているのである。二十五歳の健康な成人男子であるこの俺が、鉄の自制心を総動員させて毎日を過ごしているさまを想像してみてほしい。いや、まじで、ほんときついから。
俺は荒ぶる衝動を鋼の理性で鎮めながら、平静を装って答える。
「……フルボッコにはしないけど、殿下たちの愚行を目の当たりにしたら諫めていいとは言われてる」
「え、それくらい、私だって毎日していますのに」
「いやいや、だからさ」
あれ以来、アスタはどうやら『殿下たちに非難されてもうまいこと切り返して論破する』ことに愉悦を見出してしまったらしく、何かあると積極的に騒動の震源地に赴いては殿下たちを言い負かしているらしい。そして、罵られている令嬢たちを窮地から救い出しているというのだ。おかげで最近は、『物申す人形令嬢』なんて陰で呼ばれているんだとか。
でもそんな世間の評判などどこ吹く風で、
「あんな低俗な方々には、負ける気がしません」
と豪語するアスタである。もともと、俺に向かって一方的にあれこれ話し続けるのが好きなアスタだから、実は恐ろしく弁が立つ。男爵令嬢ごときにうつつを抜かすアホ集団を遣り込めるなど、朝飯前だろう。でも俺は、内心ヒヤヒヤしているのである。なんだかんだ言っても相手は一応王族だし、権威ある高位貴族の令息たちだし、世界に名を馳せる大商会の令息である。不敬だなんだと言い出されたら面倒だ。でもアスタは、「正義は我にあり」と言って譲らない。
俺が学園に乗り込む理由は、正直言ってここにもある。アスタに仇為す殿下たちに目にもの見せてやる、というのももちろん本心ではあるが、ところ構わず暴走を始めたアスタをなんとか軌道修正しなければならない。必要以上に厄介ごとに巻き込まれないよう、そばで注視する必要がある。目を離した隙に、何をしでかすかわからないのだから。
そんなわけで、俺は翌週からアスタと一緒に学園に通うことになった。
剣術の授業は、男子全員と希望する女子が受けている。俺は剣術の授業を長年担当しているノックス・ハルワード先生を補佐する役割を担う。卒業以来久しぶりに顔を合わせたハルワード先生は、初出勤した俺を見た途端申し訳なさそうな顔をした。
「すまないな、ラナルフ。俺たち教員が不甲斐ないばかりに」
「は? どういう意味ですか?」
「俺たちではやりたい放題の殿下たちを制御できないから、お前が王太子殿下からの密命を帯びて着任することになったんだろう?」
意気消沈したような、重い口調のハルワード先生。職員室全体の暗い空気を考えると、先生たちは思った以上に責任を感じているらしい。
「違いますよ。まあ、殿下たちを諌めていいとは言われてますけど」
「俺たち教員も散々注意してきたんだ。婚約者でもない令嬢と必要以上に親しくなるのはいかがなものかとか、理由はどうあれ大勢の前で婚約者である令嬢を罵って貶めるのは控えたほうが、とかさ。でも殿下たちはまったく言うことを聞かなくてな」
「でしょうね」
「それどころか、それ以上の指導は不敬に当たりますよなんて言われてしまって」
「不敬だなんだと騒がれてしまったら、先生方も何も言えなくなるじゃないですか。教えを請う立場でありながら、身分や家門の威光を笠に着て食ってかかるなんて言語道断ですね」
まったく、身の程知らずもいいところだ。フレデリク殿下にしても他の令息たちにしても、自身が偉いわけではないというのに。親や先祖が家名に恥じないようにと努力を重ね、偉業と功績を積み上げてきた結果としての恩恵を受けてるだけじゃねーか。勘違いもたいがいにしろ、と思う。
そうして、初出勤の日の二時間目。
いよいよ俺の出番がやってきた。
校庭に集まった生徒たちに向かって、ハルワード先生が俺のことを紹介する。「我が国有数の武闘派で知られるガルヴィネ辺境伯家出身で」とか「向かうところ敵なしの剣豪と名高い」とかだいぶ盛り過ぎな説明をされて、否が応でも顔が引きつってしまったが。苦笑しながら辺りを見回すと、後ろのほうに陣取る何やら目つきのよろしくない集団が目に入る。
それは言わずと知れたアホ集団こと、フレデリク殿下とその愉快な仲間たちだった。王族の特徴ともいえる金髪に明るい空色の瞳をした見目だけは麗しいフレデリク殿下、さらりとした黒髪がそれなりに知性を感じさせるジェラルド・ナイトレイ公爵令息、短めの明るいシルバーグレーの髪で体格だけは丈夫そうなギデオン・ウェイド侯爵令息、そして商人らしさの欠片もない無造作な茶髪のマティアス・クヴィスト。
やつらは総じて面倒くさそうな顔をして、ハルワード先生の話を聞いていた。ラッセル男爵令嬢がこの場にいないせいなのか、やる気など微塵も感じられない。自身の婚約者たちを貶め糾弾する場では、ラッセル男爵令嬢にいい格好を見せたくて無駄に威勢がいいくせに。
剣術の授業は、まず校庭のランニングから始まった。アホ集団は列の最後尾について、ちんたらちんたら走り出す。騎士団長の息子であるギデオン・ウェイド侯爵令息くらいはもう少しやる気を見せてくれるかと思ったのに、恐らく今校庭を走る生徒の中で一番気乗りしない顔をしている。
「もう少し覇気があるかと思ったんだけどな」
ついぼそりと独り言ちると、その声を聞き洩らさなかったハルワード先生が浮かない顔をする。
「ギデオンのことか?」
「あ、そうです。よくわかりましたね」
ランニングをする生徒たちを観察する俺に、ハルワード先生はため息まじりに話し出す。
「代々騎士団長を務めるウェイド侯爵家の令息だけあって、体格には恵まれてるんだけどな。剣術に関してはそこまでセンスがあるわけじゃないんだ」
「え、そうなんですか?」
「自分でも薄々気づいてるんだろうけどな。あの体格だし、素質がないとしても堅実に鍛錬を重ねさえすればそれなりに上達するとは思うんだ。でもとにかく人前で剣を振りたがらないし、がんばろうという気概もない」
「いずれは父親の跡を継いで、騎士団長になるのにですか?」
「まあゆくゆくはな。親も含め、まわりの期待は大きいだろうしな。でもそうなったあと、騎士団全体のモチベーションと戦力はガタ落ちだろうよ」
え、何それ。怖い。この国の行く末に不安しかないんだけど。
その後の時間、俺は仇敵である王子や令息たちの情報収集に専念した。現状や実力、性格や家庭環境、知り得るすべての情報を把握する。
その過程でわかったこと。それは全員が全員、何らかのコンプレックスを抱えているということだった。
ギデオンの剣術の素質についてはすでに情報を得ていたが、例えばフレデリク殿下は、人当たりがよくてなんでもそつなくこなす出来のいい長男と相当な切れ者と噂の三男との間に生まれた凡庸な次男、という評価から抜け出すことができず、だからこそ貴族令嬢たちの憧れで当代随一の才女と謳われる婚約者のレイラ嬢に対して強い劣等感を抱えている。宰相の息子のジェラルドは実は学業が苦手であり、まだ年端もいかない弟が大器の片鱗を見せるたびに劣等感を刺激され、その鬱憤を晴らすかのように婚約者を悪しざまに非難する。マティアスは大商会の息子でありながら商才がなく、それ以前に算術に苦戦していて跡継ぎの座を従兄弟に奪われそうになっている。
そして、彼らの抱えるそうした劣等感を巧みに利用したのがラッセル男爵令嬢なのである。
彼女は愛らしさを装ったあざとさを武器にうまいこと令息たちに近づき、それとなく劣等感を暴きつつ「あなたは悪くない、劣等感を抱かせる相手が悪い」「私だけがあなたの苦しみを理解している」「私にとってあなたは大事な存在」などと甘言を弄して彼らを手中に収めたらしい。その狡猾な手練手管に、彼らはまんまと嵌ったわけだ。
まあ確かに、いろいろと同情はする。生まれ持った本来の気質や能力、性分を考えれば、生まれ落ちた環境を呪いたくなるのも仕方がない。
でも残念ながら、それがなんだというのだ。
自分の置かれた立場や能力に不満や不足があるのなら、まずはその事実を真摯に受け入れる以外に前へと進む手立てはない。本当はこうじゃない、こんなはずじゃなかった、こうなったのは誰かのせいだなんてしょうもない幻想にしがみついているから、狡猾な肉食系令嬢に取っ捕まって間違いを犯す羽目になるのだ。
そういう意味では、アスタは本当に偉い。突然とんでもない異能を発現させて想像を絶する過酷な運命にさらされても、そのせいで人を恐れ表情をなくしてしまっても、それでもその力と向き合い、受け入れて、コントロールする術まで身につけた。まじでアスタは偉い。俺の婚約者、可愛いだけじゃなくて肝が据わってる。尊すぎる、まじで。
そのアスタは、ランチの時間になるとすぐ俺のいる職員室へとやってきた。
「ラナルフ様が迎えに来てくれるのが待ちきれなくて、来てしまいました」
真顔ながらも顔が真っ赤である。なんだこの可愛さの爆弾は。俺を殺す気か。
アスタの後ろには、流れるような黒髪に深いエメラルドグリーンの瞳をした令嬢が控えめに立っている。彼女が誰なのかは、もはや一目瞭然である。
「ラナルフ様。レイラ様も一緒で構いませんか?」
「もちろん、そのつもりだったよ」
俺は頷きながら、レイラ嬢に目を向ける。
「レイラ・イースディル公爵令嬢、アスタリドの婚約者のラナルフ・ガルヴィネと申します。今日から剣術の特別講師として、学園に勤務することになりまして」
「聞き及んでおります。いろいろとご事情がおありのようで」
たおやかに微笑むその表情は華やかながらも凛としていて、令嬢たちが憧れるのも無理はないなと思う。まあ、初めて自分の友だちを俺に紹介できたうれしさで目をきらきらさせているアスタのほうが、数百倍可愛いのだが。
帰ったら、あのときのアスタはとんでもなく可愛かったと教えてやろう、とニヤついてしまった瞬間だった。
「アスタリド様! リディア様が……!」