5 王太子殿下の策
その日、アスタは帰ってくるなり俺の執務室に飛び込んできた。
「ラナルフ様、大変です」
「どうした?」
「モニカ様や殿下たちに、直接苦言を呈されました」
「は?」
心なしか顔を紅潮させて、興奮冷めやらぬといった様子のアスタ。
「どういうことだよ?」
「帰り際、王族専用の談話室に来るようにと呼び出しを受けたのです。行ってみると、予想通りモニカ様や殿下たちがみなさんいらっしゃって」
「それで?」
「どういうつもりでレイラ様と一緒にいるのか、と殿下に聞かれました。レイラ様はフレデリク殿下の婚約者でありながら、モニカ様を虐げ苦しめる無慈悲で悪辣な令嬢だとわかっているのかと」
言いながら、また沸々と怒りが湧いてくるらしい。アスタの目は挑みかからんばかりにギラついている。
「ほかの令息の方たちにも『そのような悪辣令嬢と行動を共にしていると、君まで性悪な人間だと思われるぞ』とか、『君を見損なったよ』とか『君の態度や行動で由緒あるミルヴォーレ侯爵家の名に傷がついてもいいのか』とまで言われてしまって」
「はあ? なんだそれ」
思わず声を荒げると、アスタも満足そうにうんうんと頷いている。
「そうなのです。なんだそれ、なのです」
「そんなのはっきり言って脅しじゃねーか」
「はい。なので私も頭に来てしまって、『きちんとした婚約者がいらっしゃるはずのみなさまの厚顔無恥な行動は、ご自分の家名に傷をつけないのですか?』と言い返してやりました」
おっと。うちの婚約者がまたやりおった。誇らしげで上機嫌なのは大変喜ばしいのだが、相手が相手だし少々やりすぎではなかろうか。
「……アスタ、それはちょっと、暴走しすぎじゃないかな?」
「そうでしょうか? 暴走しているのは殿下たちのほうだと思いますが」
「まあ、それはな、確かにな」
「現に、言い返したらどなたも何も言えなくなってしまったのですよ?」
「想定外に痛いところを突かれただろうからな」
「ですからその隙に、さっさと帰ってきたのです」
得意げにふんす! という雰囲気を纏うアスタではあるが、俺は加速度的に殿下たちへの怒りが増すのを感じていた。
先日の騒動以来、アスタはレイラ嬢とどんどん親しくなっているようだった。でもそれが気に入らない殿下たちはレイラ嬢を責め立てるだけでは飽き足らず、今度は寄ってたかってアスタに非難の矛先を向けたらしい。
どういう理由であれ、俺の可愛いアスタを呼び出して害そうとするなんて到底許し難い。たとえ王族であっても、大事な婚約者を傷つけようとするやつを俺が許すわけがない。
アスタの学園生活に口は出しても手は出すまい、と長年静観を決め込んでいた俺も、黙って見ているわけにはいかなくなったのだ。
◇◆◇◆◇
「やあ、ラナルフ。久しぶりだね」
腹の立つお茶らけた雰囲気で、王太子・エリック殿下が現れる。
翌日すぐに、俺はエリック殿下への面会を申し入れた。エリック殿下と俺は同い年、学園でも実は三年間同じクラスという旧知の仲なのである。いや、まったくうれしくはないのだが。こいつの軽薄そうなふざけた調子が気に入らなくて敬遠してきたというのに、何かにつけて気安く接してくる鬱陶しいやつなのである。
学園の卒業後、ミルヴォーレ侯爵に付き従って王宮に出向く機会も少なくはない。そうなると、残念ながら殿下と顔を合わせることもまあまあ多いのである。でも今回初めて俺から面会の申し入れがあったと聞いて、エリック殿下は喜び勇んで登場したらしい。
「ラナルフのほうから会いに来てくれるなんて、うれしいね」
「会いたくて来たんじゃねーよ」
「うわ、さすがは辺境伯家の人間。相変わらず口が悪いねえ」
「うるさいな。どうせ何しに来たのかわかってるんだろ?」
「まあ、そうだね」
悠々と紅茶を飲む姿が、憎たらしいほど様になってしまう王太子殿下。わざとらしくゆっくりと紅茶を味わったあと、殿下は口角を上げる。
「……フレデリクのことだろう?」
「わかってるなら、なんで何もしないんだよ」
鋭く睨み返すと、エリック殿下ははあ、とため息をつく。
「アイザックからも同じことを言われてるよ。いつまであのバカを野放しにしておく気かとね」
「第三王子のほうがよっぽどまともじゃねえか」
「王家の恥さらし、とまで言ってたよ。アイザック自身、何度もフレデリクの愚行を止めに入ろうとしたらしいんだけどね。私が傍観に徹しろと言ったんだ」
「なんで」
「フレデリクに、自分で自分の愚かさに気づいてほしいからだよ。それに、あの男爵令嬢の取り巻きとしてはべっているのは宰相の息子とか騎士団長の息子とか大商会の息子とか、錚々たるメンバーらしいじゃないか?」
「そうみたいだな」
「王家がフレデリクの醜態について責任を追及し何らかの処分を下してしまったら、ほかの令息たちにも同様の処分をせざるを得ないだろう? 宰相のナイトレイ公爵家の次男はまだ幼く、騎士団長のウェイド侯爵家には他に子どもがいないそうじゃないか。処分の内容によっては、我が国きっての権威ある貴族家の存続そのものが危ぶまれる状況に陥るんだよ。それに、大商会の息子が処分を受けたなんてことになったら今後の商売にも大きな打撃を与えかねない。もろもろ鑑みたら、そんなに簡単な話じゃないんだよ」
珍しく真面目な顔をして、王太子殿下がもっともらしい理由を並べ立てる。でもそんなの、俺からしたら単なる言い訳にすぎない。
どうにも面白くない俺は、容赦なく試すような視線をエリック殿下に向けた。
「んじゃ、どうするつもりだよ? このまま何もせずに黙って見てるのか?」
「まあ、そろそろそれも限界かなあとは思ってるんだけどね。イースディル公爵令嬢を実の娘のように可愛がっている王妃殿下やイースディル公爵自身からの突き上げもきつくなってきたしさ」
「そりゃそうだろうよ」
「フレデリクのやつ、見苦しい男爵令嬢に入れあげるだけじゃなくて、公衆の面前でイースディル公爵令嬢を糾弾しては蔑んでいるんだろう? 第二王子という立場上、まわりもおいそれとは諫言できないのをいいことに好き放題やってるんだろうけどさ」
「ほんとクソだよな」
「……君の頭の中には『不敬』って言葉はないのかい?」
「ねーよ。見りゃわかるだろ」
俺の勢いに半ば諦めたように苦笑して、エリック殿下は「そういえば」なんて話題を変えようと試みる。
「君んとこの婚約者が最近イースディル公爵令嬢と仲良くしてるって聞いたけど」
「……そのせいで、アスタはフレデリク殿下たちから呼び出された挙句、しょうもない因縁をつけられたんだよ」
目を見開くエリック殿下を尻目に、俺は昨日アスタから聞いた話を多少誇張して教えてやった。バカ弟の嘆かわしい所業を耳にして、王太子はがっくりと項垂れる。
「あいつら、ほんと何やってるんだよ……」
「わかってるだろうが、俺のアスタに手を出した以上、いくら王族とはいえフレデリク殿下を許す気はないからな。もちろん、ほかの令息たちもだけどな」
「え、ちょっと、ラナルフ」
「お前たち王族が何もできないって言うなら、俺がなんとかするしかねーだろ。これ以上、好き勝手させるつもりも黙って見てるつもりもない」
「えー、まじで?」
おろおろしながらも、だいぶ楽しそうな目をする王太子殿下。そういうところが、ムカつくほど忌々しいのだが。
「なんとかするって、どうするつもりなんだ?」
無神経なほど高揚した声のエリック殿下に、俺は答えを投げつける。
「それはお前が考えろよ」
「え? 私が?」
「お前たち王族ができないことを、代わりにこの俺がしてやろうって言ってんだ。策ぐらい、そっちが考えろ」
「……ほんと、相変わらず口も悪いし人使いも荒いよねえ」
困ったような口調のくせに、その実まったく困っていないエリック殿下はにやりとほくそ笑む。
「……仕方がない。じゃあ、とっておきの策を君に授けるとしようか」
そうして俺は、翌週から剣術の授業の特別講師として学園に赴くことになったのだ。