4 人形令嬢の反撃
それからも、ラッセル男爵令嬢やアホな令息たちに関するアスタの報告は続いた。
男爵令嬢は自らバケツの水を被って「誰かに水をかけられました」とこれ見よがしに泣きじゃくってみたり、自分の鞄を刃物か何かで傷つけて「こんなことをするなんてひどいです!」と涙ながらに訴えてみたり。
そのたびに殿下やその他のアホ令息たちがわざわざしゃしゃり出てきて、犯人扱いされた令嬢たち(多くは令息たちの婚約者なのだが)を批判したり糾弾したり。
もちろん、客観的な証拠など何一つない。男爵令嬢の言葉のみを信じて、男たちは騒動を繰り返しているのである。ほんと、あいつらの頭の中はどうなってんだよ。しかもその中に王族がいるってのがまた、どうにも救いようがない。事態をますます厄介にしているだけである。
王家には、三人の王子がいる。王太子のエリック殿下は俺と同い年で、第二王子のフレデリク殿下はアスタと同じ学年、そして第三王子のアイザック殿下はその一つ下である。アイザック殿下が同じ学園に在籍しているのだから、フレデリク殿下の恥知らずな言動なんか、とっくに王家の知るところだろうに。それなのに何の策も講じず、放ったらかしなのがまた腹立たしい。
そのうちガツンと文句でも言ってやろうと思っていた、ある日のことだった。
学園から帰ってきたアスタの様子が、ひと際おかしい。険しい表情をしながらも、まるで頭から湯気でも上がっているかのように興奮を抑えきれていない。
「どうした?」
声をかけると、アスタは刺すような視線を俺に向けた。
「ラナルフ様。私、とうとうやりました」
「は?」
「モニカ様や殿下たちに、進言いたしました」
「え、まじで?」
思わず聞き返すと、アスタは一見ドヤ顔にも見える平板な真顔で答える。
「はい。モニカ様が今日、階段で後ろから誰かに突き落とされたと言い出したのです。しかも突き落とされる寸前、目の端に長い黒髪が見えたと主張して」
「長い黒髪? ……あ、イースディル公爵令嬢だって言いたいのか?」
「そうです。きちんと見えなかったけれどもあれはきっとレイラ様だ、レイラ様に後ろから突き落とされたせいで、足に怪我をしてしまったと保健室でわめいていたのです」
「……まったく、よくやるな」
「だいたい、目撃者が誰もいないなんておかしいのです。人目につかない階段で突き落とされたことにしようと目論んだのはわかりきっていましたけど、一応と思って確認しました」
「……触ったのか?」
「はい。保健室の人だかりに紛れて、こっそりと」
「どうだった?」
「案の定、自作自演でした。怪我も嘘のようですし」
ふう、とため息をついて、アスタはその目に憤怒を宿す。
「そこへフレデリク殿下やいつもの令息たちが集まってきて、レイラ様に詰め寄りました。レイラ様は『私ではありません』と断固否定しましたが、殿下たちがその言葉を信じるわけがありません。突き落としたことはもちろん、怪我までさせるとはなんと悪逆非道な振る舞いだ、断じて許せぬ、などと殿下が激昂されて」
「どっちが悪逆非道だよ」
「レイラ様が目に涙を浮かべているのを黙って見ているのも忍びなく、とうとう私が一歩前に出てお話ししたのです。『レイラ様はそのとき私と一緒にいましたので、モニカ様を突き落とすことなどできるはずがありません』と」
「え」
俺はアスタの顔を見返した。見返したところで顔色は一つも変わらないが、どことなく自慢げというか「すごいでしょ?」的な感情が透けて見える。
「一応確認するけど、イースディル公爵令嬢と一緒にいたのか?」
「まさか。そんなはずないじゃないですか」
「だよな」
「でも、モニカ様が嘘をついているのは明白なのです。だったら、こちらだって嘘をついてやり返すしかないじゃないですか。目には目を、嘘には嘘を、です」
「いや、なんか違うけどな」
「とにかく、私という証人の出現で、あちら側の陣営はだいぶざわつきました」
「多分、全体的にざわついたんじゃないかな。だいたいお前、イースディル公爵令嬢と友だちじゃないんだし」
「そんな細かいことはどうでもいいのです」
「でもツッコまれただろ? いつからそんな仲良くなったのかとかなんとか」
「どうしてわかるのですか?」
いや、そんなの見なくてもわかるだろうよ。友だちでも何でもなくて、今までほとんど話したことのない令嬢と一緒にいたなんて急に言われても、誰も信じないだろうよ。と言いたいのをこらえて、俺は「まあ、なんとなく?」とだけ答える。
「モニカ様や殿下たちに、確かにそう言われました。なので私は、嘘に嘘を重ねたのです」
「は?」
「モニカ様が突き落とされたと主張するその時間、私は今日の授業でどうしてもわからないところがあって、博識で名高いレイラ様にお聞きしていたのだと」
「へえー」
「『そんなの嘘だ』とマティアス様に言われたのですが、『では証拠がありますか?』とお聞きしました。ジェラルド様にも『話したことなんかないくせに』と言われましたが、『ですから今日、勇気を持って初めて話しかけたのです』と答えました。ギデオン様や殿下にもあれこれ追及されましたが、全部嘘で答えました」
「……お前、なかなかやるな」
言いながら、俺はその場を想像する。たった一人でアホ集団に立ち向かい、淡々と、感情の見えない無表情で、しつこく問い詰められても平然と完全なる嘘を積み重ねるアスタ。一切顔色を変えないことが功を奏し、それはあたかも事実であるかのようにまわりには聞こえたことだろう。イースディル公爵令嬢は無実であり、ラッセル男爵令嬢こそが嘘をついているという確固たる事実を知っていることも、アスタに揺るぎない自信を与えたに違いない。
見たかった、その場面。ほんと、間近で見たかった。くそー。
それにしても、ずいぶんたくましくなったものだと目の前の可愛い婚約者を改めて眺めてみる。褒められて悪い気はしないらしく、だいぶ鼻息が荒くなっているところがまた可愛いのだから困ったものだ。
「結局、殿下たちは諦めて引き下がりました。誰がやったかわからないなら、絶対に俺たちが犯人を捕まえてやると豪語していましたが」
「犯人は目の前の男爵令嬢だってのにな。どんだけバカなんだか」
「そのあと、実はレイラ様に声をかけられたのです」
「……まじか」
アスタが自然と、少しはしゃいだ口調になる。
「助けてくれてありがとう、と言われました。なので私は、『これくらいお安い御用ですし、よければまた勉強を教えていただけますか?』と言いました」
「ほう」
「レイラ様は、喜んで、とおっしゃって」
うれしくて仕方がないのだろう。顔は相変わらずの無表情だが、でもほんのりと微笑んでいるようにも見える。そんな気がするだけなのか、少しずつでもアスタの表情筋が仕事をするようになったのか、定かではないが。
「よかったな」
「はい」
それから、アスタはイースディル公爵令嬢、つまりレイラ嬢と頻繁に話をするようになったらしい。騒動の翌日の朝にはレイラ嬢のほうから挨拶され、さらにその翌日には昼食まで誘われたというから驚きである。レイラ嬢自身、公爵令嬢にして第二王子の婚約者ということもあり、まわりからは一目置かれるものの孤高の存在として遠巻きにされていたらしい。アスタという心強い味方ができたことを一番喜んでいたのは、どうやらレイラ嬢自身だったようだ。
俺の婚約者に初めて友だちができた、と小躍りしていたのも束の間。
事態はとんでもない方向に転がっていくのである。