13 悪徳商会の仕事
ロドニーはちょっと首を伸ばして、ほかには誰もいないというのにまわりをきょろきょろと見回してから声を潜める。
「ベイロン商会って名前、先輩は知ってますか?」
「……そういえばここんとこ、よく聞くようになったな。最近勢いに乗って台頭してきた、新興の商会だろ?」
「そうです。もともとは隣国の商会なんですが、最近は我が国へも勢力を伸ばしつつありましてね」
「クヴィスト商会にとってもあの勢いは脅威なのか?」
「いえいえ、我がクヴィスト商会をなめてもらっちゃ困ります。でも、そのベイロン商会が短期間でここまで勢力を拡大してきたのにはある明確な理由があるんですよね」
「なんだよ?」
「やつら、実は犯罪まがいの悪事にも手を染めてるんです。我が国では禁止されている人身売買をはじめ、違法薬物の取引や武器の密輸入、果ては強盗や殺人の請負まで」
「……は?」
「もちろん、そんなやばい裏稼業については公になっていません。表向きは普通の新興商会として、健全な取引をしているようですけどね。でも化けの皮を剝がしてみれば、裏社会にも通じるやばい悪徳商会なんスよ」
「……まじか」
「はい」
「よく調べたな」
「あのね、先輩。商売というのはね、いわば情報戦なんですよ。情報を制する者が結局は勝つんです」
得意げに、どこかずるそうに笑うロドニーを見ながら、こいつだけは絶対に敵に回してはいけないと改めて悟る俺。
そしてそのロドニーは、冷ややかで鋭利なまなざしをしながら嘲笑う。
「クヴィスト商会もね、俺たちの目の届かないところでちまちまと犯罪に手を染めているだけなら、見逃してやろうと思ってたんスよね。でもあいつら、我が国にも進出してきたと思ったら早速うちの取引先に手を出してきまして」
「そうなのか?」
「はい。なので、こっちもただじゃおかないと思ってたところなんスけどね」
ロドニーの顔が怖い。さすがはクヴィスト商会の次期代表と期待されるだけあって、その怜悧狡猾な表情には目を見張るものがある。
「さっきの先輩の話だと、その男爵令嬢が仕事の依頼をしたのはほかならぬベイロン商会だと思うんですよ。話の中に出てきた、背の高い坊主頭で左腕に刀傷のある男ってのがいたじゃないスか? そいつはベイロン商会の経理を担当しているやつなんですけどね、裏稼業のほうでは元締めをしてるやつなんですよね」
「そうなのか?」
「はい。それと、男爵令嬢が誘拐を依頼しに行った場所の話もしてましたよね? 多分それ、あいつらの裏のアジトだと思うんです。まともな貴族なんか寄りつかない退廃地区の一角にあるんですけど、俺も何度か偵察に行ったことがあるんでわかるんですよ」
「もうそこまで押さえてるのか?」
「当たり前です。俺たちのほうも、いつあいつらを蹴落として思い知らせてやろうかってずっとチャンスを窺ってたとこなんスよね。いつでもぶちのめせるよう、着々と準備を進めていたもんで」
「……それは、心強いな」
とか言いつつも、ロドニーの言葉を聞いているとどっちがやばい犯罪者なんだ? という気がしないでもないのだが。
「男爵令嬢がベイロン商会にアスタリド様を誘拐するよう依頼したことが明るみに出れば、男爵令嬢もベイロン商会も罪を問われて一巻の終わりでしょう。うまくいけば、そんな男爵令嬢と懇意にしていたマティアスやフレデリク殿下、ジェラルド・ナイトレイ公爵令息も責任を追及されることになるかもしれませんね」
「まさに一網打尽だな」
「ではすぐにでもアジトに乗り込みますか? うちの精鋭たちはいつでも突入可能ですよ」
「いやいやお前、もしかしたらマティアスの将来がかかわってくるんだぞ? クヴィスト商会の代表に確認しなくていいのか?」
俺がそう言うと、ロドニーも「ああ……」とつぶやいて、しばらく逡巡する。
「そう、ですよね。まあ、構わんって言いそうではありますけどね」
「でも一応、親だしな」
「ですね。すぐに帰って、叔父にすべてを話します。決行の日取りが決まり次第、速攻で連絡しますよ」
「わかった。俺のほうも、アジトに乗り込むときには助っ人を一人連れて行くことになると思うが」
「え、誰ですか?」
「まあ、言うなれば俺の一番弟子かな」
ふっと小さく笑うと、「先輩の一番弟子は俺っすよ!」と不満げに騒ぎ出すロドニーだった。
◇◆◇◆◇
翌日には、突入決行日が記された手紙がロドニーから届いた。
俺はアスタとギデオンに事の次第を伝え、アスタの誘拐を阻止するためにクヴィスト商会と協力して直接ベイロン商会の裏アジトを叩くこと、そして犯行グループの身柄を拘束し、誘拐計画を自白させるつもりだということを前もって説明した。
「師匠、俺も行きます!」
毎日の鍛錬を欠かさなくなり、いい感じに筋肉質で強靭な肉体を手に入れつつあるギデオンが話の終わらないうちから手を挙げる。
「お前、そんなこと言ったって、これは遊びじゃねーんだぞ」
予想通りの展開に、うれしいような予想通りすぎて逆に心配なような複雑な心境になりながら、俺はわざと仰々しくツッコミを入れる。
「わかってますよ、遊びじゃないってことくらい」
「でもな」
「俺だって、卒業したらすぐに王立騎士団に入団するんです。騎士団は王都の治安と秩序を守り、民の命と平穏な生活を守る使命があるんですよ。大規模な犯罪組織が王都の街に巣食っていると知って、見過ごすことなんかできません」
ラッセル男爵令嬢にうつつを抜かして迷走していたかつての面影はどこへやら、精悍な顔つきをしながらギデオンが正論をかます。なんだかやけに、感慨深い。
強くなりたいと切望し、努力を続ける若者の揺るぎない正義感に半ば苦笑しながらも、俺は「だったら」と容赦なく条件を突きつけた。
「今の話をお前の親父さんにきっちりしたうえで、ちゃんと許可を取って来い」
「え? なんで……」
「なんでって、お前はまだ学生の身だからだよ。いくらお前が行きたいって言ったって、何が起こるかわからない危険な場所に勝手に連れて行くなんてできねーだろ」
俺の言葉にギデオンは一切反論することができず、眉を顰めてひどく憂鬱そうな顔をする。
ギデオンと父であるウェイド侯爵とは実は反りが合わないらしく、ぎすぎすした関係が長年続いているという。剣術の才能のなさにコンプレックスを抱えてまともに鍛錬を積もうとしないギデオンに対し、ウェイド侯爵は理解を示さず頭ごなしに叱責し、努力や修練を強要し続けた。ギデオンがラッセル男爵令嬢に入れ揚げて骨抜きにされてからは、一層親子の溝が深まっていたらしい。
だが結果として、ギデオンはウェイド侯爵からの許可をあっさりと取ってきた。
それどころか突入決行の前日、なんとウェイド侯爵自身がミルヴォーレ侯爵邸を訪問し、俺に「息子を頼む」と言いに来たのだ。
「息子があんなに真摯に鍛錬に打ち込む姿は初めて見た」とか「ラッセル男爵令嬢の登場で一時は廃嫡もやむなしと覚悟を決めたが、そんな息子を正気に戻してくれたことには感謝の言葉もない」とか「今回の件についてはギデオンを補佐する有能な騎士団員を数名派遣するため、好きなように使ってほしい」とか、最後には「ウェイド侯爵家はガルヴィネ辺境伯家との確執を一掃し、今後は友好的な関係を築いていきたい」とか、鬱陶しいほど一方的にしゃべり倒して帰って行った。
まあ確かに、あれじゃあ息子も萎えるわな。
◇◆◇◆◇
そして翌日、突入決行日。
夜が更けてから、俺は支度をして一旦クヴィスト商会へと向かうべく、馬車に乗り込む。
「ラナルフ様……!」
振り向くと、悲壮感漂う真顔のアスタが小走りで駆け寄ってきた。
「まだ起きてたのか?」
「だって、心配で……」
言いながら俺の胸に飛び込んでくるアスタからほのかに湯上がりのいい匂い(フローラル系?)がして、思わずめまいがする。
やばいやばい。これから犯罪者集団を取り押さえる大捕り物が控えてるってのに、鼻の下を伸ばしている場合ではない。
なんて思いつつも、俺は迷いなくアスタを抱きしめる。薄い夜着の上に軽い羽織物だけのアスタは抱きしめるといつもより密着感があって、また俺の煩悩たちが踊り出しそうになる。あー、なんか行くのめんどくさくなってきたな。このままアスタを抱き上げて寝室に連れて行っちゃおうかな。
などという邪な本能をなんとか力業でねじ伏せて、俺はアスタを見下ろした。
「心配すんな。クヴィスト商会は精鋭ぞろいだって言うし、騎士団も強者を何人も貸し出してくれたし、ギデオンだって来るんだ。何より、俺がその辺のチンピラ崩れにやられるわけねーだろ」
「それはそうなんですけど、でもやっぱり心配で」
「そんなに言うなら、起きて待ってろよ。どうせすぐに帰ってくるんだし」
「ほんとに?」
「ああ。あ、じゃあ、無事に帰ってきたら真っ先に褒美をくれるか?」
「褒美、ですか? 何を?」
「アスタから俺にキスして」
「……え?」
ぼん、と音がしたかと思うくらい、真顔のままのアスタが真っ赤になっている。
俺はそれを心ゆくまで堪能してから、馬車に乗り込んだ。