12 悪事の企み
「それはそうと、ラッセル男爵令嬢の話はそれだけだったのか?」
これまで我慢していた分を取り返す勢いでいちゃいちゃし倒し、息も絶え絶えのアスタに目を細めながら尋ねると、潤んだ瞳のアスタが「いえ、あの……」と呼吸を整える。
「モ、モニカ様はとにかくラナルフ様との婚約を解消しろの一点張りで、そのうえ私のことも『人形令嬢のくせに』とか『いつも無表情で逆にキモい』とか好き勝手なことを言い連ねていたんですけど」
「相変わらず腹の立つ女だな」
「でも一方的にぎゃんぎゃんまくし立てるだけでこちらも反論のしようがなく、埒があかないなと思ったので話の途中でしたがもう帰ろうと思ったのです。そしたらモニカ様に『待ちなさいよ!』と腕を掴まれてしまいまして」
「え、掴まれたのか?」
「はい」
「……もしかして、何か『見えた』のか?」
腕の中のアスタの顔を覗き込むと、深刻そうな真顔ではっきりと頷く。
「モニカ様は街のならず者に依頼して、私の誘拐を企んでいるようなのです」
「は!?」
淡々と、一ミリも表情を動かさず、冷めた様子で事務的に話すアスタ。ぞっとするような話の内容とのギャップがありすぎて、俺の頭もまったく回らない(いちゃいちゃしすぎて思考が溶けていたという可能性もあるが)。
「……どういうことだ?」
やっとの思いで聞き返すと、アスタはすらすらと無機質に答える。
「まず、モニカ様が背の高い坊主頭で左腕に大きな傷痕のある男性に案内されて、王都の街の裏通りに面した狭い路地から治安の悪そうな区画へ向かっている様子が『見えた』のです。それから古びた集会所のような建物の中に入っていって、中にいた柄の悪そうな男たち三~四人にお金か何かを渡すところも。そのとき『アスタリド・ミルヴォーレ侯爵令嬢を誘拐し、その顔に一生消えないような傷をつけてほしい』と依頼していたのです」
「……!」
衝撃のあまり、声が出なかった。
腕の中のアスタの表情は変わらない。でも細い指先が小さく震えているのが見えて、俺はしっかりとその手を握る。
「……大丈夫だから。俺が絶対に、そんなことさせないから」
安心させるように優しく微笑むと、アスタがほっとしたように「はい……」とつぶやいてその身を俺に預けてくる。その柔らかさ、くらくらするような甘い匂いに一瞬意識が飛びそうになる。
それにしても。あの女……!
アスタを呼びつけて、婚約を解消しろなんて馬鹿げた要求をするだけでも充分許し難いのに、あろうことかアスタの誘拐なんて計画していたとは。それほどまでに、俺への執着を拗らせていたとは。いとも簡単にそんな禍々しい企てを思いつき、躊躇なく実行しようとする残忍さと狡猾さに吐き気がする。
絶対に、許さない。許すはずがない。もう二度と立ち上がれないように、叩きのめしてやろうじゃねーか……!
侯爵邸に帰ってすぐ、俺は旧知の友人に久しぶりに手紙を書いた。それは悠長に旧交を温めるような平和な内容ではなかったが、それでも友人は事の重大さを的確に察知したらしく、返事をくれる代わりに直接ミルヴォーレ侯爵邸を訪れた。
「ラナルフ先輩からやばそうな手紙が来たんじゃ、俺が出張ってこないわけにはいかないじゃないスか」
小賢しげに笑う、ロドニー・トビアス。
彼は俺の二つ年下の後輩であり、その卓越した商才と如才なさから次期クヴィスト商会代表との呼び声も高い男。
そう、あのマティアス・クヴィストの従兄弟なのである。
◇◆◇◆◇
「うちの従兄弟がえらい迷惑をかけてるそうで」
応接室に入るなり、ロドニーはその人懐っこい笑顔を少し困ったように歪ませる。
「聞いてるのか?」
「そりゃあ、まあ。商人たるもの、情報収集に抜かりはありませんからね」
「そうか」
「叔父も事あるごとに再三注意はしていて、目を覚ますよう言い聞かせてるんですけどね。マティアスのやつ、全然耳を貸そうとしないんスよ」
呆れたように、もうどうしようもないと首を振るロドニー。
社交的で誰とでもすぐに仲良くなってしまうロドニーとは学園時代、剣術の授業の際にペアを組んでからの仲である。何かと馬が合い、学年は違ったが一緒にいる時間も多かったと思う。というか、ロドニーが勝手に俺のあとをついてくるという描写のほうが正しい気もするが。あの有名なクヴィスト商会と縁続きでもあるロドニーは、平民のくせにとほかの貴族令息たちから疎まれ軽んじられることも多かったらしい。いつだったか低俗な連中に陰湿な嫌がらせを受けていて、たまたま俺がそれを見つけて追い払い、意趣返しとばかりに剣術の授業の模擬戦でそいつらをフルボッコにしてやったらなぜだか妙に懐かれてしまったのである。
あれ以来、「俺はどこまででもラナルフ先輩についていきます!」と主張して憚らないロドニー。自分が学園を卒業するときにはわざわざ侯爵邸を訪れて、「卒業後はクヴィスト商会を手伝うことになってるんです」「何かあったらいつでも頼ってください! なんでもしますんで!」と言い残していった律儀な後輩である。
「マティアスのことと関係があるかどうかは定かじゃないんだが、ちょっとお前の手を借りたいことがあってな」
俺の硬い声にとんでもなくやばそうな雰囲気を察したのか、ロドニーの顔にも緊張が走る。
「……なんでしょうか?」
「実はな、俺の婚約者のアスタを害そうと、例の男爵令嬢が誘拐事件を計画しているという話を耳にしてな」
「は?」
思った以上の由々しき事態に驚きを隠せないロドニーに対し、俺はこれまでの経緯を簡単に説明する。
もちろん、アスタの能力に関しては一切明かさず、アスタが『見た』ものはすべて『ラッセル男爵令嬢が話しているのを偶然耳にした』ことにした。俺がエリック殿下の命を受け、特別講師として学園に着任していることはロドニーも知っていたから変に怪しまれることもなかった。
「……とんでもない女狐ですね」
一部始終を聞き終えると、ロドニーが当惑したように眉根を寄せる。
「マティアスのやつ、そんな性悪女に引っかかってるんですか?」
「残念ながらな。フレデリク殿下といい、ジェラルドといい、ちょっと救いようがない」
「まじすか」
「今回の誘拐計画に殿下やマティアスたちが加担しているのかどうかはわからないが、もし加担してたとしたら間違いなくクヴィスト商会への影響は免れない。お前にも迷惑がかかるかもしれないとは思ったんだが、こういうことはクヴィスト商会の協力を仰ぐのが一番かと思ってな」
「先輩、水くさいこと言わないでくださいよ。こんなの迷惑でも何でもないっスからね。そもそもマティアスのほうが学園全体に迷惑かけまくってるんだし、もしもそんな犯罪計画に加担してたとしたらマティアスを庇い立てする気はもうありませんよ。叔父も今度こそ、諦めがつくでしょうし」
「悪いな」
「あのね、先輩。俺はうれしいんスよ。こんな非常事態に俺のこと思い出して、頼ってくれるなんて。しかもあのアスタリド様絡みでしょう? 先輩にとってアスタリド様がどんなに大事な存在なのか知ってる身としては、そこまで俺のこと信頼してくれるのかって、ほんと男冥利につきるってもんですよ」
ロドニーがちょっと半泣きになっている。感極まっているらしい。そういえばこいつ、感激家で何かと騒々しいやつだったなと思い出す。
「とにかく、先輩にとって最愛の婚約者であるアスタリド様の一大事です。俺個人としてもクヴィスト商会としても、協力は惜しみませんから大船に乗ったつもりでいてください」
「助かるよ」
「で、早速なんですがね。さっきの話からすると、男爵令嬢が犯行を依頼したであろうグループの目星はもうついちゃってるんスよね」
気安い笑顔を見せていたロドニーの表情が、一瞬で才気煥発な商人のそれになった。