数学彼女
サトミが、僕の傍らを歩きながら言った。「例えばNが無限に大きいとき、素数定理が素数の出現を正確に予言するとする。それと同じように、例えば無限に長いスパンで考えた場合の、巨大地震の発生間隔を正確に予言することはできるだろうか」
僕は答えた。「はは、どうも君は途方もないことを考えるね」
「そう? 仮にプレートによる地震メカニズムが正しかったとして、あっちのプレートが踏ん張ってるからこっちが弾けよう、といった全体の調和は、素数に司られていると考えられない? 向日葵のつぼみが黄金比で並び、素数ゼミが素数年で羽化するように、この世には素数に支配された自然現象が溢れているのよ」
「なるほど。確かにそうだけど、僕が途方もないといったのは素数じゃなくて無限の方だ」
「というと?」
「地球は精々、あと数十億年以内には滅亡するだろうから。いくら正確に地震を予測出来ても、無限に長いスパンを要するのでは意味ないよ」
彼女は黙った。そして何か言いたげにこちらを見た。恐らく、「素数定理の的中率は、数十億以上の桁になると90%以上になるわ」と言いたいに違いない。
確かにその通りではあるが、残りの10%で人が大量に死ぬことになることを考えると、今少し的中率が足りない。さらにこれまで日本人が経験してきた巨大地震の教訓に倣うなら、人は地震そのものよりもその二次被害によって多く死ぬのだ。素数によって人類を救いたいとお考えなら、まず先に津波の高さを予想して頂きたいと考えるのが自然だろう。
僕は言った。「まあ、素数が魅力的なのには同意するけどね」
× × ×
「最近思うのよ。数学って、宗教と同じなんじゃないかって」
僕は言った。「はは、君は全く、どうにもこうにも、途方もないことを考えるね」
「そうかしら? だって考えてもみてごらんなさい。今日に至るまでの人類は、宗教による争いを幾度となく繰り返してきた。それというのも、異なる宗教同士が頑なに自説を曲げないのが原因でしょう。大昔にチューリヒでカルヴァンが説いて回ったことを知ってる? "働くと、貯蓄ができる。即ちこれ神の御業なり"ですって。e^iπ=-1を固く守り抜く数学と似たところがあると思わない? e^iπ=-15と主張する人間がいたとして、数学を志す者はきっと彼を許すことが出来ないでしょう。それと同じで、神のもとには皆平等と信じることが出来ない者に対して、信者たちは排斥運動をとるという形で自らその信念を汚さざるを得ないのよ。悲しいことにね」
彼女はそう言うと目を伏せて、遠く紛争地帯で血を流す善良な人々の苦悩に寄り添うように、そっと溜息をついた。
いちいち意味ありげな溜息をつかれていてはたまらないので、僕は反論した。「しかし、数学と宗教と君は言うけどね。宗教とは現世の自制をもって来世の安楽を説く方法論をいうのであって、数学はそういうものとは違うと僕は思うよ。だって仮に数学が何かしらの自制を我々に強要してきたとして、それがもたらす安楽とは一体何だい? 絶対に1+1=2である。よろしい、そうであると信じます。そのかわり僕は来世で何を得る? おお神よ、円周率を割り切り給え? √2を整数の比で表し給え? そんなことがブッダやイエスに可能かい?」
「そんな訳は無いでしょう。あの世でもこの世でも円周率は超越数で√2は無理数よ」
「そうだろう? それにそれらの数はイスラエル人にとってもパレスチナ人にとっても超越数で、無理数のはずだ。宗教がそうであった様に争いの種子となることは、数学には出来ないのさ」
彼女は何か腑に落ちたところがあったようで、それ以降、数学と宗教を絡めて論じることはしなかった。しかし誰にも聞こえない、ただし僕にだけ聞こえる声で、「数学は捕らぬ狸の皮算用、宗教は渡らぬ三途の川算用ってことなのね」と落語家のようなことを言っていたので、僕は来世の安楽を期待しながら彼女を無視した。