キスが大好きな女子に惚れてしまったら
キスは好きですか?
○×高校に入学した俺はとても可愛い女子と同じクラスになった。
名前は『石川美鈴』さんと言う。
いつも笑顔で、コロコロとよく笑う彼女に、俺の目はいつも釘付けにされた。
☆
「おい、お前よく石川さんの事見てるみたいだけど、好きなのか?」
石川さんとは中学が同じだったと言う、後ろの席の男子に話しかけられた俺は、心の中を覗き見された心地になって少し慌てた。
「なッ?ま、まぁ、ちょっと……」
驚いたり吃音ったり。
ここまで慌てたのではもう取り繕うことも出来まい。
観念して
「ああ、凄く可愛いなって思う」
素直に認めた。
だが、その男子は
「あの女だけはやめておいた方がいいぜ? 何と言ったって『キス大好き女子』だ」
眉間に皺を寄せながらそう言った。
「えっ? キス大好き?」
「ああ、中学の頃からな、よく『大好きなキスを貰った』だとか『昨日のキスは凄く美味しかった』だとか、教室でみんなに聞こえるように大声で話すようなビッチな奴さ」
「そうなのか? とてもそうは見えないけどな……」
「見た目はな。でも、中学時代のアイツを知ってる奴は絶対に近付かねえぜ? ビッチだって分かってるからな」
「そうなのか……」
俄かには信じられないが、実際クラスの男子は誰も石川さんに好意の目を向けていないというのが、何となく感じられた。
☆
6月になって制服が衣替えした。
ビッチだと言われている石川さんも、白の半そでワイシャツになり、その肌の綺麗さに、また俺の目が釘付けになっている。
「おいお前、そんなにあの女が好きなのか?」
後ろの席の男子が、呆れたような声で俺に話しかけた。
「あ、ああ…… なかなかあの話が信じられないって言うか、こう……」
「最近、アイツも大人しくしていたみたいだからな」
「以前はそんなに頻繁だったのか?」
「まあな、顔だけは綺麗な奴だっただけに殊更耳についたな」
「そうか……でも最近は大人しいって事は、今は誰とも付き合っていないのかもしれないな」
「はいはい、お前は前向きだね~。実に楽天的だ」
「う~ん、俺にはどうしてもあの子がビッチには見えないんだ」
「まあ、火傷しないように注意だけはしとけよ」
「…………」
俺が石川さんを見つめ続けて約2か月。
彼女は本当にビッチなのだろうか?
もし、俺から告白して、付き合う事になったとしたら、その『キス』は俺だけのものになるんだろうか?
そんな事を想像してみたら、俺は馬鹿だと気付いた。
そもそも俺が石川さんと付き合える訳ないじゃないか?
俺のような、地味なフツメンに。
☆
とうとうその日が来た。
石川さんが仲良くしている女子との会話の中で『キス』の話が出た。
「昨日久しぶりに『キス』をたくさん貰っちゃって、もう最高~」
テンションが上がっているんだろう。
石川さんは、周囲のクラスメイトに聞かれている事も憚らず、開放的に話している。
おそらく石川さんの友人はこういう話に慣れているのだろう。
「はいはい」
と、ちょっと呆れ顔だ。
俺は後ろの席の男子の話が本当だった事を知り、大きなショックを受けた。
「だろ? やっぱりあの女はビッチさ」
得意気に話す後ろの男子。
「そうか…… それでも、可愛い女子ではあるけどな」
そう言ってはみたけれどもこれは負け惜しみだ。
ちょっとした遠吠えのようなものだ。
☆
「ねえ、キミ、浅井くんだっけ?」
放課後、ゆっくりと帰宅の準備をしていると、突然女子クラスメイトに話しかけられた。
石川さんと仲良くしている『對馬』さんだ。
「な、なんだ?」
石川さんと仲良くしている女子と言うだけで、ちょっと緊張する。
「実はね、私、耳がいいの」
「は、はあ? それで?」
「時々聞こえてきちゃってるんだけどね? キミ美鈴の事、好きなんでしょう?」
聞かれていたのか? かなり小さい声で話してたのに……
「聞かれていたんなら否定しても意味は無いな…… うん。恥ずかしながら……そう」
「ふーん……あの噂を聞いていながら、今日の美鈴を見て、それでも好きでいられるんだ~」
「揶揄うのはよしてくれ。俺が地味なフツメンで、モテる男じゃないって事は承知している。単なる片思いだから、石川さんには言わないでおいてくれよな」
そう。これは単なる片思いだ。
届く事など無い。
「実はもう言っちゃってるんだけどね~」
石川さんの友人『對馬』さんは、悪戯っぽい表情でにやけている。
「そうか……それで? こんな滑稽な俺を揶揄って楽しいのか?」
まだ俺は、片思い歴2か月の素人だ。ここで失恋したとしても傷は浅い。筈。
「揶揄ってるつもりは無いんだけどね~、美鈴、アンタが噂に惑わされていないって知って、ちょっと感動してたって事だけは教えておくね~。じゃあ」
「あっ、ちょっ……」
それだけ言うと對馬さんは「バイバ~イ」と言い捨てて教室から出て行ってしまった。
残っているのはもう俺一人。
そうか……俺は教室で、女子と二人きりで話をしていたのか……
今の話を他の誰にも聞かれていなかった事に、少しホッとした。
☆
数日後の放課後、對馬さんが石川さんを連れて、俺の席の方にやって来た。
教室にはもう数人しか残っていないし、後ろの席の男子はもう帰っている。
「さ、美鈴、言っちゃいなよ」
對馬さんが石川さんが逃げないようにしてか、しっかりと手首をつかんで捕まえている。
「あの……布由子から聞いたんだけど……浅井君って、私の事嫌ってない?」
照れた表情で、俯きながらの上目遣い。
すみません。可愛いです。死んでしまうほど可愛いです。
俺は、体中の血液が顔に集まって来たことを感じた。
「嫌い……ではありません……むしろ……」
(好きです)という言葉は出せなかった。
ニマニマと對馬さんがにやけている。
「ねっ?本当でしょ?美鈴ったらね、私の話をちょっと疑ってたんだよ」
「あのー、まだ教室に何人か人が残っているんで、こう言う話はちょっと恥かしいんですが……」
今までモテた事がないばかりでは無く、実は俺、女子と会話をした経験すら数えるくらいしか無い。
他の男子クラスメイトに比べたら、経験値の低さは段違いなのだ。
「あ~っ、そうね。じゃあ、一緒に帰ろ? 美鈴を家まで送って、その間に話をするとか」
この對馬さん、なかなかに要求が強い。
この俺が? こんな俺が女子を? しかも可愛くて片思いしている石川さんを家まで送るなんて、レベル1で魔王城を目指す無理ゲーのようなものじゃないですか?
「あ、ありがとう……浅井君……」
「えっ?」
石川さん? 俺、まだ返事してませんよね? え? した? いやいや、絶対まだ返事してないってば。
「よーし、話は決まった~。さ、帰るよー」
一体今、どうなっている?
そして帰り道。
俺ん家の方向と、完全に反対方向に向かって歩き出していた。
ま、いいか。
☆
「浅井君とは一度、ゆっくりお話ししてみたかったの」
石川さんが、照れながら俺にそう言った。
「有難うございます。俺も、石川さんとは一度、ちゃんと話をしてみたかったです」
對馬さんを仲介しない会話は初めてかもしれない。かなり緊張する。
「浅井君って、心が広い……って、思います」
突然褒められて俺は焦る。
「ど、どうして、そう思ったんですか?」
「クラスの仕事とか真面目にしてるし……部活とかバイトとかでサボる人たちにも文句を言ったりしないで、許している所とかです……」
「そ、そうですか……その、褒められて嬉しいです」
ちょっと沈黙。
「で、でも、石川さんもかなり優しい人だと俺は思っています」
「えっ?どこどこ? じゃなくて……どういう所がでしょうか?」
「よく、先生に頼られている所を見ますが、嫌な顔せずに手伝っている所と、はがれそうな掲示物をこっそり張り直している所とかを見かけました」
「……私の事、よく見てるんですね?」
あっ!しまった……
きもいと思われたかも?
「か~~~~~っ! こりゃあ話が進まないねぇ~。ちょっとファミレスに寄ろう?」
俺たちの会話を見かねた(聞きかねた?)のか、對馬さんがファミレスで話そうと提案。
それを石川さんが了解した。
後は俺の返答だけなのだが……
「浅井君……時間、ありますか?」
石川さんに上目遣いで問われた俺は
「あります!」
即答した。
☆
ファミレスにて、3人ともとりあえずドリンクバーだけを注文してなるべく奥の席を取った。
「私……キスが大好きなんです」
いきなり石川さんは俺に爆弾を投げつけてきた。
「そうですか……と言うか聞こえてました。教室での会話……」
改めてこういう話を……しかも正面から聞かされると正直凹む。
「そんな落ち込まないでよ~。浅井君はそれでも美鈴の事が好きなんでしょ?」
對馬さん? あなた空気って読めますか?
一応フリガナふっておきますね『空気』
「布由子……そこまでにしてあげて! 私もう耐えられない」
なんだなんだ? 一体この会話の流れと言うか先が読めないぞ?
「だーめ、浅井君が美鈴の事を好きだって事は、私の耳と直感、そして美鈴の可愛さからよーくわかったけど、肝心の美鈴が浅井君の事をどう思っているのかまだはっきりして無いからね~」
どういう事だ?
「美鈴? アンタは同年代の男子は苦手というか嫌ってるわよね? そこ、ちゃんと浅井君に教えなきゃ駄目よ。誤解とか勘違いとかで美鈴が傷つくのはもう嫌だからね?」
ますます訳が分からない。
「あの……顔」
「ん? 顔?」
「顔が可愛いからって、中学の頃、たくさんの男子に告白されてきました……」
そうか……そうだよな。
もうすぐ俺もその中の一人になるだろう。
だって、もう、この思いは抑えられない。
抑えられる気がしない。
「だから、私は、誰に告白されても、必ず断るって心に決めたの」
え? じゃあ、もし俺が石川さんに告白したら、絶対に断られてたのか……?
でも、それを今、俺にネタ晴らしするって事は? もしかしたら?
「だから、私は『キス』が好きって事を隠さないって決めたの」
ん? ここで話の意味が良く分からなくなってきたぞ?
「布由子がそうした方がいいってアドバイスしてくれたから……」
「そうそう、美鈴ってホントに『キス』には目が無いからね~」
石川さんはもしかして、對馬さんと大好きなキスをしているのか?
マジでよくわからん。
「だから……その……こんな私でも受け入れてくれる人がいたら……そして、その人の事を私が本当に好きになったなら……」
「頑張れ~美鈴ぅ~」
「私の方から告白するって、心に決めたの」
キス好きな彼女を受け入れて、それでも石川さんの事を好きでいられるかどうか……か。
「お、俺は、石川さんが、誰と、何回、どんなキスをしてきたかなんて気にしません……あ、いや、少しは気になりますけど……って、あッ」
俺から告白したら断られるんだった……
危ない。危なかった……
「ありがとう……浅井君」
石川さんは、ドリンクバーの紅茶を一口飲んで、深呼吸した後、俺をしっかりと見つめた。
そして
「浅井君の心の広さと優しさが好きです」
ハッキリと言った。
聞き間違いなんか出来ないくらいにしっかりとした話し方だった。
「『キス』が好きで『ビッチ』と言う噂があっても私を好きでいてくれる、あなたが好きです」
これは……英語で言う「like」ではなく「love」と言う意味での好きなのだと、流石の俺でも分かった。
「俺はこんな……こんなにも地味なフツメンなのに?」
何故か俺はこんなひねくれた言葉を発してしまった。
こんな事、言おうと思ったわけじゃないのに……
「顔はね、年を取るとみんな、イケメンじゃなくなるのよ? 女性だってそう。一部美魔女とかいるみたいだけど、私は美しさなんかには拘らない」
そうだな…… そうだよな。
「俺、正直に言うよ。最初は、石川さんの事、超可愛いと思って気になった。そして、後ろの席の男子から石川さんの中学時代の話と噂を聞いた」
「うん。布由子から聞いてる……」
「それでも、石川さんの普段の様子を見て、そいつの話も噂の内容も、なんか信憑性が無いな……なんて思ってた。だって、それって俺が直接見聞きした出来事では無かったから……」
「浅井君って、慎重って言うか冷静なのね……それにちょっと素直」
「そ、そのくらいしか、俺には取り柄が無いですから……」
「ねえねえ、浅井君?」
「あ、はい?」
「せっかく美鈴がアンタの事を好きだって言ってるのに、まだ返事をしないってどういう事?」
對馬さんに言われて気付いた。
俺、石川さんから告白されてた?
俺が? 俺なんかが?
そうだった。
「石川さん。断られるのを承知で、俺の方から言わせてもらいます」
石川さんは、男子からの告白は全部断る。
でも、俺は、女子に……石川さんに告白されたから付き合う訳じゃないって事を示したいッ!
だから
「石川さんの優しさが好きです。気配りが好きです。笑顔が好きです。可愛らしさが好きです。そして……全部好きです……俺にも、キスを、いつか、下さい」
最後、余計な事も言っちゃったような気はするが、後悔はない。
俺だって石川さんの事が大好きになってしまったんだ!
「はいっ! 嬉しいです。今日、うちで晩御飯を食べて行ってくれませんか? 浅井君に『キス』を……あの『食べてもらいたい』です……」
俺の体中の血液がまた、顔に集中してきた。
「あ、その、えと、い、家に連絡します、『晩御飯要らない』って」
「やったー! 来て来てっ、一緒に『キス』食べよ?」
☆
「ねえ、そろそろ種明かしするよ?美鈴いい?」
石川さんの家に向かう途中、對馬さんがこんな事を言った。
「え?いいけど……浅井君はもうわかってると思うよ?」
「いーや、絶対に分かって無いね」
ん? 何の事だろう?
「浅井君、あんた、美鈴から『キス』貰える?」
意味深な質問だが……石川さんは『キス』が好きなんだ。
「絶対に貰う、というか欲しい」
「うわ~……甘っ、ってまあ、それはいいや」
なんなんだ?
「じゃあ、私から『キス』貰える?」
ええ? どういう事なんだ? 疑問は残るが、俺は、誰からでもキスされるのが好きって訳じゃない。だから
「それは、無理っす」
正直に答えた。
「ほらね? 全然分かってないっしょ?」
「じゃ、じゃあ……」
「『キス』も『食べてくれる』もこの人、本気で言ってたっぽいね~」
「…………」
「美鈴? 良かったね?」
「う……うん」
☆
この日、俺は石川美鈴と恋人になった。
美鈴の友人と言うか、親友の對馬さんは、あまりにモテすぎて面倒ごとに巻き込まれやすい美鈴に、一つの策を授けたそうだ。
美鈴が『鱚』好きな事と、石川家の親戚からよく『鱚』を貰う事を利用して、学校で、そして教室で、みんなに聞こえるように『鱚』が好きだと、いっぱい貰ったんだとはしゃぐ事で、男子たちを誤解させ遠ざけようと……
その策は、効果覿面で、美鈴は美鈴に好意を持つほとんどの男子から誤解された。
そして誤解したままの噂まで流された。
でも、そのおかげで面倒事が減り、快適に過ごすことが出来るようになった。
友人は、この布由子だけでいい。
他のクラスメイトは、男子だけでは無く、女子でさえ煩わしかった。
こんな美鈴の誤解された噂に惑わされないようなしっかりとした男性が、もしもいたならば……
そして、その男性を好きになることが出来たなら……
その時は、自分から告白して恋人を作ろう。
そんな夢物語を對馬さん……布由子と何度もしていたそうだ。
そのお眼鏡にかなったのが俺。と言う訳だ。
なんだか少し、信じられない夢のような話だが、これは現実の、本当のお話だ。
その証拠に
「魚じゃない方の「キス」いただきます」
俺たちは、結構こっちの『キス』も……かなり好きだったようだ。
☆★☆ おしまい ☆★☆
鱚はすきですか?