完結●断罪終了後に覚醒した悪役令嬢、殿下の女性慣れの練習相手に?
全てが詰んだ後の断罪終了後シリーズ第三弾!
元悪役令嬢で暇人になった主人公は
完璧なのに自己評価が低い元引きこもり殿下の女性慣れの相手に選ばれるが……。
○ハッピーエンドです!
○派手な事件やバトルはなく、ほんわかじれ愛系です!
○男女間の認識の違いなど恋愛お役立ち情報はあり!
○「あ、そういうこと!」というサプライズ要素あり!
○終盤、読んでいるとじわ~と頬が緩みます!
◆模倣・盗用・転載・盗作禁止◆
(C)一番星キラリ All Rights Reserved.
●おまけ(読者様の質問を元に悪人たちのその後を追記 2024/2/7)
●プロローグ
「うううううんんんん……」
大きく伸びをした瞬間。
なんだか自分の声が少々いつもと違うように感じた。
さらに胸の辺りがなんだか重たくも感じている。
まだベッドに横たわったまま目を開けると。
「え」
天井……いや、これは天蓋付きのベッド?
がばっと起き上がり、胸がはずみ、周囲の景色が目に飛び込んでくる。
目ってすごい。
一瞬のうちにありとあらゆる情報をインプットしてくれるのだから。
そう。
目を開けた瞬間にとんでもない情報を仕入れてしまった。
まず自分がいる部屋が、自分の部屋ではないと気づいた。
都心のワンルームマンションではない。
高価そうな絵画が飾られ、高級そうなソファセットが見える。ローテーブルには薔薇が生けられた花瓶、ふかふか間違いなしの絨毯、日本の家では考えられない暖炉が見えていた。
そして私は白のフリル満点のネグリジェを着ており、バストアップしていた。肌はミルクのような色ですべすべ、髪はブロンド、手足はほっそりしている。つまり、西洋人の容姿に自分が変化していることに気づく。
高校生の頃、転生ものラノベを読み漁っていた私だからすぐに理解する。今の自分の状況が。これは……間違いない。
私は……もしや乙女ゲームの中に転生したのでは!?
自分が死んだ瞬間の記憶はないのだけど。
日本という国で新社会人として働き始めた記憶はある。
入社式の記憶も、新人研修を受けたことも覚えていた。
仕事を覚えるのに必死だったけど、休日の息抜きで遊んでいたのが乙女ゲーだ。
『絶対に幸せになって見せる!』という乙女ゲームで、攻略対象は5人いた。王太子、宰相の息子、近衛騎士団団長の息子、筆頭公爵家の嫡男、留学で来ていた皇太子。全員勿論、ハイスペックでイケメンだった。
ヤバイ。転生したということは。
彼らを攻略していいってこと!?
ドキドキしながらベッドから起き上がり、まずは転生後の自分の姿を確認することにした。
えーと、バスルームはここね。
扉を開け、あんぐり。
ひ、広いわ~。
多分、八畳ぐらいある。
でも猫足のバスタブはこじんまりとしている。
ただ、猫足部分は金。
バスルームなのに天井にはシャンデリア。
床は勿論、大理石。
お金持ち感が半端ない。
そしてすぐ右手にある姿見に気づき、そこに映る自分の姿を見て呆然とする。
あ、あれ……?
『絶対に幸せになって見せる!』という乙女ゲームのヒロインは、瞳の色が桜色なのだ。その珍しい瞳の色に、攻略対象は皆、興味を持ち話しかける。
だが。
今の私は金髪碧眼。
唇と頬はローズピンク、鼻は高く、お肌はすべすべ。どう見てもティーンエージャー。しかも起きた瞬間に感じた通り、バストは生前より大きく、ウエストも引き締まっている。手足もスラリと長く、ヒップも引き締まっている。
文句のつけようがない容姿。
でもですよ、これって、この姿って……。
悪役令嬢ですよぉぉぉぉ!
驚愕。
ヒロインだと思ったのに。よりにもよって悪役令嬢!?
『絶対に幸せになって見せる!』の舞台は上流貴族が通う一流大学の付属学園。
そこに攻略対象全員が通っており、そこにヒロインが転校してくる。伯爵令嬢のヒロインは、その珍しい瞳の色で攻略対象者たちの注目を集め、持ち前の明るさで皆に好かれていく。
で、そんなヒロインを邪魔するのが、悪役令嬢エリーゼ・マリア・ウィンクラーだ。公爵家の令嬢で、ヒロインが転校してくるまで、学園の華として君臨していた。攻略対象の注目もエリーゼが集めていたのだ。それをヒロインに奪われたのだから……。
熾烈ないじめをヒロインに行う。
それを暴くのが攻略対象の誰か、すなわちヒロインが誰を選んだかで変わるのだが。
王太子が暴くと断頭台行き。
宰相の息子だと国外追放。
近衛騎士団団長の息子は修道院送り。
筆頭公爵家の嫡男の場合は娼館送り。
留学で来ていた皇太子の時は火あぶりだ。
最悪だ。
というか、大変だ!
悪役令嬢が断罪されるのは、卒業を祝う舞踏会の場。
今、私は何歳!? 何年生!?
回避を、回避行動をとらなければならない!
自分の置かれている状況を理解していたまさにその時。
「エリーゼ様、おはようございます!」
ひと際元気のいい声が聞こえてきた。
この声は、私の専属メイドのメイだわ!
バスルームから飛び出すと。
「もう起きてらしたのですね。おはようございます、エリーゼ様!」
メイは、くりっとしたリスみたいな茶色の瞳を細めて笑顔になる。黒髪ボブのメイは、黒のワンピースに白のメイド服がよく似合っていた。
「おはよう、メイ。あの、私、多分、寝ぼけていると思うの。私って今、何歳かしら?」
「藪から棒にどうされたのですか? 今はまだ18歳ですが、間もなく19歳ですよね」
「まだ18歳……、え、間もなく19歳!?」
え、待って、待って。
3年生だったら17歳か18歳でしょう。
え、19歳って……?
「ねえ、メイ、私は学園を卒業したのかしら?」
「!? 間違いなく寝ぼけていますね。もう制服は処分したのでありませんよ。卒業と同時にご自身で焚き火にくべていましたよね? というか、エリーゼ様が学園の話をするなんて意外ですね。学園生活は私の黒歴史だから、二度と話さないでとおっしゃっていたのに」
え。
学園を卒業した?
え、断罪は済んでいるの?
生きているの、私、悪役令嬢なのに?
いや、待って。
断罪後の悲惨な末路は全て死というわけではない。
生きる道もあった。
でもここはどう考えても修道院ではない。
となると……。
娼館……?
「メイ、ここって娼館!?」
「!? な、何を言い出すのですか!? 娼館!? 寝ぼけているというか、記憶喪失ですか? エリーゼ様、ここはツイード王国ですよ。リース王国に比べたら小国ですが、住めば都。自然豊かですが産業も発展していますし、平和ですし、国外追放された我々を温かく迎え入れてくれたじゃないですか。まあ、エリーゼ様のお母君とツイード国の王族は遠縁だったということもありましたからね」
だ、断罪されていたんだ。
しかも宰相の息子から断罪され、国外追放されていた……。
え、これってつまり、私、悪役令嬢だけど、断罪終了後に覚醒したということ?
そう問いかけても答えてくれる人はいない。
でも事実がそうだと告げている。
なるほど。
……。
……。……。
悪役令嬢って、フラグ回避行動が定番では?
なぜ断罪終了しているの?
というか、攻略対象と誰一人会っていない……わけではない。
会っているんだ、覚醒する前の私は。
まだ覚醒したばかりで記憶が混乱しているが、脳裏に攻略対象と会話している自分の姿が浮かんでいる。
え、でもそれって、ゲームをして画面越しに彼らを眺めているのと変わりなくない?
なんというか、断罪終了後って、詰んだ後でしょう? なんで今さら覚醒するわけ?
1:元悪役令嬢で現在、暇人
疑問は尽きないがともかく私は、前世で何らかの理由で死亡し、プレイしていた乙女ゲームの世界に悪役令嬢として転生していた。でも覚醒することなく断罪は完了し、そして現在に至る。
そう。
覚醒してから三日が経った。
その間に記憶の混乱も収まっている。
つまり部分的に覚えている前世の記憶と、転生後の乙女ゲームで悪役令嬢として歩んだ私の記憶が上手い具合に整理された。
整理されたのだが……。
うーん、こちらの世界の記憶にも抜け落ちが多々あるのよね。転生して覚醒したからこうなってしまうのは仕方ないのかしら? もしくはこれは嫌な記憶は忘れ、楽しい記憶だけが残っているという心の防御反応なのかしら?
ともかく攻略対象と過ごした学園生活。
それは……楽しい記憶しかない。
自分がプレイしていた時に見た悪役令嬢エリーゼのいじめにつながるような記憶は……ない。でも断罪される瞬間の記憶は、バッチリ確認している。
あれは……本当に辛い。
まず大勢の前で断罪されることの屈辱。
その瞬間の皆の驚く顔。唇を噛みしめ、泣くのをこらえ、ホールを飛び出した私。
これこそ忘れたい記憶だろうに。
あまりにも鮮烈だったのか。
しっかり覚えていた。
卒業式後の舞踏会で断罪されたのは丁度、今から1年前だ。
私が国外追放になった時。
両親は私を勘当することもできた。
勘当すれば国外追放されるのは私だけで済む。
両親はそのままリース国に残れたし、爵位だって捨てずに済んだはずだ。
でもそうすることはなく、両親は勿論、三人の兄も、みんなすべてを捨て、このツイード国へやってきてくれた。
優しい父親は私にこう言っていた。
「エリーゼ、お前が宰相の息子が言うような悪行をしたとは到底思えない。だが宰相はこの国でとても強い立場だ。息子とその婚約者からの頼みとあっては、断ることはできない。お前を国外追放とする国王陛下の許可をとってしまった。だが大丈夫だよ。エリーゼ。お前を一人にすることはない。なに。私もお前の兄たちも優秀だ。追放されても職にあぶれることはない。ちゃんと暮らしていけるから。安心するといい」
兄3人も兼ねがね同じようなことを言い、こうして私の家族は追放と同時にツイード国へ移住することになった。
ツイード国に移住してすぐ、父親は宮殿で事務官として働き始めた。粉骨砕身で働く父親はすぐに認められ、出世していく。既に事務次官まで昇りつめ、年内に大臣政務官になるだろうと言われている。さらにこの春には爵位を賜り、しかもいきなりの伯爵家。これは本当にビックリ。
兄は未来の伯爵家当主として、見識を深めるため、遊学中。遊学と言っても遊びはなく、本当に真剣に学んでいる。次男は元々騎士だったので、ツイード国の防衛の要を担う騎士団に入団し、今は宮殿内の寄宿舎で暮らしていた。現在は副団長補佐とこちらも大健闘中。三男は聖職者の道に進んでいたが、ツイード国でも同じく聖職者として主に使えている。今は宮殿内にある教会に使え、住み込みで頑張っていた。
母親はそんな家族を支え、いつも笑顔をふりまき、新しい国での新しい生活に家族が慣れるよう、陰ながら支えてくれている。
一方の私は。ひとまず学園は卒業していた。表向きは花嫁修業中ということだが……前世風に言うならプーだ。新卒で社会人として必死に働き始めていた矢先に転生し、しかも覚醒したら断罪終了後の元悪役令嬢でプ―というなんともな状態。
家族が突然、移住の上に職探しに追われたのは、すべて私のせいだった。その私が花嫁修業中ということで刺繍をしたり、お茶会をしてのんびり過ごすのは……申し訳ないと思っていたら。
父親からこんな提案があった。
実はこの国の王太子であるフェリックス・ハインリッヒ・フォン・ローレーヌ殿下は、幼い頃に誘拐・暗殺をそれぞれ2度も経験したことから、王宮で引きこもりに近い状態で育てられた。
つまりは学校には通わず、すべて家庭教師や必要な専門家を王宮に招き、学ぶことになった。
その結果、文武両道で才色兼備な王太子として育ったのだが。
唯一の弱点、それが女性。
つまり、異性に慣れていないのだという。
当然、恋愛経験はゼロ。とはいえ王太子なのだ。ダンスは当然踊れるし、レディファーストもできるが、ともかく妙齢の女性と会話をしたこともない状態。そんな王太子であるが、婚約者は存在していた。ツイード国とは少し離れた場所にある国で、国力としては同じぐらいの小国の姫君が婚約者だったのだが……。
つい最近、婚約破棄となった。表向きは、政治上の理由だったが本当は……。
王太子とその姫君は、一度も会ったことがない。会ったことはないが、婚約は王太子が5歳、姫君が3歳の時に結ばれていた。会うことはなかったが、一応文のやりとりだけはしていたようなのだが……。
この婚約者の姫君は、つい最近、リース王国を遊学で訪れたという。そこでなんと筆頭公爵家の嫡男と恋に落ちてしまった。姫君は一度も会ったことのないフェリックス王太子より、大国であるリース王国の筆頭公爵家の嫡男の方がいいわと、婚約破棄を申し出たというのだ。
2:「ノー」の選択肢はない。
一度も会ったことのない形ばかりの婚約者より、大国であるリース王国の筆頭公爵家の嫡男がいい――そう決断したフェリックス王太子の婚約者の姫君。
彼女の決断に「えっ」と思う反面。
「あのチャックなら……」と思えてしまう気持ちは……無きにしも非ず。
なぜなら乙女ゲーム『絶対幸せ』の攻略対象でもあるリース王国の筆頭公爵家の嫡男チャックは、イケメンだし、何より女性の扱いが上手かった。彼の手にかかれば、落ちない令嬢はいないと言われるぐらい……。女性慣れしていない王太子では、恋愛をチャックと競っては分が悪いと言わざるを得ない。
かくして王太子は婚約者がいない18歳となってしまった。そう、私と同い年。
「そこでだ、エリーゼ。お前にフェリックス殿下の話し相手を頼みたいのだが、どうだろう? 表向きは殿下の妹君フィオナ様の話し相手、実際は殿下の話し相手ということになる。これを国王陛下が私に頼んだのは、他の貴族の令嬢に頼むと、余計な思惑が働くからだ」
夕食の後、人払いをした父親は私にそう切り出した。
「他国の姫君を嫁に迎えることは、今回の一件で国王陛下も殿下も懲りている。婚約者は国内の貴族の令嬢から迎えるつもりとのこと。そのため、年内に殿下のお妃候補となる令嬢を招いた舞踏会を開催することになっている。その舞踏会を前に、どこぞやの令嬢が一人、話し相手に選ばれたとなると面倒なことになってしまう。だからこの件は公にせず進めたいとなった」
父親は食後のコーヒーを口に運び、私を見る。
「我が家はつい最近、爵位を賜ったばかりで、他の貴族とのしがらみも薄い。だからこそ頼みたいと国王陛下にお願いされてしまったのだよ。引き受けてもらえるだろうか、エリーゼ?」
この父親から頼みに「ノー」の選択肢はない。王太子の話し相手をすれば、協力金も我が家に支払われることになると聞いている。何より国王陛下の秘密裡の依頼に応える――このことがもたらす意味はとても大きいはずだ。我が家の今後にも関わってくる。だから「イエス」の一択だろう。
それに私はプーの元悪役令嬢で、暇だ。そして別に中高一貫で女子高でした、というわけでもない。話し相手ぐらい私でもできるはず。いや、家族全員に苦労をかけているのだ。私でできることがあるならば、なんでもやる覚悟だった。
こうして私は王太子の話し相手として王宮にしばらく通うことになった。毎日ティータイムの時間に王宮を訪れ、王太子と会話し、女性に慣れてもらうのである。
「エリーゼ様、髪はどうされますか?」
「そうね。今日はおろしていくわ。そのルビーの飾りがついているカチューシャをお願い」
両親から誕生日プレゼントでもらったカチューシャをつけ、落ち着いたデザインのドレスを着た。そのドレスはオフホワイトの生地にオールドローズ色の薔薇がプリントされており、その上に透け感のある淡いピンクシフォンが重ねられている。そしてウエストは、濃い目のリボンを結わくようになっていた。
上品で王宮へ出向くにはピッタリなドレスだと思う。
こうして準備が整ったところで、父親と共に馬車に乗り込み、宮殿へ向かった。
記憶の中で、私は何度か宮殿で開催される舞踏会へ足運んでいた。だから宮殿へ出向くのはこれが初めてというわけではない。でも王宮へ行くのは初めてのこと。これは少し緊張する。
それでも父親が同席してくれていたし、国王陛下夫妻、カモフラージュで名前を使わせていただくことになるフィオナ姫への謁見は無事終わった。謁見に王太子が同席しなかった理由。それは、初対面の女性との会話の練習を、この後のティータイムで早速実践するためだ。
ということで。父親と別れた私はいよいよ王太子と対面となる。
男性の召使いの案内で、王太子とティータイムをとるテラスへ案内された。
テラスは庭園を見渡せる場所で、建物の日陰にあり、初夏の日差しが直接当たることはない。庭園は美しく整えられており、芝が広がり、植え込みはこんもり丸く並んでいる。素焼きの巨大な壺のような植木鉢には、色とりどりの花が植えられていた。
真っ白なテーブルクロスが敷かれたテーブルが用意されており、そこにさりげなく置かれている椅子も、見るからに高級そうだ。背もたれの透かし彫りが美しいその椅子に腰かけ、テーブルに置かれた花を眺める。美しいオールドローズ色の薔薇が飾られていた。ふと自分が着ているドレスの薔薇と同じことに感動してしまう。
「ウィンクラー伯爵令嬢、お待たせいたしました」
声に椅子から立ち上がりながら振り返る。
こちらへ足早に歩いてくる王太子――フェリックス・ハインリッヒ・フォン・ローレーヌ殿下の姿が見えた。
これが……フェリックス殿下。
私を見て微笑むその表情にまず「ほう」と小さくため息を漏らしてしまった。
瞳は深みのある碧、高い鼻に、女性のように美しい唇。
肌は艶があり、若さを感じさせる。
襟足の長いプラチナブロンドは実に優雅。
何よりも歩く度にサラサラと揺れる前髪がとても素敵だ。
均整のとれた体をしており、立ち居振る舞いも実に優美。
ただこちらに向かい歩いているだけなのだが。
一つ一つの所作が洗練されていると感じられた。
真っ直ぐに伸びた背筋といい、凛とした顔つきといい、王太子の風格が感じられる。白シャツに淡い水色のベストとズボン、その上に麻で出来た濃い空色の上衣をまとったフェリックス殿下は、私に座るよう促し、自身も席に着いた。
3:どんな令嬢もイチコロなのでは?
フェリックス殿下が席に着くと。
彼の後ろについていた近衛兵がその場に控え、メイドがテーブルへとスイーツやティーセットを並べていく。
美味しそうなスイーツに思わず目が吸い寄せられてしまい、慌てて視線を逸らすと、フェリックス殿下と目が合った。その瞬間、フェリックス殿下はニッコリと笑顔になる。その笑顔は誰であっても思わずドキッとしてしまうような、美しいものだ。
女性慣れしていない……?
こんな笑顔をむけられたら、どんな令嬢もイチコロなのでは?
メイドがティーカップに紅茶を注ぐと、「さあ、ウィンクラー伯爵令嬢、召し上がってください。スイーツを楽しみながら、お話をしましょう」と言い、ナプキンを広げる。
女性慣れしていないというから、もっとガチガチなのかと思ったら、そういうわけではなさそうだ。令嬢との接点はなく、恋愛経験がないとはいえ、親族やメイドの女性とは毎日接している。普通に挨拶をし、場を仕切るぐらいはできるということなのね。
そこには少し安堵する。
王太子の話し相手、私が努めます!と啖呵を切ったものの。
恋愛経験が豊富なわけではない。
一人だけ、前世において。友達以上恋人未満の男性がいて、その人とは何度かデートをしたことがある……くらいの経験ではあるが。乙女ゲームの中では何度もデートをしたし、攻略対象とは会話している。しかも好感度をあげるための。
だから大丈夫。
ちゃんと話し相手をできるし、アドバイスもできるはずだ。
「改めて自己紹介させてください、わたしはこの国の王太子フェリックス・ハインリッヒ・フォン・ローレーヌです」
そこで言葉を切ったフェリックス殿下は、少し頬を染め、私に尋ねる。
「今日は初めてお会いした女性とのお茶会という想定で、ウィンクラー伯爵令嬢とお話できればと思ったのですが……。もう既に何を話せばいいか、分からなくなっています」
……!
なんて初々しい反応。
なるほど、なるほど。
さっきまでは王太子モードだったのね。
今は令嬢と対峙した一人の男子として、どう振舞えばいいか分からないと。
これは……なんだかたまらない!
思わず頬が緩みそうになり、慌てて気を引き締める。
これはお給金をもらっての勤めなのだ。
殿下にとって実りある時間にしなければならない。
スイーツを食べながら、まずは初デートで何を話すといいのかのアドバイスを行う。幼なじみでもない限り、お互いの子供時代は知らない。子供の頃の思い出話は、会話が途切れることもなくおススメであること。さらにいつか行ってみたい場所についての話は、将来のデートにもつながるので話すといいことを伝えた。勿論これは……乙女ゲーム『絶対幸せ』で学んだ成果だ。
というわけで他にも恋愛に役立ちそうなノウハウをフェリックス殿下に伝授していたのだが……。
それは何の話から発展した結果だったのか。
フェリックス殿下は「自分が王太子であることに悩んでいる」と口にしていた。
婚約破棄となった直後。
多くの側近が彼のことを励ました。その中で彼らは悪意なく口にした言葉であるが、それが気にかかったのだという。
気にかかったという言葉、それは「殿下は王太子なのです。やがてこの国で国王として立つ身。王太子の妻に、妃になりたくない令嬢などいません。必ず新しいお相手が見つかります」というものだ。
つまりすぐ新しい相手は見つかる。でもその相手は、王太子という身分にひかれ、自分のことを望む令嬢だと気づいてしまったということだ。
「なるほど……。お互いが身分の分からぬ状態で出会うことができればよいのでしょうが、それは難しいですよね……。仮面舞踏会であれば、ある程度は身分を伏せることもできるかもしれません。それでもフェリックス殿下ともなると、護衛や側近が多くつきますから、それも難しいでしょう。そうなると……。何よりお相手の令嬢自身の意志に加え、その両親も、貴族であれば娘を王太子の妃に、と思うでしょうから……。身分ではなく、自分という一人の人間を好きになってほしい――という気持ちはよく分かりますが……。フェリックス殿下の場合、身分抜きでというのは……いささか難しいでしょうね」
するとフェリックス殿下はすがるように私を見上げた。
「ウィンクラー伯爵令嬢、あなただったらどうなのですか?」
「それは相手の身分で好意を抱くかどうか、ということですか?」
フェリックス殿下はこくりと頷く。
相手の身分……。
正直、貴族が存在しない日本から転生してきたので、そこはなかなか難しい。それに断罪され、今があるのだから……。
「私は身分うんぬん以前に、国外追放になった原因が自分にあると思っています。家族全員、使用人たちにも迷惑をかけました。ですからこれからは迷惑をかけた皆に恩返しをしながら、慎ましやかに静かに暮らしていきたいと考えています。よって恋愛など考えられないですね。つまり身分で好意を抱くかどうかを考える立場にないと思います」
この言葉を聞いたフェリックス殿下は遠慮がちに口を開く。
4:容姿に関する誤解
「ウィンクラー伯爵令嬢。あなた達家族と使用人が、国外追放の末にこの国へ来たことはわたしも聞いています。ただ国王は、百聞は一見に如かずと判断され、実際にウィンクラー伯爵とも会い、話をされました。その上で、ウィンクラー伯爵一家が国外追放されることが妥当とは思えないと判断し、受け入れを決めたのです」
「その英断には感謝するばかりです。本当にありがとうございます」
フェリックス殿下は「これは英断ではなく、正しい判断をしただけです」とあくまで私達家族の立場に立ってくれた。その上で……。
「あなた方をこのツイード国に迎え入れた結果。ウィンクラー伯爵もあなたのお兄様も、そしてあなた自身も。この国のために頑張ってくださっています。それに私には、あなたが聞いたような悪行をしたとは思えません。もし本当にそんなことをしたなら、その本性がどこかに出るはずです。でもまだ2度目とはいえ、こうしてあなたと話していても、隠された本性があるとは思えません」
これは……胸に染みる一言だ。
あの断罪の場では誰も、誰も私を庇うことはなかった。
いや、あの場にいた攻略対象の男性は皆、私の悪役令嬢ぶりを見ていたのだろう。だから庇うことがなくても、それは仕方のないことだ。
「フェリックス殿下にそう言っていただけることは救いになります。……これからも殿下や国王陛下、そしてこの国のために、私ができることをするつもりです」
そこで話が脱線していることに気づく。
「私のことなどどうでもいいことです。フェリックス殿下の貴重な時間を余計な話にとってしまい、申し訳ありません。そして王太子という身分の件ですが、そこを隠して令嬢と出会うのは厳しいと思うので、前向きに考えませんか。『身分を気にしない令嬢ときっと出会えます』などという不確定なアドバイスをするつもりはありません。この身分があるから日々の生活が保障されている。その保障に惹かれる令嬢もいるんだ、と考え、受容することで気持ちが楽になると思います」
するとフェリックス殿下がクスクスと楽しそうに笑う。
本当に美しい笑顔だ。目の保養になる。
「ウィンクラー伯爵令嬢、あなたは正直な人ですね。でも、そうなのでしょう。あなたの言う通りだと思います。いくらあがいてもわたしは王太子ですから」
そこで言葉を切ると、フェリックス殿下は予想外の質問を私にした。
「正直者のウィンクラー伯爵令嬢に聞きます。私の容姿をどう思いますか?」
「!? それは……異性から見て好ましい容姿であるか知りたい、ということですか?」
フェリックス殿下は少し顔を赤くし、「イエス」の代わりに頷く。
これだけの優美な姿をしているのに、自分の容姿に自信がないのだろうか? 不思議に思いながら口を開く。
「フェリックス殿下の容姿を好ましく思う令嬢は、相当いると思いますが」
「そうなのですか!?」
フェリックス殿下は驚きの表情で聞き返すのだが。驚いてしまうのはこちらだ。
「なぜ驚くのですか?」
「それは……予想外でしたので」
「……予想外?」
首を傾げる私にフェリックス殿下は、頬を少し染めながら答える。
「わたしはてっきり騎士こそが男の中の男と認められ、多くの女性が好むものなのかと……騎士のように逞しく、守ってくれる男性を、世の女性は好むものと思っていました」
無論、マッチョな男性を好きな令嬢もいると思うが、フェリックス殿下のような適度に鍛えられた男性を好む令嬢もいると思うのですが。するとフェリックス殿下は私を真摯な表情で見て、遠慮がちに尋ねた。
「……ウィンクラー伯爵令嬢はどうなのですか? あなたも騎士ではなくてもいいのですか?」
フェリックス殿下は、期待と不安が入り混じった顔でこちらを見ている。
私のお墨付きをフェリックス殿下は得たいのだろうか? 元悪役令嬢のお墨付きをもらっても、なんの自慢にもならないと思うのですが……。
「私は……そうですね。完全に個人的な趣味の話になりますが、騎士ほどではなく、適度に鍛えられた体であれば。贅肉がなければ問題ないかと」
「なるほど」と呟いたフェリックス殿下が、自分のお腹周りに手で触れている。その様子が可愛らしく、思わず笑ってしまう。
「フェリックス殿下は、贅肉なんて、ほとんどないように見えますが」
「そ、そう言っていただけると、日々の訓練にも身が入りそうです」
そこでタイムアップだった。
「明日もよろしくお願いします」とお互いに挨拶して終了となった。
◇
その日以降もフェリックス殿下との話し相手としてのお役目は続き、気づけば一週間が経っていた。日々の報告は父親にしており、それは国王陛下にも伝えられている。フェリックス殿下は女性慣れしていないと言っていたが、赤面して女性と話せない、なんてこともなかった。
多少、ずれた認識や、勘違いもあったがそれはすべて訂正できている。恐らく、あと1~2回も話せば、フェリックス殿下の中の女性に関する疑問も解消され、女性相手の会話の練習も終了でいいのではないか。そんな風に考えていたのだが。殿下の悩みはまだ尽きていなかったようだ。
5:手紙の悩み
「……手紙について知りたいのですが」
「手紙、でございますか?」
今日はアフタヌーンティーが用意されていた。
テーブルには三段スタンドやティーポット、カップとソーサーなどが並べられている。既にフェリックス殿下から開始の合図をもらっているので、メイドがカップに紅茶を注いでいた。
私の対面に座るフェリックス殿下は、白シャツに青×水色×黒の縦縞ストライプのベスト、青のズボン、水色の上衣という姿。一方の私はオフホワイトにピオニーの花がプリントされたドレスを着ていた。
「女性から届く手紙というのは……。書かれていることは、最近見た演劇やオペラの感想、お気に入りのレストランのこと、そういった他愛のないことです。正直なところ、『そうですか。良かったですね』で終わりそうな内容なので、どのような返信を書けばいいのか、これまでずっと困っていました。対面の会話であれば、今言ったことを口にしても、相手はすぐに話題を変えてくれます。でも手紙ではそうもいきません。そもそも女性はどのような意図でそんな手紙を書くのでしょうか?」
なるほど。
フェリックス殿下は元婚約者の姫君と対面で会ったことはなかった。その代わり、手紙のやりとりだけはしていたと聞いている。おそらくその時の手紙のことを言っているのだろう。10年以上その元婚約者とは手紙の交換をしていたはずだ。そしてずっと気になっていたのだと推測できる。フェリックス殿下は答えを求めているのだろうが……。
「そうですね……。それは女性というのはそういうものと割り切っていただくといいのかもしれません」
まさにキョトンとした顔で、フェリックス殿下が私を見た。美形のこんな不意打ちを喰らった瞬間の顔というのは……なんだかとっても微笑ましい。
「女性というのはコミュニケーションを得意としています。おしゃべりが大好きで、井戸端会議が得意です。そんな時の会話は、今まさにフェリックス殿下が言ったような他愛のないことや噂話で盛り上がります。男性の皆さんはもっと建設的な話がお好きなのでしょうが、女性はそうではないのですよね。ただ聞いて欲しい、そして共感して欲しい。それだけなのです」
フェリックス殿下はサンドイッチを食べる手を止め、真剣な眼差しで私を見ている。だがこれは乙女ゲームの知識を生かすまでもなく、女子同士で過ごしていれば自然と分かることだった。でも男性はそんなこと分かるはずがない。
「共感が欲しいだけなので、フェリックス殿下の『そうですか。良かったですね』という反応で間違っていません。ただ、それですと手紙が続きませんので、例えば『他に気になっている劇はありますか』『次は何のオペラを観に行く予定なのですか』『そのレストランで一番おいしかった料理は何ですか』と言った疑問を最後につけていただければよいかと」
グラスの水を一口飲んだフェリックス殿下は、私にさらに尋ねる。
「でもそのような書き方では観劇に誘われたり、誘うことを求められたり、食事の口実を与えることになるのでは?」
この質問に私は認識を改めることになる。
てっきり、元婚約者の手紙に関する長年の悩みを解消しようとしているのかと思ったが。どうやらそうではないらしい。
そこで理解する。
フェリックス殿下は現在、婚約者がいない身。
ただ年内に妃候補を集めた舞踏会を開くことが予定されている。でも妙齢の令嬢を持つ親たちは手をこまねいているわけではない。抜け駆けしてフェリックス殿下と会うことは許されないが。手紙で愛を語らう分には問題ないと考えたのだろう。
きっとフェリックス殿下は、毎日のように令嬢から大量の手紙をもらっているに違いない――と思い至る。
その上で今、手紙に関する悩みを打ち明けたということは……。よっぽど誘われたくない相手からばかり、手紙を受け取っているのだろう。フェリックス殿下の苦労を垣間見た気分になり、少し笑ってしまう。
一方のフェリックス殿下は、私の笑みにより、少し困ったような表情になってしまった。
「フェリックス殿下、大変申し訳ございません。ここは笑うところではございませんでしたね。本来、そのような手紙のやりとりは想う相手とできればよいのでしょうが、そうできるとは限りませんものね」
するとフェリックス殿下「いえ、あなたがあやまる必要はありません」と丁寧に否定し、頬を赤くする。未だに。たまに会話の合間にこうやってフェリックス殿下は頬染めるのだが……。
会話の合間に頬赤くするフェリックス殿下は……。
いつ見ても初々しく感じ、可愛らしく思ってしまう。前世での年齢差はわずか4歳なのに。こんな時のフェリックス殿下は、とても年下に思えてしまう。
「誘うのも誘われるのも、控えたい相手であるならば。『自分は演劇やオペラより競馬が好きなのですが』といったような書き方をすれば、二度とそのお相手は演劇やオペラについて手紙で書けないでしょうね。さらに令嬢があまり興味のない話題を盛り込むことで、『競馬……。競馬は興味ないですね。誘われても困りますわ』となりますから。競馬でも狩りでも釣りでも、そこは令嬢の興味から離れるものが好みであると示すとよいでしょう」
「なるほど……。それは確かに効果がありそうです」
フェリックス殿下は何度も頷き、紅茶を口に運ぶ。
6:手紙の交換
役立つ情報を提供できたとガッツポーズしたくなる。
これは乙女ゲームで学んだこと。つまり攻略すると決めた男性以外からのお誘いを、うまくあしらうために覚えた方法だ。刺繍が好き、騎士の恋物語に興味がある、なんて選択肢を選べば、たいがいお誘いはピタリと止むと言うわけ。
「レストランのお誘いについても同じようなものです。『肉料理は飽きてきたので、食べるなら魚料理がいいと思っています』『肉料理よりも、豆を使った野菜料理を食べたいですね』と書けば、お相手は驚き、食事の話題は控え、食事に誘って欲しいという気持ちは薄れることでしょう。魚料理をあまり食べない文化ですし、野菜は貴族が率先して食べるものではないというのが主流ですから。それでも王太子様の食の嗜好を批判するなどできないですから、静かにその話題からフェードアウトしてくださるかと」
これには納得のようでフェリックス殿下は「そうすれば良かったのか」としきりに繰り返し、一口サイズのキッシュをパクリと食べる。
「ただし、意中の令嬢であれば、今言った返し方ではダメですよ」
フェリックス殿下は「!!」という表情となり、私を見た。
「今話したのは、お断りしたいお相手への対応ですから。興味がある相手が演劇やオペラの感想を送ってきたのであれば。その感想への共感を示しつつ、フェリックス殿下自身も観たいと思う作品であるならば、『自分はまだ観たことがない作品なので、良かったらもう一度、自分と観ませんか』と誘えばいいのです。レストランについても同じこと。『手紙を読んでいるとそのレストランへ行きたくなりました。わたしに付き合い、もう一度そのレストランへ行きませんか』と返信をすればいいのです」
この言葉を聞いたフェリックス殿下は、理解はしているが……と、少し困ったような表情をしている。
「こういったお返事をしたい方に、まだ出会っていないのですか?」
ハッとした表情で私を見るフェリックス殿下は……。なんと表現すればいいのか。言いたいことはあるが言えない。そんな表情だ。そしてその表情のまま、苦しそうに言葉を紡ぐ。
「よく分かりました……。その、そうですね。いざという時の対処法が学べました」
「それは良かったです」
小さくため息をついたフェリックス殿下は、探るような碧い瞳で私を見た。
「ウィンクラー伯爵令嬢。その、わたしの手紙を採点いただけないでしょうか」
「!? と申しますと……?」
フェリックス殿下はテーブルの上で手を組み、ぽっと頬を赤くして口を開く。
「あなたから手紙をもらいたいと思います。その手紙にわたしが返信を書くので、それで採点をしてもらえれば……」
「なるほど。構いませんわ。でもフェリックス殿下。意中の令嬢には、殿下からも手紙を書く必要があります。ですから、明日、お会いする時までにお互いに手紙を書き、持参するのでいかがですか?」
この提案はフェリックス殿下にとって、願ったり叶ったりだったのだろう。あの美しい瞳を輝かせ、笑顔になった。
「ぜひ、そうしていただけないでしょうか」
こうして明日、お互いに手紙を用意することになり、そして今日のティータイムも終了した。
◇
屋敷へ戻った私は、早速、フェリックス殿下へ手紙を書くことにした。世の中の令嬢がフェリックス殿下に送りそうな手紙を想定し、架空のフェリックス殿下ラブ令嬢になりきって手紙をしたためてみた。出来上がった手紙をメイに見せると……。
「これは……、こんな手紙を書く令嬢、確かにいそうです。このオペラに関する詳し過ぎる感想。正直、これは私でもどう返信したらいいのかと思ってしまいます。それに唐突に語られるエクレアの話。なぜここで突然、エクレアって……。これ、フェリックス殿下は大爆笑で読まれるのでは!?」
まさに意図通りの手紙が用意できたと思わず笑みがこぼれる。
そして翌日。
会心の出来栄えの手紙を手に宮殿へと向かう。
今日のドレスは、チェリーピンク色で胸元のレース、袖と裾にフリルが飾られている。髪はサイドポニーテールでまとめ、ドレスと同色のリボンでとめた。耳にはシャンパンガーネットのイヤリング。本日も王宮に出向くのに程よい上品な感じでまとめられたと思う。
宮殿に着くといつものティータイムの部屋ではなく、初日に案内されたテラスに通された。テーブルには沢山のスイーツが並んでいる。
マカロン、エクレア、シュークリーム、砂糖菓子、フルーツ……。
「ウィンクラー伯爵令嬢!」
振り返ると笑顔のフェリックス殿下がいる。
白シャツに紺色のベストにズボン、ライトブルーの上衣を羽織り、涼し気な装いだ。
「席までご案内します」
フェリックス殿下が私の手を取り、席までエスコートしてくれる。彼は王太子なのに。こうやってエスコートされることに慣れてきている自分を不思議に感じてしまう。
着席するとすぐに紅茶が用意され、フェリックス殿下は少し緊張した面持ちで封筒を取り出した。パール感のあるその封筒は、見るからに高級な紙が使われていると分かる。
「ウィンクラー伯爵令嬢、手紙を書いてみました。よろしくお願いします」
「承知いたしました。私も手紙を用意しましたので、よろしくお願いします」
互いの封筒を交換したのだが。
昨日、メイと笑いあったことを思い出し、頬が思わず緩む。それを見たフェリックス殿下も笑顔になる。
7:手紙の開封・返信タイミング問題
「ウィンクラー伯爵令嬢、昨日に続き、手紙について話してもよいでしょうか?」
「もちろんです」
フェリックス殿下は安堵した顔になり、紅茶を一口飲むと、すぐに口を開く。
「手紙は急ぎのもの、政務に関わるものは、執務室にすぐ届けられます。でも私信は夕方にまとめて受け取るようにしているのですが……。夕方で政務が終わらない場合もあります。手紙自体、見るのが翌朝なんてこともざらなのです……。受け取った手紙への返信は翌日以降もわたしには当たり前なのです。でも皆さんは違うのでしょうか?」
なるほど。
手紙の開封・返信タイミング問題ね。
これも乙女ゲーム『絶対幸せ』で経験済みなのでアドバイスできる。
「手紙に関しては想いが強い方が、より早く返事が欲しいと思ってしまうものです。つまりフェリックス殿下への好意が強い令嬢ほど、送った手紙に関する返事は早く欲しいと願ってしまうもの。とはいえ、フェリックス殿下は政務がお忙しい身。この場合は予め手紙を受け取ってもすぐに返事できないことを伝えておくといいでしょう。さらに期間を指定し、この期間は手紙を受け取ってもすぐには返事できない、と知らせておくといいと思います」
「なるほど。事前に予告することで、すぐに手紙の返事をしなくても済む状況を作るわけですね」
フェリックス殿下の問いに頷き、さらに付け加える。
「もしくは一時返信の手紙を予め用意しておくことも手かと思います。フェリックス殿下に送られてくる手紙は、面識のない令嬢の方からのものも多いのでは? そうなると事前にすぐに返信できないことも伝えられないと思います。その場合、手紙を送ってくれたことへの御礼と多忙のため返事には時間がかかるというメッセージカードを用意し、それをひとまず送っておくとよいでしょう。相手の状況が分かれば、令嬢もすぐに返事がこないことでやきもきすることもなくなるでしょう。さらに待ちきれない令嬢から二通目の手紙を受け取ってしまうこともなくなるかと」
これにはフェリックス殿下は唸りながら頷いている。どうやら二通目の手紙が届くことが多々あるようだ。
「一時返信のメッセージカードの件は名案ですね。早速用意しようと思います。ところで手紙というのは、連絡したいことがある時に送る物とわたしは認識しているのですが、それは間違っていますか?」
「!? 間違っていないのではないでしょうか? 用事もなく手紙を……」
そう言いかけて、そうではないと気づく。
これは男女の手紙・メール・メッセージのやりとりでの認識の違いのことだ。前世でもこの世界でも、認識の違いによる問題は共通なのだと理解する。
「通常はフェリックス殿下がおっしゃる通りだと思います。用事があるから手紙を送る――それが正解でしょう。ただ、男女間ではそれは違うと申しますか……」
男女間では違う……ということにフェリックス殿下は、何が違うのだろうか?と疑問に満ちた顔を私に向けている。
「令嬢は、好意を持っている殿方からの手紙を待っているのです。その手紙の中身は他愛のないことで構わないのですが、殿方はそこを理解されていないようで。用事もないのだから手紙は出さなくていいだろう。そう思い、何もしないでいると、突然令嬢から文句の手紙が届いたりする。音沙汰がないのはどういうことですかと。殿方にしてみると、便りのないのはお互いに元気な証拠なのでしょうが、令嬢側は違います。内容はなんでもいい。手紙の一通でも送ってくれれば、自分のことを気にかけてくれていると分かる、安心できる、そんな心境になる令嬢もいるということです」
フェリックス殿下は「そうだったのですね……!」と何やらいろいろと腑に落ちているようだったが。壁にぶつかったらしい。
「ウィンクラー伯爵令嬢。あなたのアドバイスは適切で納得のいくものです。ただ、解けない謎があるのです」
深みのある碧い瞳を私に向け、フェリックス殿下は真摯な表情で言葉を紡ぐ。
「手紙の内容について気にしていない……。果たしてそうなのでしょうか? そう思うことが何度かありました。今となっては過去のことですが、わたしには婚約者がおり、彼女に手紙を書くよう、両親に勧められたことがあります。取り立てて用事もないのに、手紙を書けと言われると、とても困ります。それでもなんとか手紙を書き、送ったところ……」
婚約者に手紙を書くようにと言われたフェリックス殿下の話を聞いていると、すぐにピンときた。
「もしやその手紙というのは、『なんでも構わない。本人も気にしないと言っている。とにかく手紙を書いて送れ』――そんな風に言われ、手紙を書いて送ったのではないですか?」
するとフェリックス殿下は驚愕の表情で私を見ている。
なぜ分かるのかと。
つまり正解のようだ。
「これは手紙に限らず、男女間においてよくある事象です。令嬢は本音と建前を使い分けますから。額面通りに受け止めては、痛い目に遭うかもしれません。ただ、さらに難易度が上がるのは、その使い分けにも2種類あるのです」
8:本音と建前
難易度が上がる、という言葉にフェリックス殿下の頬がピクリと反応している。そして真剣な顔つきで私を見て、その続きを聞きたそうにしている。それに応えるため、口を開く。
「例えば『全然、気にしていませんわ』という言葉。『気にしていない』というのは建前で、本音は『気にしていると気づいてよ』という場合が一つ。これは気持ちを汲み取って欲しいという令嬢の思いが込められていると思います。もう一つは『気にしていない』というのは建前で、本音は『気にしている』と言う場合です。『気にしている』と答えてしまうと、相手に負担をかけてしまう。ゆえに気を使って『気にしていない』と答えている場合です。いずれであれ、何を意図して令嬢が使っているのか見抜くことができないと痛い目に遭います」
フェリックス殿下は「そういうことなのですね」と唸り「見分ける方法はあるのでしょうか?」と尋ねる。
「これはもう、相手の性格、普段の態度から判断するしかないと思います。対面で会ったことがある相手であれば、まだ予想もつくかもしれません。でも手紙のやりとりだけとなると……。何度か失敗をして学習するしかないですね」
フェリックス殿下は「解決策は失敗して学習しかないのですね……」としんみりしているが。そんなこともないとアドバイスを贈る。
「一番いいのは、お互いに建前を使わないで済む関係です。つまりは……『あなたに負担をかけたくないの。だから気にしていないと言いたいけれど……。でも本当はもう少しだけ、気にして欲しいの、私のことを』そんな風に言える関係であると、無理もなく済むと思います」
「そんな風に言われたら、そうだったのかと男性の立場からも嬉しくなりますね。気にかけてあげたい、そう思えると思います。何よりただ本音をぶつけあうのではなく、相手を思いやる気持ちがあるのがいいと思いました」
最後はフェリックス殿下が締めくくり、この日の手紙談義は終わった。
「ウィンクラー伯爵令嬢。明日ですが庭園を散歩しながら話をするのもいいでしょうか? 途中のガゼボ(東屋)で休憩できるよう、スイーツと紅茶は用意させますので」
そろそろ席を立とうしたタイミングで、フェリックス殿下からこんな提案をされた。
「勿論、散歩で構いまわせんわ。毎日、こちらで美味しいスイーツをいただき過ぎて、少し太らないかと心配していましたので。ガゼボの休憩も紅茶だけで十分です」
私が快諾するとフェリックス殿下は喜び、そして「太る心配はないように思えますが」とよいしょしてくれるので、つい嬉しくなってしまう。
フェリックス殿下とわかれた後は、鼻歌まじりで回廊を歩いていたが。
これで手紙に関する悩みは終了ではない。馬車の中でフェリックス殿下がしたためた手紙を開封した。
正直、驚いてしまった。
今回、手紙は意中の相手に送る手紙なのか、それとも交際をお断りしたい令嬢に送る手紙なのか決めていなかったが……。
間違いない。
意中の相手に送る手紙なのだろう。
なんとか相手に好かれようとする工夫が感じられた。
まず、封筒からして上質なものと思ったが、綺麗に折り畳まれた手紙に使われている紙も立派なものだった。そして手紙を開いた瞬間。文字の美しさに感動する。達筆だということが一目でわかる。
手紙の内容については……正直なところ、報告書みたいだった。以前、会話の中で花言葉が話題に出た。花言葉について知らないというフェリックス殿下のために花言葉辞典をプレゼントしていたのだが……。この辞典を朝と晩、アーリーモーニングティーとナイトティーのタイミングで眺めているらしく、最近知った花言葉について報告している。
贈り物を毎日のように活用してくれているのは、プレゼントした側からするととても嬉しいこと。これは報告書風になっていなければ、俄然喜ばれるのに。
他にも夕食でサマートリュフを使った料理が登場したことが報告され、王宮の庭園では百合の花が見頃だと報告されていた。
ふと思う。
きっと元婚約者の姫君ともこんな手紙のやりとりをしていたのではないかと。私は日常的にフェリックス殿下に会っており、その人柄が分かっている。だからこの報告書風な手紙についても、クスリと笑うぐらいで済むが、姫君は……そうではなかったのだろう。
「……!」
驚いた。
封筒の中に何か入っていると思ったら。
二つ葉のクローバーを押し花にし、それを栞にしたものだった。
これには二つの意味で驚く。
フェリックス殿下が押し花を作り、それを栞にしていることに。
次に、二つ葉のクローバーという珍しいものを同封していることに。
あくまで練習の手紙なのだ。
意中の女性への並々ならぬ思いを伝えたいつもりなのだろうと推測するが……。
貴重な物なので明日、お返ししようと封筒の中に戻した。
◇
翌日。
庭園を散歩しながら話すことになっていたので、ピンクホワイトにボタニカル柄のドレスを着ることにした。スカート部分は二段ティアードになっており、歩くたびにティアード部分が揺れるのが気持ちいい。日焼け対策でつば広の帽子を被り、レースのロンググローブをつけることにした。
「念のため、日傘もお持ちになりますか?」
「そうね。帽子のつばが広いけど、日傘があるに越したことはないわ」
メイから日傘を受け取り、小ぶりのレティキュールに昨日預かった手紙をしまい、部屋を出た。
9:殿下、キュンを学ぶ
今日も朝から晴天だ。
ツイード国の初夏は晴れの日も多く、日没時間が遅く、過ごすには最適。
間もなく舞踏会シーズンも始まる。
そんなことを思っていると宮殿につき、召使いに案内され、庭園につながるテラスに案内された。すると既にフェリックス殿下の姿が見え、少し早歩きになると「急がないで大丈夫ですよ」と手を振ってくれる。
「今日は散歩なので、上衣は脱がせていただきました。よろしいですか?」
「暑さは脱がない限りどうにもなりませんから。問題ございませんよ」
フェリックス殿下は白シャツにターコイズブルーに銀糸の刺繍が施されたベスト、ベストと同色のズボンという姿なのだが。所作が洗練されているので、カジュアルさが感じられない。
「では参りましょうか」
「はい」
日傘をさし、フェリックス殿下のエスコートで歩き始める。
少し距離をおいて、彼の近衛兵が後に続く。
白いアナベルが咲き誇る道をゆったり進む。
「昨日お渡ししたわたしの手紙はどうでしたか?」
「まず、3つの点で感動しました」
「本当ですか?」
フェリックス殿下が思わず体全体をこちらに向けた。
さらに夏の陽射しに負けない笑顔になっている。
感動した、ということにとても喜んでいるのだと伝わってきた。
「まず、使われている封筒、手紙の紙。どちらも上質なもので、光に当たった時のパール感が美しく、センスの良さが感じられました」
「それは良かったです。特注品でしたので」
さすが王太子!
「次に文字が美しいものでした。綺麗な文字は、手紙を開いた瞬間に令嬢の心をキュンとさせると思います」
「きゅん、ですか?」
……!
フェリックス殿下が「きゅん」と口にした。
なんだか、可愛い。
「え、キュンです。胸がキュンとする。令嬢が心をときめかすことです。好ましい反応です」
「……それは……、ウィンクラー伯爵令嬢も、きゅんされたのですか?」
「ええ」
その瞬間。
フェリックス殿下の頬がほんのり色づく。
令嬢をキュンとさせることができた。そのことに喜んでいるようだ。
「そして手紙に書かれている内容で花言葉について触れていましたよね」
「はい!」
フェリックス殿下が頬を高揚させたまま私を見る。
気づくとアナベルは終わり、ピンク色のムクゲの花が沢山見えてきた。
「受け取った贈り物を活用している、毎日手にしていると贈り主にアピールするのはとても良いことだと思います。その贈り物をした令嬢は、間違いなく喜ぶでしょう」
「……ウィンクラー伯爵令嬢はきゅんとされましたか?」
「ええ、しました」
フェリックス殿下の顔は輝くような笑顔になる。
どうやらキュンという言葉が気に入り、かつ褒められたことがとても嬉しいようだ。
「そしてこれはプラスαで本当に素晴らしいと思ったことがあります」
「何でしょうか!?」
フェリックス殿下が期待を込めた碧い瞳を私に向けた。
彼からは眩しいほどの輝きを感じる。
「二つ葉のクローバーを押し花にした栞。あれはフェリックス殿下の手作りですよね?」
「はい。この庭園で見つけました。丁度この辺りに」
立ち止まったフェリックス殿下が指し示す場所は、ムクゲとタイサンボクの分かれ目で、そこにはクローバーが沢山生えていた。
「ウィンクラー伯爵令嬢、ここをよくご覧ください」
ゆっくりとフェリックス殿下が私の手を取り、クローバーが沢山生える場所に誘う。
「ここ、よく見てください」
言葉に従い、クローバーをじっと見ると。
「あっ!」
珍しい。というか初めて見た。
六つ葉のクローバーだ。
「ここではよく珍しい枚数のクローバーが見つかるのです」
「六つ葉のクローバーなんて存在するのですね」
「ええ、五つ葉のクローバーも見つけたことがありますよ」
「そうなのですね……」
これはもう驚きだ。
そこで二つ葉のクローバーのことを思い出す。
「フェリックス殿下、二つ葉のクローバーはとても珍しいものと思います。今回の練習で意中の令嬢に大切な贈り物を同封するということで封筒に入れられていたと思うのですが、それはよく理解できたので、お返ししますね」
レティキュールに伸ばそうとした手を、フェリックス殿下が制するように優しくつかんだ。
驚いてその顔を見ると。
……!
思わず息を飲む。
碧い瞳を輝かせ、少し頬を赤くしたフェリックス殿下は途方もない優美さだ。
「あれは……あなたがお持ちください。花言葉を知らないわたしですが、クローバーに込められた言葉は知っているので」
「クローバーにも花言葉があるのですか?」
「ええ。枚数に合わせて。今見つけた六つ葉のクローバーは『地位』や『名誉』を現すそうですよ」
「そうなのですね……」
クローバーにも花言葉があったのか。
しかも枚数により花言葉があったなんて。
これは私が知らないことだったので驚いてしまう。
二つ葉のクローバーは何を意味するのか気になるが。
この場でフェリックス殿下が言わないということは……。
自分で調べた方が、面白みがあるということだろう。
いずれであれ、二つ葉のクローバーは私にプレゼントしてくれたのだ。
「フェリックス殿下、二つ葉のクローバーの栞、ありがとうございます。貴重なものなのにいただいてしまい、恐縮です」
「そんなにかしこまらないでください、ウィンクラー伯爵令嬢。花言葉辞典をプレゼントいただいた御礼です」
御礼……。その御礼として既に素敵な画集をプレゼントされているのに。
でも、これは気持ちの問題だ。
「ありがとうございます。大切にします」
この時のフェリックス殿下の笑顔もまた実に秀麗で……。
彼からこの笑顔を向けられる令嬢は、それだけでもう幸せになれることだろう。
10:机上の空論
「さて、ウィンクラー伯爵令嬢」
再びフェリックス殿下が立ち止まった。
ふと辺りを見渡し、気づく。
「これは……手紙に書かれていたユリですね」
「はい。見頃ですよね。全部で56本。でも今朝確認したら、1本花が落ちていたので、55本ですね」
その言葉に思わず笑ってしまった。
フェリックス殿下の手紙。
それが報告書のように感じたのは数値データが示されていたからだ。
ユリについては、植えられている株数は70株あり、開花しているのは56本と、報告されていたのだ。
でも実際に現場にこうやって案内してもらえると。
報告書風だったことは気にならなくなっていた。
美しく咲き誇ったユリのエリアを過ぎるとガゼボ(東屋)が見えてきた。
ガゼボには鮮やかなオレンジ色のノウゼンカズラが沢山咲いており、夏空の蒼さにとても映えている。
「……!」
この濃厚で食欲をそそるこの香りは……。
フェリックス殿下に案内されガゼボに着くと。
そこにはスイーツではなく、軽食が用意されている。
卵料理、揚げたポテト、ペンネなど、そのすべてにたっぷりのトリュフがふりかけられている。
「さっき運ばせたばかりの出来立ての料理です。手紙で書いていたサマートリュフ。ウィンクラー伯爵令嬢にも味わっていただきたいと思って」
「そうだったのですね」
「まずは召し上がってみてください」
ガゼボの中に用意されていた椅子に座り、早速用意されていた料理をいただくと……。
美味しい。トリュフの香りがどの料理にも合っていて、食欲が促進される。
「それでウィンクラー伯爵令嬢、僕の手紙ですが、紙質の良さ、文字の美しさ、クローバーの栞などを褒めていただきましたが、肝心の内容はどうでしたか?」
「あの手紙は……今日を満喫して完成なのですね? 一読するとまるで報告書のようでした。でもそれはわざとそうしていたのですね。実際に手紙に書かれていたものを見せ、食べてもらうことであの手紙は完結する。今日という日がないのであれば、本当はユリの花の美しさを詳細に伝え、庭園へ行くことを誘う文章を書くつもりだった。トリュフの香りを表現し、一緒に食べることを提案するつもりでいた。……ということですね?」
フェリックス殿下は嬉しそうに頷く。
その笑顔の美しさと言ったらもう……。
ガゼボには屋根があるので日陰になっているのに。
陽射しが差し込んだかのように、彼の笑顔の周囲が輝いて見える。
「……フェリックス殿下、完璧です。女性の扱いについて、もう悩みはないのでは?」
ハッとした表情のフェリックス殿下は慌てて首を振る。
「いえ、そんなことはありません。ウィンクラー伯爵令嬢と沢山話すことはできました。でもどれも言わば机上の空論。まだ実践経験がないのですから、うまくできるか自信がありません……」
自信がない……?
今日の庭園の散歩、ガゼボに用意された料理、手紙と連動したトーク。そのどれをとっても完璧としか思えないのに。
でも確かに実践を積みたいという気持ちはよくわかる。
「机上の空論。実践経験がない。それは……確かにそうですね。ではいくつか試してみますか?」
「よろしいのですか……!」
フェリックス殿下の碧い瞳が輝いた。
ここはガゼボで陽射しは届いていないはずなのに。
フェリックス殿下の碧い瞳がキラキラしているように感じる。
瞳を輝かせたフェリックス殿下は、明日はティータイムの時間ではなく、街でのデートの練習を提案された。さらに一週間後に予定されている宮殿で開催される舞踏会への招待状もその場で渡された。
「ウィンクラー伯爵には既に招待状を渡してあります。ですがこれは、わたしがウィンクラー伯爵令嬢を直接招待する意味で渡している招待状です」
「分かりました。舞踏会が令嬢との出会いの場としては一番大きいですからね。そして間もなく舞踏会シーズンになりますから。その前にいろいろ練習できるのはいいと思います。……でも舞踏会でしたら、フェリックス殿下も沢山参加されていますよね……?」
恋愛に関するノウハウは十分に学べたかもしれない。
でも実践経験はまだないので、実際に練習をしたいというのは理解できた。
だが舞踏会……?
舞踏会はフェリックス殿下も公務で沢山出席されている。
なぜなら王族は公務の一つとして舞踏会を主催し、参加することも多い。いくら誘拐や暗殺を恐れているとはいえ、舞踏会にはフェリックス殿下も参加している。私自身はツイード国に移住してから舞踏会は2回しか行っていない。でもその2回ともで、王太子がいらっしゃると聞いていた。その時は王太子への関心はなかったので、わざわざその姿を確認しに行ったわけではないが。
「そ、それはその通りです。……ただ、その時は外交であったり、政治的な意味合いが強かったりで……。それに婚約者がいましたから。舞踏会で令嬢と交流する機会はほぼなかったのです。無論、ダンスは踊りますが、それも公務ですから。私情は挟まず、指示された相手と一曲踊り、その後は外交に勤しむという感じでした」
フェリックス殿下は実に分かりやすく、かつリアリティを感じさせる説明をしてくれる。その時の様子が目に浮かぶぐらいだ。確かに立場が立場なので、舞踏会で令嬢とおしゃべりに興じるわけにもいかなかったのか。
何より、フェリックス殿下はつい最近まで婚約者もいたのだ。ツイード国には側妃や妾を許しているわけではないから、上流貴族の人々も自分の娘を彼に積極的には紹介しなかったのだろう。今は……婚約者はいないから話は別だろうが。
「ともかく舞踏会はぜひいらしてください。そしてまずは街への買い物。レストランの食事もお願いしたいです。あとは……」
「フェリックス殿下は政務がお忙しいのでは? 大丈夫ですか?」
一瞬何を言われたのかときょとんとした顔をしていたフェリックス殿下は、私の言葉の意味を理解し、じわじわと表情が変わる。
11:あくまで練習相手
「ウィンクラー伯爵令嬢、それは心配に及びません。それに婚約者を、妃を決めるのはわたしに課せられている大きな公務の一つでもあるのですから」
それは……確かにその通りだ。
「それを聞いて安心しました。では明日もよろしくお願いいたします」
「ええ。こちらこそ、ウィンクラー伯爵令嬢、明日もよろしくお願いいたします」
こうしてこの日も無事、フェリックス殿下の話し相手を終えることができた。
屋敷に戻り、夕食の席で明日、フェリックス殿下と街を散策し、デートの練習をすることになったと両親に伝えると……。
「そうか。確かに机上の空論では意味がない。練習をしたい。フェリックス殿下がそれを望むなら応えていいのではないか」
そうしみじみと呟いた父親は母親に「たまにはわたし達もデートでもするか」と声をかけ、母親は顔を赤くしながらも「そうですね」と微笑んでいる。
悪役令嬢エリーゼの両親は夫婦仲がすこぶるよかった。
デートで盛り上がる両親を見ていると。
殿下から本当にデートに誘われる令嬢はさぞ幸せなことだろうと思えた。きっとその令嬢は、前日の夜から胸を高鳴らせ眠りにつく――。
私は……あくまで練習相手。
まだお互いを深く知らない相手とは何を話すといいか。沈黙できそうな時にするといい話。令嬢が興味を持ちやすい話など、フェリックス殿下にはいくつもアドバイスしている。彼は明日、それを実践するつもりなのだろう。
しっかり練習相手として励まなければ。
こうして眠りについた。
◇
正直。
街での練習デートで、フェリックス殿下は完璧だった。
沢山の護衛を引き連れる形になった街での買い物デートや食事デート……デートと思われないよう、殿下の妹君フィオナ様も同行した……でも、フェリックス殿下は問題なく振舞っていた。
混雑している場所ではちゃんと手をとり、はぐれないようにする。馬車道側を自身が歩くようにし、足が疲れていないか確認する。適度なトイレ休憩の提案、事前のお店の下調べなど、もう文句のつけようがない。
歩いている時の会話も、沈黙はなく、こちらがアドバイスしたテーマでよどみなく話している。
それだけではない。
手紙の交換。
私が書いたオペラの詳細過ぎる感想てんこ盛り、そして突然のエクレア賛歌の手紙に対する返信も……完璧なもの。
フェリックス殿下は、私の困った令嬢を再現した手紙を、意中の令嬢からの手紙と想定したようだ。そう想定したものの。手紙の内容は返信に苦しむものだ。執拗なオペラ愛と唐突なエクレアへの偏愛が綴られているのだから。
でも好きな相手からの手紙なのだ。なんとか返信を書き、軌道修正したい。そのために全身全霊で返事を書いたと伝わる手紙だった。
それはこんな感じだ。
オペラの感想は詳しいが、ここまで書かれていると私をオペラに誘う口実が作れず困ってしまう。だから次回はそこまで詳しい感想ではなく、サラリと感想を教えて欲しい、そして自分からオペラ観劇を誘わせて欲しいと書かれていたのだ。
こんな返信をもらえば令嬢は有頂天だろうし、絶対に誘って欲しいと考えるから、オペラの感想はもう詳しく書かないだろう。
さらにエクレアについては。忙しいと手紙の返信をじっくり書く時間をとれないので、一つのテーマで書かれた短い手紙の方が嬉しいと書かれていた。
つまりエクレアについては別の手紙でもらえれば、オペラに関する手紙の返事をすぐに書けるからと、やんわり分割案を提案しているのだ。
手紙は二通になるが、どちらも短いもので構わない、かつそうすればすぐに返事を書けるとなれば……。令嬢は間違いなく、意味不明で二つの内容を盛り込んだ手紙は書かないだろう。それにだらだら長いものにせず、短めの手紙を二通送るはずだ。
さらに王宮ではとても美味しいエクレアを用意できるので、今度一緒に楽しみましょうと書かれているのだから……。
間違いない。手紙のやりとりについても完璧だった。
手紙もデートも。私がアドバイスしたこともすべて実践できていたし、それ以上のこともできている。もはや私の役目も終わった。そんな気持ちになっていた。
だから。
父親に打ち明けた。
「お父様。私の役目はもう終わりかと思います。実践を踏まえた練習でも、フェリックス殿下は完璧に振舞われました。もう私が教えることはないと思います。明後日の舞踏会が終わったら、私から殿下にこのことを伝えてもいいでしょうか? 『もう私から教えることはないので、お役目御免にしていただけないでしょうか』と。そして『私に使っていた時間を、新たな婚約者探しと新しい婚約者とのお時間にお使いください』そうお伝えしようと思うのですが」
フェリックス殿下とどのような会話をし、実践を踏まえた練習デートがどんなものだったかを、父親に逐次報告していた。だから私がこれ以上教えるべきことがないことは、父親も当然気づいている。
「エリーゼ、よくがんばったね。私もエリーゼの言う通りだと思う。私から国王陛下には先に報告をあげておこう。国王陛下からも承諾いただけたら、舞踏会でフェリックス殿下に今言ったことを伝えるといいだろう」
「分かりました、お父様」
夕食の席でこう伝えたのだが……。
あと2日で自分の役目が終わる……そう思うと、残念に思う気持ちが当然沸いてきた。
フェリックス殿下は婚約破棄をされた過去を持つわけだが。どう考えてもそんなことを気にしないでいい、とても素晴らしい男性だった。そんな異性と短期集中で毎日のように会っていたのだ。それは例え話し相手や練習相手だったとしても。素敵な異性と会話し、行動を共にできるのだから、生きる活力を毎日与えてもらっていたようなもの。それがなくなるのだ。脱力しそうになっても仕方がない。
それに。
フェリックス殿下がくれた二つ葉のクローバー。
花言葉を調べたがそれは「素晴らしい出会い」だった。
確かに殿下の話し相手となり、出会ってから過ごした日々は、素晴らしいに尽きるもの。彼と話し、エスコートされ、デートの練習相手となり、夢のような時間を過ごせた。本当に一生に一度の素晴らしい出会いだったと思う。それを思えば本当に。この出会いもこれで終わるのかと思うと寂しくなる。
何よりこれでまた、断罪終了後の元悪役令嬢で暇人に戻るのだ。
フェリックス殿下の妹君のフィオナ様はとても可愛らしく、デート練習のカモフラージュで同行された時に話したが、意気投合できたと思う。
……彼女の話し相手として、次も雇ってくれないかな。
そんなことを考えながら、寝るための準備を進めた。
12:これが乙女ゲームの舞踏会
ついに舞踏会の日がやってきた。
父親は既に国王陛下と話し、私がお役目御免になる許可は得ている。ただ、それはフェリックス殿下本人が承諾したならば、という条件付きではあるが。
無論、本人の承諾なしで、とんずらするつもりなどない。
今日の舞踏会で確認し、そして……。
本人だって分かっていると思う。
ただ、フェリックス殿下は優しい。だから自分から私に対し、「もう話し相手も練習も十分です」とは言うことないはず。そこに甘え、宮殿に居座るつもりはない。役目を果たしたなら、とっと退散。そして殿下は新たな婚約者を迎え、ハッピーエンドだ。
ということで。
フェリックス殿下と話すのもきっとこれが最後だろう。
そして華やかな舞踏会に足を運ぶのも……これで最後とは言わないが、まあ、そうそう運ぶことはないと思うのだ。
だから。
せっかくなので、着る機会のなかった素敵なドレスに袖を通すことにした。
このドレス、色はローズピンク。そして本物と見違えるような立体的な薔薇が、袖とスカートに飾られている。さらにシルク・オーガンジーの生地は、エアリーで実に素晴らしい。この可憐なドレスに合わせ、つけたイヤリングとネックレスと髪飾りは……。
ピンクダイヤモンド。
シャンデリアの光を受け、とんでもなくキラキラしている。
悪役令嬢をバリバリしていた時に、このアクセサリーを好んでつけていたようだが。今は何せ舞踏会にもいかないので。クローゼットのアクセサリー置き場にずっと鎮座したままだった。メイが掃除をしてくれるので、埃こそ被っていないが。もし掃除をしていなければ、こんもり埃を被っていたことだろう。
ともかく、これらを身に着けると。
姿見に映る自分はとっても上品な女性に見える。フェリックス殿下に見せる最後の姿がこれだったら。きっと私は彼の中で好意印象な女性として記憶に残るだろう。
「はぁ~、エリーゼ様、本当にお美しい! さすがリース国では一番の美姫と言われただけありますね」
メイに褒められ、ご機嫌で部屋を出る。
今日の舞踏会には両親も招待されているので、三人で馬車に乗り、宮殿へと向かう。
宮殿へ着くと、エントランスは大混雑だ。
今日の宮殿の舞踏会の主催者は国王陛下夫妻。
舞踏会シーズンの開幕を祝う意味での舞踏家でもあるため、当然、招待客の人数も多い。沢山の馬車がエントランスに横づけされ、着飾った貴族達が次から次へと馬車から降りてくる。
この事態に私は……少し焦る。
これだけの貴族がいては、フェリックス殿下との会話など無理なのではないかと。
フェリックス殿下は現在、婚約者がいない。
その一方で、この国の貴族で妙齢の娘を持つ者は、我が娘を王太子の妃にと思っている。そうなると我先にとフェリックス殿下に群がるはず……。
多分、無理だ。
フェリックス殿下とは話せない。
それならば……。
今日、私からお役目御免を申し出なければ。明日は普通にティータイムでフェリックス殿下の元を訪れることになっていた。そこで話せばいい。
明日、もう一度フェリックス殿下と顔を合わせる。
そう思った瞬間、言い知れぬ喜びに心が躍った。
いや、そんな風に思うなんて、おかしいわよ、私。明日、会ったとしても、そこでお役目御免の件を話すだけなのだから。
そんなことを思いながら、両親と共に舞踏会の会場となるホールへ向かう。
ホールの入口が見えた瞬間。
「わぁぁぁ」
思わず感嘆の声が漏れてしまう。
もう、本当に、これは感動。
豪華絢爛。
何もかもが。
ホールを照らすゴージャスなシャンデリア。
彩り豊かな天井画。調度品や柱は金色でピカピカ。
ホールを埋め尽くす高価そうな衣装をまとった紳士淑女。
これが、乙女ゲームのリアルな舞踏会……!
自分の中の記憶では、沢山の舞踏会に参加したことを覚えているのだが。その時、まだ覚醒していない私は、その記憶がどこか他人事に感じてしまう。だから今、目の前に広がるこの華やかな世界に心から酔いしれてしまう。
舞踏会が始まると。
バルコニーに国王陛下夫妻とフェリックス殿下、フィオナ様が現れた。
今日の殿下は……。
白シャツに濃紺のタイ、シルクサテンの濃紺のベスト、晴れやかな青空のような上衣に、白のズボン。瞳は深みのある碧、高い鼻に、女性のように美しい唇。襟足の長いプラチナブロンドは実に優雅だ。何よりもサラサラと揺れる前髪がとても素敵。均整のとれた体をしており、立ち居振る舞いも実に優美に見える。
完璧だった。
彼の登場で女性から一斉にため息が漏れたのが聞こえる。
すぐに軽やかな音楽と共に舞踏会がスタートすると。
もうそれは大変。
踊る人もいれば、社交に勤しむ人、男女が知り合おうと恋の駆け引きを始め……。
両親も仕事関係の知り合いを次々と私に紹介してくれる。
私が滅多に舞踏会に顔を出さないので、皆、私を知らない。だからいくらでも私を紹介する相手がいる。
ということで一時間半ぐらいは両親に紹介された相手に挨拶し、時にダンスをし、息子の嫁にと請われたりして過ごした。
13:それ以上の言葉が出てこない。
かつてない程、よく話し、ダンスをしたので、休憩をとりたくなっていた。そこで私は母親に声をかける。
「お母様、少し疲れたので、飲み物をいただいて、テラスで休憩してもいいですか?」
「ええ、勿論よ。はぐれたらエントランスのベンチにいなさい。探しに行きますから」
「はい」と返事をした私は両親のそばを離れ、軽食や飲み物が用意されている部屋へ向かった。そこにはフェリックス殿下とのティータイムにも登場した、美味しそうなスイーツや軽食がズラリと並んでいる。
改めてあのティータイムで食べることができたものが、貴重なものだったと気づく。なにせ王宮や宮殿で働く調理人が作ったものなのだ。市販はされていないし、王宮や宮殿に招かれないと口にすることはできないのだから。
からっと揚げた生地の中に、カスタードクリームや生クリーム、チョコレートクリームなどそれぞれが入ったスティック状のお菓子をお皿に載せ、レモンスカッシュの入ったグラスを手にテラスに出た。
そのまま中庭につながるこの辺りにも、沢山の人がいる。
私のように一人休憩をとる人もいれば、男女でなんだかいい感じの雰囲気の二人というのも見かけられた。
用意されていたハイテーブルにお皿とグラスを置き、夜空を眺める。
フェリックス殿下は今頃どうしているのだろう。
私でさえ、これだけ沢山の人と会い、ダンスをしたのだ。
殿下はその比ではないだろう。
でも彼なら問題ない。間違いなく、話し相手を虜にし、気に入られているはずだ。
「ウィンクラー伯爵令嬢」
思わず、心臓が跳び上がるほど驚いてしまった。
そして振り返って、名を呼ばれた以上の衝撃で固まる。
「な、な、な、なぜ……」
それ以上の言葉が出てこない。
目の前にいる人物が、現実にそこにいるとは思えず、夢でも見ているのかと頭の中が混乱している。だってそこには本来この国にいるはずのない人物がいるのだから。
私に声をかけた人物。
それはリース国の宰相の息子アルトゥロ・デ・オルテガ!
私を断罪し、国外追放を言い渡した張本人であり、乙女ゲーム『絶対幸せ』の攻略対象の一人だ。
なぜ、彼がここに?
外交で来ていたの……?
え、待って。
なぜ、私が伯爵家の令嬢になったと知っているの?
頭の中は疑問でぐるぐるだったが、アルトゥロは……。
「エリーゼ、君を疑ってすまなかった。みんな、クララに騙されていた。彼女の化けの皮が暴かれたんだよ。クララは魔女に頼み、君やみんなの記憶を書き換えていた。みんな、クララがエリーゼにいじめられたと思っていた。でもそれは違う。いじめていたのはクララの方だった。君がクララにずっと嫌がらせを受けていたんだ。それなのに僕は……。クララに記憶を操られていたとはいえ、君を断罪し、国外追放にしてしまった。本当にすまない、エリーゼ!」
ここにきてクララ……『絶対幸せ』のヒロインの名を聞くとは。それに幾つものとんでもない情報が耳に飛び込んできたのだが。しかもいきなりアルトゥロに抱きしめられ……。
思わず私は悲鳴を上げてしまった。
「君、ウィンクラー伯爵令嬢から離れたまえ」
この凛とした声は……!
「うるさい! 邪魔をするな。僕はリース国の宰相の息子アルトゥロ・デ・オルテガだぞ!」
「これは、これは。オルテガ家のご子息だったとは。まさか宰相の嫡男ともあろう方が突然女性を抱きしめるとは思わず、失礼いたしました」
この一言にアルトゥロはひるみ、私から離れた。
リース国の宰相の息子としての品格を問われる一言に、アルトゥロがたじろいだのだ。
「……貴様、偉そうに何様のつもりだ? それに彼女は、本当は僕と婚約するはずだったんだ!」
「はずだった、のですよね? つまりは過去形。今は婚約されていない。婚約者でもない女性にいきなり抱きつくとは……。あのリース国を代表する宰相の嫡男がする行為とは思えず、驚くばかりですが」
アルトゥロは今にも噛みつきそうな顔をしているが、自分が非常識なことをしたとは分かっている。だから何も言えず青ざめている。
だが……。
「そんな口の利き方をするお前こそ、何者なんだ! こちらに名乗らせておいて、自分は名乗らずか?」
「それは失礼しました。先程、一瞬ではありますが、ご挨拶させていただきましたが……あまりにも一瞬でしたので、覚えていただけなかったようですね」
その言葉にアルトゥロが「あっ」と小さく叫ぶ。
頭に血がのぼっていたが、どうやら思い出したようだ。
「ま、まさか……」
「わたしはこの国の王太子フェリックス・ハインリッヒ・フォン・ローレーヌです、オルテガ様」
フェリックス殿下は右手を自身の胸に添え、優雅にお辞儀する。その姿の美しさ、所作の優美さに、アルトゥロは目を丸くしていた。
「オルテガ様は、ウィンクラー伯爵令嬢に最後に会われたのはいつですか?」
あまりにも秀麗な笑みと共に問われ、アルトゥロは完全に怖気づいて、消え入りそうな声で答える。
「い、一年ほど前に……」
「一年、ですか。三日や一週間前ではない。一年です。その間にウィンクラー伯爵令嬢を取り巻く環境は、激変しています。そして覆水盆に返らずという言葉が示す通り、彼女はもう後戻りをするつもりはない。だから急に抱きしめたあなたに対し、悲鳴をあげたのでは?」
アルトゥロは反論しようとして口を開けたが、それを一度閉じ、私を見た。
14:間違いなくイケメンだが
アルトゥロは……攻略対象の一人だ。
間違いなくイケメンだ。
後ろで一本に束ねられた深緑色の長い髪に、知的な眼鏡の奥で輝く、淡いグリーンの瞳。長身で色白で、黒のテールコート姿もすらりとしてよく似合っている。
でも今の彼の表情は凍り付き、まるでリース国で見ていた時とは別人に感じてしまう。
「エリーゼ、君は……僕のことを……嫌いになってしまったのか?」
何を今さら……としか思えない。
卒業式を祝う舞踏会という大勢がいる場で断罪しておいて。しかも国外追放にしておいて。それでも私が自分のことを好きだと思ったの? クララに記憶を書き換えられていたと言えば、断罪したことも国外追放も許し、「私もあなたが好き」とでも言うと思ったのだろうか?
信じられない。
「残念ながら、オルテガ様。あなたに断罪され、国から追放されたことで、私だけではありません。家族全員、召使い達も辛い思いをしました。断罪をなかったことになんて、できません」
アルトゥロは、まさに背景に「がーん」という言葉が浮かびそうなほど打ちのめされた顔になっているが。ここで同情しては勘違いされてしまう。いくらショックを受けていようが、手を差し伸べるつもりはない。
「ウィンクラー伯爵令嬢の気持ちを、あなたもこれでよく分かったはずです。あなたは彼女から求められていない。それに」
フェリックス殿下がツカツカと私の方へと歩み寄る。
その所作から感じられる気品に息を飲む。
「ウィンクラー伯爵令嬢」
フェリックス殿下が神々しい笑顔を浮かべ、私の手を取った。
「わたしは今日、この舞踏会で、あなたにプロポーズするつもりです。ここ数週間。あなたと毎日のように過ごし、自分の気持ちを包み隠さず見せてきました。あなたはわたしの悩みに応え、的確なアドバイスをしてくれましたよね。わたしに寄り添ってくださいました。とても嬉しかったです。どうか、わたしの婚約者になってください。わたしの気持ちにイエスと答えてください。あなたを、あなただけを愛する許可を、わたしにください」
そう言ったフェリックス殿下が私の手をそのまま持ち上げると、甲へとキスをした。突然の事態に私が呆然としていると。
「き、貴様、人が婚約者と考えている女性に何を」
突然のフェリックス殿下のプロポーズに、私が何も答えないので、アルトゥロが勝手に元気を取り戻していた。それに気づいたので、咄嗟に私は……。
「ええ、フェリックス殿下。あなたからのプロポーズ、謹んでお受けいたします。殿下と過ごした日々。それは私にとっても夢のような日々でした。あなたが私を愛することを許可するだなんて。私こそ、殿下を愛してもいいのでしょうか?」
「勿論です、ウィンクラー伯爵令嬢。あなたにこの身を捧げます」
フェリックス殿下がゆったりと私の手を、自分の方へ引き寄せた。私の体は殿下の腕の中にすっぽりと収まった。
「な、なんなんだ、この茶番は! くそっ!」
アルトゥロは、せっかくのイケメンが台無しになる言葉を吐き捨てるように言うと、この場から去って行った。その姿を見送り、全身から力が抜ける。
アルトゥロがいなくなったことに安堵し、思わずその胸に完全に身を預けたが。相手が誰であったかを思い出す。
な、なんてことをしているの、私!
慌てて離れようとすると、まるで離すまいとするかのように、抱きしめられた。
!?
驚きながら、なんとか口を開く。
「フェリックス殿下、窮地を救ってくださり、ありがとうございます。おかげでオルテガ様は退散してくれました。もう、離していただいて大丈夫です」
すると。
「せっかく君を抱きしめることが出来たのです。もう少しこうさせてください」
「?? ?? ?? ?? ??」
頭の中が混乱する。
私はリース国の宰相の嫡男に迫られていた。その窮地を救ってくれたのはフェリックス殿下だった。咄嗟の演技で、プロポーズまで披露してくれた。恐れ多いことだ。だが、こうでもしてくれないと、アルトゥロは収まらなかっただろう。
さすがに相手が小国とはいえ。王太子の婚約者への横恋慕は許されない。
そのための演技のプロポーズをしてくれたと理解している。でももうアルトゥロは退散した。むしろこんな風に抱きしめていたら、本当に誤解されてしまう。本気でプロポーズしたのではないかと。
「フェリックス殿下」
「なんでしょうか、ウィンクラー伯爵令嬢。……いえ、もうエリーゼとお呼びしても?」
「?? ?? ?? ?? ??」
フェリックス殿下は再び私の手を持つと、「チュッ」と音を立て甲へキスをしている。その優雅な仕草に心臓が爆発寸前になっているが、必死に状況を理解しようと努める。
もしやまだ、どこかに隠れてアルトゥロが見ているのだろうか? つまり演技続行が必要な状態……であるとか? その可能性は……なきにしもあらずだ。それならばまだこうしていた方がいいだろう。
いいのかもしれないが……。
既に腕の中で抱きしめられている状態。その上で手の甲にキスを繰り返す必要はないと思うのだ。しかも今、名前で呼んでいいかと尋ねていなかったか?
15:まさかと思い、確認すると……
名前で呼んで欲しいとフェリックス殿下に言われた気がした。まさかと思い、確認のため、顔を上げると……。
深みのある碧い瞳と目があった。改めて見ても、本当に美しい瞳。室内からテラスに届く明かりで、その瞳はキラキラと輝いている。思わず見惚れそうになると。
「エリーゼもわたしのことはフェリックスと呼んでください」
「えっ……」
驚いて固まる私を、フェリックス殿下はさらにぎゅっと抱きしめる。
「初めてエリーゼを見かけたのは、あなたがこの国にきて間もない時の舞踏会でした。父上は……国王陛下は、エリーゼの父君の人となりを見極めるため、わたしによく観察するようにと命じました。国王陛下と謁見している時は、猫を被るかもしれない。でも舞踏会の場でお酒もはいれば、素の姿が見える。この国に迎えて間違いがない人物であるか判断するため、観察するよう命じたのです」
国王陛下はそんなことを命じていたの?
でもとても素晴らしい方だと思う。外聞に惑わされず、ちゃんと相手を見て判断しようとしているのだから。
「エリーゼの父君は人徳者でした。観察した限り、問題ない。そう判断できたのです。同時に。わたしはエリーゼ、あなたのことも観察していました。その舞踏会の最中、あなたはご自身の父君のそばにずっといましたから。自然と目に入ります。あなたは……とても慎ましやかで謙虚な女性にしか見えませんでした。リース国で噂されていた悪女には、とても見えませんでした」
フェリックス殿下は私を抱きしめたまま、優しく話をしている。私は驚きでその話を聞くことしかできない。
「エリーゼの父君については、わたしも国王陛下も問題なしと判断し、宮殿で事務官として働くことを許可しました。一方のわたしは……。舞踏会で見たあなたのことを、忘れられなくなっていました。でもわたしには婚約者もいますし、あなたはそれ以降、舞踏会には姿を現さない。報われることのない想い。そう考え、諦めようと思いました。でもようやく再びあなたの姿を舞踏会で見かけ……。初めて見た時と変わらないその様子に、心が惹かれました」
今語られていることは事実なのだろうか? それともまだ近くにいるかもしれないアルトゥロを牽制するために、言っているのだろうか……?
「あなたへの想いは募るばかりでした。話してみたい、わたしにその笑顔を向けてほしいと心は千々時に乱れるばかり。それでもわたしには婚約者がいます。どうにもできない……。そう思っていたのですが。思いがけない婚約破棄の申し出に、わたしの心は踊りました。早速、父上に相談すると……。王太子の婚約者を一目惚れで決めるわけにはいかない。じっくりエリーゼの人となりを見る必要があると言われました」
とてもリアリティのある話で、作り話には思えず、既に興味深い気持ちとドキドキする気持ちで、フェリックス殿下の話を聞いてしまっている。もはやアルトゥロのことなど、どうでもいい状態だ。
「……正直、隣国の婚約者なんて、そんな人となりとは関係なく選ばれたと思うので、父上の言い分には納得できないものもありました。でもそこに文句を言うよりも。エリーゼの人となりを見て、父上を、国王陛下を納得させた方が建設的だと思いました」
そこでフェリックス殿下は私を抱きしめる腕に力を込めた。
「わたしはエリーゼの存在に気づき、想いを募らせていましたが、エリーゼは……。わたしに気が付いていない可能性が高い。それなのにいきなりプロポーズしたら……。立場的に断りにくいでしょう。嫌々ながら応じることになっては、そう簡単に好きになってもらうことはできないでしょう。それに断られる可能性だってゼロではありません。どちらの事態も避けたい。そう思い、わたしの話し相手になってほしいという提案を思いついたのです。これには父上も、国王陛下も快諾し、あなたの父君に話をつけてくれました」
そう……だったの? 女性慣れしていないから、私を話し相手に選んだのではないの?
「あなたがこの提案を受け入れたと聞いた時は、天にも昇る気持ちでした。今日までの毎日。そう。エリーゼと毎日会い、話すことができ、本当に幸せで……。そしてわたしに問題などない、完璧であると、エリーゼ自身からお墨付きをもらえたと知り……。もうプロポーズするならこの舞踏会でと心に決めていたのですが。あまりにも沢山の貴族達に囲まれ、エリーゼに会えないまま時間が過ぎ……。とても焦りました。勿論、明日、会うことができます。そこでプロポーズもできると分かっていたのですが……」
フェリックス殿下の両手が私の顔を優しく包み込んだ。
碧い瞳が私を見つめ、その美しい瞳には私が映っている。
「あなたがテラスの方に向かったと、護衛についている騎士から聞き、チャンスは今しかないと思いました。あなたの悲鳴が聞こえた時は、何事かと気が気ではありませんでした。……間に合ってよかったです」
「フェリックス殿下は……私の窮地を救うため、咄嗟の演技でプロポーズをされたわけではないのですね……?」
今の言葉に心底驚いたようで、フェリックス殿下の美しい瞳は大きく見開かれている。
16:自分の気持ちに気づく
咄嗟の演技のためにプロポーズしたのではと私が問うと、フェリックス殿下は大いに驚き、すぐに否定した。
「演技でプロポーズなんてしませんよ。とはいっても、ずっとデートの練習をしていましたからね。このプロポーズも練習、演技と思われても仕方ないかもしれません。でもエリーゼ、わたしはこれまでのデートを練習と称していましたが……あなたと食事をし、街を散策している時。わたしは本物のデート気分でした。だが何も知らないあなたは、あくまで練習と思っていたのでしょう。それは仕方ありません。本気の気持ちであると、改めて伝えましょう……もう一度、プロポーズをやり直しましょうか?」
これには私が驚いてしまう。プロポーズのやり直し!? それをフェリックス殿下にやらせるなんて……。まさか、ありえない。
「そんな、やり直しなんて、必要ありません。……私はその、咄嗟の演技だと思ってしまいましたが、そうではなかったのですね」
「ええ。先程の言葉は間違いなくわたしの本心です。そしてエリーゼ、あなたも本心でしょう?」
思わずドキッとしてしまう。
なぜ、本心と言い切れるの……?
「エリーゼ、本心ではなかったのですか?」
「私は……」
慌てて見上げたフェリックス殿下と目が合った。
父親からフェリックス殿下との話し相手の提案を受けた時。殿下の婚約者に自分はならないから、話し相手に選ばれたのだと思っていた。
「私は……フェリックス殿下の話し相手です。そして恋愛に関するアドバイスをしていました。その私が殿下に……」
「わたしは本を沢山読み、息抜きで恋愛小説も読んでいます。恋愛相談をしているうちに、その異性を好きになる……それは珍しいことではないのでは?」
「……!」
フェリックス殿下が月のような穏やかな笑みを浮かべる。
「わたしはエリーゼのことが好きで、こうなるように仕向けました。ズルをしたのですが。エリーゼはわたしと過ごす中で、わたしに好意を持つ瞬間はありませんでしたか? 少しはドキッとしてくれる瞬間はありませんでしたか? わたしにお墨付きをだし、もう会うことはなくなると考えた時、寂しいとは思いませんでしたか?」
今の3つのクエスチョンに対する答えは……。すべてイエスだった。
フェリックス殿下と過ごす日々の中で、殿下のことを好ましく思い、胸をときめかせる瞬間は何度もあった。もう会えなくなると分かった時、言い知れない寂しさに襲われていた。
「フェリックス殿下の指摘の通りです……。自覚していなかった。いえ、自覚しないようにしていました。好きになってはいけないと、思っていたのだと思います」
「好きになってください、わたしのことを、エリーゼ」
ぎゅっと抱きしめられた瞬間。
ああ、本当に。
これは夢ではなく、練習でもなく、現実で。
お互いの本当の気持ちだったのだと実感できた。
フェリックス殿下の話し相手をしていた時。
私からの評価を気にしたり、私の言葉に一喜一憂していることを不思議に感じていたが。その謎もすべて解けた。私に好意を持っていたのだ。私に会えて話せて嬉しいが、私はあくまで客観的に恋愛に関するアドバイスをしていた。私に向けてくれる関心を、練習だと思い、スルーしていたのだ。きっと殿下からしたら、もどかしいことだっただろう。
でも今こうして、私はフェリックス殿下の気持ちを知り、そして……自分の気持ちにも気づいた。本当は私も殿下が好きだったことに。好きになってはいけない相手と、自分の気持ちに蓋をしていたことに。
●エピローグ
フェリックス殿下と私の婚約は電撃的に発表され、多くの貴族が驚くことになった。
だが殿下は一度婚約破棄され、辛いを想いをしている。真実の愛に出会えたなら、それを祝うべきではないか、という風潮は国民から起きてくれた。
国というのは、多くの民に支えられている。
その民が認めたのだ。
いくら力のある貴族でも、国民の反感を買えば、それこそ反乱だって起きかねない。
それに私の父親が国民のために行った施策はとても高く評価されていた。それも後押しとなり、殿下と私の婚約は、娘を王太子妃にと望んでいた貴族達からも受け入れてもらえることになった。
こうして私はフェリックス殿下の婚約者として、1年後の結婚式に向け、妃教育に取り組む日々を送っている。
断罪終了後に自分が悪役令嬢であると覚醒し、既に国外追放と分かった時は、本当に衝撃的だったが……。しかもヒロインであるクララをいじめた記憶がごっそりないと思ったら、私は本当に何もしていなかった。むしろ嫌がらせを受けていたのが私だったなんて。
これは私の推測なのだけど。
ハッキリと覚醒したのは断罪終了後だった。でも覚醒以前のエリーゼ・マリア・ウィンクラーという人格は、きっと前世の私の気質が反映されていたのだと思う。つまり、性格的に女王様として君臨するタイプではなかったし、いじめをするタイプでもなかった。だから素敵な攻略対象達にも、ぐいぐい何かすることもなく、普通に楽しく学園生活を送っていたのだと思う。
でもヒロインはきっと、攻略対象からちやほやされ、文字通り、ヒロインになりたかったのだろう。だってヒロインだから。それで私が邪魔だったので、悪役令嬢に仕立てた。
でも結果として。
私は真実の愛に巡り合えた。
まさかゲームでは地図に国名だけ登場していたツイード国の王太子の婚約者になるなんて、想像もしていなかったのだけど。
分かることは一つ。
断罪終了後だから。
断罪終了後の悪役令嬢の詳細なんて、ゲーム内では一行で済まされるから。
断頭台行き。国外追放。修道院送り。娼館送り。火あぶり――ってね。
この一行の後の物語、アフターライフはゲームで語られることがない。
つまりゲームの抑止力が働くこともないわけで。
だから悪役令嬢でもこんな幸せになれるのだと思う。
「エリーゼ、今日の勉強は終わりましたか? 終わっているなら、夕食は離れで食べましょう。その後は星空を眺めて休憩です。あまり根を詰めては、疲れてしまいますからね」
「はい、殿下」
「殿下ではなく、フェリックスと呼んで、エリーゼ」
フェリックス殿下は私を抱き寄せ、おでこに優しくキスをする。元悪役令嬢だった私ですが、今は本当に幸せです!
~ おしまい ~
●おまけ(読者様の質問を元に悪人たちのその後を追記 2024/2/7)
リース国において、息子の言葉を鵜呑みにし、私達家族を国外追放した宰相は、辞職勧告を受けている。宰相はその地位に必死にしがみつこうとしているが、それは無理なことだろう。議会では、勧告で無理なら、辞職決議をとろうという動きも出ているそうだ。リース国では現役の政治家がすぐに逮捕されないので、まずはその身分を剥奪し、それから逮捕、裁判という流れだろう。
アルトゥロ自身は、父親から「親子の縁は切る!」と勘当され、その後、王都警備隊に引き渡された。現在は尋問されており、裁判を経て、刑が確定するはずだ。
ヒロインなのに諸悪の根源となってしまったクララは、魔女と邪悪な取り引きをしたということで、当該の魔女が捕まり次第、共に火あぶりの刑になるという。リース国では魔女裁判は過去に何度も起きており、スピーディーに処理される制度が既に完成していた。ゆえに尋問も裁判もあっという間に終わり、刑が確定だった。
クララに騙されていた他の攻略対象は、「騙されていたので、仕方ない」で終わっているが、それぞれ立場も身分もある人間だったので、それは仕方ないのかもしれない。それに騙した当事者が火あぶりの刑なのだから、それでいいだろう……と火消しに走るのは、前世の政治の世界でもよくあること。それはこの乙女ゲームの世界でも健在なようだ。そんな決断しかできないリース国から「国外追放を取り消すから、戻って来ないか」という趣旨の書簡が父親に届いたようだが、当然、「お断り」だ、
国外追放されたのは私だけで、家族も召使いのみんなも、自主的に私について来てくれただけだ。リース国に残ることもできたのに、私について来てくれた。もうその時点でリース国には何の未練もない。
勧善懲悪な結果にならないのは、もどかしくも感じる。でもそれは前世の世界も同様。そしてこの乙女ゲームの世界を作ったのは、前世の人達なのだから、仕方ない。それにもう、私も、家族も、召使いのみんなも、このツイード王国で新たな生活をスタートさせている。過去の出来事に引きずられ、前進できないのは勿体ない! 今の幸せ、これからの幸せのため、そちらにエネルギーを向けようと思っている。
何といっても私には、素敵な婚約者がいるのだから!
前向きに、未来のために、愛する人と手を取り合い、生きて行こうと思います。
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