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伯爵家に戻ってからすぐに、ビアンカは何でもしてくれるという男に依頼しようと思い、実家に置いていた小さな宝石を2つ鞄に入れると護衛を伴い色々な店を回った後で、お気に入りのカフェに入った。
カフェに入ったビアンカが、店員に個室を頼むと、以前と同じ様に護衛は扉の前で待つと言い、ビアンカはひとりで部屋の中へ入った。
すぐに壁の奥の部屋へ移動したビアンカは、急いで着替えると裏口から街へ出て、東の地区にある本屋に向けて歩き始めた。
その本屋はうっかりすると見逃してしまいそうな程の小さな店だったが、中に入ると狭い通路を挟んで天井まで届きそうな本棚にはぎっしりと本が並んでいる。
ビアンカは、名前と住所を書いた紙を用意していたので、手前にある本を手に取り奥にあるカウンターへと進んで行った。
カウンターの向こうには店主と思われる初老の男がひとり、椅子に座って本を読んでいる。
ビアンカが声を掛けて本をカウンターに置きながら、
「栞もください」
と言うと、店主は手を止めて
「持っているか?」
と聞いてきた。
噂通りだと少し嬉しくなったビアンカが、緊張した声で
「持っています」
と答えると、店主は
「栞の男は人殺しはしないし、依頼を受けない事もある。依頼を受けてもらえなくても、手数料は戻ってこないが、それでも良いなら」
と言って、本と栞の代金を告げてきた。
人殺しはしないと聞いて迷ったが、それならエリーゼを連れて来てもらって毒を飲ませれば良いのだ。
店主にお金を払おうとした時になってビアンカは宝石を換金するのを忘れていた事に気付き、店主に謝ると宝石を換金してくるから待っていてくれと頼んだ。
「宝石で払う事もできるから見せてくれ」
店主がそう言うので、ビアンカが持って来た宝石の1つをカウンターに置くと、それを手に取り光を当てながらじっくりと見た店主が、聞いてきた。
「これだけだと足りないが、どうする?」
仕方ないと思いビアンカが、宝石をもう1つカウンターに置くと、店主はニヤリと笑いながら、宝石をじっくりと見て、
「これはお釣りだ。紙はこの箱に入れてくれ」
と言って小銭をビアンカに渡してきた。
小銭を受け取ったビアンカは、店主の差し出した箱に用意して来た紙を入れて店を出た。
それから何日も経った日の夜、ビアンカが寝台に入り眠れないままでいると、自分しかいないはずの部屋の中で小さな音がした。
ビアンカは不安を感じて起き上がり部屋を見まわすと、黒い影が見える。
驚いたビアンカが悲鳴をあげる前に影から伸びた手袋をした手がビアンカの口を塞いだ。
「依頼を受けて来た。悲鳴をあげるなら帰るぞ」
帰られたら本屋で支払いに使った宝石が無駄になる。
ビアンカが分かったと言うように口を塞いだ男の手を軽く叩いて合図すると、男は口から手を離し、ビアンカの前に椅子を運んで来て座った。
黒の上下を着て目だけが見えている男は、
「依頼を聞こうか」
と言った。
ビアンカは、クリシアム辺境伯の妻エリーゼを自分の所に連れて来て欲しいと頼んだ。
すると男は、なぜかと聞いてきた。
ビアンカは仕方なく、話を作り男を納得させる事にした。
「エリーゼ様は以前、この国の王子、アルフォンス様の婚約者だったんです。ですがアルフォンス様はエリーゼ様との婚約を破棄し、無理矢理クリシアム辺境伯に嫁がせてしまい、私と婚約したんです。クリシアム領は『魔獣』のでる恐ろしい所で、そこに嫁がされたエリーゼ様は、婚約破棄されたのも『魔獣』が出る所に嫁がされたのも、全て私のせいだと思い、私を酷く恨んでいるようなんです。
来年、アルフォンス様と私の結婚が決まったんですけど、私は誤解されたまま結婚するのではなく、エリーゼ様の誤解を解いて仲直りしてからにしたいんです。ですが、エリーゼ様と話をしたくても、クリシアム領は遠くて行く事ができないので、連れて来て欲しいと思って、貴方にお願いする事にしたんです」
男はビアンカをじっと見詰めながら言った。
「そんなに誤解を解きたいんなら、王子様にお願いして会わせてもらえば良いんじゃないか? 好きな女の願いならそれくらいの事、すぐに叶えてくれるだろう。俺が無理やり連れて来る必要はなさそうだが」
ビアンカは焦った。
「エリーゼ様はアルフォンス様の命令で恐ろしい所に行かされたのよ。アルフォンス様から頼まれても会ってくれるはずないわ。私は貴方にお願いしたいの。エリーゼ様を無理矢理でも良いから私の所に連れて来てちょうだい」
「無理矢理連れて来いと言う事は誘拐しろと言う事なのか?」
「そうよ。誘拐しても構わないわ」
「お前の話は変だ。仲直りしたいと言いながら、誘拐して来いと言う。俺を騙すつもりなら依頼は断る」
男にそう言われてビアンカは腹が立った。
「高い手数料を払わせといてそれはないんじゃないの? 騙そうだなんて思ってないわ、ただエリーゼ様を私の所に連れて来て欲しいだけよ。私はもうすぐ、この国の王妃になるのよ。どうしても私の依頼を断ると言うなら、王妃になった時、どんな事をしてでも貴方を探し出して捕まえてやるわ。どうせ悪い事をたくさんしているはずだもの処刑されるかも知れないわよ」
すると男は呆れたように言った。
「面白い事を言う女だな。そんな事を言ったら俺に殺されるかもしれないとは思わないのか?」
ビアンカはしまったと思ったが、ここで引く訳にはいかない。
「思わないわ。本屋から聞いたわ。貴方、人殺しはしないんでしょ?」
「確かに依頼で人は殺さないが、自分を守るためなら話は別だ。今ここでお前を殺す事もできるが……それじゃあ面白くないだろう?
今まで色んな奴から依頼を受けてきたが、俺を脅してきたのはお前が初めてだ。だから特別に良い事を教えてやろう。あの本屋の親父は俺の他にも紹介している奴がいて、そいつなら金さえ出せばお前の望む事をしてくれるはずだ。誘拐でも、殺しでもな。本屋に行って今度は『特別な本が欲しい』と言ってみろ。後は本屋が教えてくれる」
男はそう言うと窓を開けて外に出て行き、ビアンカがすぐに窓に駆け寄り外を見たが、既に男は闇に消えた後だった。




