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アルフォンスの侍従が紅茶とお菓子を四阿のテーブルに置いて下がると、アーサーが「心配事でもあるの?」と、トリシアに聞いた。
「なんだか不安そうな顔をして歩いていたから、アルフォンス様にお願いしてお茶に誘ってもらったんだ」
「そうだったんですね。アルフォンス様にまで御心配をお掛けして申し訳ありません。実は先程ビアンカ様に、2度と顔を見せるなと言われてしまったのです。今まで優しい方にばかり仕えていた私は、怒りをぶつけられた事がなかったので、思っていたよりもショックを受けてしまったみたいです」
それを聞いてアルフォンスは驚いた。
「ビアンカが?トリシアは父上の女官なのになぜビアンカの所に?いったい何があったんだ」
「ビアンカ様は気に入らない事があるとすぐに侍女や女官をクビにしてしまうので、ビアンカ様にお茶を運べる侍女がいないので手伝って欲しいと頼まれたのです。
ビアンカ様の部屋へ行き、紅茶を淹れてから控えていると『春の祝宴』で着るドレスの事を聞かれたのですが、分からなかったので、『私には分かりません』と答えました。するとビアンカ様は私の返事が気に入らなかったようで、『将来王妃になる自分が着るドレスの事が分からないなんてクビだ』『2度と顔を見せないで』と、怒鳴られてしまいました。
今思えば、もしかしたらビアンカ様は王室がドレスを準備していると思われているのかも知れません」
ルークが
「まだビアンカ様には個人の予算が組まれていない事を知らないのかもしれないな」
と言うと、アルフォンスがすぐに否定した。
「それはない。昨年の『秋の祝宴』の前にどうしてもドレスが欲しいと言うので私の私費から出してやったのだが、その前からビアンカには婚約者に組まれている予算はビアンカが個人で使えるものではない事を説明してある。それに職員からも説明してもらったはずだ」
アーサーが言った。
「そうでしたね。婚約者のための予算は結婚の準備のための予算で、他の事に使う事はできないと説明を受けたはずです。それにビアンカ様には王宮の職員をクビにする事はできないはずですが…」
「そうなのです。でも今のビアンカ様はアルフォンス様の婚約者ですから、大切なお客様として私達職員はお仕えするしかありません。『顔をみせるな』と言われたらもう側に行く事はできません。ですから、『クビ』と言われた侍女や女官は他の場所で働いていますが、もうビアンカ様の側では働きたくないと言っている者ばかりなのです。このままではビアンカ様のお世話をする者がいなくなってしまいます」
トリシアが言うと、アルフォンスは、「そうか」と言っただけだった。
紅茶を飲み終わるとトリシアは、
「誘っていただいたのに申し訳ありませんが、私はそろそろ戻らねばなりません。お心遣いありがとうございました」
と、お礼を言うと仕事に戻っていった。
アルフォンスは、嘘を吐かれていただけでなく、「婚約者になるんじゃなかった」と言われてからビアンカへの気持ちが冷めてしまっていた。
ビアンカへの熱が冷めると自分がどんなに愚かだったかが見えてきたアルフォンスは、執務をこなしながら熱心に勉強にも取り組むようになっていた。
だがビアンカは最近また授業をさぼるようになったとは聞いていたが、侍女や女官を勝手にクビにしようとしていたとは知らなかった。
トリシアの去った後、アルフォンスは大きなため息を吐いて言った。
「はぁ……トリシアの前では言えなかったが、昨年の『春の祝宴』の後でビアンカは、勝手に宝石を買ってきて王室宛に請求書が届いた事があったんだ。その宝石は王都で屋敷が買えるほどの金額で、慌てて宝石商を呼んでビアンカの不始末を詫びて、宝石を返した事があるんだ」
「「そんな事が!」」
「恥ずかしい話なので関係者には箝口令をしいたが、その時にもビアンカにははっきりと婚約者の予算は個人的に使えるものではないと教えたのだが、まだ好きなようにドレスを買えると思ってるんだろうか」
「何か誤解されているのかも知れませんね」
ルークが言うとアーサーが言った。
「父達が話していましたが、今年の『春の祝宴』では、アルフォンス様の横にビアンカ様の席を設ける予定だそうです」
「そうか……ビアンカを隣にか……」
ルークが悲しそうな表情をしたアルフォンスに尋ねた。
「アルフォンス様……まだエリーゼ様を諦めきれないのですね」
「……そうだな。私が手の届かない所に行かせてしまったというのに、今はエリーゼに会いたい。会って謝りたいんだ。私は我儘でどうしようもない子供だった。自分で自分に目隠しをして、見えないと言って騒いでいたようなものだ。
エリーゼが優秀な事を妬んだり、父上の事など何も知らないくせに、父上のようにはなりたくないと勝手に思い込んだりして、ほんとうに愚かだった」
「アルフォンス様、今年の『春の祝宴』が終わったら、高位貴族から順に結婚式の招待状を送るそうです。大丈夫ですよ。エリーゼ様も手紙を受け取れば必ず王都に戻って来るはずです」
「そうですよ。戻って来た時に会いに行って、話をすれば良いんです」
2人の言葉に少し元気が出たアルフォンスは言った。
「そうだな。せめて王都に帰ってきてくれた時くらい会いたいと思うのは仕方ない事だろう?」
「そうですね。そしてエリーゼ様にはそのまま王都に残ってもらうのでしょう?」
「分からない。私は側にいて欲しいが、酷い事をした私を許してくれるとは思えないからな。だが『魔獣』の住む領地からは助け出してやりたいんだ。ビアンカもエリーゼに酷い事をしたんだ。仕方なく結婚はするが、時期をみて遠くに行かせるつもりだ」
「きっとエリーゼ様なら分かってくれますよ」
「そうですよ。すぐには無理でも、気持ちを伝えていけば分かってくれるはずです」
「そうだと良いな。エリーゼには私が悪かったと謝るつもりだ。そして、もしも許してくれるなら、何か方法を探して、正妃として迎え、生涯大切にしたいと思っている」




