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令嬢達は自分を選んでもらおうと晩餐のために着飾って待っていたが、そろそろと思う時間になっても誰も迎えに来ない。
待ち切れなくなった令嬢達は侍女にグラムを呼びに行かせると、辺境伯様との晩餐はどうなっているのかと尋ねた。
グラムが説明していると、グラムの妻、ミリがフレドリックとロイが間もなく帰って来る事を伝えに来た。
すると令嬢達は喜んで、
「是非とも皆さんと一緒に辺境伯様をお迎えさせてください」
と言い始め、焦ったグラムは
「実を申しますと、主は昼間『魔獣』の討伐に行っていたのです。『魔獣』を討伐した後は酷く汚れていますから、お嬢様達が見れば気分が悪くなるかも知れません。主も汚れを流してからお嬢様方の前に出られた方が良いと思われるはずです。準備が整うまでもうしばらくかかるでしょうから、お嬢様方は先に食事を始めてはいかがでしょう。今、食堂に案内致します」
と言ったが、令嬢達はそれでも構わないと言って譲らなかった。
仕方なく、令嬢達を玄関のあるホールまで案内すると、既にリーシャ、ミリ、マイケルが扉から少し離れた所に並んで待っていたので、令嬢達をその横で待つようにお願いした。
グラムが扉の前に立ってすぐに、玄関を守る騎士が領主の帰りを告げる声を上げると、扉が開きフレドリックが現れた。
一瞬色めき立った令嬢達だったが、兜を外しただけで『魔獣』の返り血や体液を浴びた鎧を着けたままのフレドリックの姿を見た令嬢達は、驚いて目を見開いたまま声を出す事も出来なかった。
顔の色が青から白に変わっていき、今にも倒れそうな令嬢を支えようとする侍女の顔色も青くなっている。
それを見たロイが慌てて寮に住んでいる騎士達を連れてくると、騎士達は倒れそうな令嬢と侍女をそれぞれの部屋に送り届けてくれた。
翌日、令嬢達は気分が優れないと言って誰も部屋から出てこなかったので、マイケルが令嬢達の部屋を順番に訪ねてクリシアム領の事を説明したが、どの令嬢もこんな所だとは思っていなかった、婚約を申し込んだ話はなかった事にして欲しいと言うばかりだった。
それから数日後、フレドリックと1度も話す事もなく、5人の令嬢は揃って王都に帰って行ってしまった。
来た時と同じように、使用人達だけで令嬢達の乗った馬車を見送り、フレドリックとロイの待つ執務室に集まるとロイがグラムに言った。
「せっかくグラムがあんなに頑張って準備してくれたのに、無駄になってしまったな。誰か1人でもフレドリック様の素晴らしさを理解してくれたなら、例え『魔獣』の血で汚れていても気にならなかったと思うのだが……」
「仕方ありません。今回ここに来られた令嬢は皆王都に住んでいる貴族の令嬢ばかりです。鎧に血が付いた姿など見た事もないでしょうからね」
2人の会話を聞いてフレドリックは言った。
「良いんだよ。『魔獣』の血を見たぐらいで倒れられていたら困る。今回の事で、気軽に婚約を申し込んで来る者はいなくなるだろうから却って良かったかも知れないしな」
マイケルも言った。
「そうだな。昨日色々話をしてみたが、今回来てくれた令嬢達は皆、宝石で有名なクリシアム領主の妻になれば贅沢な生活ができると思っていたようだから、フレドリックには合わなかったと思うよ。それよりも以前から思っていたんだが、討伐から帰った時の鎧は『魔獣』の血やら何やらで汚れているし、威圧感もある。
どうせ鎧は外の水で洗うのだから、鎧は城の玄関を入る前に外したらどうだろう?」
『魔獣』の血も体液も時が経つにつれて悪臭までしてくる事が気になっていたグラム達は、次の縁談の事も考えて、それは良い事だと賛成した。
だが、その後フレドリックへの婚約の申し込みは1通も来なかった。
*****
グラムは先代の執事の息子で、父の跡を継ぎ、今では妻のミリと一緒にクリシアム城内の事を全て引き受けてくれている。
マイケルは元は商人だったが、フレドリックと知り合い、その人柄に惹かれて側で働きたいと思うようになった。
娘が結婚して、今は妻のケイトと2人で城下町に住みながら、フレドリックの片腕として領内の様々な事を管理するようになっていた。
ロイは平民だが、騎士団長になる程の実力のある騎士で、城にある騎士団の寮に住んでいる。
フレドリックが剣を習い始めた時、指導官に選ばれてからずっと側に居てくれる頼もしい存在だ。
料理人のトータスはフレドリックが幼い頃からクリシアム城の料理を担当してくれている。
トータスは、以前は城下町に住んでいて、妻のリーシャと息子のライスの3人で暮らしていた。
数年前、ライスが結婚して東の町で暮らし始めたのを機に、リーシャも城で働くようになると、通うのが面倒だからと言って城に引越して来てくれた。
1000人を超える騎士達も、城壁に囲まれた中で暮らす領民達も、フレドリックを領主として認め、自分達と対等に話してくれるフレドリックに親しみを感じていた。
義父を亡くした時は、たくさんの人達がフレドリックを励ましてくれて、村に住む人達の移住も快く手伝ってくれた。
『魔獣』を討伐するために造られた領地に住み、皆で協力して町を造り上げ、『魔獣』と戦ってきたクリシアム領の人達には、ほかの領地には見られない程の誇りと同じ領地の人への信頼がある。
それがどんなに誇らしく、有り難い事か、フレドリックは全ての領民への感謝の気持ちを忘れた事はなかった。