外伝・記憶(五の2)
「君のお姉さんの事について聞きたい」
カーターはキャロラインを奥のソファへ座らせ、自分は入口に近い手前のソファに腰掛ると、上着の内ポケットからタバコを取り出し、火をつけながら彼女の表情を観察する。
キャロラインは普段、決してカーターから直接声を掛けられる事なく、ましてやこうして間近で面会する機会もないので、緊張の色を隠せない。
しかも唐突に、身内の事を聞いてくる。
その顔は次第に青ざめて行く。
「確か君のお姉さんは、ホワイトハウスの側近の秘書をしていたね」
「ええ、そうです。大統領補佐事務次官の第2秘書です」
「その前は何をしていた? ホワイトハウスへ入る前だ。その経歴について知りたい」
「それは・・・」
鋭く勘ぐるような視線をサングラスの奥から感じて、思わずゾッとしたが、彼女はどう応えていいか分からず戸惑った。
なぜなら、幼い頃に生き別れ、つい1年前に彼女が姉だと知ったのだ。
キャロラインには姉の事など何も分からなかった。
「君は3歳の時に両親を亡くし、その後施設で育ち、10歳になった時に、子供のいなかったパーカー夫妻に引き取られた」
音もなく入って来た人物が、突然自分を語った。
ハッと顔を上げてその人物を仰視すると、彼の名前を言いかけて息を呑んだ。
彼女の知っている「彼」ではなかった。
無表情に装っているその目は、見る者全てを凍えさせてしまうような、冷酷な光を放っている。
こんな人物に会った事がない。
「正確に言うと、君の本当の両親は殺された。そして当時10歳だった姉と生き別れ、1年前に彼女の方から名乗り出て来た。両親の形見である揃いの十字架のペンダントを持って。最初は疑った君だが、ある物を見て納得した。それにはこう記されていたからだ。『祖国に捧ぐ』と」
それを聞いたキャロラインは悲鳴を上げそうになって、両手で口を覆った。
今にも卒倒しそうな程に青褪めている。しかし、そんな彼女をよそに、更に続けた。
「ここからが本題だ。恐らく君も初めて聞くことだろう。君の両親はIRAの元工作員」
「何!?」
今度はカーターが驚いて彼を見上げる。そんなカーターを一瞥すると続けた。
「裏切ったんだ。それで消された。よくある話だ。本来なら一家皆殺しが当然だったのだろうが、たまたま君達は、友人の家に泊まりに行っていて留守だった。そして悲劇が起こっていた。君が今だに惨殺シーンを見れないのは、そのトラウマからだよ。しかし、余りの恐怖に記憶は失くしてしまったんだね。姉がいる事すら覚えていなかった。そして、君の姉のアイリーン・スコットは、今のご主人であるスティーブン・スコットと結婚した。彼は薬品会社の研究員と称しているが、それは表向きの顔。本当はIRAの工作員だ。そして彼女も然りだ」
平然と刺すように冷たく言い放ったが、彼女の驚愕した震える瞳を見ると、やるせなくなった。
一息、小さな溜息をつくと、目を伏せた。
「何処でそれを・・・、どうしてっ、あなたが知っているの!?」
震える声で、ようやくそれだけ言えた。 カーターにしても、何故彼がこれだけの事を知っているのか、驚きを隠せない。 IRAに関しては、FBIと連携して調査はしていた事だった。が、ここまでの詳細を知っているとは。
紀伊也は伏せていた目を開くとカーターを見た。
「さっき、タランチュラから聞かされた」
「なっ!?」
先程会ったばかりだ。
2週間前に単独で連絡を取り、調査の依頼をしたが、あの後渡米した形跡はなく、昨夜初めてニューヨークに来たばかりだという。それなのに、ここまで調べ上げるとは・・・。
自分で依頼しておきながら、恐怖を感じざるを得ない。
「指令が出れば俺達は徹底してやる。それだけの事だ」
「しかし・・・、ハイエナは変わったと言っていた」
カーターは背筋に汗が流れるのが分かっていたが、恐る恐る口を開く。
「以前のように非情ではなくなったと。私情を挟むだろうが、協力はするだろうと、つい今しがた言われたところだ」
その言葉に目を見張る。
確かに彼女に言っていない事がある。あいつは人の心まで見透かすのだろうか。
時々、本当に恐ろしくなる時がある。
しかし、今の司は自分の気持ちにいつも正直だ。決して嘘はつかない。
それに、変わったのは俺だけじゃない。
あいつも変わった。
他人を人とも思わなかった司が、今の仲間を自分の命よりも大切に守っている。
それは紀伊也自身、感じることだった。
しかし、今はそんな事はどうでもいい。
タランチュラからの指令を忠実に果さなければならない。
彼にとって、司は両方の存在で絶対だった。
「そんな事はどうでもいい事だ。第一、貴様には関係のない事だ。それにもう一つ大事な事を言い忘れていたよ。キャロライン、君は既にアイリーンに利用されている。直に消される。気を付けた方がいいな」
「そんな事ある筈ないわっ!! 第一、あなたは一体何者なの!?」
キャロラインはソファから立ち上がると叫んでいた。
「俺の事は知る必要がないよ」
一旦、目を伏せたが、再び開いてその無表情な瞳をキャロラインに見つめさせると、彼女は何かに操られるように動かなくなったが、静かにソファに腰を下ろした。
そしてカーターに目配せすると、紀伊也は黙って部屋を出て行った。
扉の閉じる音で彼女は我に返ると、驚いたようにカーターを見つめた。
「今、言った事は本当ですか!?」
カーターは黙って頷いた。
「そこで君の協力が必要なんだ。事件になる前に何としても防ぎたい。それに君は立派なCIA職員だ」
「はい、分かりました」
彼女は決心したかのように頷くとソファにもたれ、手で顔を覆った。
今、ボスが言った事が本当なら、私は・・・。
「さっきの男・・・」
ふとカーターは気になって、彼女に訊く。
「さっき? ロビーで会っていた彼の事ですか? 彼は大学の時の友人です」
彼女が、今、この部屋で彼が居た事実の記憶を失くしている事に、カーターは再び背筋に冷たいものが走るのを感じた。
タランチュラとハイエナ、この二人を敵に廻したら恐ろしい。
何故こんな人物を存在させたのだろう。
そして、この二人を従えるRにも改めて恐怖を覚えた。