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第十章・一日(四)

一日(四)


 その日の朝刊やニュース、ワイドショーは昨夜のジュリエットのコンサートでの事件で持ち切りだった。

コンサートの会場となったスタジアムの周辺では、警察官が徹夜で現場検証し、今尚厳重な警戒の元、捜査が行われており、それを報道陣が取り囲んでいた。

公園に隣接する事務所のビルも、昨夜から報道陣が取り囲んでいる。公園の中は心配して来たファンと報道記者、カメラマン、やじうまでごった返している。

 事務所の中は徹夜で作業を終え、くたくたになったスタッフが座り込んでいた。

誰一人として家に帰った者はいない。皆、家族の事など忘れていたと言ってもいいだろう。テレビさえもつけずにいた。電話が鳴り響いているが、誰も出ようとしなかった。

皆、宮内の携帯電話だけを待っていた。


 光生会病院の前の歩道にも、多くの報道関係者が陣を張っていた。心配して駆けつけたファンもいたが、病院の敷地内に入る事が出来なかった。

体格のいい黒いスーツに黒いサングラスをかけた男達が、病院の入口を固めていた。それに混じって私服の警察官が数人、警護に当っていた。

敷地内に入って来る全ての者をチェックしていた。玄関には立て札がある。予約した者以外の診察を、断るというものだった。

異常なまでに厳重な警戒だったが、至って静かだった。

「もう10時半よ。何もないなんておかしいわ」

一人の女性レポーターが苛々して言った。

警察からも病院からも、それに事務所からも何の発表もない。 全ての公式の場から何の音沙汰もないのだ。

芸能レポートをしていて、こんな事は初めてだった。


 ******


 フツっと手術中の赤いランプが消えた。

しばらくして扉が静かに開かれた。

全員が立ち上がり、恐る恐る扉に近づく。

疲れ果てた様子で、数人の医師が出て来たが、何も言わず去って行った。その後、雅が現れた。

 疲れ切った表情で息を吐く。

全員が雅を囲み、固唾かたずを呑んで見守った。

雅はまず、亮太郎を確認すると、一礼した。

「何とか、一命は取り留めました」

その瞬間、安堵の溜息が皆から漏れる。

取巻いていた重苦しい空気が、何処かへ行くようだった。

「では、成功したんだな」

「はい」

「ご苦労だった」

亮太郎は雅の肩を軽く叩くと一息吐いた。

しかし、その表情から喜びは感じられない。

あくまで無表情だった。

 透とチャーリーは、顔を見合わせて泣き笑うとその場に座り込んでしまった。ナオと晃一は一瞬、天を仰ぎ見ると、顔を見合わせ、秀也を見た。秀也は天井を仰ぎ見たまま目を閉じた。

母親と使用人は、抱き合って泣き崩れていた。

 ガラガラと音がして、一台のストレッチャーが出て来た。

その上には紀伊也が目を閉じたまま、横たわっている。

「紀伊也っ」

三人は駆け寄ると雅を不安気に見つめた。

「心配は要らない、眠っているだけだ。半日もすれば目が覚めるだろう。今日一日は安静だ」

微笑むように彼等に言って看護婦を促すと、紀伊也を乗せたストレッチャーは遠去かって行った。


 司は!?


雅は亮太郎に向き直ったが、その顔は険しい。

「司は既にICUへ運んでいます。あとは意識が戻るのを待つだけですが・・・」

「戻らないかも?」

「もしかしたら・・・、いえ、まだ分かりません。とにかく最善は尽くします」

そう自分にも言い聞かせるように言った。

「頼む」

亮太郎は軽く頭を下げた。

雅はそれに驚いたが気を取り直すと

「こちらへ」

と、皆を案内した。

透とチャーリーを除く皆が黙って雅の後について行った。

 自動ドアが開き、通路を歩いて行くと、ガラス張りにICUと書かれた部屋があった。

雅達が現れた時、ブラインドが下ろされ、中が見えなくなった。が、その前に一瞬だけ秀也達は目にした。

 チューブの伸びたマスクを口に当て、いくつもの管が、腕の辺りから上へ向かって伸びている。 

2,3の透明な液体と、1つの赤い液体の入った点滴だった。

頭からも胸からも管が伸びて、いくつかのモニターにつながっていた。

そして、それらに囲まれてベッドに横たわる司がいた。

生きているのか死んでいるのか、ピクリともしない。

ただ、モニターに写し出された線だけが、微かに動いていた。

皆、凍りついたように息を呑んだ。ブラインドが下ろされて良かったのかもしれない。

 あれ以上は、見ていられなかっただろう。


 ******


 プルプルプル ・・・・


突然、手の中で電話が鳴った。

 ビクンっ 

何十年も止まっていた時計の針が、突然に動き出したかのように皆、一斉に電話に注目した。

宮内は慌てて電話に出た。

「もしもし・・・宮内です」

「もしもし」

相手は透だった。 声が上ずっている。

宮内は誰かれとなく、周りの者を見た。皆、誰からかかって来たのか瞬時に理解して目を見張り、宮内を囲んだ。

「もしもし」

透はもう一度、繰り返した。

「透・・・」

「宮さんっ、無事だよっ。助かったんだ」

透は何を言おうか考えたが、とりあえずそれだけしか言葉にならず、チャーリーと目が合うと、涙が溢れて来た。

「助かったん・・だっ!」

涙で声にならない。

「宮、何て?!」

目を閉じて唇を噛み締めた宮内に、全員が不安を隠し切れない。宮内は目を開けると胸が詰まった。

「助かった・・・、助かった・・・」

喉を詰まらせながら呟いた。

 え!?

「助かったって! 司さんっ、生きてるっ!」

そう叫ぶと、立ち上がって天井を仰ぎ見た。

宮内の叫びに全員狂喜した。一斉に拍手が起こり、抱き合い、床に膝を付き、各々涙した。

 しばらくすると、チャーリーから連絡を受けた別のスタッフが何人か現れ、お互い歓喜に沸いた。社長から指示された別の部署のスタッフが、後の対応に回った。

 全ての時間が動き出した。


 とても長い一日だった。


宮内はふと、腕時計に目をやった。

 そう言えば、昨日の今頃 ・・・。飲茶に行けば良かった ・・・。


 ******

 

 何処をどう案内されたのか、いつの間にか三人は、病室に入っていた。

ベッドには紀伊也が眠っている。

側には別の看護婦が一人いて、ちょうど点滴を変えたところだった。一瞬、入って来た三人に目をやったが、軽く頭を下げると無言で出て行った。ドアが閉じられ、中には四人だけになった。

 どれ位時間が経ったのだろうか。 紀伊也は目を覚ましたが、もやがかかったように、頭がボーっとする。

もう一度目を閉じ、確認するかのように、再び目を開けた。

カーテンから漏れる光は、優しいオレンジ色をしている。

体を起こそうとしたが、力が入らない。

 無理もないか・・・

そう思いながらふと、自分の脇腹に何か乗っている事に気付き、視線を送ると、誰かの手があり、それを辿って行くと、ベッドの端に秀也が頭をうつ伏せていた。

静かな寝息を立てている。

そのまま向方へ視線を移すと、壁にもたれて膝に頭を埋めそれを両手で抱えているナオが座っている。

微かに肩が波打っていた。

その横で足を伸ばし、両腕をぶらりと下げて、晃一が眠っていた。

紀伊也は天井を見つめた。


 あれからどうなったのだろう・・・


 雅の後について行った紀伊也は愕然とした。

床には血に染まったガーゼが散乱し、真っ赤に染まった司の衣装が、無残に切り刻まれて落ちていた。

ライトの下の台の上では、ピクリとも動かない司が、目を閉じて横たわっていた。その口と鼻からは管が伸びている。

思わず目を逸むけた。

雅に指示され、医師と紀伊也は準備を始めた。

一刻の猶予もない。

上着を脱いで用意されていた台に横たわると、右腕に針が刺さり、管を通して司へとつながれた。そして、右手首のブレスレットにも頭にも器具が取り付けられ、それらも司へとつながれて行く。

「始めるぞ」

雅の合図で、紀伊也は全神経を脳へ集中させて行く。

そして、紀伊也の体から血が吸い取られ、司の体へと入って行く。

雅は祈るように司を見つめた。

 10分程経過した時、司の体が、ビクンっと動いた。

雅は司と紀伊也の脳波のモニターに目をやる。 しばらくして、紀伊也の左腕に針が刺さり、凍結保存されていた紀伊也の血液が輸血された。

 それから更に時間が過ぎた頃、

「うっ・・・」

紀伊也が呻き声を上げた。突如、激しい頭痛に襲われたのだ。

「どうした!?」

慌てた医師を押し退け雅が寄り、紀伊也を診ていたが、諦めたように口を開いた。

「紀伊也、もう終わりにしよう・・・」

雅の言葉に、痛みをこらえながら目を開けた。

「ばかな事を言うなっ。まだ終わっちゃいないっ。それに、輸血は成功しているんだろう?」

言いながら司を見つめたが、動く気配さえ見せない。

「今の所は問題ない。しかし、紀伊也、お前の方が既に限界に来ている。お前の脳波もかなり乱れているんだ」

「・・・」

雅は紀伊也に取り付けられたモニターに目をやった。

「構わない」

「え?」 

「構わない、と言ったんだ。俺は何の為にここまで来たんだ? 司を守る為だろ。だったら、俺が死んでも司が生き残れば、それでいい」

「何を言って・・・」

余りに落ち着いて冷静な紀伊也に、雅は何も言い返せない。

「それが、俺に与えられた使命だ」

何かを決心したように雅に視線を送ると、隣に横たわっている司を見つめた。

 司の体の力が抜けて行く感触が、まだこの腕に中に残っている。あの時、一瞬、本当に死んでしまったのかと思った。

その時、紀伊也は自分自身が消えて行くような気がしていた。

雅が黙って頷くと、紀伊也は「頼む」と言い残して目を閉じた。

頭痛がピークに達し、そのまま意識を失った。


 ふうっと、天井に向かって息を吐いた。

それに気が付いたのか、秀也が目を覚ました。

「紀伊也、ありがとう」

秀也はそのまま呟くように言った。

思わず体を起こそうと秀也に顔を向けると、秀也が顔を上げた。

そこにある秀也の瞳は、愛する者を失った目ではなく、愛する者を取り戻した目をしていた。

「良かったな、秀也」

「ああ」

秀也の涙声にナオが顔を上げ、晃一を揺り起こした。

二人は静かに立ち上がると、ベッドの側に寄った。

「紀伊也・・・」

ナオは紀伊也の顔を見るなり、胸が熱くなった。

「生きてる・・・、司は生きてる・・・」

晃一の声は涙で曇っている。

「ああ、心配するな、と言った」

冷めた口調で晃一に返した。

「ばか、やろう・・・」

晃一が天井を仰ぎみると、涙が止め処なく溢れて来る。


 長い一日だった。


紀伊也は目を閉じた。

『紀伊也、頼んだぞ』

あの時の司の声が、耳について離れないでいた。

 皆の一日はようやく終わりを告げた。

しかし、寝台の上で表情もなく死んだように目を閉じている司には、この一日はまだ終わっていなかった。


 ** 第一部 完 **




第一部はこれで完結です。次話、外伝は晃一との出会いの章です。

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