表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/99

第二章(ニ)


 授業中、因数分解 

 ・・・こんなのいつ役に立つんだろうな。

一番廊下側の席の前から三番目の席からふと教室を見渡す。

クラスの半数は肘をついて教科書を開いて見ているふりをして寝ている。あと30分もすれば昼飯だ。

黒板を見ながらそれらを全てノートに書き写していた。

 トントン

教室の前の扉を誰かがノックし、教師が采壇さいだんを降りて扉を少し開け、何やら話をしていた。

そして扉が開かれ、顔を上げると担任の松井が顔を出した。

真っ直ぐに自分を見ている。

 -チッ、体育の授業はねぇのか、ヒマなヤツだ。

そして再びノートに視線を落とす。

「光月、ちょっと」

再び顔を上げると手招きしている。

 -何だよ、何もしてねぇよ・・・。

仕方なくシャープペンを置いて立ち上がると、松井の所へ行った。

いつになく深刻な顔をしている松井に少し戸惑った。

「家から電話が入っている。お兄さんが事故に遭ったらしい」

 え? ・・今、何て?

「職員室に電話が入って・・・」

言い終わらない内に松井を押し退けて走った。

「司っ!?」後ろから和矢の呼ぶ声が聞こえたような気がした。

職員室の扉を思い切り開けると教師達が一斉にこちらを向く。いつもなら誰かが「もっと静かに入って来い」など怒鳴るのだろうが、誰もが神妙な顔つきで見ている。

置きっ放しになっている受話器を取った。

「もしもし・・・オレ・・」

「お嬢様っ!? 」

弘美の声だ。

「兄ちゃんが・・・事故って?!」

「詳しい事は分かりませんが、すぐに病院の方へいらして下さい。タクシーを一台手配しましたので、もうじき学校の方へ着くと思います 」

「わ、分かった。ありがとう」

震える手で受話器を置いた。

 詳しい事が分からないって・・・

司にはその意味が何となく分かっていた。

手遅れなのだ。しかし今、自分が間に合えばそれを食い止める事が出来るかもしれない。

一度教室に戻ろうと振り向くと、松井が立っている。何か言いにくそうだ。

「先生、しばらく学校、休む事になる、かも・・・」

言いながら唇を噛み締めた。出来れば休みたくはない。松井の顔を見る事も出来ず走った。

 教室へ戻り無言で机の上のものを片付け鞄にしまう。そして、鞄を持って出ようとして、振り向くと和矢と目が合った。

不安気にこちらを見ている。

司は和矢の目を凝視したまま首を横に振った。

玄関を出ると既にタクシーが来ていた。

「駅まで」

そう告げると走り出した。

 タクシーから見る景色も新幹線から流れる景色も覚えていない。

外を本当に見ていたのだろうか。

病院へ着くと受付へ走った。

「どこ!?」

「3階の集中治療室です」

 兄ちゃん、間に合ってくれっ・・・。 祈るように走った。

集中治療室の前には5,6人の男が深刻な顔で立っている。その中の一人と目が合った。恭介だ。

「司っ、亮が・・・っ。 俺達の所へ来る途中だったんだ」

聞いている暇はない。押し退けると中へ飛び込んだ。

 静かだった。

既に治療を終えたのか、体には管一つ伸びていない。

恐る恐る中央のベッドへ近づいた。そこには目を閉じた亮がいた。

「に、兄ちゃん・・・?」

思わずみやびを見上げた。

白衣をまとった雅は黙って首を横に振った。隣にいた両親が黙って出て行くと、雅も後について出て行った。

部屋には二人きりだった。

「兄ちゃん」

もう一度呼ぶ。

そっと頬を撫でた。

「兄ちゃんっ!!」

叫んだ。微かに振動が手に伝わると、亮がうっすら目を開けて微笑んだ。

 間に合った

「兄ちゃん」

「司、愛してるよ・・・。お前は俺のジュリエットだ・・・」

そして目が閉じられた。

 瞬間、司の中で嵐が起こった。

何かが自分の中の何かを巻き上げていく。

それも、凄まじい勢いで。

立っている事が出来ない。そして、そのまま嵐の中に吸い込まれていった。

 気が付くと、一面白いバラに囲まれた祭壇の前にいた。

「兄ちゃん?」

あのひつぎの中には亮が眠っている筈だ。

 今、行くから・・・

ゆっくり祭壇に近づくと、突然、黒い影が背後から迫って来る。

ハッと振り向くと、自分の体の倍以上はある巨大な漆黒のタランチュラが司に襲い掛かって来る。

後ずさりした。

その牙が頭上に迫った時、「司っ!!」という亮の声がした。

誰かが自分をかばうように抱きかかえて倒れた。

顔をぬるっとしたものがまとわりつく。

手を顔に当て、それをぬぐうとそれを見た。

 血・・・

ふと、抱きかかえられた者の顔を見ると、紀伊也だった。


 っ!!?


がばっと起き上がった。

はぁっ、はぁっと肩で息をしている。

気が付くと、薄暗い部屋の中の自分のベッドの上だった。

「夢、か・・・。また、同じ夢を見た」

司は額の汗をぬぐい、ベッドから下りると腰を下ろした。

 今日は11月16日

 兄、亮の命日だ。

 -今日で7回目だ、この夢を見るのは・・・。いつまで見るんだろうな。

ふうっと、一息吐いて立ち上がり、いつものようにシャワーを浴びに行く。

シャワーを浴びながらふと、背後から気配を感じたような気がして目を閉じた。

 兄ちゃん、来て・・・

呟くとぎゅっと目をつむり、自分の体を強く抱き締めて上を見上げると、顔面にシャワーを思い切り浴びせた。

そうして七度目の朝を迎えた。

 タバコを一本吸って着替えると出かけた。

全身を黒一色でおおい、途中、花屋へ寄り、かねてから注文していた品を受け取りタクシーに乗る。運転手は司が有名人である事に気付いたのだろう、何か話しかけたが窓の外を見たまま終始無言の司に諦めると、黙って前を見て走らせた。

 目的地に着き料金を支払い車の外へ出た。

遠くでかすかに波の音が聴こえる。寺の門をくぐり、石段を上がり、一つの墓の前で足を止めた。「光月家之墓」その下には亮が眠っている。

 墓の前に、持って来た26本の白いバラの花束を置き、上着の内ポケットからタバコを一本出すとそれに火をけた。一服吸って空に向かって煙を吐くと、それをバラの横に置いた。

 煙が一本の白い糸となって天へ向かって流れて行く。

司は軽く手を合わせて目を閉じたが、すぐ目を開けるとその場に崩れるように座り込んでしまった。

 -兄ちゃん、あの時も今日と同じいい天気だったよ。

白い糸を辿たどって空を見上げる。

-また、夢を見たんだ。あの時の夢だ。

  兄ちゃんの最期の言葉なんて忘れる筈ないのに・・・

  最期だけじゃない、兄ちゃんの言葉は全部覚えてるよ

  忘れる事なんて出来ない。・・・

  本当はあの時一緒に連れてって欲しかったんだ

  そしたら楽になれたのに

  紀伊也だって血を流さずに済んだんだ・・・

  また・・、二人殺った・・・

  牙をいたら止められないんだ

  自分が自分でくなる・・・。もう、どうしようもなくなっていく。

  自我を保ってられないんだ。どうすればいい?!

「もうっ、どうしようもないっ」

体の中からしぼり出すように叫ぶと、両手を地面に叩き付けた。

「何でオレを置いてっちゃうんだよ!? ずっと見ててくれるって約束しただろっ! 何でだよ!? 兄ちゃんっ、何とか言えェーーっ! 」

地面に突っ伏して泣き叫んだ。

司の叫びは冷たい墓石に突き放されるようにき消されていく。

 遠くで司の叫び声を聞いていた寺の住職はそれが誰であるか確かめようとはしなかった。毎年この日のこの時間に同じ叫びを聞いている。それが年を追う毎に悲鳴に近いような叫びへと変わっていくのも感じていた。七回目の今日は懺悔ざんげにも近い助けを求めているようだった。

 しばらく墓石を見つめたまま座っていたが、ふらふら立ち上がるとサングラスをかけて歩き出した。

 どこをどうやって来たのか、突然目の前に杉乃の姿があった。

「まあ、お嬢様・・・」

「ああ」

それだけ言うとそのまま通り過ごし、二階へと上がる。

おぼつかない足取りに杉乃は心配したが、今日が亮の命日であり、司が来る事は予想していたので黙ってその後姿を見送った。

自分の部屋の一つ手前の部屋へ入ると鍵をかけた。

 主人のいない部屋は冷やっとしたが、何も変わっていない。

司の部屋の半分程の広さだったが、とても広く感じる。本棚には、亮の好きなシェークスピアがきちんと整理されて並んでいる。デスクの横にはギターが二本立掛けてある。

コバルトブルーの寝具に包まれたベッドの上に腰掛けると、枕元へ手を滑らせながらそのままうつ伏せた。

 今は少しでも亮のぬくもりを感じたかった。

ここで最期にその温もりを感じたのは亮が亡くなる一ヶ月前の事だった。

司は、目を閉じた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ