第九章・Ⅳ束縛(四)
翌日、また白い包装紙に包まれた小包が来ていた。
うんざりしながらも、慎重に開封して行く。
?
この箱からは、今までのような殺気が何も感じない。不思議に思いながらも蓋を開け、中を見て司は茫然となった。そして、頭を抱えるとデスクに突っ伏してしまった。
もう、勘弁してくれ・・・
胸が締め付けられるように切なくなる。
小包を開いてデスクに突っ伏した司を見て、皆が不安気に集る。そして晃一が最初に、恐る恐る覗いた。
「なんだ、今回はマシじゃん。なんか、拍子抜け」
何か今までのようにおぞましい物を期待していたかのように言うと、どれどれ、と皆が覗き込み、やはり晃一と同じように拍子抜けしたように安心している。
中に入っていたのは、何処で手に入れたのか、象牙で彫られたマリア像に細い鉄の鎖が強く巻きつけられていた。
司にとってこれは明らかに、自分の秀也に対する想いを表していた。
誰も司の切ない表情を見て取れなかった。
その時、スタッフの一人が花束を抱えて来た。
「司さん、花、来てますよ」
え?
顔を上げると、赤いバラだ。
思わず見つめると、何となく血の色に見えて来る。僅かながら殺気を感じ、数えると25本ある。
-マリア像、血の色をした25本の棘のある花・・・。オレに死ね、という事か。死んで楽になれるのなら、そうしたいよ・・・。ヤツの思うツボだな・・・。
ちっきしょーっ・・・
思わず手で花束を払い除ける。
バサっと音がして、スタッフの手から床に落ちた。
皆、驚いて司を見る。
司は落ちた花束を見つめた。何気に見ていたが、ふと、花を包んでいるラップに留めてあるシールに目が行った。
床に屈んで、それを手に取ってよく見ると、花屋の名前らしきものが印刷されている。
・・・!?
「紀伊也っ!」
鋭い目つきで紀伊也を呼ぶ。
「バカが・・・。足が付いたぞ! すぐにアイツに調べさせろっ。くっそ、散々馬鹿にしやがって・・・。必ず息の根を止めてやるっ」
そう忌々しそうに睨みつけると、花束を紀伊也に突きつけた。
「何!? 何なの? 俺達にも解るように説明しろよ」
晃一が、突然事件の解決の糸口を見つけたように、指示を出した司に驚いた。
「見て分かんねぇの? 今までの小包はどうやってここへ送り付けられて来たんだ? 全てオレ宛になっていたが、郵便でもなけりゃ、宅急便でもねぇ。メールの山にどさくさに紛れてたろ。 それがこの花束は、直接花屋に届けさせている。これでヤツの足取りがとれりゃ、後は調べれば誰かは検討がつくだろ」
呆れながらも苛立っている。
「紀伊也、早く行けっ」
睨みつけて怒鳴ると、紀伊也も慌てて花を持って、飛び出して行った。
「誰んとこ、持って行ったんだよ」
晃一が紀伊也の後を目で追いながら訊く。
司が誰に依頼したかの指示を出した時には、三人はオフで事務所にいなかったのだ。
「誰って、警視庁だよ」
「え?」
「えって、お前、聞いてなかったのか? 知り合いがいるからそいつに全部調べさせている。さすがに手こずっているみたいだがな。 ったく、あれから2ヶ月近くになるってのに、何も手懸りが掴めねぇって言うんだから、呆れた連中だ」
吐き捨てるように言うと、デスクの上のマリア像を一瞬、じっと見つめ、蓋をすると透に渡した。
「宮、明後日のライブの打ち合わせ、紀伊也が戻って来たらすぐやるから」
そう言うとタバコを取り出し、デスクの椅子に座ると火をつけ、額に手を置きながら煙を吐いた。
晃一とナオは感心したように司を見ると、ソファの方へと戻って行く。
秀也は一人廊下に出ると、廊下の喫煙所でタバコに火をつけた。
壁に寄り掛かりながら天井に向かって煙を吐く。
-俺の知らない司がまた居る。それに、どうしてこうも、あれだけの事件をいとも簡単に解決して行くんだ。それに、あんな気味の悪い物を見ても平気でいられるなんて、普通の人間にそんな事、耐えられる筈がない。俺だっておかしくなりそうだったのに、司本人に宛てられていて平気だなんて・・・。晃一は強がっている、なんて言っていたけど、本当にそれだけなんだろうか・・・。
やはり、秀也は司の事を別物として考えてしまっていた。
今までなら、晃一達と同じように司の事を感心していたかもしれない。
もう、司とはこれ以上やっていけそうもない。
秀也は目を閉じて、煙を足元に向かって吐いた。
******
しかしその夜、秀也は司と伴に過ごしていた。
何か見えない鎖で繋がれているかのように、吸い寄せられるように、司の部屋に居た。
二人はいつものように肌を重ねていたが、不意に司が背を向けた。
昼間のマリア像を思い出したのだ。
汚れのない秀也の魂を、汚れたこの手で縛り付けている自分が、突然悪魔のように思えたのだ。これ以上秀也に触れてはいけないように思えた。
「司、ごめん。俺、お前の事・・・」
「何でお前が謝るんだよ」
秀也の言葉を遮った。その先を聞きたくはなかった。
「司?」
司の肩が小刻みに震えているように見えた。透き通るような肩が、とても細く見える。
「お前の事、解ってたつもりでいたのに、全然解っていなかった。・・・オレ、あの娘のようにはなれない。・・・けど・・・」
秀也は思わず司をこちらを振り向かせた。
「けど・・・ 愛してるんだ、秀也の事。それだけじゃ、一緒にいる理由にはならない?」
そう言うと司は目を伏せた。
急に秀也は司が弱々しく、まるでそっと包み込むように触れないと、壊れて失くなってしまいそうな大切なものに見えた。
「司、そう言えばお前、最初にも言ったよ。俺の事が好きなんだって。それだけじゃ一緒にいたい理由にはならないか、って」
思い出すように言うと微笑んだが、司は秀也を見上げると、淋しそうに笑った。
「司、お前の事は愛してるよ」
そう言うと、司の唇を包み込むように口付けた。
二人は再び肌を重ねたが、秀也の肌の温もりを感じながら、何となくこれが最期のような気がして、司は秀也を抱き締めた。
翌日、一人デスクに向かってメールの開封作業をしながら、司は何となく疲れていた。周りの皆が見ても、何処か元気がないのが分かる。やはり、あれだけの嫌がらせを受けて、さすがの司も、相当参っているのだろうと思っていた。
今日は何事もなく、明日のコンサートに向けての打ち合わせも無事終了し、スタッフも総出で準備をしなければならず、早目に帰路に着いた。
「司、このまま帰るのか?」
ふと気になって紀伊也が訊いた。他の三人は既に帰ってしまっていた。
打ち合わせの間中、普段通り皮肉混じりの冗談を言って、皆を楽しませてはいたが、何となくいつもと違うと感じたのだ。
「あ、ああ。ちょっと疲れたみたい・・・」
紀伊也の顔も見ずに言う。
「駄目だ。食事に行ってからにしよう。また倒れられたら、ボンに何言われるか分かったモンじゃない」
そう言うと強引に店へ連れ出した。
司は何となく嬉しかった。
紀伊也の気遣いが身に沁みる。
長年一緒にいるからだろうか、当り前のようでいて、何となく安心する。食欲も、さっきまでまるでなかったのに、今では普通にあった。
「ねぇ、紀伊也」
目の前で黙々と食べる紀伊也にふと訊いてみたくなり、手を止めた。
「紀伊也には、好きな人とかいないの?」
ん? 突然訊かれ、紀伊也は手を止めた。
「いや、ホラ、日本に帰って来てから、その、そういう話、聞かないからさ」
紀伊也の面喰った顔を見て、決まり悪そうに目を逸らせた。
「キャロラインの事?」
「う、うん・・・まぁ・・・」
「彼女とは、こっちに戻って来る時に別れたよ」
あっさりと言う紀伊也に今度は司が面喰ってしまった。
「卒業したら彼女はCIA、俺はミュージシャンだからな。お互い住む世界が違うと、これからは何かと合わなくなるだろ。それで」
「CIAだったら・・・」
「彼女は知らないよ、俺の事。それに例え知ったところで、彼女の立場じゃ到底話にならない、だろ?」
「まぁ・・・」
司はフォークを置くと、黙って俯いてしまった。
「手を休めない。しっかり食べろ、ばか」
叱り付けられるように言われ、慌てて顔を上げると、睨むように笑っている。
思わず苦笑し、フォークを取った。
食後に珍しくカプチーノを注文し、砂糖を少し入れ、泡を掻き混ぜた。
「何かあったの? 秀也と」
くるくると、スプーンをカップの中で回している司の浮かない表情に、気になって訊いた。
「あ、いや・・・何も・・・」
「そ、なら、いいけど」
エスプレッソを一口飲んで、司の顔を覗き込むようにチラッと見る。
その視線に気が付いて、慌てて紀伊也から視線を逸らしたが、
「飽きたのかな」と、ポツリ呟いた。
「え?」
カップから顔を上げて司を見ると、何処となく寂しそうだ。
「長く居すぎたのかな。ほら、恋愛って、長きゃいいってもんでもないんでしょ?」
スプーンをカップの脇に置くと、カプチーノを一口飲んだ。
「何年?」
「え・・・と、8年、かな」
カップを両手で抱え、上目遣いに少し照れたように紀伊也を見た。
「確かに長いな。しっかし、よく続いてんな、お前ら。感心するよ」
半ば呆れたように息をつくと、タバコを取り出し、一本抜くと火をつけた。
「司って見かけによらず、一途だよな。秀也もそうだけど」
上に向かって煙を吐くと笑った。思わず司は俯いてしまった。
「あいつもそろそろ考えてんじゃないの?」
「何を?」
顔を上げて紀伊也を見ると、真面目な顔をしている。
「結婚」
「え?・・・」
目を見開いて茫然と紀伊也を見た。
そんな司に苦笑しながらタバコを吸うと、上に向かって煙を吐いた。
「お前が出来ないのは解ってるよ。でも、もし、お前が本気でそれ考えるんだったら、俺、Rに賭けあってもいいよ」
「でも、そんな事したら、お前マジで殺される 」
冗談混じりに言う紀伊也に、思わず身を乗り出した。
「まぁ、そうなってもいいさ。 お前が幸せになれるなら」
「何もそこまでしなくても・・・」
灰皿に落ちるタバコの灰を見つめた。
「それが、俺の使命だろ? お前の為に生きるって」
紀伊也を見ると笑っていた。
「・・・」
その夜、一人部屋でソファに座りタバコを吸いながら司は、紀伊也との会話を思い出して考えていた。
『住む世界が違う』
それが理由で紀伊也は彼女と別れた。
秀也も言っていた。『俺達は住む世界が違う』と。
確かに司と紀伊也は、他人には言えない能力の持ち主で、それを利用され、指令に従い任務をこなしている。 が、それは、本来の生活には何の支障も来たしていない。言わなければ、それは分からない事だ。それに、8年もそれを続けている。今更何が違うというのだろうか。
しかし、結婚に関しては全く意識した事がなかった。
それに考えた事すらない。仮に考えたところでRが許す訳がない。
司自身、仮にも考えられなかった。
そして、紀伊也が自分の為に命を投げ出すと言った。
それが使命であり、司の為に生きる、と。
8年前のあの日を思い出させる。
あの時、司をかばって紀伊也は負傷した。紀伊也がいなければ、確実に死んでいただろう。
それに3ヶ月前の広島での事件。
あの時も紀伊也がいなければ、恐らく死にはしなかったかもしれないが、重傷を負っていただろう。あの時の司は、避ける事すら出来ない程、何かに打ちひしがれていたのだ。
-もし、紀伊也がオレに会いさえしなければ、もっと普通に、自分の為に楽しい人生を送れていただろう。好きな人と別れる事もなく、もっと紀伊也の笑顔が見れただろう。
それに、秀也だってそうだ。こんなオレに逢ってしまったばかりに、縛り付けられ、苦しまなくても済んだだろうに ・・・。
それに、晃一もナオもそうだ。やりたい事があったのに・・・、大学まで卒業して、結局オレのわがままに付き合うハメになって、ここまで来てしまった。
皆、オレにさえ会わなければ、こんなに苦しまなくても良かった・・・
皆、オレにさえ会わなければ、あんな事件に巻き込まれる事もなかった・・・
オレにさえ会わなければ・・・
もう、誰も傷つけたくない・・・
もう、終わりにしたい、こんな事・・・
苦悩する司を包み込むかのように、暗く静かな夜が更けて行く。