第九章・Ⅳ束縛(三)
翌日、普段通り事務所へ行き、いつものようにデスクの前に座り、山積みになったメールを見て溜息をつく。
「おはようございます。司さん、それ終わったら、週末の打ち合わせしますから」
宮内は声をかけると、奥のソファでタバコを吸っている四人の元へと歩いて行く。
何気に小包を一つ取った。
白い包装紙に包まれているが、気にも留めず開封して行く。そして、そのまま蓋を開けた。
!?
蓋を手にしたまま息を呑んだ。
真白な仔猫が、心臓に細いナイフを突き刺されて血に染まっていた。その横には、真紅のバラが一本添えられていた。
思わず立ち上がり、蓋を落とした。
その拍子に椅子が後ろにひっくり返る。
皆が一斉に司を見た。
「あっ・・・」
司を見ていたスタッフが声を上げた。
ゆっくりと静かに倒れて行く司を見たのだ。
えっ!?
メンバーも慌てて司の元へ走ると、デスクの上には箱が開け放たれたまま置いてある。
「また、かよ・・・」
晃一は思わず目を反むけた。
秀也は真白な仔猫と真紅のバラに思わず愕然となった。
心臓に突き刺さったナイフは、まるで昨夜自分が司に浴びせた言葉のように思えたのだ。弱々しく見えた司の背中が仔猫を連想させる。そして、その蕾が少し開いた真紅のバラは司が最も好きな花だった。
ナオが蓋を拾い、箱にかぶせた。紀伊也が司を抱き起こす。
「顔色が悪すぎるな。誰か救急車呼んで」
そして抱きかかえると、ソファへ連れて行き、寝かせた。
病院から戻ると紀伊也はタバコに火をつけた。
「栄養失調?」
晃一が驚いて紀伊也を見上げた。
紀伊也は、溜息をつくように煙を吐きながら頷いた。
「そう言えば、あの爆弾騒ぎ以来、司がメシ行ってんの見た事ないな」
ナオが思い出したように言った。
「そう言えばそうだな。そういや、俺、アイツの分も食ってた気する」
晃一がナオに向かって言うと、ナオは呆れた。
「秀也、お前、あいつと行ってたの?」
ナオが、俯いて黙って座っている秀也を見下ろした。
「いや・・・。あいつとはほとんどスケジュール合わなくて・・・」
「そうだよな、忙しかったからな。・・・けど、今までだって忙しかったけど、体が資本とか言って、体調の管理には結構気を遣っていたと思ったんだけど」
「強がってたんだよ」
晃一がタバコに火をつけながら言う。 え? 三人は晃一を見た。
「やっぱりアイツもフツーだったんだよ。あれだけ色んなモン送りつけられりゃ、誰だっておかしくなるぜ。あいつの性格だ、弱いとこ見せたくなかったんだろ。俺達に心配かけたくないって」
ふうーっと天井に向かって煙を吐くと、続けた。
「なーんか、俺達ってホント、情けねぇな。あいつに、おんぶに抱っこだもんな。全部、任せっ切りだ」
「だから、秀也が必要だったんだよ」
紀伊也が言った。
思わず秀也は、タバコを銜えた紀伊也を見上げた。
「俺達の前では強がってたけど、お前の前では甘えてたろ?」
少し笑いながら秀也を見下ろして言う。
「オアシスだな」
今度は晃一を見た。
「司にとって、秀也は心のオアシスだったんだよ」
ナオが付け加えると、三人は一斉に秀也の頭を叩いた。
「愛されてんだなぁ、お前は」
ニヤついて言う晃一に、秀也は複雑だった。
司は例の如く、雅からいっぱい嫌味を言われ、病院を出た。
点滴を二本も入れられ、少し気分も良くなったが、何だか足取りが覚束ない。
病院の玄関を出ると、秀也が車に寄り掛かって立っていた。
一瞬、立ち止まって秀也を見つめたが、顔を逸らすと、秀也を避けて歩き出した。
「司、送ってく。乗れよ」
いつも司を優しく温かく包み込んでくれる声だった。
思わず立ち止まって秀也を見ると、微笑むようにこちらを見ている。そして吸い寄せられるように近づくと、抱き締められた。
「ごめん、司。俺、どうかしてた」
「秀也・・・」
目を閉じて、秀也の温もりを確かめた。
秀也は体を離すと肩に手を廻し、車へと連れて行く。
「何か食べに行こ」
「・・・要らない」
「でも・・・」
「家に・・・、家に帰りたい。疲れた・・・」
力なく呟く司に秀也は分かった、と言うと車に乗せた。
リビングに入ると司をソファに座らせ、その隣に腰を下ろすと肩を抱き寄せた。
『お前の前では甘えてたろ』
紀伊也の言葉が過ぎり、司の細い肩を感じた。
「秀也・・・」
下を向いたまま呟く。
「ん?」
「もう少し・・・ もう少しだけでいいから、オレの傍に居て」
「司・・・何言ってんだ。ずっと、いるよ。お前の傍に」
それは単なる言葉に過ぎなかった。
司にはそれが感じて取れた。しかし今は、嘘でもいいから秀也に傍に居て欲しかった。
司だけの秀也でいて欲しかった。
悔しいが、司にはゆかりのように柔らかく女性らしく振舞う事など出来なかった。
秀也の口からゆかりが語られ、秀也が何を望んでいたのか、それがはっきり解ったのだ。
そして、あの仔猫のようにナイフを胸に突きつけられた。
週末にはコンサートもある。
初めて、開け放たれたスタジアムでのコンサートだ。
何故か、それに懸けたかった。
それ故、今、秀也にゆかりの元へ行かれてしまうと、恐らくステージに立つ事などできないだろう。そう思うと、意地でも秀也にしがみ付きたくなっていた。
「司?」
秀也の腕の中で司は眠ってしまったようだ。軽い寝息を立てている。
秀也は司の肩を抱きながら考えていた。
やはり、皆から言われた事は自分にとって重かった。
あの時、皆に責められているような気がしていた。
もう、どうする事も出来ないでいた。司の事を愛していると思えば想う程、司を受け止め切れなくなっていた。
それにゆかりからも責められていた。
海で晃一と会った時に、付き合っている訳ではないと思わず言ってしまった事が、ゆかりの勘に触ったらしく、だからミュージシャンはどうのこうのと、色眼鏡をかけて見られた。
それが秀也にとっても堪らなく、どう弁解すれば彼女が納得してくれるか、考えあぐねていた。
しかし、冷静に考えれば、何もそうまでしてゆかりにこだわる事もない。
20歳で司に出逢ってから8年、お互い兄妹のように友達のように、そして恋人としての付き合いを重ねて来た。
何の諍いもなく。
このまま、司との付き合いを続ければ、恐らくこれまで通り、変わらない付き合いが続くだろう。
これからも、ずっと・・・
しかし・・・。
秀也には、何がこれだけ重たいのかはっきりと解っている訳ではなかった。
ゆかりという別の女性に逢ってしまった事で、何かが変わりつつあった。
それが何なのか、自分自身の中で一生懸命考えていたが、答が出ないのだ。
秀也もまた自分自身の迷いの渦に飲み込まれそうになっていた。
秀也の胸の中で電話が鳴った。
司は目を覚ますと、秀也から体を離した。
一瞬、二人は目を合わせたが、司が先に逸らせた。
電話を取り出すと、晃一からだった。
「もしもし・・・、うん、いるよ。・・・・待って」
司に電話を渡すと、黙ってそれを受け取った。
「何?・・・ああ、悪かったな。・・・ふんっ、分かったよ。じゃ、翡翠でも行くか? ・・・・ああ、オレの名前で予約しとけ。ああ、そうだ、フカヒレとツバメの巣ね。 よろしく、ほいじゃ、7時にね・・・、はいはい、うるせーよ。 じゃぁな」
苦笑しながら電話で話をしていた。
晃一に、嫌味の一つや二つでも言われたのだろう。秀也に電話を返しながらバツが悪そうだ。
「皆で行こうって。二人で来いってさ。・・・ねぇ、あいつ等に何か言われたの?」
「いや・・・」
言いながらも秀也の表情は、何か思い詰めているようだった事に司は気付かなかった。
その夜、司は秀也を帰さなかった。
別に肌を重ねる訳でもなく、寝室も別に過ごしたが、秀也をあの部屋には帰したくなかった。
秀也も承知していた。
それに何となく、自分でもあの部屋には帰る気がしなかった。
二人はお互い、何となく眠れぬ夜を過ごした。