第九章・Ⅳ束縛(一)
贈りつけられた物、それは全て司の想いだった。迷いの渦に呑まれそうになる秀也。
束縛
「あっれー、秀也さんその時計、カッコイイですね」
透が、秀也の左腕を取ってマジマジと見つめた。側にいた紀伊也も覗き込む。
「ホントだ。 へぇ、いい色だな。ダイヤがすっげぇ綺麗に巧くはまってんじゃない」
紀伊也も感心したように言う。
「結構したんじゃないんですか、これ」
透が上目遣いに秀也を見る。
「だろうな。このダイヤ、ちょっとやそっとじゃ手に入らないだろうな。ホラ、少し青みがかってんだろ、周りのディープブルーに合わせてあるんだよ。へぇ、いいセンスしてんなぁ。これじゃあダイヤだけで300万は下らないだろうな」
紀伊也が透に説明した。 ええーっ!! 透は驚いて、時計と紀伊也を交互に見る。秀也も驚いて紀伊也を見る。値段にも驚いたが、一目見ただけで、それがどういうものであるのか判る紀伊也にも驚いた。
透が誰かに呼ばれその場を去ると、紀伊也はニヤっと笑って、秀也を小突いた。
「司だろ」
「えっ」
「司からプレゼントされたんだろ」
「う、うん、まあね。でも、そんなにすごいもんなの、これって・・・」
少し恐縮してしまった。
「ま、アイツにしてみれば大したモンじゃないだろうな。けど、何年前から注文してたんだろ・・・」
「え? 何か晃一が言うには、1年かかるところを3ヶ月で作れって言って、実際は半年かかったみたいだけど・・」
「3ヶ月!? そりゃまた無茶苦茶な・・。それでも半年か。余程運が良かったんだな・・」
「でも、300万って・・・。200万って聞いたけど」
「そりゃ、まけさせたんだろ。原価なんてたかが知れてるからな。それで半年だろ、相当交渉したんじゃねぇの? ホント、秀也って罪な男だよなぁ。司にそこまでさせるなんて・・・。本当に愛されてるんだな、お前」
そう言って秀也の肩を叩くと、デスクでメールを真剣な眼差しで開封している司の所へ行った。
紀伊也の言葉が重く圧し掛かる。
確か、子供の頃からの付き合いだと言っていた。司の事をよく知る紀伊也にまで言われると、何となく気が重くなって来る。
そして晃一の言葉だ。『お前の為なら全財産投げ出すんじゃねぇの』
もしかしたら本当にそうするかもしれない。仮に秀也の為に死ね、と言われたら本当に死んでしまうかもしれない。
秀也は急に、抱えきれない何かを背負ってしまったように感じて、思い詰めたように司を見つめた。
紀伊也が司に何か耳打ちすると、二人でこちらを見たが、司は照れたように笑うと、紀伊也の頭をはたき、またメールを開封し始めた。
先程の秀也の視線が気になって、ふと顔を上げると、秀也が外へ出て行くところだった。
何となく気になって席を立つと秀也の後を追った。
「秀也」
秀也は立ち止まると振り向いた。
何となく、浮かない顔をしている。
「どうか、した?」
心配になった。また、何処かへ行ってしまうのではないかという不安に駆られてしまう。
「いや、別に・・・」
秀也は首を横に振ると、壁に寄り掛かって、手をズボンのポケットに入れた。
「例の話だけど、晃一から聞いたよ。いくらでも出すって」
「ああ、その話」
少し安心して司も秀也の隣に同じように壁に寄り掛かった。
「本当にいいの?」
「うん、いいよ。だって、お前らの夢なんだろ。やりたい事があるんだったらその時にやらねぇと、後で後悔するからな。それに何だか楽しそうじゃん。ショップ持つってのは、オレのガラじゃないからよく分かんないけど、秀也の経営学だって役に立つんじゃないの? まぁ、晃一の頭じゃ危ねぇけど、お前なら出来ると思うし、ナオがサポートしてくれるんなら最強だしな」
「でも、俺らの事なんだぜ。お前には関係ないだろ」
「関係ないなんて言うなよ、仲間だろ。それに、オレだってお前らの夢に、少しでも乗りてぇじゃん。な?」
嬉しそうに秀也の顔を覗き込んだ司を見て、秀也はフっと笑った。
「金の事なら心配すんな。お前の為なら全財産、投げ打ってやるさ。それに、それ位しかオレにはできねぇしな」
え・・・
「じゃ、オレ行くわ。また、いーっぱい、メール来ちゃってるから」
そう言うと壁を蹴って事務所に戻って行った。
後に残された秀也は、何かの虚しさを感じると、天井に向かって溜息をついた。
秀也が事務所に戻ると、皆が司を囲んでいた。
また、何か来たのか。
「あ、秀也・・・」
晃一が手招きしている。秀也が近寄ると、司は手元をじっと見ていた。
そして、例の白い包装紙を慎重に開けた。
少し血生臭い匂いがする。
箱を開けると、ナイフが一本と写真が一枚入っている。
おもむろにそれを取上げると、ダイヤの粒のついた柄のナイフの先に血がついている。そしてその先端には、写真が一枚突き刺してあった。
よく見るとその写真は、その辺で売っているライブでマイクを握っている司の写真だった。
そして、血塗られたナイフは、司の心臓を突き刺していた。
皆、息を呑んで絶句している。これが何を意味するのか察知はついた。
単なる嫌がらせにしては、手が込んでいる。
?
箱の中にもう一つ何か入っている。取り出すと、血に染まった木彫りの十字架だった。
「何だか、気味悪ィな」
晃一が言ったが、司は無言のままナイフの柄を持つと、そっとナイフの先を、鼻に近づけ匂いを嗅ぐと、紀伊也の鼻にも近づけた。
おいおい・・・。
「間違いないな」
呟くように紀伊也に向かって司は言うと、紀伊也は納得したように司を見て黙って頷いた。
「とか何とか言っちゃって、もしかしてケチャップだったりして」
透がおどけて、ナイフの先の血に触ろうとした。
「ばかっ!」
咄嗟に司は払い除けた。
「人間の血だ。感染したらどうすんだっ!?」
えっ!? 一斉にナイフに注目する。
「人間って、誰の?」
晃一が訊く。司は呆れて晃一を見上げた。
「それがわかりゃ、苦労しねぇよ」
「でも、血液型とかで分かるんじゃないの?」
ナオが言う。
・・・ったく、こいつら・・・
「あのなぁ、どこかの刑事ドラマじゃねぇんだ。血液型調べて、その後どうすんだよ。日本人全員の血液と照合でもするつもり? それに日本人じゃなかったらどうすんの? アホか、お前ら」
「そりゃ、そうだ」
晃一がこの状況の中、妙に納得したように言うと、周りの者も全員、そうだ、そうだと、顔を見合わせながら頷いた。
「あー、よかった」
突然、晃一が安心したように言った。
「何が!?」
司はムッとして振り返ると、晃一を睨んだ。
「だってよぉ、お前らみたいに、学識のあるヤツら敵に廻したら怖いだろ。逆に、味方につけときゃ怖いもんなしだ」
はぁ、と司は溜息をついた。 救いようのないアホだ・・・。
「あのなぁ、冷静に考えりゃ誰だって分かる事だろ。それを一々、学識だの言われちゃたまんないよ」
「でも、よくこの状況の中、冷静になれますね 」
透が感心したように言うと、他のスタッフも頷いた。
「だから、こういう時程、冷静になれってよく言うだろ。お前らホント、救いようのねぇバカだなぁ・・・」
本当に呆れると、下を向いて息をついた。
「けど、やっぱその辺は学歴の差に出るんじゃねぇの?」
晃一がやはり感心したように言う。
「え、何処でしたっけ?」
透が晃一に訊く。
「あれ、お前知らないの?」
晃一が驚いて透を見ると首を横に振っている。見れば他のスタッフも、全員首を横に振っている。
「晃一っ!!」
司と紀伊也が慌てて制したが、そのカルい口が、構わず開く。
「司はホラ、イギリスのオックスフォードだろ。 紀伊也なんてホラ、名門中の名門、アメリカのハーバード。しかも学士だっけ?」
「学士はオレ、紀伊也は博士」
司が諦めたように付け加えた。間違えられたら名誉に傷つく。
「そうそ、すげェよな。俺らだって大学出てるけど、話になんねぇよ」
「え、晃一さん、大学行ってたんですか!?」
透は信じられないと驚いて晃一を見る。
「あったりめェだろ。こう見えても一応早稲田行ったよ」
「うっそ・・・」
晃一はムカついて透の頭をはたいた。 晃一の口は更に滑る。
「秀也だって慶応だし、ナオなんて一橋だぜ。分かったかっ」
バシっ、ドスっ、ドカっ、ボカっ。 メンバー四人に殴られ蹴られ、晃一はその場にうずくまった。
「ったく、お前は・・・ ジュリエットがインテリバンドだ、って言いてェのかよっ 」
司は更にケリを入れた。 が、メンバーを囲んでいるスタッフは、口を開けて五人を見つめている。
何なのこの人達は・・・。
特に司と紀伊也には驚いていた。この二人の事は、よく分からないのだ。
その夜、秀也は自分の部屋へ戻ると、腕時計を外してテーブルに置くと、ソファに座って、それをじっと見つめていた。
海で晃一に言われた事、事務所で紀伊也に『司に愛されているな』と言われた事、司に『お前の為なら全財産投げ打ってやる』と言われた事、そして、司と紀伊也の取った行動と学歴。
それらを全てひっくるめて考えていた。
そして、ある結論に達すると同時に劣等感に襲われた。
秀也は、それに打ち勝つだけの勇気もなければ、それに打ち勝つ事など、到底出来るものではなかった。
そして、何かを求めるように電話をかけると彼女の元へと向かった。