第九章・Ⅲ贈り物2(三)
10月に入り、いよいよ今月末にアルバムと写真集の発売という事で、最終チェックや各取材に追われ、更にツアーも本腰を入れる事になった。
土曜日の天気のいい日にオフが貰え、晃一は一人で海に出かけていた。ナオは、久しぶりに彼女と過ごせると喜んでいたので誘わなかった。
駐車場に車を入れると、見覚えのある車が止まっていた。
ウェットスーツに着替え、サーフボードを手に浜へ行く。
朝陽が黄金色に浜を照らしている。
静かな海辺は、波の音だけが響いている。潮風が気持ちいい。波が静かで、数人のサーファーが、サーフボードの上にうつ伏せ、波間を漂っている。
「何だ、今日はハズレか?・・・・ま、いい」
海へ入ると、彼等に混じってサーフボードに股がり、辺りを伺った。と、その時、にわかに風を感じると、遠くから朝陽に照らされ、きらきらと光る巨大な波の山がこちらへ向かって来る。
-お、来た来た
晃一はうつ伏せると、浜に向きを変えた。一斉に皆同じように構える。
ザザーっ・ ・ ・
波しぶきと伴に、瞬間サーフボードに立ち上がり、波のカーブに沿ってボードを走らせる。
滑るように山を駆け上がり、頂点に飛び乗ると、ボードから足を一瞬離し、体制を崩してボードに掴まると、うつ伏せた。そして、ぐいっと腕に力を入れ、ボードに股がった。
-ふうーっ、気っもちいいなぁ・・・。これがなきゃ、やってらんねェな・・・。 ところで、あいつは・・・。
ぐるっと、一周すると、浜に向かってサーフボードを抱えて歩いて行く後姿を見つけた。
-お、いたいた・・・・あん?
手を上げて誰かに合図している。その先を見ると、サーフボードを横に座っている女の子がいた。
-え? 何だよ、あれ・・・。
見ていると、髪を振りながらかき上げ、サーフボードを置くと、彼女の横に座った。何だか楽しげに話をしている。その内肩を抱き寄せると、頬に口付けをした。
-ちょっ・・・、ナニっ!?
その時、波が晃一を後ろから直撃し、晃一はひっくり返ってしまった。
慌てて顔を出し、サーフボードがそこにある事を確認すると、それに掴まりうつ伏せて、浜に向かって漕ぎ出した。
誰かが、海から上がってこちらへ近づいて来る。
朝陽が眩しくて顔がよく見えない。 目が慣れ、顔を確認すると晃一だった。
「よぉっ」
晃一がサーフボードを小脇に抱え、片手を上げた。秀也も黙って軽く片手を上げた。
「こんにちは」
晃一は彼女を覗き込むように見ると、チラッと横目で秀也に視線を送る。
ごくん、と生唾を呑んで晃一を見上げると、晃一は黙ってサーフボードを置くと秀也の横に座り、後ろにあったタバコとライターを見つけてそれを一本取ると火をつけた。
ふうーっと、煙を吐きながら秀也にタバコとライターを渡すと、秀也も一本抜いて火をつけた。
「いつから」
タバコを吸いながら横目で秀也を見る。思わずギクッとして晃一を見た。
「いつから付き合ってんの? お前ら」
付き合っていると言われ、ゆかりはつい嬉しくなり頬を赤らめた。
「バレンタインから・・」
「そんなんじゃねぇよ」
ゆかりと秀也の声が重なった。ゆかりは「え?」と秀也を見たが、秀也はゆかりには見向きもせず、晃一に向いていた。そしてタバコを吸うと、海に向かって煙を吐いた。
「ふーん、ま、いいや。俺には関係ねぇからな。・・・あれ? 時計してないじゃん」
ん? 秀也は左手にゆかりから貰った時計をしていた。思わず、してるよ、と左手首を晃一にかざす。
「それじゃなくて、ホラご自慢の、何だっけ? 世界に一個しきゃない秀也くんの時計」
秀也のはめている時計を指で突っつきながら言うと、ニッと笑って秀也を見た。
秀也はギョッとして晃一に視線を送ったが、瞬間左手を引っ込めると右手でそれを隠した。
え?とゆかりが秀也の顔と隠された時計を交互に見る。それを見た晃一は、ははーんと、察した。
-彼女に貰ったのか、ったく、調子のいいヤツだ。
とたんに晃一の意地の悪い性格が顔を出す。
「後でこいつに見せてもらいな。すっげ、イヤらしい時計なんだぜ。何たって、特注だからな」
「特注?」
ゆかりが秀也を超えて晃一に向いて訊く。
「そう、本当は1年掛かるところを無理言って、3ヶ月で作れって言ってさ、結局半年かかったらしいけど。・・ しかも、ダイヤだって、クズは入れるなって脅したんだからな。そ・れ・に、イニシャル入り、なっ」
驚いて秀也は晃一を見た。ゆかりも驚いて晃一を見ると、視線を秀也に送った。
「それって、いくらしたの?」
ゆかりが秀也に訊く。 え? 秀也はゆかりを見たが、自分で買った訳ではない。答える事が出来ず一瞬息を呑んだ。
「200万」
晃一が海を向いて呟くように言った。
・・・、えーーっっ!?
一瞬の沈黙の後、二人は同時に驚いた。
「そんなにしたの!?」
二人は同時に言った。ゆかりは秀也を見、秀也は晃一を見ていた。
恐らく司から聞き出したのだろう。あの日、晃一とナオにはかなり自慢したのだ。
お陰で二人は、うんざりと脹れていた。
「すっごーいっ、是非見たいわ。さすが、ジュリエットの秀也さんね」
ゆかりは目を輝かせた。秀也は複雑な表情だ。そして晃一は呆れた。
「秀也が自分で買えるかよ。あんなわがまま言って作らせるなんざ、日本中探したって、あいつしかいねぇだろ」
「あいつ、って?」
ゆかりが晃一を見た。 晃一は秀也を通り越して、ゆかりを覗き込むように見ると言った。
「司だよ」
秀也は、冷汗が出そうになった。
「え、司さん? 司さんが秀也さんにプレゼントしたの? そんな時計を?」
目を丸くして秀也を見る。司と秀也がメンバーの中で一番仲が良いというのは、ファンであれば誰もが承知している事だった。
「やっぱり、仲が良いのねぇ。それにさすが芸能人ね。私なんか絶対そんな事できないわ」
憧れるように秀也を見ている。
・・・仲が良いね・・・、こいつ、言ってねぇのかよ。ま、言える訳ねっか・・・。でも、こいつの性格からすると、アソビっていうのもな・・・。
秀也が、ゆかりを見ながら微笑んでいるのを見ると、晃一は急に司が気の毒になってしまった。
「そういや、あいつ言ってたぜ。お前じゃなきゃそこまでしねぇってな。あ、そうだ。秀也、例の話だけど」
思い出すように言うと、秀也がこちらを見た。例の話で、急に二人は真剣な顔つきになった。
「いくらでも出すってよ。失敗したって構わねぇって言ってた。あいつの事だ、お前の為なら全財産投げ出すんじゃねぇの?」
そう言うと、両手を後ろについて空を見上げた。
「あいつには悪いけど、俺らの夢も叶えようぜ」
秀也は黙って頷くと、目の前に広がる海を見つめた。
「それと、お前も、はっきりさせろ」
秀也を横目で刺すように見ると立ち上がった。
「俺、帰るわ。あれ、彼女、名前は?」
「あ、ゆかりです」
「そ、じゃね、ゆかりちゃん・・・いくつ?」
「今年で25です」
「司と同じか」
呟くように言うと、サーフボードを抱え、じゃね、と手を振りながら去った。
晃一が行った後、秀也は海を見ながら考えた。
何故、晃一があんな事をゆかりの前でわざと言ったのか。でも、何となく晃一が何を言いたいのか、解るような気がした。
司とゆかりを天秤にかけるような事をするな、という事だ。それは自分でも解っていた。しかし、今は自分にとって、どちらも大切だった。
しかし今、30歳を目の前にして、これから一歩踏み出そうとしている時に、秀也は、二人の間で揺れ動こうとしていた。
晃一は、一人都心に向かって車を走らせながら、秀也と司の事を真剣に考えていた。
秀也はアソビで女と付き合える性格ではない。それを知っていて、司は秀也に女友達を作れと言ったのだろうか。司もああ見えて極端に一途な性格だ。事、秀也に関して言うならば特にそうだろう。恐らく秀也の為なら命だって投げ出す。そういうヤツだ。それを秀也に、他に女が出来たと知ったならどうするだろう・・・。
この先は考えたくなかった。が、考えざるを得ない。
もし、万が一これが原因で二人が別れるような事になったならば、恐らくジュリエットとしてはやっていけないだろう。
「・・・解散か・・・」
そこまで考えてしまった。
夕方、突然振り出した豪雨に打たれながらマンションへ辿り着くと、髪を左右に振って水しぶきを飛ばし、手ぐしで梳かすと、エレベーターに乗って最上階まで上がる。
一番奥の部屋の前で止まり、ズボンのポケットに手を入れて鍵があった事を確認すると、安心したように鍵をあけ、ドアノブを廻すと中へ入った。
トゥルル・・・、トゥルル・・・
リビングから電話の音が聴こえる。
慌てて靴を脱ぐとリビングに入り、受話器を取った。
「もしもし・・・」
「・・・・。」
「もしもし・・・・、光月ですが」
「・・・そろそろ決着をつけるか・・・、タランチュラ」
っ!?
あの男の声だった。
電話はそれだけで切れた。
司は受話器を戻すと、窓の外を見た。その目は徐々に冷酷さを帯びて来る。
ヤツは何者だ・・・
オレの行動を全て知ってやがる
しかし、気配が感じねぇ・・・気味の悪いヤツだな、ちっきしょう、何処で見てやがるんだ・・・
ドンっ、苛ついて窓を拳で殴った。