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第二章・命日

第二章 命日


 あの誘拐事件から一週間、驚異的な快復力で仕事をこなしていた司だったが、どことなく沈んでいた。

紀伊也以外事件の事を知る者はいなかったが、落ち込んでいる原因が司の家柄の事を知られたせいかと、皆勝手な想像をしていた。確かにその後すぐにそれに追い討ちをかけるような事実が発覚したのだ。

 退院して二日後、まだふらつく体を押しながら打ち合わせの為事務所にいた司に訪問客があった。

司はメンバー達と休憩に入り、奥のソファでタバコを吸っていた。

先日、司が初めて皆の前でショーツ姿を披露した事が話題になり、今日は着けてる着けてないの何ともくだらない会話をして盛り上がっていた。

そこへ突然の訪問客である。

「司さん、杉乃さんて方がお見えですけど」

そうスタッフに告げられて思わず、え? と顔を上げた。

入口には70代半ば位の優しそうな垂れた目に上品な白髪混じりの女性が一人立っている。

「ば、ばあや!?」

手にしていたタバコを落としそうになり慌てて灰皿に押し付けると立ち上がった。

そこに居たスタッフ全員は普段決して耳にすることのない単語に驚いて司と女性を交互に見る。

メンバーは見知っていたのだろう、皆軽く頭を下げた。

司は驚いて杉乃に駆け寄った。

「どうしたの!? 何かあったの!?」

心配して顔を覗き込む。

杉乃は一瞬微笑んだが、すぐに怒ったように

「今日はお帰りになっていただきますっ、お嬢様っ」

と叱り付けるように言った。

またか、と、司は肩をすくませた。

「そりゃ、無理だよ。今忙しいし、それに親父おやじに会わす顔がないよ」

「いいえ、旦那様にはわたくしと奥様からお願いしておきました。それに、お嬢様があんな目に遭われたというのにお見舞いにも行く事が出来ず・・・ というよりはお嬢様が勝手に退院されてしまったのですけれど・・・。 とにかく、お体が心配で。何よりも奥様が会いたがっていらっしゃいます」

「ええーっ、もういいよぉ。体だってホラ、この通り大丈夫なんだし」

「駄目です。いつもそう言われてお帰りにならないではないですか! この杉乃が来たからには、今日という今日は帰っていただきますっ」

そう凄まれてはさすがに司も承諾せねばならなかった。

「はいはい、わかりました。それじゃ、夕飯には行くからばあやのポトフ、作っておいて」

「かしこまりました。必ず来て下さいましね」

念を押すように言われ、「わかったよ」と頷くと肩を抱いて外へ送り出した。

スタッフは全員、息を呑んでそのやり取りを聞いていた。が、

 『ばあや?』 『お嬢様?』

そんな会話に、今現実にどこの世界の会話だったのだろうと首を傾げる。

中世のヨーロッパか、はたまた明治や大正の貴族のドラマの台詞の一部なのか。

司が戻って来た時に思わず宮内が訊いてしまった。

「今の、司さんのおばあさんですか?」

「ん? 違うよ。今のは、ばあや」

卒なく答える。が、宮内にはまったく理解出来ない。

「ばあや・・・ って?」

「え? ばあやは、ばあやだよ。いるんでしょ?」

一瞬、皆キョトンとしてしまった。

「そんなもんいねぇよ、ばか」

すかさず晃一が応えた。

「え? うそ、だって紀伊也んにもいたよね」

司が紀伊也を見ると、メンバー含め全員がギョッとして紀伊也に注目する。

その瞬間司は紀伊也に睨まれて、しまった、と慌てて口を覆ったが既に遅かった。

晃一の攻撃が始まったのである。

「おおっ、さすが、お嬢様とお坊ちゃま。育ちが違いますねぇ。俺達庶民には身の回りをお世話して下さる乳母なんて者はいませんからねぇ。やっぱり元貴族のお家柄の方って生活の基本が違うんでございますかねぇ」

嫌味と皮肉たっぷりのセリフに思わず紀伊也が反撃した。

「俺と司を一緒にするなっ。俺は自分の事は自分でするぞ。身の回りの世話なんかしてもらった事はないっ」

「こりゃ、失礼しました。一条財閥の三男坊さん」

 言ってしまった・・・

司は蒼褪あおざめて紀伊也を見た。紀伊也は怒りを通り越して諦めている。

但し、このセリフの元凶が司であった事は忘れもせず睨みつけているが。

 一条財閥と云えば、戦後一条グループとしてリゾート開発やホテル・ゴルフ場経営等で名を挙げている企業だ。

紀伊也もどこか小さな会社の社長の息子だと聞いてはいたが、そこの御曹司ともなれば話は別だ。あの、落ち着きと気品のある身なりや仕草はそこから出るのかとスタッフは全員、驚きと敬服した目で紀伊也に視線を送る。

そして司は・・・『お嬢様』だった。

ただ、その風貌からは到底信じる事の出来ない『お嬢様』だった。

 そんな事があってからか、司は浮かない顔をしていた。

晃一もあの時悪気があって言った訳ではなく、司が余りにも当り前のように自分と皆が同じであると信じて疑わなかったので、つい戒めるつもりで言った結果、ああなってしまったのだ。

その後二人には謝ったのだが・・。

紀伊也とていずれは分かる事だろうと思っていただけにそれ程気にも留めていなかった。

 ただ司にとっては、浮かない理由の一つに時期が悪かった。

もうすぐ、兄の命日だった。

二人はそれを忘れていた。


 詫びのつもりか何とか元気付けようと、ナオと三人で司の為に夕食を作ろうと家に遊びに行った。

「あれぇ、秀也は?」

一番来て欲しい人物が居ない。

「あ、ごめん。今日は大学ん時の連れと飲みに行ってる」

「なあんだ、つまんない」

「うっわ、すっげご挨拶だな。お前、それって俺達に失礼だと思わねぇの?」

晃一が呆れる。

「思わねぇよ」

司は舌を出してソファにもたれた。ナオがビールを司に渡しながら「ま、秀也が聞いたら泣いて喜ぶんじゃねぇの」と笑う。台所では晃一と紀伊也が何やらぶつくさ言いながら準備をしていた。

「ホンッときれいな台所だなぁ。冷蔵庫ん中も相変わらず入ってねえし、鍋だってピカピカ。にしちゃあ調味料はスーパー並みに揃ってるな。何だこりゃ、ナメツグ?」

一つを手にして、晃一が不思議そうに言うと、

「ナツメグ。よく読めよ」

呆れて紀伊也が返すと、

「司ぁ、お前こんなに調味料あるけど料理してんのかよ?」

晃一は台所から大声で訊いた。

「んあ? んなもんするわけないっしょ。訊くなよ」

呆れたように司はビールを飲んで返す。

隣で飲んでいたナオも思わず吹き出した。

「あれ、でもこの3年間全く台所使ってないって事はないよね」

「ないだろ。だって、だいだい使ってんのお前等だろ。どこに何があるってナオの方が詳しいんじゃないの? いまだにスープ皿がどこにあるって知らないよ」

「だよなあ」

ナオは更に笑い転げた。

 これだけ台所に興味のない人物には会ったことがない。

台所と言えば、とりあえず衣・食・住、生活する為の食の中心となり得る場所だ。いくら不器用でも一人暮らしをしていれば、自分の台所に何がある位は分かるだろう。

が、司は全く興味がない。確実にいろいろな物が揃っているのに何があるか本当に知らなかった。が、必要な物はあるのが当然のように言っていた。

 一時間程、ナオとチェスをしながら待った。「できたぞ」という声と共に、皿が運ばれて来る。司とナオはチェスを片付けるとダイニングテーブルに付いた。

「すっげ、これ二人で作ったの?」

感心したように晃一を見る。

「当り前だろ」

胸を張って自慢気に司を見ると

「お前は鍋専門かと思ってたけどな」

とナオが鋭く突っ込んだ。

後から紀伊也がワインを持って現れた。

「そうね、ほとんど鍋見てただけだからね」

「やっぱ、紀伊也って天才だよな。俺、紀伊也を嫁さんにしてぇわ」

晃一が皿を並べながら言うと

「おあいにくさま、俺そういう趣味ないから」

と紀伊也は舌を出し、四つのグラスにワインを注いだ。

 色彩々(とりどり)のサラダにパスタが3種類、チキンのハーブ焼きにチーズ・ハムの盛り合わせ。それぞれがきれいに盛り付けられている。三ツ星レストランとまでは行かないが、表通りから外れた隠れ家的な店でも出せそうだ。

「美味しいよ、これ。ねぇ、店でも出せるんじゃないの?」

一口ずつ食べて司は感嘆の声を上げた。

「そうだな、もし売れなくなったらバンド辞めて店でも出す?」

ナオも目を細めて紀伊也を見た。

「おいおい、こんなの誰でも出来るよ。パスタなんて探せばいくらでも美味しいソースは手に入るし、チキンだってオーブンで焼くだけだし、チーズとハムだってその辺で売ってるの並べただけだぜ。司だってその気になれば簡単に出来るよ」

そう言うとワインを飲んだ。

司は思わず手を止めて紀伊也を見た。

 -そう言えば、前にも兄ちゃんに言われたっけ・・・

  パスタソースなんてものはどこででも手に入るから作ってみろって・・・。

 - ん?

一瞬紀伊也と司の目が合った。が、司は慌てて目を逸らすとフォークとナイフを動かした。

 久しぶりに気心の知れた仲間と手料理で楽しんだ司は珍しく片づけを手伝った。洗い物をしている紀伊也に次々と皿を運んでいく。ナオと晃一はソファで一服していた。

 パアーンっ と食器の弾ける音と「うわぁっち」という紀伊也の声が重なった。

司は驚いてテーブルを拭いていた手を止めて台所へ走った。

「どうしたっ!?」

「あ、ごめん。グラス割った」

水道の蛇口から流れる水に左手を当てている。

思わずその手をぐいっと取ると、ピっとしぶきが司の口に飛んだ。

 血、の味・・・

蒼褪めて手を見ると人差し指の付け根辺りから血が滴り落ちている。

「紀・・伊也、 血 ・・が出てる・・・」

「大した事ないよ。少し切っただけだから」

それより紀伊也は司に驚いた。凍りついたように蒼褪めて自分を見ているのだ。

このままでは司の方が貧血を起こして倒れてしまいそうだ。そこへナオと晃一が音に気が付いて台所へ入って来た。

「大丈夫か?」

「ああ、大した事ない。少し切っただけだから」

そう言うと二人を見て笑ったが、司が手を離そうとせず血がそのまま手首を伝った。

「結構、切れてんじゃないの? ったくドジだなぁ」

晃一が呆れたように言う。それを見てナオは救急箱を取りに行った。

「大した事ないって、お前、血が出てる・・・」

司の声は震えていた。

 ?

らしくない。そう思って晃一は怪訝けげんな顔で司を見た。

「何だよ、それくらいで。心配すんなって」

「それくらい・・・って、紀伊也が血を流してるんだぞ! 紀伊也、大丈夫なの!?」

明らかに取り乱している。そのうち本当に貧血で倒れてしまった。

司をソファに運び、紀伊也の手当てが終わるとナオが代わりに洗い物を片付けた。

「どうしたんだよ、いきなり・・・」

普段はどれだけ血を見ても平気な筈なのだが、今回ばかりは少し様子がおかしい。それにやけに紀伊也を強調していたのが晃一には気になった。が、紀伊也に訊いても検討がつかないと言うだけだ。

が、ただ思い当たるとしたらあの時の事しかない。

そして明後日あさってが16日だということに気が付いた。

「明後日だよ、命日・・・」

そう呟いた。

晃一もナオも黙って横たわる司に視線を落とした。



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