第九章・Ⅱ贈り物(二)
東京駅に着くと、そこでメンバーは解放された。一週間のオフだ。が、この間にも取材とテレビ出演が入っているので、厳密に言うと四日間だった。それでも久しぶりに東京へ戻り、自宅で寝る事が出来るというのは何よりの休息だ。が、司には休む間もない。煮詰まり過ぎているアルバムの曲の作成に余念がない。それに、早く事務所に行って、溜まっているメールの山を開けなければならない。司は透を伴って急いで事務所に向かった。
案の定、二週間分のメールは物凄い事になっていた。心配して紀伊也が後から来てくれたので、何もなさそうな手紙は紀伊也に任せた。そして、小包は全て司が開封した。
明日が司の誕生日という事もあり、かなりの数の小包が来ている。毎年の事ながらファンに感謝する。昼過ぎから開封し、既に日も暮れかけていた。
大方、開封作業も終わり、最後に3つ、箱が残った。
どれも みかん箱の半分位の大きさで、白い包装紙に包まれており、あて先はどれも司本人になっているが、差出人はない。
「さあて、どれから行こうかね」
指で3つの箱を一つずつ指す。
「透、どれがいい?」
「どれって、言われてもねぇ・・」
見れば他のスタッフも三人を興味深げに囲んでいる。
これは? と一番右を指した。
「じゃ、それから順番に行きますか」
司は言うと、一番右の箱を手にする。
慎重に封を開けていく。何となく血生臭い匂いがする。
まさか、と思いながら蓋を開けた。
「うわ・・・、すっげぇな・・・、可哀そうに」
思わず顔を背けると蓋を閉じた。
「え?何ですか、今の?」
透が興味深げに訊く。 スタッフも同じように司を見るが、紀伊也は何となく想像して厭な顔をした。
「見たい?」
司が意地悪そうに皆を見渡すと、皆、黙って頷いた。司は黙って蓋を開けると、素手で中のモノを掴み上げた。
「ひィっ・・・!!」
全員が息を呑んで目を背けた。女性スタッフは悲鳴を上げて逃げ出した。
黒い塊から血が滴り落ちている。
黒猫が目を開けて首から下がなかった。
そのまま用意されたビニル袋に入れると、箱に戻して蓋を閉じた。
「お前、よく持てるな」
紀伊也が感心したように言ったが、司は無言のまま次の箱を開けた。と同時にすぐに蓋を閉じた。
「何?!」
透が驚いた。
「ちょい、袋。すぐ入れるから」
「だから! 何ですかっ!?」
怒ったように言うが、今にも泣き出しそうだ。
「コブラだ」
えっ!? 驚く間もなく、司は箱を開け、素早く手を入れると押さえ込んだ。
箱から出すと、テレビや図鑑で見た事のあるコブラだった。
尾が司の腕に巻き付いている。頭を強く押さえ込み、デスクに打ち付けると、ビニル袋に入れて封をし、箱に戻した。
皆、青ざめて司を見たが、司は無表情のまま、次の箱に手を掛けようとした。
透が震える手で、それを制するように司の手を掴んだ。
「もう、止めましょうよ・・・。 警察に届けて、あいつ等にやらせましょうよ」
恐らく全員が同じ気持ちだろう。皆、固唾を呑んで司の言葉を待った。
「届けてどうすんだよ。あいつ等を殺すつもりか? 」
透を横目で睨みつけると、その手を振り払った。そして箱の包装を解くと、両手でそっと持ち上げ耳に近づけた。
ガサっ、ゴソっと何か中で動く音がする。
- ホッ、まだ生きていたか・・・。
安心したように息をついたが、すぐ険しい表情になると、透を見た。
「おい、何か食いモンねぇか?」
え? ・ ・ ・ 呆然と司を見る。
今のこの状況が、この人には解っているのだろうか・・・?
「確か、さっきそこに笹かまが・・」
スタッフの一人が、デスクを指す。
「ほぉ、随分といいモンがあるじゃねぇか、持って来い」
箱をテーブルに置くと、透が箱に顔を近づけた。
「ねぇ、これ、何か動いてますよ」
全員が、えっ!?と驚いて箱に注目する。紀伊也も顔を近づけた。
「ホントだ。・・・ちょっと司、これって・・・」
驚いて司を見ると、箱を見ながら黙って頷いた。
「タランチュラだ」
紀伊也は、ソファから落ちそうになる程驚いた。と同時に不安になる。司の目が僅かながらにも冷酷さを帯びて来ている。皆がいるので、何とか抑えてはいるが、いつ豹変するか分からない。
スタッフの一人が、笹かまの入った箱を持って来た。司はそれを受け取ると、一つ封を切って箱の隅を持ち上げて、中へそっと落とし、素早く蓋を閉めた。
中のモノがごそっと動き、飛びついたようだ。そして、もう一つ入れた。
何かが笹かまを食べているようだった。
「司、ホントにそんなもんでいいのか?」
紀伊也が恐る恐る訊く。
「何もないよりはマシだろ。相当腹空かせてやがるからな。誰かが食われるよりはマシだ」
そう言って箱を見つめた。まるで、飼い犬に餌でもあげているかのようだ。
「透、どうすんだ、これ。このまま警察に持って行くか?」
透は首を横に振った。殆ど狂喜しているかのように、中のモノが見たくなっていた。
それにタランチュラと聞いて、それがどんな生き物なのか、実際にこの目で確かめてみたくもなった。
「はは、お前、見たいんだろ」
司は半分嬉しそうだ。
この三人、狂ってる・・・。 そうスタッフは一瞬思った。
「お前等も見たい? こんなの実際ナマでそうそう拝めるもんじゃないよ」
楽しそうに言う司に恐怖を覚えながらも皆興味をそそられ黙って頷いた。
司はほくそ笑んでそっと箱の蓋を持ち上げて置くと、右手を中へ入れて、そっと腕を上げた。
あ・・・!!
全員が絶句して、司の手の平に乗っている黒い塊に、釘付けになった。
こんなモノ、見た事がない・・・。
ど太く盛り上がった体から、太い脚が8本、それらには毛が生えている。8本の長い脚は折り曲がりながらゆっくり動いている。どこから見ても蜘蛛だった。しかし、こんなに巨大で強大な蜘蛛は見た事がない。
ゆっくりと、まるで大切な何かの上を渡り歩くように、司の手の平から甲へと歩いて行く。
司が手の甲に乗ったタランチュラを見ながらほくそ笑んで、目の前に近づけると、タランチュラは動くのを止めて、司の眼をじっと見ていた。
「何処から連れて来られたんだ、お前は?・・、可哀そうに、その内、返してやるよ・・」
話しかけている。 目の前で司が蜘蛛と何か話しをしている。
その光景が夢なのか現実なのか、スタッフは何か全身に冷たい物を浴びたように、ゾッとして司を見ていた。
「もう少し待ってろ」
そう言うと、そっと箱の中へ戻して蓋を閉めた。そして、どっかとソファの背にもたれ天井に向かって大きな溜息にも似た息をふうっと吐くと、手を額にかざして、くっくっく・・・と笑い出した。
「司?」
紀伊也が心配になり司を見ると、全員が妖気に取り憑かれたように司を見ていた。
「ははは・・・ もうダメだ、オレ。・・・気が狂いそう・・・」
そう言うと、天井に向かって声を上げて笑い出した。
ガクンっと、突然司の腕がだらりと降り、首がうな垂れた。
「司!?」
紀伊也が体を揺すると、そのまま紀伊也の体に倒れ込んだ。気を失ってしまったのである。
今、この数十分の間に何が起こったのか、全員が理解出来ないまま、じっとその場に立ち尽くして、紀伊也の腕の中で気を失っている司と、テーブルに置かれた3つの箱を見つめていた。
10分程で司は目を覚ますと、その目は妖しい程に険しい表情になっていた。
皆が、司のその一つ一つの動きを追っている。
紀伊也が水の入ったグラスを司に渡すと、それを受け取り一気に飲み干すと、箱の横に置いた。
「紀伊也、これを竹宮の所へ持って行ってくれ」
紀伊也は黙って頷くと冷ややかな真剣な眼差しを司に向けた。
「それからチャーリー、とりあえず社長に報告しろ。但し、マスコミには気付かれるな。面倒臭せぇからな。お前等も他言無用だ」
全員を見渡す。司の指示が出たのだ。
「竹宮って・・?」
チャーリーが訊く。これらの箱を他人に渡してどうしようというのだ。
「ああ、警視庁の特別広域捜査室のヤツだ。知り合いだから後はヤツに任せれば問題はない」
それを聞いてチャーリーは安心したように息を付いた。
「ヤツは本気だ。これから何があるか分からん。とにかく何かおかしな事があったら全てオレに直接言え。いいか、何かあってからでは遅いからな、どんな些細な事でもいいから言えよ。それから、もし、他人に漏れるような事があったら・・・さっきの黒猫ちゃんのようになるかもしれないぞ・・・」
そう言うと、箱の一つを横目で見た。 皆、凍りついたように箱を見たが、司が警視庁に依頼した事で幾分ホッと胸を撫で下ろしていた。
司は、ソファにもたれてタバコに火をつけて一服吸うと、箱を見つめながら煙を吐いて目を閉じた。
ああ、疲れた
そして、タバコを吸い終わると立ち上がった。
「何処へ?」
透が見上げながら不安そうに訊く。
「帰るんだよ。今日は疲れたよ・・・明日、また来るから・・・じゃな」
ボストンバッグを手にすると、事務所を後にした。
******
自分の部屋へ入り灯りをつけると、バッグを床に置いてソファにもたれて一息ついた。
- ああ、疲れた・・・
朝から本当に疲れていた。
ゆかりと少しでも話をした事に、かなり動揺していた。それだけで今日一日分の精力を使い果たしてしまったような気がしていた。それに追い討ちをかけるように、先程の小包だ。猫やコブラならまだいい。しかし、タランチュラを送りつけて来た。明らかに自分に対する挑戦状だ。これから見えない敵に、神経を使わなければならない。
そして、ふと視線を送るとピアノに目が留まった。横にはギターが三本立てかけてある。
はぁっ・・・と、大きな溜息をついた。
とにかく、あと一ヶ月でレコーディングを終わらせなければならない。何とか、何曲かは出来ているが、どうにもこうにもやり切れない。
いっそ、このまま何処かへ行って消えてしまいたくなる。
いつもならとっくに放り出して、アルバムの作成も延期していた筈だが、今回ばかりはそうも行かない。5周年という節目の年でもあり、司自身25歳という、何となく区切りを付けたくなる年齢でもあった。
体を起こして立ち上がりかけて、くっ・・・と腹を押さえた。
急に、昨夜打ち付けた箇所が痛んだ。
秀也・・・
二度も秀也に襲われた事に恐怖を抱きながらも、不安になっていた。
何がアイツを変えたんだ・・・?
トゥルル・・・、トゥルル・・・
部屋の電話が鳴った。
腹を押さえながら立ち上がると、少し警戒したように受話器を取った。
「司?」
紀伊也の声だった。何となくホッと安心する。今さっき考えていた不安な事が何処かへ行くようだ。
「・・・紀伊也」
「大丈夫か? ・・・、とりあえず渡して来たよ。今、近くまで来てるんだけど、メシでも行かない?」
車の中から電話をかけているようだ。
「いいよ」
「じゃ、すぐ行くから」
そう言うと電話が切れた。
受話器を戻すと、思わず微笑んだ。
そして、洗面所に行くと手と顔を洗い、服を脱ぎ捨てて寝室へ行き、クローゼットを開けて服を取り出すと着替えた。
玄関のチャイムが鳴り、慌ててタバコと財布を手に行くと、紀伊也が顔を出した。灯りを消して外へ出る。
「行こ」
司は紀伊也の背を押して歩き出した。そして、マンションの前に停めてある赤いフェラーリに乗ると、車は走り出した。
「・・・で、どうだ?」
窓の外を見ながら司が言った。
「多分、盗品だろうって。表には出ないショップに、かなり出回っているらしいから、そこから盗んだヤツじゃないかって」
「そうすると難しいな・・・そっちの線じゃ無理か」
諦めたように呟いた。
「クロロフォルムも手に入れようと思えば簡単だからな。それに、人形の針もその辺で売ってるものだった」
紀伊也も前を見ながら残念そうに言う。
「ダメか・・・」
「司、本当に誰かわからない? ・・・、透視できない?」
「・・・」
「俺、やろうか?」
「ダメだ」
司は窓から目を離し、紀伊也に向いた。
「余計な力は使うな。頭痛に苦しむぞ。それに、狙われてるのはオレだけじゃない。ヤツはツアーを中止しろと言って来たんだ。お前等だって危ない。・・・とにかく、オレの事は自分でなんとかする。・・けど、紀伊也、お前には悪いが、あいつ等の事、守ってやってくれないか」
え? 一瞬、司を見たが再び前を向いた。
「言い訳はしたくないんだが、今のオレには余裕がないんだ。すまない、あいつ等を頼む。今は紀伊也しか頼れない・・・」
最後には力なく呟くと窓の外の流れる景色を見つめた。