第九章・Ⅰ波紋(三の2)
っ!?
首の紐が緩んで痛みが和らぐと、はぁはぁと喘ぐように息をする。
とにかく息をしたかった。
バスローブを剥ぎ取られたが、首を絞められたショックの方が大きい。
怖くて目を開ける事も出来ない。紐を首から抜き取るのが精一杯だった。
紐を取った瞬間に、秀也の体が覆い被さり、押さえ込まれたかと思えば、股を押し広げられ、秀也が物凄い勢いで押し入って来る。思わず悲鳴を上げそうになって仰け反った。秀也にはそれがたまらなかったのだろう。司を責めた。
両手を広げて押さえつけ責めると、司は片膝を立ててもがいたが、更にそれが秀也を責めさせた。
しかし、激しく責められている内に、いつしか司の体は秀也を感じていた。
はぁっ、はぁっと苦しかった息も、熱い喘ぎ声に変わっていた。瞬間、二人同時に果てると、秀也はそのまま司の体に倒れ込んだ。
司の耳元で秀也の熱い吐息が漏れる。
「司」
優しく囁きながら耳に口付けをした。
秀也がゆっくり体を離し、起き上がって司の顔を見ると、恐怖に怯えた顔ではなく、無表情だったがどこか哀愁が漂っているように見えた。
その頬に優しく口付けをすると、立ち上がってテーブルの方へ歩いて行く。
「ワイン飲むか?」
秀也がワインをグラスに注ぎながら司を見ると、体を起こしてバスローブで前を隠していた。
思わずフッと笑ってしまった。
傍にあったタバコとライターを司へ放り投げると、小脇にワインのボトルを抱えてグラスを二つ持ち、ベッドへ戻った。
サイドテーブルにボトルを置くと、グラスを一つ司に渡した。
司は黙ってそれを受け取ると、隣に腰を下ろした秀也を見上げた。
「お前がそうやって前を隠すのは初めて見た気がするよ」
半分微笑みながら言う秀也に、思わず恥ずかしくなって俯くと、グラスに口を付けた。
ビクッとして、体が硬直した。
グラスを持つ手に思わず力が入る。秀也が腕を肩に廻して抱き寄せたのだ。
「もう、しないよ」
秀也はワインをぐっと飲んでグラスを置くと、タバコに火を付けて一服吸って、煙を吐きながらいつものように、それを司に渡した。
司も一気にワインを飲み干し、グラスを秀也に渡すとそれを吸った。煙を吐き、もう一服口に付けようとした時、不意に顎を持ち上げられた。
「何だか、お前じゃない、みたい・・」
そう呟いた。
「・・・・」
秀也から顔を背け、タバコを口に付けた。
「灰皿、取って」
サイドテーブルから取って、司に渡す。
一瞬、秀也と目が合ったが、すぐに逸らすとタバコを押し付けた。
その指に力が入っていた。
灰皿を秀也に返すと、ベッドから降りて、手にしていたバスローブを羽織ると、そのままバスルームへと向かう。バスローブを脱ぎ捨て、シャワールームへ入り思い切り蛇口を捻った。
熱いお湯が勢いよく出て来る。
「アチっ・・・っきしょー・・・」
両手を壁に付けて頭から浴びる。
洗い流したかった。何かを勢いよく流したかった。
熱いシャワーが肌に突き刺さる。
その時、背後から腕を廻され、胸をまさぐられた。
!? ・・・・ 秀也 ・・・
観念したように、そのまま目を閉じた。
その手が徐々に下に下りていく。ぐっと抱き寄せられ指を入れられて仰け反ると、唇を塞がれた。
熱いシャワーが胸を突き刺していく。
司は秀也を感じてはいなかった。ただ、体だけが秀也を求めていた。不意に翔の言葉が寄切る。
『心は感じていなくても体は正直だ。いい女になったな、司』
片足を持ち上げられ秀也が入って来る。
「うっ・・・・ 」
尻を突き出す恰好で壁に手を付いた。背中に熱いナイフが何本も突き刺さるようだ。
「や・・めて・・・やめて、秀也・・ いやぁっーーっ」
思わず叫んでいた。
初めて秀也に抵抗した。一瞬 秀也の動きが止まった。
司の白い背中が赤くなっているのを見ると、蛇口を捻ってシャワーを止めた。体を起こして仰け反らせている司の顔を見ると、目をギュッと閉じて、苦痛に耐えているかのように秀也を拒んでいる。
秀也は司の体を乱暴に離すと、腕を掴み捻り上げてシャワールームから引き摺り出し、抱きかかえてバスルームから出るとベッドへ放り投げ、再び襲い掛かった。
司には抵抗する気もなくなっていた。
天井を見つめ、ただ受け入れていた。
声一つ出さず、息も漏らさない司に、秀也は段々に苛立って来る。何故ここまで拒むのだろうか。今まで一度足りとも拒絶された事はない。それに、あれだけ撮影で肌の露出を嫌っていた司が突然に出すと言った。
「司 ・・ お前、他に好きなヤツでも出来たのか?」
思わず疑問を抱く。
誤解が再び誤解を呼んだ。
え? 思わぬ秀也の言葉に戸惑った。
「な、に言ってるの・・?・・・っー!!」
誰が司をそうさせたのか、責めるように司を見ると、激しく責め立てた。
何が秀也を変えてしまったのか、司には理解出来ない。自分を抱いている秀也が、別の誰かに見えた。
それより司には、秀也が別の誰かの代わりに自分を抱いているようにさえ感じた。
いつも感じていた秀也の心が、此処にはなかった。
こんなに近くに居るのに、手を伸ばしても届かない所に居るように感じた。
それは、昼間、突き刺さるようなラベンダー畑で感じた秀也と司の距離だった。
秀也に責められながら、このまま秀也を離したくない、誰にも渡したくない、そう思うと、秀也にしがみついていた。
「秀也・・秀也・・・秀也ぁっっ・・・あーっっ・・・」
叫びながら、もう何もかも放り出したくなっていた。
今、追い詰められている現実から解き放たれたいと思った。
秀也の熱く温かい胸の中でずっと 眠りたい、そう思った。
このまま、ずっと・・・その為なら秀也には何をされてもいいと。
秀也が体を離そうとしても司は離さなかった。
「司?」
「・・・」
「どうした?」
司の耳元で囁く秀也の熱い息が、愛しい。
「もう一度・・・」
目を開けて秀也を見る。すぐ目の前に居るのを確かめた。
「もう一度、抱いて」
懇願するように呟いた。
そんな司を愛しむように見ると、優しく唇を塞いだ。
二人の長い夜は、夜明けまで続いた。
二人は狂ったように、互いを求めた。時に愛しむかのように、また時には妖鬼のように求め続けた。
******
夜が明け、部屋の中が陽の光で明るくなった。
汗ばむ体を互いにいたわりながら、うつ伏せて見つめ合っていた。
トゥルル・・・、トゥルル・・・
部屋の電話が鳴った。ふと、時計を見ると7時だ。そう言えば昨夜、スタッフの一人に7時にモーニングコールをするように頼んでおいた事を思い出した。
手を伸ばして電話に出る。
「・・・」
「あ、お早うございます。今日はよろしくお願いします。予定通り8時半に、ロビーにお願いします」
「わかった」
それだけ言うと、電話を切って秀也を見る。
「お前が出るなんて珍しいな」
そう言えば、誰かと同室の時には、絶対に電話に出たりしなかった。
ふっ・・ 思わず苦笑すると起き上がり、そのままバスルームへ入った。
シャワーを浴びて汗を洗い流す。
自分の体を摩りながら秀也の手を感じた。また、秀也が入って来てくれないかと振り返ったが、そこには居なかった。シャワーを顔に受けながら、少しがっかりした自分がおかしくなってしまった。
あれだけ責められて、まだ欲しがっている・・・狂ってるな・・・
シャワーを止め、バスローブを羽織って出て行くと、秀也は既に起き上がって、タバコを吸っていた。
髪をタオルで拭きながら歩いて行く。
タオルを肩に掛けると髪を左右に振って手ぐしで梳かした。そして、タバコを一本抜いて火をつけた。
一服吸って煙を吐くと、秀也と目が合った。
「お前も浴びて来れば?」
「そうする」
秀也はタバコを消してバスルームへ消えて行った。
司は窓の外を見ながらタバコを吸った。
眼下には緑が広がっている。朝陽に照らされ、緑の大地が瑞々《みずみず》しく映る。
ふと部屋の中に目をやると、テーブルの上には、シャンパンの空き瓶とグラス、ビールの空缶、吸殻の入った灰皿が散っている。視線を動かすと、サイドテーブルには、ワインの空き瓶とグラス、それに蓋の開いたブランデーの瓶、吸殻の入った灰皿があり、その隣には乱れたシーツのベッドがあった。
さっきまで何をしていたんだろうな、 オレは・・・
もう一服吸って、ふうーっと煙を吐くと、テーブルの灰皿に押し付けてバスローブを脱ぎ、スタッフに用意された服に着替えた。
「久しぶりだなぁ、その格好」
下着を一枚身に着けた秀也が、髪を拭きながら司を見ていた。
「いつ以来だっけ?」
「覚えてねぇよ」
素っ気無く言うと、さっき冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲んだ。
「思い出した。お前が高三の時の夏以来だ」
「そうだった?」
「そうそう、あん時さ、俺が波乗るの見たいとか言って、一緒に海に行ってさ、お前一人浜で待ってて日射病になっちゃったんだよな。それ以来行くのヤダとか言ってさ、ははっ、懐かしい」
笑いながら司の手の中からペットボトルを取ると、それを口につけて飲んだ。
そしてその腕を司の肩に廻し、黒いキャミソールの紐をいじると、肩に口付けをした。
濡れた秀也の髪がくすぐったい。思わず首を仰け反らせると、そのまま秀也は、唇を司の首に這わせて行く。細く尖った顎を持ち上げると唇を吸った。舌と舌を絡み合わせ、互いの唇を吸い、離すと目が合った。
微かに微笑み合うと、体を離した。
「行かなきゃ、な」
秀也が言うと、司は黙って頷いた。
下へ降りて行くと、スタッフ始め全員が、司の脚に釘付けになった。
ジーンズのショートパンツから出た両脚は、細く長く、無駄な贅肉など一つもなく引き締まっている。何処かのファッションモデルさえも、霞んでしまいそうだ。
「何見てんだよ。リクエスト通りだろ」
口から出る言葉は、相変わらず皮肉っぽい。隣にいた秀也は、思わず吹き出した。
司を誘導するスタッフも、初めて見る司の脚に戸惑いを隠せない。これからどんな撮影になるのか皆期待を膨らませた。特に柏崎は、期待以上の描が撮れそうだと胸が躍った。
昨日のラベンダー畑を背に、草原へと入って行く。
黒いタンクトップの上に白いシャツの前を肌蹴て羽織り、ジーンズを穿いた秀也と、黒いキャミソールの上に白いシャツを羽織り、ジーンズのショートパンツを穿いた司が向き合い、秀也が司の腰に両手を廻し、司は仰け反って空を見上げた。
次にシャツを脱ぐと、秀也が上半身裸でギターを抱え、片膝を立てて腰を下ろすと、司が背後から腕を廻し、ギターを持つ秀也の手に、司の指を這わせる。
秀也はギターを見つめ、司は挑発的にカメラを見た。そして、秀也の首筋に口付けをした。
今度は司が片膝を立ててギターを抱えた。ジーンズの前のボタンを外す。秀也が背後に回り、司が秀也の股の上に乗る格好で、秀也は司を抱いた。
二人でギターの弦を握る。握りながら秀也は司の首筋に口付けをし、司は気だるそうにカメラを見た。
シャッターの音が激しく切られる。
不意に今朝の余韻が二人を同時に襲う。
司は自分の体に秀也を感じると、体制を整える振りをして腰を少しずらした。秀也は司の肩に手を掛けると、キャミソールの紐を指で滑り落とした。
あっ、とスタッフの一人が声を上げたが、司は気にする素振りも見せずに、ギターで何とか胸を押さえていた。
そして、挑発的に皆を一周し、カメラに視線を送った。
秀也は尚もその肩から首筋にかけて片手を這わせながら口づけて行く。
司は目を閉じて上を向くと、息を漏らした。
柏崎は夢中でシャッターを切る。とにかく一瞬でも、二人の動きを見逃さないようにシャッターを押し続けた。
一連の動きが止まると、カメラから顔を上げた。
撮影が終わったのだ。 が、スタッフは全員息を呑んで司と秀也を見つめたままだ。
秀也がキャミソールの紐を元に戻し、司はギターを抱えたまま立ち上がると、シャツを羽織り、サングラスをかけてスタッフの所へ戻った。
二人はタバコを取り出し、秀也がライターの火をつけると、司のタバコへ火をつけ、その後自分のタバコにも火をつけた。
二人で煙を吐く。が、二人共撮影が終わっても、言葉を交わすどころか目も合わさずにいた。
柏崎が司に寄って来ると
「さすがですね、二人の息がぴったりだ。何も言わなくても、あれだけの事をやってくれるのは、ジュリエットの方だけですよ。特に光月さん、あなたは」
興奮気味に話しかけて来る。
「絶対、いい描、撮れてますよ」
タバコを吸いながらチラッと柏崎を見たが、上に向かって煙を吐くと呟いた。
「女って、解らんもんだな・・・」