第九章・Ⅰ波紋(三)
「いやぁ、 このラベンダー畑ってぇのもいいねぇー」
晃一が辺り一面に広がる紫色のラベンダーのカーペットを見渡した。
「少なくとも、お前には合わねぇな」
司が横目で見ると、メンバー全員が頷いた。何だよと皆を睨んだが、誰も晃一に同情などしない。
二日間に渡って、写真集の撮影をしていた。
これが終われば夜の便で東京へ戻り、明日からは打ち合わせと取材に追われ、その翌日からはツアーの再開だ。
この北海道で撮影とは云え、自然に触れる事で、幾分心安らぐ気がした。
一面に広がるラベンダー畑でメンバーが各々《それぞれ》散った。
一番手前に司、そしてすぐ後ろに秀也、その先に晃一・ナオ・紀伊也の三人が位置に着く。カメラマンの要求は、各々の想いで、ラベンダーを見て欲しいとの事だった。
「各々の想いって言われてもねぇ・・・」
晃一は、ぶつくさ言いながら花を見て歩き出した。
-どうせ、司がメインなんだから空でも見るか
チラッとナオを見ると、ナオも晃一に気が付いて苦笑している。同じ事を考えていた。紀伊也を見ると、下を向いていた。
-ホント、あいつは律儀だな
半ば感心してしまう。
紀伊也は、足元に生えているラベンダーを見ていた。
一株が大きい。 いつも上の花しか見た事がなかったので、根元の部分がこんなにも剥き出しになっているとは思わなかった。
-何だか、上辺とは対照的だな
思わず笑ってしまいそうになった。
カメラマンは既に何枚かシャッターを切っていた。
合図して撮るのもいいが、自然に振舞っている時の方が、いい描が撮れたりもする。
可憐な紫色の小さな花がとても意地らしい。
少し遠くを見ると、風に揺れるラベンダーの紫の糸が、彼女の長い髪と重なる。それに優しい良い香りがする。
ここに、もし彼女を連れて来たら、どんな表情をするだろう。大きな瞳を輝かせて嬉しそうに微笑むだろうか。
秀也は想像して思わず微笑んだ。
自分の周りがヤケに静かだった。
風の音さえも聴こえてきそうだ。
何処か遠くで鳶の鳴く声が聞こえる。
空を見上げると、司は一人だった。
青く広い空に押し潰されそうな気がして足元を見ると、紫色が切ない。その細長いラベンダーが、ナイフのように胸に突き刺さってきそうだった。ラベンダーの群れを見ながらふと考えた。
-この沢山のしがらみから、オレは解放される事が出来るのだろうか・・・
ふと秀也を見ると、そこだけが優しさに包まれている。
-あの中に入る事が出来るのだろうか・・・
手を伸ばせばいつも差し出してくれていた。が、今手を伸ばしても、きっと、この手は秀也には見えないだろう。そんな気がした。
切ない時程、秀也の温かい胸に抱かれたい、そう思っていた。
すぐそこに居るのに、まるで見えない壁が立ちはだかっているかのようだ。
-何処にも行かないで欲しい・・・
ツーっと頬に一滴の涙が伝った。
カメラのファインダー越しに映る司と秀也の対照的な表情に、カメラマンは思わずシャッターを切り続けた。
この二人をもっと撮りたい。衝動的にある描が浮かんだ。
後で交渉してみよう。
撮影が終わり、ホテルへ戻る間中、司はサングラスをかけて、窓から外を見て黙ったままだった。誰かが話しかけても、聞こえていないようだった。
ホテルへ戻り、帰り支度をしてロビーに行くと、カメラマンとチャーリーが何か揉めているようだった。
「何、どうかしたの?」
メンバーが透に訊く。透はためらいがちに司と秀也を交互に見ながら言った。
「司さんと秀也さんを別に撮りたいって言い出して・・・」
ん? 二人は顔を見合わせた。
「しかも、脱がせたいらしいっスよ」
一瞬の沈黙の後、メンバー全員が、驚きの声を上げた。
「え゛え゛ーーーっっっ!!?」
ロビー中にその声が響き渡り、そこに居た者全員が注目する。
「ちょっと、待て。脱ぐって、誰がっ!?」
司は透の胸倉を掴んでいた。
「もちろん、光月さんですよ」
背後から声がして振り向くと、カメラマンの柏崎だった。
司は掴んでいた手を乱暴に離すと、柏崎に向かった。
「冗談言うなよっ 何でオレが脱がなきゃなんないんだよっ。女優じゃねえんだっ。それに脱がないのウリにしてんのに・・」
「そういやお前、Tシャツでも撮った事ねぇんだよな。何でそんなに肌出すの嫌なの?」
晃一が後ろから不思議そうに言う。
え? 司は振り向いた。 何で、と言われても、特に理由がある訳でもない。 ただ、何となく嫌だったのだ。
「とにかく、嫌なの」
「意地張るなよ。見せても減るもんじゃないし ・・・。 それに何だよ、俺らの前では平気で脱ぐクセに、カメラの前じゃダメな訳? ・・・・ ははっ、そりゃ、自信ねぇのわかるけどよぉ。 あーんなペチャパイじゃねぇ ・・・ っテ!」
晃一は笑い飛ばそうとしたが、ボストンバッグが顔面を直撃して、思わず顔を押さえた。
「そうだよ、やってみれば? イメージ変わるかもよ」
投げ付けられたボストンバッグを拾いながらナオが言う。
「イメージダウンだっ!」
「そんな事ないだろ、お前ならイケると思うけどな。それに5周年の記念でしょ。いいんじゃない?」
「紀伊也までそんな事言うのかよ」
「いいなぁ、俺も見てみたいなぁ、司さんの裸」
司は透の頭を思い切りはたいた。
呆れて秀也を見ると、複雑な表情をしている。
「司、嫌なら断っていいんだぞ」
チャーリーが半分怒ったように言った。
「光月さん、お願いしますよ。二人が絡むところ、撮りたいんです。絶対、いい描が撮れますから」
柏崎が頭を下げた。
『いい描』と言われると、悪い気はしない。でも脱ぐ気は全くなかった。
「もちろん、全部は脱ぎませんから 」
既に思考は巡らせているようだ。さすがにその辺は司の性格を見抜いている。だてに今までのアルバムのジャケットを撮っていた訳ではない。
司は、チッと舌打ちした。
「ふんっ、見てろよ、悩殺してやる」
そう吐き捨てると、タバコを取り出して忌々しそうに火をつけた。
******
スケジュールも押し迫っていた為、二人を残し他の三人は東京へ戻る事になった。スタッフも最小限だけになり、チャーリーも透も宮内も残る事が出来ず、司と秀也に申し訳なさそうだったが仕方がない。
撮影も明日になり、結局もう一泊する事になった二人は、ホテルの都合で一部屋しか取れず、それがスィートルームだった事で納得した。
札幌の街のように繁華街のないここ富良野では、外で遊ぶ事も出来ず、仕方なく二人はホテルの部屋の中で過ごす事にした。
食後に、部屋へシャンパンとワインとブランデーを運ばせると、司はシャワーを浴びた。
食事中もワインを飲んだが、今夜秀也と同じ部屋で一晩を過ごすには、何となく飲まないといられないような気がしていた。
バスローブをまとい、髪を拭きながら出ると、いつものように髪を左右に振って手ぐしでそれを梳かす。
秀也はビールを飲みながらタバコを吸い、それを見ていた。
タオルをソファに投げると、テーブルの上のボトルクーラーから冷えたシャンパンを取り、グラスに注ぐ。
ボトルを戻し、立ったままグラスを取るとそれを一気に飲んだ。
入浴後の冷えたシャンパンは格別だ。秀也に言わせれば、入浴後は冷えたビールに限る、とでも言ったところだろう。
再びシャンパンを注いでソファに腰掛けると、それを飲む。
「ん?」
秀也がじっとこちらを見ているのに、横目で反応した。
今日は何となく会話が儀礼的だった。いつものように言葉が出て来ないのだ。それは司に限らず秀也も同じだった。
「お前、よく脱ぐ気になったな」
秀也がビールを置いて、グラスを取ると司はボトルを取って、秀也のグラスにシャンパンを注ぎ、自分のグラスにも波々と注いだ。
「仕方ねぇだろ。あれだけ皆んなに責められたら・・・。 しかも、5周年記念だなんて言われてさ。あの状況じゃ、O.K出すしかなかったよ」
脚を組み直してシャンパンを飲む。そして、残りのシャンパンを全部グラスに注ぐと、ボトルをテーブルの上に直接置いた。
秀也は自分のグラスを空けると、ワインを開け、二つのワイングラスにそれを注いだ。そして、一つを手に取るとソファにもたれ、それを飲みながら横目で司を責めるように見た。
秀也の視線に気付いてチラッと見たが、無視するようにグラスを手に取った。
「それに、お前は反対しなかった」
ぐいっと、一気に飲み干す。
グラスを置いてタバコとライターを持って立ち上がり、一本銜えて火を付けると、箱とライターをテーブルの上に置き、窓際へ歩いて行く。
煙を窓に向かってゆっくり吐く。
「もし、俺が反対したらやめたか?」
「さあな」
司は窓に映る秀也を見ながら応えると、秀也はグラスを置いてタバコに火をつけていた。
煙を吐く秀也は溜息をついているかのようだ。
顔を上げて、こちらを見た。
窓越しに目が合った。
「お前さ、何で今まで肌出さなかったんだろうな」
「・・・」
「何で?」
「・・・・何でかな、前にお前が言ったからかな。俺の前以外では女を見せるなって」
視線を逸らすとタバコを吸って、その煙を窓に映る秀也の顔にゆっくり吹き付けた。そして、灯りの全くない深く黒い森を見つめた。
不意に気配を感じて振り向くと同時に唇を塞がれた。
「んんっ・・・っ」
驚いて唇を離そうと顔を背けようとするが、そのまま窓に体を押さえ付けられた。
両手を掴まれ、身動きが取れない。
片手には火の付いたタバコを持ったままだ。舌を入れられたが、司はもがいて抵抗した。やっと唇を離すと、秀也は無表情のままもう一度口付けようとした。
「やめっ・・・!?」
強引に唇を塞ぐとタバコを持っている方の手を離し、そのまま司の首に手を回す。
「くっ・・・ーーっ!?」
呻き声にならない息が、秀也の唇から漏れる。
それを聞いた時、秀也の中で、何かに操られるように何かが弾けた。
更に手に力を込めると司の細い首が絞め上げられていった。
司は苦しさの余り、手にしていたタバコを床に落とすと、その手で秀也の手首を掴んで離そうとした。
秀也は急に力を緩めて唇を離すと、司の首を絞めていた事に気付いてゆっくり離した。
はぁっ、はぁっ と首に手を当てて呼吸を整えながら、秀也を見上げた。
「な、に、すんだよ・・・はぁ、はぁ・・」
「ごめん」
秀也はもう片方の手も離すと、両手を窓について司を見下ろした。
急に秀也の眼が怖くなり視線を落とすと、まだ火の付いたままのタバコが床に落ちているのを見つけて、それを片手で拾い上げると、秀也を押し退けてテーブルの上の灰皿に押し付けた。
そして、ワイングラスを取上げると一気に飲み干した。
肩で息をしているのが分かる。信じられないくらいに胸がどきどきしている。そして、自分の指先が震えている事に気付いた。
もう一杯飲もうと、グラスをテーブルに置き、ボトルを取上げようとした時、その手を秀也に掴まれ、ぐいっと抱き寄せられた。
唇を塞がれそうになり、顔を叛けるが、顎を力いっぱい掴まれて、無理矢理唇を押し付けられてしまった。
不意に司は秀也に恐怖を感じて逃げようとしたが、自分から逃げようとする司を、秀也は急に縛り付けたくなって、平手で思い切り頬を打った。
抵抗する事も出来ず、殴り飛ばされた司は床に手を付いて、顔を上げる事すら出来なくなってしまった。
今、何が起きているのか、信じられないでいた。
秀也は、しゃがんで司のその細く尖った顎を持ち上げると、顔をこちらへ向かせる。
司は目を見開いていたが、その表情は恐怖に怯えていた。
こんな司は見た事がない
突然秀也は、司に勝ったような気がした。
何に対しての勝負なのかは解らない。が、急に司が自分の手の平の中にいるように小さく見えたのだ。
ふと見ると、バスローブから覗く胸元が白く滑らかだ。
手首を掴み上げると、引き摺るようにベッドへ放り投げた。リネンの白いシーツに、司のしなやかな肢体が跳ね上がる。
思い切り背中を打ち付けて軽く呻いた。
起き上がろうとして秀也に肩を押さえ込まれ、拍子にバスローブが肌蹴けて、白い肩と胸が露わになり、秀也は欲情に襲われると、司の腹に股がり、一気にバスローブを剥ぎ取ろうとした。
司は必死にバスローブを掴み押さえた。と、その時、首に何かが巻き付くとギューっと絞めつけられた。
っ!?
バスローブの紐で、首を絞め上げられたのだ。
くーっ・・・
押さえていたバスローブを離すと、両手で首の紐を解こうとするが、怯えきった体ではまともに力が入らない。
それに、秀也の前で抵抗した事がないだけに、どうしていいか分からない。
叫び声さえ上げる事が出来なかった。
苦しかった
首が痛い。苦痛に歪む司に、秀也はある種の狂喜を覚えていた。
秀也の中では、普段の意志とは別の意志が顔を出し、それが何かに操られているかのように、自分が自分でなくなっていた。
司を征服したいという欲情が、支配していた。
そして、手の力を抜くと、一気にバスローブを剥ぎ取った。
いつも見る司の裸体が、今夜は一段と妖しく艶やかに感じた。
秀也は自分の服を脱ぐと、一気に司の中に押し入った。