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第八章(三の2)

 ******


 翌日、夕方になっても司は来なかった。

それどころか連絡も取れずにいた。

これだけの過密スケジュールを放り出して何処かへ行ったとは思えない。 司にとっても大事な年なので、自分の仕事に関しては、放り出す訳にはいかなかったのだ。

さすがにメンバーも心配した。

 アルバムの打ち合わせも早めにしておかなければ、来月から始まるツアーで忙しくなるし、急な取材やテレビ出演も頭に入れておかなければならない。でもそれは、司自身が一番よく知っている事だった。

「秀也、お前、知らないの?」

紀伊也が訊く。

秀也も心配だったが、何となく気分が悪い。 

自分よりも紀伊也の方が司の事を知っているのではないか、そういう思いになっていた。テレビ局での事件でも紀伊也だけが病室に入ることを許されていたし、それに・・・。

「あいつに訊いてみれば」

「あいつ?」

「並木」

秀也は素っ気無い。

「並木?」

紀伊也がいぶかしげに秀也を見ると、先日司の部屋を訪ねた時に並木が出て来た事を話して聞かせた。

「まさかぁ」

紀伊也は全く信じなかった。

その上秀也は勝手な想像までしてしまっていた。晃一はそんな秀也に少し不安を感じたが黙っていた。秀也は自分でした想像に対して完全に腹が立っていた。

 誤解したのだ

三人は顔を見合わせたが、二人の間の事には口を出す事は出来ないし、こちらとしても勘ぐりたくないので、黙って状況を見守ることしかできなかった。

紀伊也はデスクへ行き、スケジュール表を手にすると、手元の電話が鳴ったので出ると並木からだった。

「あれ、どうしたの? 珍しい・・・」

チラッと秀也を見たが、すぐに背を向け小声で話をした。

「分かった。 今、忙しいからね、伝えとくよ」

そう言って電話を切ると、急に思い出したかのように皆に帰ると言い、事務所を後にした。

 -あの時司は居たんだ。何をやっていたんだ、俺は・・・

紀伊也は急いで司のマンションへ向かった。

チャイムを押す。 二回押した。もう続けて二回押した。

 ドンドンドンっ

ドアを思い切り叩いた。暫らくして、ガタガタっと音がしてゆっくりドアが開かれた。

「司?」

紀伊也がそっと引くと、ドアのノブに寄りかかりながら少しうな垂れた司が顔を出した。

「紀伊也、か」

呟くように紀伊也の顔を見ると、そのまま倒れ込んでしまった。

慌てて抱き起こすと息が荒い。額に手を当てると熱い。驚いて抱きかかえて中へ入り、ドアを閉め鍵をかけた。

部屋の灯りをつけ、とりあえずソファに寝かせる。

辺りを見渡すと、確かに司はこの三日、この部屋に居たのに、居たという形跡がないようだった。そしてよく見れば、二日前、鎌倉に撮影に行くと言っていたあの日、事務所に来ていた時と全く同じ服を着ていた。

「司、お前・・・、まさか、ずっと熱が?」

よく見れば、はぁ、はぁ と少し苦しそうに息をしている。時折、顔をしかめて胸を押さえている。

キャビネットから薬箱を出すと解熱剤を出し、台所から水を持って来ると司の体を起こして飲ませた。

久しぶりに水分を取った司は、生き返ったように、はぁーっと大きな息を吐くと薄っすら目を開けた。

「大丈夫か?」

覗き込むと、司の口が微かに「水」と言っている。紀伊也は再び台所へ行き、ペットボトルごと水を持って来て、それをグラスに注ぐと飲ませた。

「サンキュ」

ふうっと、息を吐いた。

「ずっと、居たのか?」

「当り前だ・・・。はぁはぁ・・ 昨日、誰か来たろ・・? あれ、秀也、か?行きかけて、途中でダウンだ。そしたら・・・ 帰りやがった、ちきしょー・・・」

半ば呆れながらも悔しそうだ。

「ごめん、俺も居たんだ」

申し訳なそうに司を見ると、フッと苦笑いしていた。

「そう言えば、秀也、心配してたぞ」

「ふん・・・ その割には、お前が来てる」

紀伊也から目を逸らすと宙を見ている。紀伊也は司をたしなめようと秀也がらぬ誤解を抱いている事を話して聞かせた。司は黙って聞いていたが、秀也に連絡すると言ったところで

「やめておけ」

と、突き放すように言った。

 え? 

「いいよ、言わなくて」

「でも・・・ 」

「言うなっ」

最後には命令していた。

司にも思うところがあった。

 あの時、秀也が自分を置いて、ゆかりの元へ走って行った時の気持ちなんて、あいつには分かりっこない。そう思うと逆に腹が立った。

誤解は誤解を生むだけだ。それは、司が兄・翔と亮の間で身をもって解っていた筈だったが、今の司にはそれがどんな結果を招くのか気付いていなかった。

「紀伊也・・・ 」

力なく紀伊也を見あげた。

「ん?」

「悪いけど、このまま、ここに居てくれないか」

紀伊也は黙って頷いた。

安心したように司は目を閉じた。薬が効いてきたのか、呼吸も幾分落ち着きを取り戻し、司は気を失ったように眠ってしまった。

紀伊也は司を抱きかかえ、寝室まで運び、ベッドへ寝かせると布団を肩までかけて、その寝顔を見ながら苦笑してしまった。

「まったく、しょうがないな」

リビングへ戻ると、キャビネットからブランデーを出し、グラスの半分位まで注ぐと、グラスを持って窓際へ行く。

 カーテンをめくり 外を覗くと、既に日が暮れていた。一口飲んで窓から離れると、グラスをテーブルに置き、自分の電話を出した。

「あ、晃一? 俺、・・・ うん、居たよ。 ・・・ ダメ、熱出してずっと居たみたい。 ・・・え? うん、あの日から。・・・ ああ、言うなって言われたよ。・・・で、そう、お前に・・・悪いな。・・・ ああ、任せておけ、じゃ」

秀也の事は晃一に任せればいい。大抵役割は決まっていた。最後の仲裁はナオに任せればいい。

 いつもの事だった。

紀伊也も晃一もそう思っていた。


 ソファに寝転がって、当てもなくテレビを見ていると、寝室のドアが開き、司が出て来た。

「大丈夫か?」

体を起こしながら、ふらっと入って来る司を見ていた。

「ああ、・・・ ごめん 」

テーブルの上のブランデーを見付けると、そのグラスに注ぎ一口飲む。紀伊也の隣に座ると、テーブルの上の紀伊也のタバコとライターを手に取り、一本抜いて火をつけた。

煙を吐きながら肘を膝に置いて、頭を押さえた。

「どうした? まだ、寝てた方がいいんじゃない」

司の顔を覗き込みながら言うと、部屋の電話が鳴る。

二人は同時に顔を上げて電話を見た。紀伊也が司を見ると、司は何も言わず「取って」とタバコを持った手で指図した。

「いいの?」

確認すると、再び手で合図する。紀伊也は黙って立ち上がると電話の傍に行き、受話器を取った。

「○×△×□・・・」

何を言っているのか解らない。とりあえず、何処の国の言葉かだけは何となく解った。紀伊也が変な顔をしたので、司は、ん?と首をかしげた。

「ちょっと、待って」

とりあえず英語で応えると、司を手招きした。紀伊也が英語で応えたので、司はタバコを灰皿に置くと、傍へ寄って受話器を受け取った。

「ロシア語みたいよ」

そう言うと、ソファへ戻って腰掛けると司を見た。

 ロシア語? 司は一瞬首を傾げたが、紀伊也は司がロシアにも留学に行っていた事を知っていたので、その時の知人からでもかかって来たのだろうと思っていた。

 KGB? まさか・・・

司はちょっと考えたが、とりあえず出る事にした。

「もしもし ・・・・  っ!?」

聞き覚えのある声だった。

愕然と息を呑むと、一瞬にして背筋がゾッとしていくのが分かる。こんな感覚は生まれて初めて味わう事だった。

司は相手が電話を切った後も、そのまま目を見開いて宙を見ていた。思わず電話を落としそうになって我に返った。

 あの声はサラエコフと同じだった

紀伊也は振り返った司を見て驚いた。タランチュラが平常心を失っていた。ショックと共に体力の限界に達し、倒れそうになって紀伊也に支えられると、ソファに崩れるように座った。

司はブランデーを瓶ごと口につけ、ぐいっと飲んで一息ついた。

「司、誰?」

紀伊也の目は徐々に鋭さを増していく。僅かながら、司から只ならぬ気配を感じたのだ。

司は自分の両手の平を膝に置き、じっと見つめていた。

「確か、あの時三人居た、と言っていたな」

こちらを見もせずに言う。 その声は殺気にも似た冷酷さを帯びている。 紀伊也はあの時の事を思い出した。そう、確か三人居た。中央を狙えと言われ、言われるまま攻撃すると、両脇の二人はその場に崩れた。暗闇で顔を見ることは出来なかったが、三人とも男のような気がした。

 - そうか、ヤツに操られているのか。とすれば 狙いはこのオレか・・・。

 しかし、ヤツは死んだ

 あの時、この手の内に居たんだからな

 だとすれば今のは・・・、ヤツの残影か? 

 ヤツにこれだけの能力があったとはな

 しかし、紀伊也の存在までは知らないだろう

 巻き込めば、他の奴等が危ない

 二人か ・・・ チッ、このオレが見えない敵に追われるとは・・・

 随分ナメられたもんだ


思わず苦笑し、紀伊也を見る。

紀伊也は吸い込まれるように、司のその無表情にも冷酷な眼を見つめてしまった。

司はゆっくり目を閉じて元に向き直ると、再び目を開け立ち上がった。

次の瞬間、紀伊也の記憶の中で、電話がかかって来た事も、あの時の事を司に話した事も、平常心を失ったタランチュラを見た事も全て、この5分間の出来事が消えて無くなっていた。

封印されてしまったのだ。

「もう少し寝ていた方がいいんじゃない?」

立っている司を心配した。三日も熱にうなされていたのだ。しかも飲まず食わずにだ。

「んー、そうしたいんだけど、腹減っちゃって、眠れないよ」

腹に手を当てながら苦笑いした。

解熱剤の効果で歩けるまで熱が下がると、今度は空腹に襲われのだ。

「まったく、お前というヤツは・・・」

呆れながら司を見ると、立ち上がりながら司の肩を押してソファに座らせる。

「座って、待ってろ」

「買って来てくれんの?」

嬉しそうに紀伊也を見上げると

「今、粥でも作ってやるよ」

と微笑んで台所へ向かった。

司はフッと苦笑して紀伊也を見ると、ソファにもたれ天井を見上げた。が、次の瞬間 ハッと体を起こすと、台所に向かって叫んだ。

「紀伊也っ、何にもないよっっ!!」

そう言えば 此処ここのところ 外食ばかりで米粒もない筈だ。弘美にも食料品は買うな、と言ってあった。

「さっき、買って来た」

そう声が聞こえると、シンクから水の流れる音と、米がボールの中で、紀伊也の手で踊らされる音が聞こえた。


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