第八章・誤算(一)
恋愛の駆け引きに生じたちょっとした誤算。そして、思いも寄らない1本の電話から悪夢が始まる。
第八章 誤算(一)
四月も後半に入り、ジュリエットは忙しくなった。テレビや雑誌の取材、新曲のレコーディングにアルバムの曲作りとスケジュールを追われていた。
世間ではゴールデンウィークという名の休日に皆、心浮かれていた。
司はようやく一日だけオフをもらえたが、曲作りに余念がない為、この日は一日紀伊也を従えて自宅に篭っていた。 ふと、事務所に忘れ物をした事を思い出すと、紀伊也を待たせ自宅を後にした。
確か今日は午前中だけ他のメンバーも打ち合わせの為、事務所にいる筈だった。
バイクを停め急ぎ入口まで行くと、女性が一人、入ろうかどうしようか迷っている様子で、ドアの所に立っていた。
髪がさらっとして長く、Tシャツにジーンズを穿いている。
初めて見る顔だった。
スタッフの誰かの知り合いなのか、入るのをためらっているようだ。
「誰?」
司はその子に声をかけた。
突然後ろから声をかけられ、驚いて振り向くとサングラスも付けずに司が立っている。彼女にとっては憧れの光月司だった。
息が止まりそうな程に驚いて自分を見ているので、このまま倒れやしないかと心配したが、
「誰を呼べばいいの?」
と少し、優しく言った。余り見知らぬ女に優しく接したくないと思っていたが、余りにも意地らしく司を見ていたので、思わず冷たく突き放すのは可哀そうだとも思った。
「あ、あの ・・・、須賀さん・・」
まともに司に見つめられ思わず下を向いた。
「秀也?」
彼女は頷いた。
司は瞬間、ふーんとニヤけた。 やっと、秀也にも友達ができたのか、そう思った。
よく見れば、少し焼けた肌がとても健康的だ。何処かのゲレンデか海ででも知り合ったのだろう。
「ちょっと、待って」
司は言うと、彼女を中へ押し入れた。
押されるまま中へ入れられ、どうしていいか分からず戸惑ってしまった。
「秀也ーっ、いるーっ!?」
司は入口から叫び、奥を覗くと、ソファで皆がタバコを吸っているのを見つけた。
彼女にここで待つように言うと、奥へ歩きながら秀也を呼んだ。
秀也はタバコを灰皿に押し付けると立ち上がり、少し驚いた。
「あれ、司? 今日はオフなんじゃないの?」
「んー、忘れ物。 それより秀也にお客さん」
親指を立てて入口に立っている彼女を指した。秀也が指を辿って行くと、その先にゆかりが立っている。
-げっ、そうか、忘れてた。11時半に事務所の入口で待つように言ってたんだ。
秀也の少し焦った顔を見た司は、ニヤけて秀也の耳元で囁いた。
「良かったね、秀也くん。お友達できて」
そして、秀也の肩をポンと叩くと背中を押した。
秀也は一瞬チラッと司を見たが、急いでゆかりの元に行くと外へ出て行った。司はそんな秀也を微笑ましく見送ると、テーブルの上の箱に目が行く。
「お、まんじゅうじゃん。一コ、もーらいっ」
そう言って箱の中から饅頭を一つ摘むと口に頬張った。
呆気に取られ皆が司を見る。晃一が司の腕をぐいっと掴んで自分の顔まで近づかせた。
「いいの? 秀也、ほっといて」
と、小声で言った。司は二つ目を手に取ると、
「いいんじゃないの、あいつにも女友達がいて」
と、気にする様子もなく頬張った。むしろ秀也に異性の友達ができて喜んでいるようだ。 ふーんと意味深に晃一は司の腕を離した。
「そういや、お前オフだろ」
「あ、うん。 けどそんなヒマねーよ。 あ、そうだ、ちょっと暫らく紀伊也、借りるからね。それと悪いけど、暫らく軽井沢に篭るよ」
え!? スタッフは驚いて司を見る。
「こっちにいると気が散って何もできないからさ。 何かあったら紀伊也んとこ連絡してよ。で、明日からの取材は悪いけどパス。 晃一くん、頼むわ」
「へいへい」
晃一は仕方がないと両手を挙げた。いつもの事ながら司の気まぐれにはスタッフも手を焼かされる。が、皆司の事が好きだったのでぶつくさ文句は言っても、快くわがままを受け止めていた。
******
ゴールデンウィーク明けの金曜の夜、突然玄関のチャイムが鳴り、秀也は慌てて体を起こして身を整えると玄関へ急いだ。そっとドアを押し開けると、勢いよく開けられ、思わずつんのめって頭がぶつかった。
顔を上げると司が立っていた。
「おー、秀也、いたいた。良かったぁ。ねぇねぇ、これ聴いてよ」
と、片手にカセットテープをかざして言いながら秀也を押し退けると中へ入り、靴を脱いで上がって行く。秀也は慌てて後から追いかけた。
「やーっと出来たよ。何かさ、いつもと違っていろいろ考えちゃったんだよね。らしくないっちゃ、らしくないんだけど、紀伊也にも手伝ってもらってさ、やっと今朝入れたんだよ。とりあえずお前に聴いてもらいたくっ ・・・ て・・・ !?」
司は息咳切ってリビングに入り、ステレオの所まで行くと立ち止まってしまった。
髪の長い女の子がソファの下に座っていたのだ。正座を崩した形で座っていたが、スカートから覗く足に目が行くとすっと引っ込めた。顔を見るが、片手を胸元に当て、恥ずかしそうに俯いた。
司は一瞬戸惑って、秀也と彼女を交互に見たが、状況を察したかのように思わず照れて彼女を見た。
「ごめん、ごめん。また、にするわ」
そして秀也を見て、ニヤッと笑うとポンポンと軽く肩を叩いてマンションの外に出た。
マンションの階段を下りた所で、思わず吹き出してしまった。
「まったく、純なヤツだな。 しっかし、秀也のヤツ・・・ かわいかったな 」
そして、司はある考えを浮かばせると楽しくなった。
******
数日して司と紀伊也が軽井沢の別荘から戻って来る事になり、事務所でレコーディングの打ち合わせをする為に集っていた。
7月20日に、昨年の爆発事故の追悼も兼ねて岡山からスタートする全国ツアーの事もあり、アルバムの発売は10月末と決まった。そして、それに先駆けてシングルも出す事になった。昨年の冬から今春にかけていくらスケジュールが楽になったからといっても、また多忙な日々を過ごす事になりそうなメンバーは、多少うんざりしながらも節目の年である事から張り切って行く事にした。
打ち合わせが終わり、ミーティングルームを後にした司は、秀也の視線に気が付いた。あれから秀也には会っていないし連絡も取っていない。
「ん?」
司が秀也と肩を並べながら、上着の内ポケットからタバコを取り出して銜えた。
「ん・・・ いや」
秀也は決まり悪そうに司を横目で見ると、ライターの火をつけ、司のタバコに火を付けた。司は一服吸って煙を前に向かって吐くと横目で秀也を見た。
「アソベって言ったのは、オレだろ?」
ごくっと秀也は生唾を呑み込んだ。
「オレだよな」
そう言うと、含み笑いをしてタバコを吸う。その時、司の体から電話の音がした。
っ!?
メンバー全員が足を止めて司を見る。メンバーだけではない。近くにいたスタッフも足を止めて驚いて司を見ている。
「あらあら」
司は胸のポケットからおもむろに携帯電話を取り出した。
全員絶句して司と携帯電話を見つめた。
司は何?と皆を睨み付けると、あっちに行け、と手で皆を追い払った。
全員司を見ながら進むが、途中で躓きそうになる者もいた。
「もしもし・・・ よおっ。・・ うん、いいよ。・・・ キャハハっ・・・」
司が楽しそうに電話で話をしているのを、メンバーは足を止めて見ていた。司は電話を切ると、それをポケットにしまいメンバーの所へ戻った。
全員が立ち止まって唖然と司を見ている。
「何?」
「ナニって、お前・・・」
晃一が胸を指して言った。
あれだけ携帯電話を嫌って、意地でも持たずにいた司が手にしたのだ。とにかく皆驚いていたが、チャーリー始めスタッフは大喜びだ。
「持ってるなら、持ってる って言って下さいよっ!」
透がはしゃいだように言う。一番嬉しかったのはチャーリーだろう。これで、司の行動が少しは分かるし連絡もすぐ取れる。思わず、透とチャーリーは万歳しそうになった。
「ばぁか、これはオレのじゃないの」
え? 上げかけた手を下ろす。
「オレが買うかよ。ばか」
横目で透とチャーリーを睨む。
「って、でもそれって、携帯電話、ですよね」
透が確認するかのように司の胸を指す。
「すけべ、そこを指すな」
べぇっと舌を出した。透はハッとなって指を引っ込めた。
「じゃ、ナニ?」
代わりに晃一が訊く。
司はタバコを廊下の灰皿に投げ捨てズボンのポケットに手を突っ込むと、ふんっと顔を上げた。
「アイツがうるせぇからな。持ってやったんだよ」
「アイツって?」
「並木」
司は一瞬チラッと秀也を見た。何だかとても複雑な表情をしている。そして晃一に向き直ると、
「アポ取りたくても、オレが何処にいるか分からんって散々文句言われたんだよ。で、自分が契約するからそれを持てって言いやがった。だから、オレんじゃないの。分かった?」
そう言うと、唖然と立ち尽くす皆を置いてすたすた歩き出した。司の後姿を見送りながらスタッフはがっかりして歩き出した。
「何だ、ありゃ?」
晃一はワケが分からず秀也を見る。
複雑な表情をしている秀也が少し心配になった。ナオと紀伊也は顔を見合わせると呆れて司の後を追った。
「秀也?」
晃一が傍に寄って心配そうに覗きこんだ。
「いや、何でもない。・・・ 当てつけ、かな」
ぼそっと言うと苦笑した。
え? 晃一は聞き逃さなかったが、聞こえないフリをした。