第七章(八の2)
「ホントにもう、いいの?」
ボストンバッグを車の後部座席に入れるとドアを閉め、助手席に乗り込もうとする翔を見て言った。
「ああ、余りゆっくりもしていられない。 それにもう、ここにいる必要もないからな」
司の目を見て言うと、助手席に乗り込んだ。ドアが閉められたのを確認すると司も乗り込んで、車のエンジンをかけアクセルを踏んだ。
都心を抜け、国道を真っ直ぐ南西に走らせる。
「お前が車を運転するなんてな・・・ 」
感慨深げにハンドルを握る司を見ると、窓の外へ目をやった。
「あんまり好きじゃないけどね、運転すんのは」
苦笑いしながら言った。どちらかと言えば、今の翔のように窓から景色を見ている方が好きだ。それに車の運転は、昔から運転手がするものだと決め付けていた。
「バイクは乗っているのか?」
「うん、たまにね。そっちの方が好きだし、性に合ってるよ 」
風を直接受けて走れるバイクの方が確かに好きだった。16歳になってすぐに免許を取ると、よく亮と二人で走らせたものだった。
車が止まった。 エンジンを切って車を降りると、後部座席から白いバラの花束を取り出した。二人は黙って石段を昇り、亮の墓の前で足を止めた。
司が花束を墓の前にそっと置くと、翔は手にしていた線香の束に火をつけた。
何本もの白い糸が天へ向かって流れて行く。
それを花束の横に置いた。
二人は手を合わせ、目を閉じた。
「司」
翔は目を閉じて手を合わせている司の横顔をじっと見ていた。
翔の呼びかけにゆっくり目を開けると手を下ろし墓石を見つめた。
「ん?」
「お前、まだ ・・ 亮の事、・・・ 愛してるのか?」
「 ・・・・ 」
じっと墓石を見つめ、線香の白い糸を辿って空を見上げた。
「愛してるよ、今もずっと。 ・・・・ けど」
もう一度、墓石に目をやった。
「今、オレが必要としているのは、秀也だから」
司は秀也の名を口にすると、少し照れたように翔に向いてはにかんで笑った。
この8年、正確に言うと7年だが、いろんな意味で秀也に支えられて来た。
本当に秀也の事が好きだった。
「秀也?」
初めて聞く名前だった。しかも、この司がはにかみ笑いをする位だ。
翔は驚いたが、そんな妹が可愛く思えた。
「オレの隣でいつもギター弾いてくれてるよ」
「ジュリエット、か」
翔は微笑むと墓に向いた。
「ジュリエットは笑ったか・・・」
「え?」
司は驚いて翔を見る。
「そんな話をよく亮としたよ。 あいつは分からないと言ったが、俺は笑ったと言ったんだ。いつだったかな・・・、確かイギリスに行った時、シェークスピアの劇を観に行ったんだ。その時に演ったのが、ロミオとジュリエットだった。 お前が3歳の時だったかな。お前の事がジュリエットみたいだ、って二人で言っていたんだ。 だから、ジュリエットは笑ったんだ、ってね。 本当かどうかは知らないけれど、今思えば、ジュリエットには笑って欲しかったんだと思う。 最期にお前には笑って欲しいと思っている」
翔は司を見ると微笑んだ。が、司には翔の言葉が信じられなかった。
それは、亮と二人で寄り添いながら語っていた事だったからだ。
バンドの名前を決めたのも亮だった。司はジュリエットのようだと。だからジュリエットは司なのだと。
しかし今、翔からその事が、それ以前に語られていたと聞かされ、それが真実だとすれば、司は大変な誤解を翔にしていた事になる。翔と亮は憎み合っているのだとばかり思っていた。
しかし・・・。
急に司は息苦しくなってきた。
「大丈夫か?」
翔は司の息が荒くなり、顔色も悪くなって来たのに気付くと優しく肩を抱き寄せた。
「亮には悪い事をした。 今になれば、亮の気持ちがよく解るよ。お前を大切に思う気持ちが・・・守りたいと・・・」
翔は目を閉じて亮の言葉を思い出した。
『翔、司は妹だぞ、俺達のたった一人の妹だ。それをただ能力があるというだけで、タランチュラにさせていいのか!? 平気で人を殺す事だってするんだぞ。 俺達の妹が殺人者になるんだ。それでもいいのかっ?! しかも、女の子だ・・・。 男として育てられたって司は女だっ! 』
亮はそう言って、司の元に走った。
-亮、司の事は心配するな。お前の代わりに俺が守る。
翔は墓石の下に眠る亮に心の中で誓っていた。
「司、キー、貸せ」
気分悪そうに翔に寄りかかっている司を見下ろすと、手を差し出した。
司はポケットから車のキーを出すと黙って翔に渡した。
「兄さん・・・」
高速道路を空港に向かって走らせている翔の隣で司は目が覚めた。
「大丈夫か?」
一瞬、司を見たが、すぐ前を向く。司は暫らくハンドルを握る翔を見ていた。
司の視線が気になったのか、またこちらを向く。
司は思わず、くっと吹き出した。
「何?」
「え、いや。翔兄さんが運転している車に乗せてもらえるなんて、と思って。だって、翔兄さんさ、免許取って車買って貰った時に何て言ったか覚えてる?」
「何か、言ったか?」
「俺は助手席には自分の女しか乗せない、とか言っちゃってさ、絶対乗せてくれなかったんだよ。どっか行く時なんて、必ず亮兄ちゃんの車だったじゃん。 毎回ぶつくさ言ってたな、亮兄ちゃん。翔を乗せると必ず車の中がゴミの山になるって、 はは・・・」
司は肘を窓枠に乗せ、手で顔を覆って笑った。
「ゴミの山? それはお前だろうが」
翔はムッとして司の頭を小突いた。
「違うよ。 正確に言うと、オレと翔兄さん、なんだってさ」
司は更に声を上げて笑った。
翔はそんな司を横目で見ながら微笑ましく思った。初めて自分の前で笑ってくれたと思った。
しかし、急に笑うのを止め、司は窓の外に目をやった。
「翔を恨むな、ってそう言われたよ。最期に」
翔は黙ってそれを聞いた。そして、ハンドルを握る手に力を込めた。
空港へ着き、チェックインを済ませると、二人は黙ったまま出国ゲートに向かった。
二人の足が止まる。翔と司は向き合ったがお互い言葉が出て来ない。
「司」
「兄さん」
同時に名を呼んだが、次に何と言っていいか分からないでいた。
「たまにはオレの歌も聴いてよ」
司が口を開いた。すると翔は意地悪そうにニっと口の端を上げた。
「俺は洋楽しか聴かないんだよ」
「チェっ」
「ま、たまには聴いてやるよ。 ・・・ 司」
司は翔を見上げた。
「そのグラス取って。お前の顔が見たい」
翔は自分のサングラスを外し、上着の内ポケットにしまうと、司も顔からサングラスを取り、同じように上着の内ポケットにしまう。
それを見た周囲の者が司に気付き、声を上げるが二人は気にする素振りも見せない。
突然、翔が司を抱き締めた。
!?
司はドキッとした。が、耳元で翔が囁いた。
「明日のスクープだ」
司はニヤッと笑うと、翔の背中に手を廻した。
「じゃ、キスでもしとく?」
「だな」
二人は体を離すと唇を重ねた。何処かでフラッシュが焚かれた。が、二人は唇を重ねたまま動かなかった。
長い時間のように感じた。
司は翔を、翔は司を確かめた。二人はゆっくり唇を離すとニヤッと笑った。
そして、翔はボストンバッグを手にし、行きかけたが思い出したように足を止めると司の肩に手を置いた。
「司、これから何が起こっても、紀伊也だけは大事にしろ。あいつだけは手離すなよ。暴走するお前を止められるのは紀伊也だけだ」
そう言うと、上着の内ポケットからサングラスを取り出してかけると、出国ゲートに消えて行った。
司は翔が見えなくなるまで、その場で見送った。
紀伊也? ハイエナの事か? 暴走・・・ ね。 ま、今のオレには秀也しかいない。
司は上着の内ポケットからサングラスを取り出してかけると、人だかりを掻き分け、空港を後にした。
******
翌日、今後のスケジュールの打ち合わせの為事務所に顔を出すと、案の定、宮内や透の他、スタッフ全員が入って来た司に詰め寄った。チャーリーは顔を手で覆い、デスクから立ち上がる気力もない。
彼等をとりあえず押し退けると、奥のソファで睨んで待っているメンバーの元へ行った。
晃一が司目掛けて新聞を投げ付けた。
「近親相姦じゃねーかよっっ!!」
怒鳴る晃一に、全員仰天して司を見る。
一瞬首をすくめたが、どうれ、と投げ付けられた新聞を広げると、一面に空港での写真が載っていた。それを見て司は腹を抱えて笑い転げた。
「笑ってる場合かっ!」
呆れて晃一は司の頭をはたく。
司が顔を上げると、秀也が複雑な表情で司を見ていた。
少しジョークが過ぎたか、と申し訳なく思った。
「兄さんもオレと同じで、ジョークが好きなんだよ」
え? 秀也が司を確認するかのように見る。
「兄妹の中で、一番性格が似てるんだ」
片目を開けて尚も笑いを堪えながら言うと、晃一が妙に納得したように皆を見渡した。
「そういう事か。 お前の性格は、あ・の、兄貴、譲りなワケね」
そう言うと、皆も納得したように頷いた。
突然、司は秀也の首に手を廻して抱きつくと、自分の唇を秀也の唇に押し付けた。
目を丸くしている秀也と呆気にとられたメンバーを見て司は笑った。
「そういう事!」