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第七章(六)

誤解(六)


「ショウ、目を覚ましたわよ」

ユリアがずっと廊下の窓から外を見ていた翔に声をかける。翔は一瞬目を閉じたが、再び空を見上げるとくるりと振り向いてユリアを見もせず病室へと入った。

 誰かが病室に入って来たのに気付き、そちらへ目をやる。

司の枕元まで来た。

「翔、兄さん・・・」

ほんの少しだけ驚いたが 8年ぶりに再会したという感動は二人には何処にもない。むしろ司には落胆の色さえ見えた。

翔は司のその眼を見て、相変わらずだ、と無表情ながらも憎しみというオーラをかもし出していた。

司にだけはそれが感じて取れ、思わず目をそむけた。

「紀伊也、お前はもういい。ご苦労だった、帰って休め」

紀伊也は一瞬司を見たが、黙って立ち上がるとふらふらと病室を出て行った。疲れ切った紀伊也の後姿を見送りながらユリアが何か言いかけた。

「お前達も外してくれ。こいつに話がある」

目をそむけたままの司を見ながら翔が言う。それが何かを知っていた二人は司の容態が気になったが従うしかなかった。二人は黙って病室を出ると、雅は病室の入口に「面会拒否」の札をかけた。

 二人の気配が失くなったのを確認すると、翔はベッド脇の椅子に腰掛けた。

「久しぶりだな、司」

「 ・・・・ 」

気だるげな表情の司に思わず苦笑した。が、少し変わったと思った。

「お前も大人になったな」

8年も経てば女は変わる。

 あの時はまだ16歳だった。いくら背伸びをして大人のマネをしたところでまだまだあどけない。

しかし、今は成熟した女には早過ぎるとしても、肌の色・艶、瞳、そして肢体、全てにおいて魅力的だ。

しかも司は今、最も輝いている。全ての若者の憧れの的とでも言っていいだろう。注目されているのだ。

人は不思議な事に、見られれば見られる程に輝きを増していく。それがどんな形にしろ持っているものを導き出す。

 ビクッとして思わず翔を見た。頬に翔のその手が乗っていた。

「また、お前はそうやって俺を拒むのか? それとも・・・ 」

翔は頬から首筋に沿らせていく。以前と変わらずすべすべして滑らかだ。

司は翔の手から目が離せない。

また、か・・・。

思わず目を閉じた。


 ******


 8年前のあの日。

亮の火葬が終わり、放心状態の司は一人ふらふらと火葬場を出た。

一台の黒い車が目の前で停車し、中から黒いスーツに身を包んだ男が二人出て来た。車が止まった事も中から人が出てきた事にも気付かず、そのまま横へれ歩き出した。

男はそれが光月家の人間で、しかも司である事を確認すると、上着の内ポケットから拳銃を抜き出すと照準を合わせた。

ゆっくり引き金の指に力を込め、一気に引いた。

 ズガーンっっ!! 

一発の銃声が静かな火葬場に響き渡り、その直後、車のドアの閉まる音がし、急発進して去って行った。

銃声の音に中にいた者が驚いて外へ飛び出した。

「司っっ!?」

翔は一人でふらふらと出て行った司が気になっていた。その前からタランチュラの暗殺計画を耳にしていただけに警護をしっかりするよう申し伝えていたのだ。

外に出ると目を見張った。

司が血を浴びて倒れていたのだ。

しかし、それは司の血ではなかった。

引き金が引かれたのと同時に、瞬時にして紀伊也が司をかばったのだ。紀伊也は右肩をえぐられるように撃たれていた。いくら役目とはいえ、司にとって紀伊也は唯一の友人のような存在だった。

その後、司の目は開いて起きてはいたが、意識のはっきりしない日を過ごした。

誰に何を言われているのか、自分が今何をしているのかさえ解らないでいた。

 その日の夜、自宅に戻った翔は司が心配になり一晩中起きて司のそばにいた。司はベッドへ入ろうともせず、ソファに座ったままずっと宙を見ていた。

「司・・・」

翔は兄を失ってこんなにまでショックを受けている司を哀れに思った。それに、自分も双子の弟を失ったのだ。思いは同じかもしれない。血を分けた兄弟を永遠に失う事の悲しみは同じ兄弟であれば尚更分かち合えるというものだ。思わず司を抱き寄せた。


 !? 


その瞬間、司に突き飛ばされた。

その目は明らかにおびえていた。

いくら司には任務の為なら手段を選ばずに協力させていたからとて、同じ兄弟を失いその悲しみをなぐさめ合おうとしただけだったのだが。

 果たしてそうだったのだろうか・・・。

「やめろ、オレは兄ちゃんだけのものだ」

司はそう言った。

はっきりと亮だけのものだと言った。

翔は一瞬愕然としたが、次の瞬間、心の何処かで亮がいなくなった事にホッと胸を撫で下ろしている自分に気が付いた。

 司が生まれた時、二人で喜んだ。しかも妹だった。とても愛らしく笑っていた。きっと美人になる、そう二人であやしていた。しかし、大きくなるにつれて、司は亮になついていった。海外生活を転々とし、たまに日本に戻った時も亮だけにしか笑顔を見せない。また、亮もそんな司が愛しかったのだろう。何かと気遣い庇っていた。

 そして、亮は父や兄に対し、事ある毎に反抗していた。15歳の時に仲間とバンドを組んで夜毎出かけ遊んでいた。翔はこの家で反抗する事は生きていく事が出来ないと知っていたのでそんな亮に納得できないでいた。

そして更に、司が14歳になった時、翔は司と亮を憎んだ。

司がその前の冬にあの恐ろしい手術をした時は喜んだのだ。やっとタランチュラとして成長してくれた、これで自分達の為に生きてくれると。

しかし、亮がこれをはばんだのだ。

翔は誰にも言わなかったが、二人の関係に気付いていた。

 それ以来、翔は司と会おうとしなかった。司もえて翔に会いたいと思った事もなかった。

この家に生まれたからには、何事に置いても指令を優先させ、任務を全うしなければならない。亮のしわ寄せが翔にも及んでいた。

そんな亮が司をものにしたのだ。タランチュラにはさせまいと。翔は亮を憎んだ。そして、司も憎かった。自分のものにはならなかった司が憎いと思った。

 しかし、その亮が死んだのだ。唯一自分を阻んでいた亮が永遠にいなくなったのだ。

翔にはこれがチャンスだと思った。タランチュラを司を自分のものにするチャンスだと思った。

司が『亮だけのものだ』と言った時、はっきりとそれが分かってしまった。

 突然、翔は司を組み伏せた。

司は物凄い勢いでソファに押し倒され、叫び声を上げそうになったが、口を塞がれて息が出来ないくらいに力いっぱい押し付けられてうめき声さえ上げる事ができなかった。

余りの力に息苦しくなってもだえたが、今の司には翔を跳ね飛ばすだけの力は残っていなかった。

 昼間のショックから立ち直れていないのだ。

余りにも亮の死体は美しかった。それがあっという間に骨と灰になってしまったのだ。目の前の出来事が理解出来ないでいた。しかもその直後、紀伊也が自分を庇って負傷したのだ。

司は紀伊也の血をまともに顔で受けていた。

そして今度は、翔に襲いかけられている。

ショックの余り気を失いかけて力が抜けた。翔は司の口から手を離すと抱き上げてベッドへと運び、服を脱がせると体を重ねた。

司は声を上げる事も出来ずそのまま翔のものになった。

次の晩もその次の晩も翔は司を訪ねた。それは紀伊也が退院するまで続いた。

二週間程で紀伊也が退院したとの知らせを受け、司はホッとすると、急に学校へ通うと言い出し静岡へ戻って行った。

家の中では翔が司を立ち直らせてくれたものだと皆思っていた。本当なら翔も忙しい身で、葬儀が終わればすぐにでもフランスへ戻らねばならないのに、兄を亡くした司の状態が心配で日本に残り、自殺でもしないかと毎晩見ていてくれていたのだと、全員信じて疑う者など誰一人としていなかった。


 ******


 翔の手はゆっくりと胸元へっていく。もう片方の手がベッドの中へもぐり込んで来ると、尻の下へ入り手の平でそれを持ち上げた。

思わず声を上げそうになってギュッと目をつむった。

「やはり、いい体になったな」

耳元で囁く翔の息は、まるでひるが背中を這って行くようにゾッとする。

「もし亮が生きていたら、今のお前を見て何と言うかな」

息を呑んで司が目を開けて翔を見ると、その目は司を見下していた。

「俺と同じ事を言うかな。・・・ 美しくなったな、司」

そして、不敵な笑みを浮かべながら顔を近づけ、口元で優しい声で言った。

「一段と色っぽくなった。つやがある、いい女になった・・・、俺の司」

言いながら尻から手を廻し、繁みに指を這わせようとした時手首を掴み上げられた。が、それもすぐに離された。翔の手を振りほどこうとして力を入れた時、昨日受けた肩の打撲が響いたのだ。翔の手が頬を撫で、更に指を這わせていく。柔らかい、ますます魅力的だ。翔の指にぬるっとまとわり付くものがあった。

「心は感じていなくても体は正直だ。お前はやはり、いい女になった」

そして一気に司の中へ入れようとした。

「もし、亮が生きていたら」

「や、めろっ!」

身を起こし翔を振り払った。

 ーーっつぅ・・・

肩から背中にかけて激痛が走り身をよじって肩を庇う。翔に寄り掛かりそうになって、その肩を抱き留められた。更にそれを振り払おうとしたが余りの痛みに体が動かない。翔はその手に力を込めた。

 ーっ!? 

更に激痛が走り、気を失いかけそうになった時、扉が開かれた。

翔は力を緩めた。

司は助かったと思って顔を上げたが、入って来た人物を見てがっかりしてしまった。

このまま気を失えば良かった、と思った。


「気が付いたのか」

翔が痛がって身を起こしている司の肩を優しく抱いているのを見て少しホッとしたように、その人物は近づいて来た。

「あ、お父さん。目を覚ましたようですが、まだ体が痛むみたいです。ほら、司、寝ていなきゃ駄目だ」

先程の蛭の這うようなゾッとする声とは打って変わって、優しい兄の声になっている。

司は呆れたように奥歯を噛んだ。この偽善者が。そう思ったら思わず横目で睨んでいたが、何処かで翔を憎みきれない自分がいる事に気が付いた。

「まったく、しょうがない子だな」

亮太郎は呆れたように司を見下ろした。

「司、話してもいいか?」

突然、亮太郎の声が威圧的になる。それと同時に翔の目も鋭くなった。

そして司は、何かに操られたように、二人にも増して冷酷な目をしていた。

「ヤツだ、間違いない。あれだけ脳波を撹乱かくらんさせたんだ。あんな事が出来るのはヤツしかいない」

司は深夜に突然襲われた激痛を思い出した。

 過去に一度だけあの男に会った時に撹乱かくらんされた事がある。その時は逃げるのに精一杯だった。初めて味わう屈辱くつじょくだっただけに、いつか勝負をつけようと思っていたのだが、それも死んだと聞かされてすっかり忘れていたのだった。

「しかし、死んだと聞いていたが」

「ええ、確か東欧の内戦に巻き込まれて、地雷を踏んだのを見た者がいたと」

翔が言った。そう報告を受けていたので、翔の方でもリストから外していたのだ。

「それに M・・・」

司は数ヶ月前の事を思い出した。


 ******


 モスクワの路地裏からアパートの階段を昇る。ドアを開けるとMは後ろを向いて座っていた。

「ミラノフ、一緒に来てもらおうか」

ミラノフは音も気配もなく突然入って来たタランチュラに驚いて振り向いた。

「お前は・・・」

その一瞬で凍り付いてしまいそうになる程冷酷な琥珀色をした瞳に、ミラノフは身構える事も出来ない。

「もう会う事もないだろうから、冥土の土産に名前くらいは教えようか。・・・ タランチュラ」

ミラノフは『タランチュラ』という名に聞き覚えがあった。能力者狩の異名を持つ人物だと聞いていた。一度目を付けられると捕らえられるか死ぬまで追い回される。追われるというよりは即捕まる。逃げる事ができないのだ。

そう、まるで蜘蛛くもの巣にかかったのように、もがけばもがく程に糸が絡まっていく。

 そして餌食えじきとなるのだ。

一瞬、恐怖にさいなまれた。が、しかしそう云えば、兄のサラエコフがタランチュラから逃れた事を思い出した。逃れたというより、あの時のターゲットが自分ではなかったと言っていたのだ。しかし、彼の持つ脳波撹乱が功を奏した。が、その後タランチュラの恨みを買い、追われていたが、内戦の混乱に乗じて姿を消した。死んだと伝えられていたが、ミラノフには生きている事が分かっていた。

「俺を連れて行くのは構わないが、兄が黙っているまい」

そう言って不敵な笑みを浮かべると構えた。一瞬タランチュラが目を見張った。その隙を突いて、凄まじいまでの冷気を浴びせたが、次の瞬間ミラノフの冷気はおろか能力全てを封じ込まれてしまった。タランチュラの成せる技だった。

あとは約束の時間にKGBに引き渡すだけだったのだ。

あの時浴びた冷気によってその後司は何処をどう帰ったのか、はっきり覚えていない。

が、あの勝ち誇ったような、それでいて何の恨みもなく係わり合いのないタランチュラに狙われ、全てを奪われる憎しみのこもった目が今までとは違う何かを感じ、さすがの司もゾッとしたのだった。


 ******


「Mがどうかしたのか?」

翔は司がMと言ったまま仰視ぎょうししているのに気付いて訊いた。

「いや、あの時、兄が黙っていないと言ったんだ」

司は翔に目をやる。

「Mの兄はサラエコフ。オレは一度だけヤツを追った事がある。でも、死んだと聞いて諦めたんだ」

「何故、その時報告しなかった」

亮太郎の口調は責めているようだ。 が、司はフッと笑った。

「報告? 何を言っている。オレは言った筈だ、死体も見ていないのに死んだ と決めつめるな、と」

亮太郎と翔は黙ってしまった。確かにあの時司は言った。しかし、死んだと報告された以上、これ以上追う必要もないと判断したのだ。それに別の件を山ほど抱えていた為、深追いしても時間の無駄だとも思った。

「それで、Mはどうなった?」

司が亮太郎に訊く。

亮太郎は静かに目を閉じた。それが答えだった。

 処刑されたのだ

「そういう事、か」

司は溜息をついた。能力者であるミラノフを簡単に捕らえる事が出来るのはただ一人しかいない。それを知って兄のサラエコフは弟のかたきを討つためにわざわざ日本に来たのだ。しかも何処でどう調べ上げたのか、タランチュラが司である事を知っていた。

恐らくスタジオで照明が落ちて来た時に感じたわずかな殺気は彼のものだろう。しかし僅かな殺気であの重たい照明を落とした。しかも建物の内部からはそれらしきものを感じなかったので、相当遠い処から能力を発したのだろう。それにあれだけの脳波撹乱、彼の能力のパワーは一段と増しているようだった。

「狙いはオレだが、どうする?」

司は翔に訊いた。翔が来たからには何か指令が出るだろう。

「捕らえてくれ」

翔は言った。彼が生きている以上は捕らえて連れて行かなければならない。それが、翔の仕事だった。

「オレとしてはりたいところだが、な。で、指令はどうするんだ、R」

司は亮太郎に視線を投げ掛けた。亮太郎は一瞬考えたが翔を見た後、司に向いた。

「捕らえて翔に引き渡す。それが今回の指令だ」

「仰せの通りに。全てをRの名のもとに」

そう言うと、不敵な笑みを浮かべた。

その笑みは司ではなかった。これから獲物を狩りに行こうとするタランチュラだった。



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