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第七章(四)

誤解(四)


 夜の生放送番組の収録の為にテレビ局を訪れた司は、入口に入る時に不穏な気配を感じて一瞬振り返ったが、何もない。

 -気のせいか

そう思っているとチャーリーに急かされた。予定の時間をすでに過ぎ、番組のスタッフ等を待たせている。急ぎスタジオに入ると待ち兼ねたようにリハーサルが始まる。司は並木に手掛けた新曲を披露する為にバックでピアノを演奏する事になっていた。打ち合わせ通り曲が終わる。

 -なかなか、いい。

久しぶりに満足感を覚えた。ピアノから立ち上がり、裾へ戻りかけてふと見ると、並木はスタッフと位置を確認しているようだった。

 っ!? 

ピシっと司の脳に何かがぎった。

微かに殺気に似た衝撃波を感じたのだ。

バラっと足元に何かが落ちた。 ねじ? ハッと上を見上げた瞬間、照明が一つ勢いよく落ちて来る。

 ガッシャーンっっ!! 

スタジオに大音響が響き渡った。

キャーっ と女性出演者が悲鳴を上げた。

その下に司が立っていたのを彼女は見ていたのだ。顔を手で覆っていたが、一瞬静まり返ったのに気付くと恐る恐る手をどけた。

間一髪それをけた司は青ざめると、落ちた照明を見つめた。

-何だったんだ、あの衝撃波は・・・

それだけが気になっていた。

 その後のスタジオは大混乱となった。

慌てたスタッフが何かのコードに足を捕られた。

チャーリーは驚いて司の方へ走り出そうとして一瞬足を止め、目を見張った。

幅3M高さ5M程のスチール製のセットの壁が、ステージの中央へ向かってゆっくり倒れていく。

その下には司に向かって照明が落ちた事に驚いた並木が一人立っていた。

「危ないっ!」

誰かが大声で叫ぶが、壁は勢いを増して倒れて行く。悲鳴と絶叫の中、スタジオが揺れた。

大きな壁が横倒しになり、その場にいた全員が立ち尽くし、スタジオは静まり返っていた。

その視線は倒れた壁に釘付けだ。

チャーリーは慌てて辺りを見渡すが、並木の姿が見えない。

 ・・・ ?

そして、司の姿もなかった。

「つ、司っ!?」

チャーリーは真っ青になり、震える声で叫んだ。

叫び声と同時に皆我に返ったように動き出した。

 まさかっ・・・、 走り寄ると壁の端から手の平が見えた。スタッフは全員驚愕しながら必死で壁を持ち上げ、ようやくの事で壁を取り除くと全員目を見張った。

そこには右手を伸ばし仰向けに倒れている並木と、その頭を右手で抱え顔の横に頭を埋め、左手で自分の体を支えている司の姿があった。

 

 並木が悲鳴と共にハッと上を見上げると、セットの壁が自分に向かって勢いよく倒れて来るのを見た。

咄嗟の事で足が動かない。手で受け切れるものではないが、頭上に手をかざしてその衝撃を受けようとした。

壁に手が触れようとした時、『並木っ』と声がして、何かが自分の頭を抱えて壁と共に倒れ覆いかぶさって来た。

次の瞬間背中と腰と右腕に衝撃が走った。が、しかし上からの圧迫は不思議となかった。微かにフローラルの香りがする。柔らかい綿のような物が右の頬に触れた。

耳元で、「くっ・・ 」という息が漏れているが、暗くて何も見えない。

ようやく灯りが差し込んで来た。スタッフの手によって壁が取り除かれると、真上から照明を受け、思わず目を閉じた。

並木はゆっくり目を開け、自分の横に誰がいるのか確かめようと右を向いた。

「つ、かさ?」

自分の名を叫んだのは確かに司の声だった。

「う・・・、 っく・・・ 」

壁が取り除かれても立ち上がろうとしない。

小刻みに司の体が震えていた。

司は背後に受けた衝撃に耐え兼ねていた。左手一本で到底支えきれるものではない。限界に来ていた時壁が取り除かれると、ふわっと体が軽くなったように思えたが、その直後に激しい痛みが全身を襲う。

「く・・・っ」

体が金属の鎖で縛り付けられているようだ。

「司?」並木の声が耳元で聴こえた。

 -そうか・・・

「並木、無事なの?」

ようやく自分の頭を上げ、右手をそっと並木の頭から外し床に手をついた。

膝を折り曲げながら並木の体から距離を置く。左手を床から離そうとした時、左腕の付け根辺りが引き裂かれそうになった。苦痛に耐えながらも声だけは決して上げようとはしなかった。

それが司の生き様だった。

やっとの思いで立ち上がると側に寄って来たチャーリーに掴まり支えられた。並木も左手をついて、マネージャーとスタッフに支えられながら体を起こす。右腕を掴まれた時激痛が走った。

「ううっ・・ 」

顔をゆがめ、思わず右腕をかばってうずくまってしまった。司は自分の左肩を庇いながら立っていたが、並木が腕を抱えてうずくまっているのを見ると囲んでいた者達を押し退けた。

「やられたのか? ・・ ごめん」

 -え? 

並木をはじめ、司の力のない声を聞いた者全員が驚いて司を見る。

あれだけの衝撃を受けながら自分の力で立ち上がった事にさえ驚いていたのに、他人を庇い切れずに謝った事に驚いたのだ。

「見せてみろ」

司はかがむと、並木の右手を取った。

手首から10センチ程の処に触れた時、激痛が走り顔が歪む。

「心配するな。折れてはいない ・・・ ヒビ入ってるな」

そう告げると並木の顔を見て苦笑に近い笑みを見せた。その笑みに、並木は不思議と痛みが遠のいて行くようだった。

司の額からは細かい汗がにじみ出ていた。立ち上がろうとしたが、全身をとげのある重たい鎖でしばられているかのようで力が入らない。

何処かで「どうするんだ、本番まで時間がないぞ」と言う声が聞こえて来る。

「そんな事言ったって ・・ とにかく救急車!」

あちこちで慌てふためいている。

「並木、どうする?」

司が慌てふためいているスタッフを横目にやると並木に向かって訊いた。

並木には司が何を考えているかが解ったが、まさかこの状況でるつもりなのか?と信じられない表情で司を見上げた。

「お前に合わせるさ」

そんな並木に司は平然と言った。並木は腕の痛みを瞬間忘れていた。

「司がってくれるなら」

「なら、決まりだ」

口の端を上げてニヤッと笑うと立ち上がりながら右手を並木に差し出した。左手で司の手を取ると立ち上がった。

二人が立ち上がる様子を全員が息を止めて見ていた。

「司、演るのか?」

チャーリーが体を支えながら不安気に訊く。

「ああ、当り前だ」

チャーリーを横目で見るとニヤッと笑う。

チャーリーも思わず苦笑した。

 -まったく、この人は・・・

恐らく何を言っても無駄だろう。それ処かマネージャーをクビにされ兼ねない。

「時間ないぞ、あと3時間だ」

時計を見ながら司に言う。

 何を言ってるんだこの人達は・・・。 周りのスタッフは驚きを隠せない。既に企画の変更をしようと考え始めたところだ。チャーリーがプロデューサーを呼ぶと慌てて走って来る。

「本番までには戻って来る。予定通りだ」

「は、はい」

命令口調で司に言われ、彼は頷くしかなかった。

「並木、来い」

司に言われ、並木とマネージャーは言われた通りついて行く。チャーリーは途中司に言われ電話をかけると司に代わった。

「ボン、オレだ。今から行くから、・・・ ん? ・・ ああ、大したことはない。 けど、強力な痛み止めが欲しいんだ。・・・ え? ・・ ああ、今説明させるから」

丁度、出口を出て目の前にタクシーが一台止まっている。司は電話をチャーリーに渡すと

「状況を説明しておけ。オレはこいつを連れて先に行くから、後で二人で来い」

そう言うと、並木を促しタクシーに乗り込んだ。

並木のマネージャーが心配そうに見送ったが、チャーリーがそれをなぐさめていた。

 ドアが閉まり、行き先を告げると車は走り出した。

司は全身を駆け巡る激痛に耐え切れなくなり、シートにもたれ体をよじると顔を窓へ向け下を向いた。

「司、大丈夫?」

「・・・・」

返事がない。しかし、微かに震えているその肩が返事だった。

並木は黙ってその震える肩を見ていた。

 あの時、一体何が起こったのだろう。今だに何が起きたのか信じられないでいる。しかし、自分の右腕にも激痛が走っていた。体もしびれてきているようだ。車の振動も手伝って気分も少し悪くなっていた。

しかし、司はどうなのだろう。自分の事は何も言わない。あの時平気な顔をして、演ると言った。 本当に大丈夫なのだろうか。

病院へ着くまで、並木はずっと司の肩を見ていた。


 病院の玄関先でみやびは看護婦達と待っていた。二人を乗せたタクシーが到着すると、二人を各々のドアから支えながら出す。司をストレッチャーに乗せようとしたが、それを払い除けると歩き出した。

「とにかく、並木を先に診てやれ。右腕にヒビが入っている。すぐ手当てしろ」

どちらが医者かわからない。司は雅に命令していた。

「それから、3時間後に本番だ。それまでに普段通り振舞えるようにするんだ。 いいなっ」

「分かった、けど、お前は・・・」

「いいから、早くやれっ」

吐き捨てるように言うが、苛立って思わず力が入ってしまい両肩を抱き締めた。

前に倒れそうになったが、何とかそれを支えた。


 雅の処置は相変わらず素早い。30分程で並木の治療を終わらせるとベッドで眠らせた。

 厄介なのは司の方だ。

このわがまま娘が納得のいくようにしなければならない。

上着を取り、ブラウスを脱いで背中を見せると、白い肌が全体的に赤味を帯びている。そして両肩は赤紫色にれ上がっていた。どう上手く受け止めたのか、骨に異常がない事が幸いだった。しかし、気丈な司が果たしてどこまでこの痛みに耐える事ができるのか。並木の治療で処置が遅れているだけに雅も少し心配になっていた。

「とりあえず、応急処置はしておく。これから忙しくなるんだろ? 番組が終わったら、真っ直ぐに戻って来いよ」

雅は司のデビューからちょうど五周年に当たり、イベントが盛り沢山ある事に気遣う。

実際、雅自身それを楽しみにしていた。司が輝く姿を見たいのだ。そして、自慢気に語る生意気な司をどうたしなめようか楽しみにしている。

「ああ、わかったよ。 で、痛み止めはどれ位効くんだ?」

「そうだな。 お前はどれ位欲しいんだ?」

余裕のありそうな態度に冗談混じりに訊いてみる。

「二、三本、打ってもらおうか。・・・ 急所を外せなかったんだ。しくじった・・・ っつぅ」

「えっ・・・ ここか?」

雅は左腕と肩の付け根辺りを軽く押した。

 っっ!? --っつ!!

ナイフで刺されたままえぐられるような激痛が走る。そのまま診療台に座っていられなくなりそうになって、前にのめると自分の体を抱えた。

「固定した方がいいんだが・・・ イヤなんだろう」

「当、たり前だ ・・・っ、だから、何とかしろ」

雅を睨みつける。

「わかった、わかった。なら、強烈なの一本くれてやる。その代わり眠くなるぞ。心臓にも負担になるかもしれない。それでもいいか?」

「構わん・・? 眠くなる?」

「ああ、普通の人間なら打ってすぐ眠りに入るなぁ。お前ならどうかな。一時間は持つかな」

「それって、クロ・・」

「いや、あれはお前が最も苦手とするヤツだろ。何でだろうな、あんな物に弱いなんてな・・・。それじゃ、お前にとっては痛み止めにならんよ。逆に命取りだ」

雅にまで言われ、司は情けなくなった。

「そう、落ち込むこともないだろう。とりあえず打つから。で、俺も行った方がいいだろう? それに、どっかで寝られてここへ戻って来れなくなったら、たまらんからな」

皮肉を込めて笑いながら言った。毎度の事ながら、雅には嫌味を言われっ放しだが、今までの事を振り返れば仕方のない事だけに苦笑するしかない。

「そうだな、それにあんな事故の後だ。お前が来てくれればアイツらも安心するだろう」


 病院からテレビ局まで車で15分で行ける。司たちは30分前に病院を出た。到着し、建物に入ると待ち兼ねたスタッフは心配して二人を出迎えた。

スタジオには既に観客も入り、あとは時間が来るのを待つだけだった。

光生会病院の医師が付き添っているという事もあり、スタッフは幾分安心したようだった。光生会の医師は世界でも優秀な医師がそろっている。が、治療費が高い上に高慢であると言われていた。

「司、大丈夫か?」

チャーリーが心配そうに訊くが、

「ああ、この通りだ。ホント、強力な痛み止めだな。何も感じないよ。それよりボン、後の事はオレ知らないから頼んだぞ。それと、並木もしっかり診てやれよ。何しろ今をときめくトレンディ俳優だからな。何かあったらお前の責任だぞ」

と、軽く自分の肩を叩きながら言うと、雅に向き直った。

高慢であると噂されている光生会の医師をいとも簡単に従えて嫌味を言う司にスタッフは更に恐縮してしまった。

 本番が始まり、並木と司がステージに立つ。

ピアノのソロから始まり、それに合わせてドラム・ギター・ベースが入る。並木の歌声と共にスタジオは温かい空気に包まれた。唄いこなしていない事を感じさせないようにピアノの音色が空気を優しく包んでいた。

この音色を出さなくてはいけない為、司は何としてでも痛みを感じないようにしなければならなかった。

 急所を外した事など決してなかった。

 そこまでおろかではなかった。

演奏が終わると一瞬静寂に包まれたが、直後歓喜の拍手が沸き起こる。司も満足だった。

 

 テレビを見ていた紀伊也も思わず微笑んだ。

いい音色だ。これではどんな歌手も上手く見える。


「司さんって、素敵ね」

隣に座って見ていたゆかりが、うっとりした表情で言った。

「ああ・・・ 」

秀也は複雑な気持ちで聴いていた。

 -司のヤツ・・・、いつの間にこんな弾き方するようになったんだ。


 CMに入り、ピアノを離れてセットの観覧席へ戻るとホッと一息ついた。

 -やっぱり慣れないと大変だな・・・。もう少し唄ってくれないとキツイ・・・。

思わず下を向いて苦笑してしまった。

その時、ガクンっと一瞬司の中で落ちるような感覚になり、急に眠気が司を襲った。

 え? ・・・ 頭を左右に振る。

隣に座っていた並木が司の異変に気が付いた。腕と足を組んで必死に何かに耐えているようだ。

「司、どうかした?大丈夫?」

小声で訊くがその声は司には届かない。

並木も痛み止めを打ってもらってはいるが、出番が終わり少し安心したのか、眠気が並木にも襲い掛かっていた。

10分程の待ち時間がとても長く感じた。

 放送が終了し、並木はふらふらと立ち上がるとマネージャーにかかえられながら楽屋に戻る。

司もチャーリーと雅に付き添われながら、必死に眠気と闘いながら廊下の壁を伝って歩いた。

楽屋に入り扉が閉じられ、ソファが目につくと崩れるように倒れてしまった。




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