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第六章(八)

誘惑(八)

 

 ユリア達が帰って来ると、別荘はまたにぎやかさを取り戻した。皆、各々《それぞれ》忙しそうに自分の仕事に取り掛かっていく。ユリアは並木を誘って街に出かけて行った。一人残った司は自分の部屋で過ごしていた。

ふと、並木の事を思い出す。

亮の替わりでなく、一瞬でも本当に並木を受け入れてしまったのかと思った。

 亮は死んでしまったのだ。

自分を置いて先に逝ってしまったのだ。もう二度と会う事はできない。

それは解っていたが、亮の死を完全に受け入れる事は難しかった。彼に亮の面影を追っているのは確かだ。だからか、彼とはこのまま別れたくないと思った。亮の死と完全に向き合う為にも彼が必要なのではないか、そう思い始めていた。

並木と離れたくないと思うのは、我がままで身勝手な事なのだろう。並木は亮ではない。

 でも・・・。

一人で押し問答していたが、こんなにも悩んでいる自分がふと意地らしく思えた。

 恋? してるのか・・ な。

そういう答を出してみると、何だか照れてしまう。が、秀也がいる、というもう一つの答を出してみると、何だか自分が情けなくなった。

ソファに腰掛けながらブランデーを飲んで、天井を見上げた。

もう、考えるのはよそう。そう思って下を向くと、昼間叩き付けた週刊誌に目が留まり、拾い上げるとページをめくった。

 - こんなにも安心し切った顔で寝ていたんだ・・・

司は自分と肩を抱いて寝ている並木の顔を見比べた。

 まるで、恋人同士だな。思わず苦笑した。

 

 日も暮れかけた頃、ユリアは部屋をノックしたが、返事がない。少し不安気に扉を開くと、ソファの背にもたれて司は眠っていた。近づくとテーブルにはブランデーのビンと空になったグラスが置いてある。司の手元には司と並木が寄り添って寝ている写真が開かれたまま置いてあった。ユリアはその週刊誌をそっと取り上げて見た。

「ん・・・?」

気配に気が付いて目を覚ますと、ユリアが週刊誌を見ながら立っている。

「あ、ああっ」

慌ててそれを取り上げようとしたが、ユリアは笑いながらそれを上に上げた。

「まーったく、とんでもない処を撮られたわね」

意地悪そうに横目でチラッと見ると、週刊誌を閉じて司に渡した。

「どうするの?」

「どうするも何も・・・」

半分恥じらいながら言うと、テーブルに放り投げた。

「ふーん、ま、私の知った事ではないわ。そうそう、パーティの準備が出来たから降りて来て」

それだけ言うと部屋を出て行った。

司はテーブルに放り出された週刊誌を見ながらタバコを一本吸うと居間へ降りた。

 居間へ入ると並木とユリアが楽しげに話をしている。司に気が付くと、使用人の一人がワイングラスの乗ったトレーを差し出した。それを受け取ると並木と目が合う。一瞬ドキッとした司は慌てて目を逸らして胸元に手を当てた。

 司の合図でパーティが始まった。今夜は並木の送別パーティだ。司は使用人たちにも参加するよう言い、パーティの間中仕事をした者はクビにするとまで言った。

使用人達はエプロンを外し喜んで参加した。皆、並木の事を亮のように感じていたので、司と並木を眩しそうに見守っていた。並木を囲んでいると、執事のハンスが傍に寄ってきて耐えかねたように口を開いた。

「お嬢様、最期にお二人でいらっしゃってから、もう十年経つんですね」

司は黙ってハンスを見た。

亮が死んでから誰一人として司の前で亮の名を口にした者はいない。

「ハンス・・・」

ユリアがたしなめるように言う。しかし、司は「いいんだ」と首を横に振った。

「きっと、皆ハンスと同じ気持ちさ」

司の一言で全員俯いてしまった。こらえきれず涙を流す者もいた。

並木は戸惑った。本当に来て良かったのだろうか。

「並木、来てくれてありがとう。皆喜んでいるよ。あれから時が動き出したみたいだ」

並木を見た司は少し寂しそうだったが、何かが吹っ切れていた。

それを見たユリアはホッと胸を撫で下ろした。


 翌朝、朝食を終えた並木はユリアに送られ帰国のについた。司は駅まで行こうか迷ったがユリアが強引に連れて行ってしまった。

司は一人居間のソファでコーヒーを飲みながら何も考えず、ボーっと天井を見ていた。

「寂しくなったの?」

突然、声をかけられて入口を見ると、ユリアが戻って来ていた。ユリアは向かい側に腰掛けると探るように司を見た。

「な、なに?」

ギクッとして横目でユリアを見る。

「並木・・、並木が何か言ってたの?」

何とか取り繕おうとしたが、思わず並木の名を口にしていた。

「あなた、本当に亮と勘違いしたの? それとも・・・?」

一瞬司の目が曇り冷酷になった。ユリアは冷や汗をきそうになって慌てた。

「嘘よ、ちゃんと封印されていたわよ」

「何で、それ知ってんだ」

司の声がわずかに鋭い。が、並木との事を知られて内心ギクッとしていた。

 ユリアは全て話して聞かせた。並木が司に迫ったのはユリアが仕組んだ事だったのだ。

「え・・・」

司は絶句してしまった。

「さすが、俳優ね。ま、あそこまでやるとは思わなかったけど。かなりの荒治療だったけど、自分を取り戻せたんじゃないの? あなたが封印する事は最初から承知の上よ。もう、錯覚を起こす事はないわ」

驚いてユリアを見ると、ユリアは満足気に司を見ている。

「もう大丈夫、心配ないわ。 日本に帰って皆の所に戻りなさい」

さとすように言うと、ソファの背にもたれて天井を仰ぎ見た。

「でも、全て封印すると思ったのに、記憶を入れ替えただけなんてあなたらしくないわね」

ユリアの言葉に苦笑いして立ち上がると何も言わずに窓際へ行き、庭を眺めた。

 ユリアはそんな司の背を見ながら、一瞬不安になった。そして、サイドボードの亮に目をやると心の中で話かけた。

 - リョウ、ツカサを見守ってあげてね。これからもずっと・・・。


 ******


 成田空港に降り立った司は、ユリアから受け取ったメモを見ながら電話をかけた。

呼び出し音が鳴り、暫らくすると受話器の向方から懐かしい声が聴こえる。

「並木? オレ、司。 ・・・ うん、今帰ったんだ。ユリアから全部聞いたよ。・・・ありがとう。 それでね、今度お前に歌を書くから・・・、 うん、唄って欲しいんだ。・・・ うん、オレの歌をね。・・・ それじゃ、また」

受話器を置いた司は思わず微笑んだ。

 さてと、行きますか。

きびすを返して空港を後にした。


 久しぶりに見る東京の街は相変わらず忙しそうだ。しかし、吹っ切れた司にはこの街の喧騒けんそうが新鮮な気分を感じさせていた。

事務所に入ると、全員息を呑んでその場に立ち尽くした。余りに驚き過ぎて、デスクの上の電話をひっくり返した者もいる。

突然、後ろから首を締め上げられた。

「晃一・・・!」

「何処行ってたんだよっ、ばかやろうがっ」

そのまま奥のソファに引き摺られるように連れて行かれる。秀也・ナオ・紀伊也の三人が心配そうに司を見たが、サングラスを外した司の目を見ると安心したように息をついた。が、次の瞬間呆れて怒鳴った。

「司っっ!!」

司は首をすくめて両手を合わせると、「ごめん」と一言だけ言った。

五人の時間が元に戻った瞬間だった。

それを見守ったいたスタッフは全員、ホッとしたように自分の仕事に戻っていく。

ドサっと晃一が側の棚から週刊誌と新聞の束をテーブルに投げ出した。

「これっ、どーすんだよっ!」

「あ、あはっ、これぇ、どーしよう」

司は一つの週刊誌のページをめくると目を細めた。

「よく、撮れてんなぁ、これ」

そう言って秀也の隣に行くと、チラッと秀也を見た。

秀也はムッとして司を見ている。

「秀也だって悪いんだぞ。オレが苦しんで入院している間に“浮気”してたろ」

広げた週刊誌で顔を隠してそうささやいた。

「ばか」

秀也は苦笑して司の頭をはたいた。それを見た三人は安心したように顔を見合わせた。

「もうすぐ命日だ」

週刊誌をテーブルの上に置くと呟いた。

四人は黙って司を見た。

司は下を向いたまま「皆で墓参りに行こうぜ」そう自分にも言い聞かせるように言うと、皆を見渡した。

司が亮の墓参りに誘ったのは初めての事だ。それはまるで亮の死を受け入れているかのようにも思えた。

「司、いいのか?」

紀伊也が訊く。

「ああ」

司は確認するかのように紀伊也の目を見つめながら返事をした。思わず紀伊也に笑みがこぼれた。

司が自分たちのところへ戻ってきた、と全員が確信した。

「じゃあ、今日は司のおごりな」

珍しく紀伊也が挑発的に言うと、司は自分の腕を秀也に絡ませ

「だぁめ、今日は秀也とデートなの」

そう言って舌を出し、上目遣いに秀也を見ると微笑んだ。

三人は呆れて秀也と司を見るが、秀也は今夜の事を考えると照れ笑いを浮かべるしかなかった。


 ******


 数日後、司は青山にある「Y.Z」というデザイナーズブランドの店を訪ねた。

背が高く痩せ型で髪は黒く短い色白をした店員に声をかける。店員が軽く挨拶をすると、二人で服を選び始めた。司は何かシャツを探しているようだった。

他にも客と店員がいたが、二人は皆から離れるように服を見ていた。

「で、何処にいるって?」

司が店員に声をひそめて訊く。

「モーリシャスに」

「二人だけか? 他には?」

「いえ、これは二人だけでやった事のようです」

「そうか。ま、いい。しかしモーリシャスとはまた随分ずいぶんと素敵なバカンスだな。しかもお揃いで」

司の目が徐々に冷酷さを増していく。

「どうしますか?」

「ふっ、あそこには腹を空かせたヤツらが沢山いるからなぁ」

そう言う司は、まるでクモの巣に迷い込んだを捕らえようと近づいている主のような目をしている。

店員はゾッとして生唾を呑み込んだ。

 明くる日の現地の新聞に、旅行に来ていた日本人二人が滞在先の海岸近くの草むらで、毒蜘蛛に噛まれ死体で発見された、という記事が載った。

それは、司と亮の事を記事にした記者とその編集長だった。



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