第六章(六の4)
暫らくして並木は氷を入れたボールとタオルを持って戻って来た。そして、タオルを濡らして絞ると司の額に乗せた。時折それを頬に当てたり首の辺りを拭うようにするとボールに入れ、絞るとそれを繰り返していた。
ユリアは時々点滴を交換したり、部屋を出て行ったりしたが、並木はずっとベッド脇に腰掛けて司を見ていた。
日も暮れかけた頃、ユリアが部屋へ入って来た。
司の顔を覗き込むと少しホッとした。
熱が下がって来たのか、呼吸も幾分落ち着いている。
部屋の灯りをつけると、眩しさに耐え兼ねたのか司が目を覚ました。
「司・・・」
並木がホッとしたように、額のタオルを取って、ボールに入れて絞るとまた置いた。
司は冷んやりとしたタオルを気持ち良さそうに受け止め、ふうっと息を吐いて並木を見た。
「ああ、・・・ありがとう。 気持ちいいよ」
目を閉じて言うと、再び瞼を開け、並木を見て微笑んだ。そして、ユリアに気付くと申し訳なさそうな顔をした。
「Juria、ごめん。心配かけた」
「そうね、心配したわよ。一時はどうなるかと思ったけど」
皮肉を込めてフランス語で答えるが、やはりホッとする。そんなユリアを横目に、並木には日本語で訊いた。
「いつ、ここへ?」
「今日・・・」
「駅で偶然会ったのよ。すぐにわかったわ、カレの事。それで、一緒に来たのよ」
司はユリアと並木を交互に見て笑った。きっと強引に連れて来られたに違いない、そう思った。
「もう、大丈夫ね。この様子なら明日の朝には完全に熱は下がるわ。気が付いたからといって、起き上がってはダメよ。何せここへ戻って来てから、あなたは三日も寝ていたのよ」
「三日?」
驚いて体を起こそうとするが、力が入らない。額に当てられたタオルが落ちて、慌ててそれを拾おうとしたが、並木の手とぶつかり思わず引っ込めた。ユリアはそれを見逃さなかった。
「そう、三日。今日は月曜日なの」
フランス語で月曜日を強調して言うユリアは、どんなに心配したかと怒り出さんばかりだ。
「ごめん」
申し訳なさそうにユリアを見た。
「いいわよ、もう。 何だか安心したらお腹も空いてきたわ。今日は何かしらね。ツカサは何か食べる?」
「うん、そうだね。何かスープでも」
「そう、それならここへ運ばせるわ。待っていて」
そう言って立ち上がると部屋を出て行った。
並木は目でユリアを見送ると、司を見て微笑んだ。
ドキッとして並木を見つめた。
「あの人、お医者さんだったんだね」
「ユリアの事?」
「ユリアさんって言うんだ。名前も聞かなかったな。駅で道を訊こうと思ってたらいきなり日本語で名前呼ばれて驚いてたら、ここへ連れて来られたから」
司は何となく想像して笑った。
「ユリアはね、親友なんだ。 年は一回り違うけど、世話になりっ放しだ」
そう言って遠くを見ると、大きな息を一つ吐いた。
「大丈夫? まだ、熱あるんじゃない」
並木は司の額に手を当てながら言った。
一瞬司は目を閉じた。目を開けると並木の手が頬を撫でていた。
ドキッとして目を逸らす。
「今日はここに泊まっていけよ。直に食事もできる」
突き放すように言うと、並木は手を離した。
「並木さん、夕食が出来たわ。下で一緒に食べましょう。それからあなたの荷物は部屋へ運んでおいたから、暫らくゆっくりしていってね」
ユリアが現れて言う。
「ツカサ、あなたの分は後で持って来るわ。さあ、行きましょう」
半ば、強引に並木を促して部屋を出て行った。司は一人になると、先程まで並木が座って居た所を見つめた。
「並木 ・・・ か」
一瞬、胸が締め付けられるようだった。
その夜、司は久しぶりに温かいスープを飲み、ゆっくりとした静かな眠りについた。