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第六章(六の3)

 

 翌朝、陽が昇る前に既に司は姿を消していた。

ユリアも木曜の夕方には戻ると言って、昼前には出て行った。

別荘はまた、主人のいない静けさを取り戻していた。

 土曜の朝になっても司は戻って来なかった。

 - 遅い、遅すぎる

今まで予定通り、事を運ばなかった事はない。

光月司としてはいい加減で、突拍子もない行動は取っても、タランチュラとしては寸分の狂いもなく実行する。

ユリアは不安になっていた。それとなく探りを入れてみると、確実に指令は完了していたが、その後の事については誰も何も知らない。

ユリアはその日、一日中出掛けず、別荘の中で過ごした。

 夜更け頃、自分の客間の窓から外を見下ろすと、門の前にタクシーが一台止まった。

 こんな夜更けに・・・。そう思いながら見ていた。

誰かが降りたようだったが、人影が見えない。ここの訪問客ではないのか・・・。

タクシーはそのまま走り去って行く。暫らく門を見ていると、何かが門に必死でしがみ付きながら押し開けている。

門が開かれると、転がるようにして、黒い塊が玄関に近づいて来た。

「ツカサッ!?」

ユリアは急いで階下へ降りた。

ドンドン、ドンドン、玄関の扉が叩かれる。

玄関の灯りが点けられ、使用人の一人が扉を開けると、黒いロングコートをまとった司が倒れ込んで来た。使用人が悲鳴を上げると奥からも人が出て来る。

ユリアが駆け寄り抱き起こすと、苦しそうに激しい息をしていた。サングラスを外すと目の焦点が合わず、虚ろな目でユリアを見ている。

「ツカサッ! どうしたの?! しっかりしてっ!」

「一瞬、の隙を突かれた・・・。 や、られた・・よ。 はぁはぁ・・・ すごい、冷気だ・・・った。ユ、ユリ・・ア、ご・・めん」

ようやくそれだけ言うと、がくっと力が抜けて気を失ってしまった。額に手をやると火傷しそうな程に熱い。

「とにかく部屋へっ!!」

 その後のユリアの対応は素早かった。司を部屋へ運ばせるとコートと上着を脱がせベッドへ寝かせた。そして、念の為用意していた解熱剤を打つと点滴の準備をした。

ユリアは司の言葉が気になって、司が出発した後、スイスの自宅へ戻り準備していたのだ。

 その晩、ユリアは尽きっきりで看病した。とにかく熱を下げなければならない。

体温計は42度を保ったままだ。壊れているのかと思った位だった。普通の人間なら当に限界は超えている。汗もかいていたので、途中何回か着替えさせてもいる。脱水を起こさないよう既に点滴も打っている。

 翌昼過ぎになっても、熱は一向に下がらない。しかも、手持ちの点滴も解熱剤も切れてきている。ユリアは仕方なくもう一度自宅に戻る事を決意した。使用人には、途中着替えさせる事と氷枕を替える事を指示すると、急ぎ発った。


 ******


 翌朝早くに自宅を出て、昼過ぎにニースの駅へ着いたユリアは、同じ列車に乗って来たと思われる日本人を、改札を出た所で見かけた。

すらっとして華奢きゃしゃな感じのする青年だったが、何処かで見た事がある、と思いふと足を止めた。

彼は何かメモらしき物を持って、辺りを伺っている。何処かで道でも尋ねようというのか。

近づこうとした時、こちらを向いた。

 !? 

ユリアは思わず目を見張った。

 リョ、リョウ!?

これ程までに似ている者がこの世に存在するのだろうか。

一瞬自分の目を疑った。そして冷静に考えると彼に近づいた。

「あなた、並木さんね」

突然、日本語で声をかけられ驚いて振り返ると、自分よりは何歳か年上なのだろうか、赤茶色がかったブロンドの巻き髪にアーモンド色の瞳をした女性が立っていた。ベージュのスーツがよく似合っている。手には大きなスーツケースを持っていた。

「司に会いに来たの?」

驚いて困惑している並木に優しく言った。

「心配しなくていいわ。 私もこれから彼女の所へ行くところなのよ。車が来ているはずだら。・・・こちらよ」

そう言うと、歩き出した。

並木はついて行っていいものかどうか迷っていた。

「司に会いに来たんでしょ。だったら急いでちょうだい。時間がないのよっ」

いらついてユリアは並木に怒鳴った。

昨日から度々電話を入れているが、容態は思わしくない。これ以上高熱が続けば、さすがの司と云えども命に係わってくる。脳波の乱れもここへ来てかなり感じていた。ユリアには一刻の猶予も許されなかった。

 優しく声をかけられたかと思えば、いきなり怒鳴られ更にびっくりしたが、ほとんど言われるままに彼女について行くと黒いロールスロイスに乗せられた。

 並木は初めて乗る高級車に恐縮していたが、この女性は一体誰なのだろうと考えていた。

ただ、司と知り合いだという事だけは分かった。

 彼女は運転手とフランス語で何か会話をしていた。何を言っているのか全く解らなかったが、時折、司の名前を言っている事だけ聞き取れた。会話が終わると車はスピードを上げた。

彼女に何か聞こうと思ったが、とても難しそうな顔をしていたので、そのまま黙って窓の外を見ていた。

 街を抜け、草原が広がる。

坂道を昇り20分程して、丘の上に白亜の建物がへいの向方に見えた。車はそのまま門をくぐって、白亜の建物の前に停まった。

「着いたわよ」

玄関の前に立っていた黒いスーツを着た男が車のドアを開ける。

並木が荷物を持って降りると、男は並木から荷物を受け取り中へ案内した。

並木を見た時、男は一瞬ギクッとした。

「並木さんよ。司の大事なお友達よ」

男に向かって日本語で言った。

「そうですか。ようこそいらっしゃいました。 長旅お疲れ様でした」

流暢りゅうちょうな日本語だった。玄関に入ると三人現れたが、並木を見ると三人とも驚いた表情をした。ユリアはまた同じ説明をしなければならなかった。

「ツカサの大切なお友達よ。わざわざ日本からいらしたの。粗相そそうのないようにね。何かあったらツカサに怒られるわよ」

フランス語で早口に言うと、一人に司の容態を訊ねたが、彼女は力なく首を横に振った。

「まず、彼を案内してあげて。並木さん、ごめんなさい。しばらく居間にいてちょうだい」

そう言うとスーツケースを男に運ばせ二階へ上がって行った。

 並木は言われるままに居間へ案内された。一番最初に目に付いたのは黒い大きなグランドピアノだった。磨かれてあるのかちり一つ乗っていない。天井のシャンデリアが見事なまでに映し出されている。内装も日本では余り見かけた事がないような重々しい雰囲気の家具で統一されている。ヨーロッパ独特のアンティークなのか。

 しかし、懐かしいような安らぎを覚える。ダマスクス織のソファに腰を下ろすと見事なまでに自分の体にソファがくっ付いて来る。一気に旅の疲れが癒されるようだ。

紅茶が運ばれて来た。甘い香りが更に疲れを癒してくれる。並木は紅茶と一緒に運ばれて来たクッキーとチョコレートもつまんだ。普段余り口にしないが、この居間にいると、それを楽しみたくなってしまう。

一瞬、自分は何をしにここへ来たのか忘れてしまいそうだった。

 ふと、サイドボードに目をやると、写真がいくつか並んでいる。

少し大き目の銀の枠の写真に目が留まった。ソファからでもその中に司がいるのが分かる。

司の肩に手を掛け、微笑んでいる青年がいた。一瞬、自分が写っているのかと思って驚いた。司もかなりあどけない顔をしている。十四、五歳だろうか。しかしその顔はとても嬉しそうに笑っていた。見た事のない表情だった。

「司と写っているのが亮よ」

突然声がして、驚いて振り返ると、先程連れて来られた女性が立っていた。

「お待たせして、ごめんなさいね」

そう言うと、並木の前に座った。

ふうっと、一息つくと並木に向かった。

「あなたを見た時、本当に驚いたわ。だって、亮に生き写しなんですもの。これじゃぁ司が錯覚するのも無理もないわ」

「え?」

「あ、司から全て聞いているのよ。あの子もさすがに今回ばかりは参ったようね。・・・ ああ、ありがとう」

丁度、紅茶が運ばれて来る。ユリアは砂糖を一つ入れると香りを堪能たんのうして、一口飲むとカップを置いた。使用人がまだ立っている事に気付き彼女を見た。

「申し訳ありません。あの、お嬢様は?」

「心配しなくても大丈夫よ・・・ 多分」

少し自信なさ気だったが、彼女はそのまま一礼すると出て行った。

「お嬢様?」

いぶかしげに訊く並木にユリアはくすっと笑った。

「司の事よ。 あの子はああ見えても、お嬢様だから」

そう言えば、と並木は司に会いに来た事を思い出した。

「あの、司は?」

急にユリアの顔が曇った。

「余り、良いとは言えないわね。とりあえず会ってみる?」

「え、良くないって・・・」

「こちらよ」

ユリアは並木の質問を無視すると立ち上がって並木を促した。

階段を上がって二階へ行く。

 ドアのノブに小さなバラが彫ってある部屋に入った。ここにもピアノが置いてある。

先程の居間の内装に比べると至ってシンプルだ。白を基調とした部屋の天井の四隅には天使の彫刻があるが、三十畳程の部屋にはピアノとソファ、テーブルにサイドボード、奥にはベッドが広々と置かれていた。

 奥のベッドで誰かが寝ているようだ。ユリアは足早に近づいて行き、枕元を覗き込んだ。

ユリアに手招きされ、並木がユリアの隣に立って恐る恐る枕元を見ると、司が苦しそうな息をして眠っていた。その透き通るような白い肌は青白く、今にも消えてしまいそうだ。額からは細かい汗が出ている。時々苦痛に耐え兼ねるように呻いていた。

並木は驚いてユリアを見たが、ユリアは黙ったまま司を見ていた。

「司、どうした? 何があった・・・ どうして、こんなっ」

「三日前から熱が下がらないのよ。正確に言うと五日になるかしら」

「え、熱?  熱って、風邪?」

「ただの風邪ならいいんでしょうけど・・・ さっき、計ったら少しは下がっていたわ。それでも40度あったけど」

「40度?! そんなに!? そんな熱があって、何でこんな所にいるんですかっ?! 医者には? 医者には診せたんですかっ?!」

並木は怒ったようにユリアと司を交互に見た。

てるわよ」

ユリアがムッとして言う。

 え? と並木はユリアを見ると、ユリアは溜息をついた。

「私は医者なの。司お抱えの医者よ」

「え? だって、雅先生が・・・」

「雅は日本で主に心臓を診ているわ。私は司が来いと言えば、世界中何処へでも行くわ」

そう言うと、ベッドの端に腰掛けて司の額の汗を手の甲でぬぐった。

「ユ・・・リア」

ユリアの手に気が付いて、微かに目を開けた。

「気が付いたのね。良かったわ。お水飲む?」

司は目を閉じて返事をした。

ユリアは水差しからグラスに注ぐと司の首を少し持ち上げて口に付けた。司は何とか飲むとすぐに体を倒した。

司がユリアに向かって何か言っている。ユリアはそれにフランス語で返事をしたが並木を見ると、司も虚ろな目で並木を見た。

「兄、ちゃん・・・ 会いたか・・・った」

そう言って、目を潤ませた。ユリアが驚いて司を見ると、じっと並木を見ている。並木はそんな司を愛しむかのように微笑んで近づくと、頬の涙を優しく拭った。そして、瞼を閉じさせると一息ついてユリアを見た。

ユリアには一瞬、何が起こったのか理解に苦しんだ。

 今、自分は何を見たのだろうか。

熱にうなされている司を亮が見守っている・・・? 並木と亮がダブって見えた。思わずユリアも錯覚しそうになった。

「りょ、亮っ? ま、さかね」

自分自身を落ち着かせようと、並木から視線を外して司を見ると、先程に比べると少し息が落ち着いているようだ。

苦痛に満ちた表情から一転して安心したような表情で眠っている。

「会った時からこうなんです。僕の事を兄ちゃん、って。そうして何だか安心したように眠ってしまうんです。僕もどうしていいか分からないけど、こうしてあげる事で落ち着くのであれば、と思ってやってるんですけど、何故か自然にできてしまう」

司の寝顔を見ながら言った。

「 そう 」

ユリアは立ち上がって何か考え込むように、窓辺に行き庭を見下ろした。

 並木はベッド脇にあった椅子に腰掛け、司の額に手を当てると、あの時のように燃えるように熱いのに驚いた。息も細かく荒い。五日もこんな状態が続いているなんて信じられない。しかし、腕からは点滴も伸びている。ユリアも医者だという。とにかく熱を下げなければ、そう思い並木は立ち上がり部屋を出て行った。

 ユリアは黙って並木をじっと見ていたが、やがて、ある考えを浮かべると、サイドボードの上の写真に向かって呟いた。

「リョウ、ごめんね」

そして一度ベッドへ目をやると、また庭を見ながら考え込んだ。

 - ツカサの為よ。


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