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第六章(五)

誘惑(五)


 空港のチェックインカウンターで並んでいると、後ろからささやくようでいて、少し興奮気味な声が耳にいた。

「やだ、ちょっとあれ、あそこの人、光月司じゃない?」

「うそぉ、だって、入院してるって言ってなかった?」

「でも、ホラ・・・ あ、こっち見た。えー、やっぱそうよ!」

声の通りに従ってあちらを見ると、空席を確認しているのか、カウンターの前にすらっとした華奢な青年がいた。

さらっとした薄茶がかった前髪は目が隠れる程まで垂れて、後ろは襟が隠れるか隠れない位まである。チケットを持っている手は男性にしてはほっそりしている。細く尖った顎に鼻筋がすっと通り、少し大きめの切れ長の目に琥珀色の瞳、そして薄い唇。

紛れもなく司だった。

チェックインを済ませると慌てて後を追った。

サングラスも着けず、芸能人にしては余りに無防備すぎる。遠巻きに人だかりが出来始めた。そのうちフラッシュも所々で光る。

「司っ」

突然、目の前に帽子を被りサングラスをした男が現れた。

一瞬ギクッとしたが、警戒すらしなかった。その場に立ち尽くして、驚いた顔で男を見つめた。

「何、やってんだ?!」

男はそう言うと、司の手を掴もうとしたが、思わずそれを払いけた。

「並木・・・」

今、並木に会ってはいけない気がした。司はとにかく彼から離れたかった。しかし目の前をふさがれて立往生してしまう。

「司、何だってこんな所にいるんだ。病院にいたんじゃないのか、紀伊也さんも心配してるんじゃないのか?」

言い聞かせるように言う並木に、司はまた亮に叱られている気がして思わず首を横に振るが、その視線は並木に釘付けだ。

二人が向き合ったまま立っているのを見ていた者がフラッシュをたく。「並木清人だ」「光月司だ」 あちこちで興奮気味な声が聞こえたが、司には全く聞こえていない。

懐かしい者にでも会うような、それでいて会いたくなかった者に会ってしまった、何とも云えない切ない表情をしていた。

その時、並木のマネージャーらしき者が慌てて駆け寄って来た。並木は彼に気が付くと司の手を引っ張った。

「何処まで行くんだ?」

「フランス・・・ 」

そのまま、出国ゲートまで引きられるように連れて行かれた。


 ******


「ふうっ、まったく、グラスくらいしろ」

並木は呆れて司にサングラスを買わせた。その場でサングラスをかけて少し落ち着いたのか、一人になりたかった。

「ごめん、タバコ・・・」

そう言って司はタバコを買うと喫煙所まで行く。

中は咽返りそうになる位ひどい匂いをしていたが、それでも一服吸いたかった。司も空港の喫煙所は嫌いだった。しかしとにかく今は落ち着かせたかったのだ。幸いにも、並木の顔をまともに見なかった事が錯覚を起こさせずに済んでいたようだ。

 - 何だって、こんな所で会わなきゃならないんだ

少し苛付いてしまった。そして、どうにかこのまま並木に会わずに発つ事が出来れば、そう思い外に出ると、並木は向方を向いてマネージャーと話をしている。 司はそのまま一人で自分のゲートに向かった。

 途中、暫らく飛行機が滑走路から飛び立って行くのを見ていた。そして何気に時計を見ると、出発時刻の五分前になっていたので、慌てて搭乗口まで走った。

ファーストクラスの客という事もあり、乗務員も嫌な顔せずに出迎えてくれた。

座席まで案内される途中、誰かに腰を叩かれた。ふと、目をやると並木だった。

「同じだったんだ。俺もパリまでなの」

既に帽子もサングラスも外していた。

司は驚いて立ち止まっていたが、出発時間も迫っていたので早く座るよう促され、反対側の窓際へ案内され座った。そして、並木を見ると、軽く手を上げて合図している。

司はそのまま窓の外から空を見上げた。

 - フランスまで・・・。 これも巡り合わせなのか・・・。

シートベルト着用のサインが出て、加速して行く。そして、轟音と共に飛び立った。

 飛び立ってからどれ位経っただろうか。何となく体の調子がおかしい。寒気がするのだ。この二、三日、混乱状態にある中で発作を繰り返していたせいもある。特異体質の司は寒さが苦手で、体を冷やすとすぐ体温が急上昇してしまう。それがまた発作を引き起こす原因にもなっているのだ。

 - マズったな。 一度上着を取りに家に戻れば良かった。

鎌倉から直接空港へ来てしまった事に少し後悔した。仕方なく乗務員を呼んで毛布を借りた。そして、ブランデーを注文するとシートを倒して毛布に包まった。

 - いつだったかな、兄ちゃんと二人でフランスに行ったのは・・・。 そうか、十四の時か。 ロンドンから旅行に行ったんだ。 あの時が一番幸せだったのかな。 誰にも邪魔されず、二人で過ごしたんだ・・・。

懐かしいロンドン。 しかし、思い出すのは甘く切ない記憶ばかりだ。

「お待たせいたしました。ブランデーをお持ちいたしました。・・・? お客様? ご気分が優れないのですか?」

毛布にくるまって、少し息の荒い司に乗務員が心配そうに声をかける。

「あ・・・、大丈夫。心配ないよ。・・・ ブランデー? ありがとう」

そう言って、ブランデーを受け取ると一気に飲み干した。

「ごめん、もっとないの? ボトルごと欲しいんだけど、・・・ はぁはぁ・・・ それと、毛布をもう一枚」

体調が悪そうな割に目の前で一気に飲み干され呆気に取られた乗務員だったが、渡された空になったグラスを受け取ると

「少々お待ちください」

と、戻って行った。

少しして乗務員が言われた通り持って来ると、司はブランデーのキャップを開け、グラスに波々と注ぎ、それを一気に飲んだ。そして毛布を首からかけて包まった。

その様子を見ていた並木は気になって司の隣に座る。

「司?」

肩を揺すったが、少し苦しそうに息をしているだけでこちらを見ない。もう一度強く揺すってみた。

「司」

長く垂れた前髪とサングラスで表情がよく分からないが、息だけが苦しそうだ。やっと、こちらを見た。

「兄ちゃん・・・」

「どうしたの? こんなに・・・ 寒いのか?」

窓から射し込む太陽の光で機内は暖かい。

並木は何気に司の額に手を当てた。 !? 熱い。 こんなにも熱い肌に触れた事がなかった並木は驚いてしまった。

サングラスをそっと外すと、虚ろな目をしてこちらを見ている。

 兄ちゃん? ・・・寒いよ、 苦しいんだ・・・ はぁっ、はぁっ・・・

「司? 俺だよ、並木だよ。 分かる?」

 - 並木・・・? そうか・・・。  また、錯覚するところだった。

司はがっかりしたように目を閉じると横を向いて、何とか体を起こした。

毛布が肩から落ちてまた寒気がし、思わず身震いした。

「大丈夫? 何だかすごく熱があるみたいだけど」

「あ、ああ。 ・・・ いつもの事だから心配ないよ ・・・、はぁ、はぁ」

言いながらブランデーを注いで一気にグラスを空にする。並木は驚いて思わずグラスを取り上げた。

「お前、何だってそんな飲み方っ・・・!」

「え?」

また、亮に叱られた気がしてうな垂れると、シートに体を倒して毛布を肩から掛けた。

「また、叱られた・・・ 」

天井を見たまま呟いて視線を並木に向けた。

「お兄さんに?」

並木はグラスをテーブルに置いた。

司はグラスと並木の手をじっと目で追った。

ロンドンからの機内でも亮は空になったグラスをそっと置くと、同じようにこちらを見て微笑んだ。

思わず司は自分の頭を並木の肩に乗せていた。

一瞬ドキッとした並木だったが、司の肩を優しく抱いた。

「ふっ、やっぱり、兄ちゃんじゃない」

 え? 司を見ると、上目遣いに苦笑している。

並木は肩に回した手を離した。

「そう言えばお宅のマネージャーさんは?」

「あ、後ろ、スタッフと一緒」

「そう・・・。 ふうっ・・・」

肩に頭を乗せたまま大きく息を吐いた。

「大丈夫?」

「ああ、特異体質なんだ。 仕方がない。酒も効いてきたから、このまま寝れば何とかなる」

そう言うと、そのまま目を閉じた。

何となく並木の肩に寄り掛かって眠りたかった。

そのまま司は安心したように眠ってしまった。

 軽い寝息を聞きながら並木は思った。これが、憧れていた光月司だったのか。

余りにも唐突に身近になり過ぎて信じられなかった。あれだけ近寄り難い存在で、いつも何かに警戒してガードが固く、誰も素性を知る事が出来なかった謎の人物とされていただけに、とても不思議な感じがした。

 まるで、人懐こい迷い猫のように自分の事を兄だと慕って来た。何だか、守ってあげたいような抱き締めたくなるような、そんな気持ちにさえさせてくれる。

司の寝顔が可愛いと思った。並木は目の前のブランデーをグラスに注いでそれを飲むと、司の肩に腕を廻し抱き寄せると目を閉じた。

二人とも眠ってしまった。

深く温かい眠りに陥って行った。

司はシャッターの切る音さえ気付かず眠っていた。

とても安心した寝顔だった。


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