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第五章(五)

錯覚(五)


 雅は自分の部屋へ戻りながら、本当に大丈夫なのだろうか心配になった。

二時間程して、点滴も終わっただろうと病室を訪れた。ドアを開けベッドを見ると、司は起き上がって新聞を読みながらパンをかじっていた。

雅に気付いてパンを持った手を上げる。

ようやく雅は安心した。

「気分はどうだ?」

点滴を片付けながら訊く。

「まあまあ、だな」

皮肉交じりの返事に思わず苦笑してしまう。

「まあまあか。その調子なら大丈夫だろう」

「なあ、ボン。今日って何日なの?」

新聞を見ながら訊く。

「あれ、何日だったかな。曜日ならわかるけど」

咄嗟に訊かれて雅も忘れていた。外来診察など曜日でしか覚えていない。

「ふーん、何曜日?」

「金曜日だと思ったけど」

「金曜? 今日?」

司はふと顔を上げ、こちらを見た。そしてまた新聞に目をやって驚きの声を上げた。

「おかしいじゃん、一日空白だよ」

やはり昨日の事は覚えていないのだと確信した雅は冷静に言った。

「当り前だ。薬で一日寝ていたんだから」

司は唖然あぜんとして雅を見た。

「ホント? 一日寝てた、の?」

「そうだよ、よく眠れただろ」

きっぱり言い返す雅に司は納得せざるを得ない。首を傾げながらも、また新聞に目を落とした。


 雅が空になった点滴を持ってナースステーションへ持って行くと、室内は何となくざわついていた。

司を訪ねにまた有名人でも来ているようだった。でも、面会拒否にしている事位事務所に訊けば分かる筈である。

誰だ、失礼なヤツは。と思いながら訪問者を見た雅は思わず絶句し、その場に立ち尽くしてしまった。

 亮・・・ !?

「あ、先生。みやび先生」

看護婦が雅を呼んだ。

ハッと我に返った雅は呼ばれて彼の処へ行く。

彼は丁寧にお辞儀をした。

「突然すみません。本当は事務所に確認してから来るべきだったんですけど、これ、早く返した方がいいと思って来てみたら面会拒否だったので、どうしていいかと。・・・、 光月さんそんなに悪いんですか?」 

彼の声を聴いて、更に驚いた。

まるで亮が話をしているようだ。

雅は夢でも見ているのではないかと、自分自身を疑った。しかし周りを見渡せば看護婦達がいつものように仕事をしている。自分自身たった今、司の腕から点滴を抜いたばかりだ。

「いや、そんな事はない。大丈夫だよ、心配ない」

それを聞いて彼はホッと安堵の息を吐くと、手にしていた大きな紙袋を差し出した。

「これ、光月さんに渡していただけますか?」

見るとフルートだ

 これは・・・。

何故、彼が持っているのか考えるより、持っていて当然だという気にさえなる。

雅でも触れる事を許されない。なぜならそのフルートは、亮が大切にしていたものだったからである。

「自分で渡せばいいさ」

司の承諾も得ずに病室へ案内する。それが自然の流れであるかのように。

部屋の前まで来ると、急に彼の事が気になり振り返った。

「君、名前は?」

「あ、並木です」

「並木?」

「並木清人です」

ドアをノックして開けた。司は相変わらず新聞を読んでいる。読み終わったと思われる新聞は床に落ちていた。記事が気に入らないのか、どうやら叩き付けたようだった。司は雅に気が付いて顔を上げた。

「何?」

ちょっと不機嫌そうだ。が、雅の後ろに誰かが立っている事に気付き、視線を移す。

「司、見舞いだ。並木さん」

雅は確認するかのように並木の名を告げた。

「並木?」

雅はドアを全開し、中へ入ると並木を招き入れた。一瞬警戒した司だったが、並木を見たとたん息を呑んだ。

また錯覚しそうになったのだ。

そして、先程気になって読みかけていた記事に目を落とす。

『倒れた原因は並木清人か・・・ 大切なフルートを手渡したまま走り去る・・・』

再び並木に視線を送った。

突然、あの日の記憶が甦って来ると、軽い目眩めまいを起こしそうになり、頭を左右に振った。

雅はドアを閉め、入口に並木を立たせたまま司の傍に足早に近づいた。

「司、大丈夫か?」

「う、うん、何とか。 ・・・、 思い出したよ。 ああ、驚いた」

そう言うと大きく息を吸い、上に向かって吐いた。胸に手を当てるとドキドキしているのが伝わってくる。それを誤魔化すかのように「何?」と並木に向かって言った。

余りにぶっきらぼうな言い方に少々面食らってしまった。

「これ、返そうと思って・・・」

挨拶もなしにやっとそれだけ言うと、歩み寄りながら持っていた大きな紙袋を差し出した。

並木が近づくと、紙袋よりやはり並木が気になってしまう。並木の顔をマジマジと見ながら紙袋を受け取った。

並木は琥珀色の瞳に見つめられ戸惑ったが、嬉しさと恥ずかしさに照れて俯いてしまった。

司は紙袋からフルートを取り出すと安心したかのようにそれを抱き締めた。

「兄貴のなんだ」

フルートを見つめながら懐かしそうに言った。

「え?」

並木はフルートを見つめている司の目を見つめていた。

物憂げに見ている。

「もう、八年も前に死んだけどね。 兄貴のお気に入りだった。何よりも大切にしてたなぁ、これ。 誰にも触らせなかったんだ。 いつだったか、勝手に触ったらすっげぇ怒られた・・・、 ははっ・・・」

思い出して司は笑った。

あの時は余りにも大切にされていたフルートに思わずいてしまったのだ。

まだ、子供だった。

優しく、甘えたような笑い方に雅は驚いた。司にもあんな笑い方が出来るのだと。

「似てるんだ」

ふと笑うのを止め、並木を見上げる。

一瞬ドキッとした。

「え?」

「兄貴に。あんたを見た時、一瞬兄貴が甦ったのかと思った。・・・、 驚いたよ、顔だけじゃなくて声も仕草も笑い方も、歌い方までもっ」 

次第に気持ちが高ぶって来ると、息も少し荒くなってきた。雅は司に落ち着くよう肩を抱いた。雅を見上げると目で頷いている。司はまた、大きく息を吸い下を向いて吐いた。

そしてフルートを見つめた。

「兄貴のなんだよ、これ」

もう一度、今度は自分自身に確認しているかのように言った。

雅は黙って司を見守った。

「だからかな、あんたに、これ見せてって言われた時、てっきり取り返しに来たと思って渡しちゃったんだ。 フッ」

司ははにかんで苦笑してしまった。

「そしたら、何したと思う?」

上目遣いに悪戯っぽく並木を見た。

「構えたろ」

そう言うと、窓の外に目をやった。

「やっぱり、兄貴だったんだよ。・・・・。 錯覚、起こしちまったんだな、きっとで・・・。 生きてる筈ないのに・・・、 でも、今オレの目の前にいるじゃないかって・・・。 混乱してきた・・・そしたら、ここに居たんだ」

 ・・・・

暫く沈黙に包まれた。

あの時の意外な告白に並木はどうしていいか解らなかったが、あの時の司の驚きと懐かしさの入り混じった強い眼の意味が解ったような気がした。

「司・・・」

雅が呼びかけた。 錯乱の原因を目の前にして司の状態が気になる。並木に会った時、雅自身混乱するところだったのだ。

雅の呼びかけに司は振り向いて、少し寂しそうな笑みを浮かべた。

「ボン、喉渇いたよ。何か買って来て」

そうはぐらかした。

「わかった。お茶でいいか?」

いつもの調子で答えた。それに対して司もホッとすると駄々っ子のように目を吊り上げた。

「だぁめ、いつものコーヒー牛乳にして」

「はいはい」

しょうがないヤツだ、と云わんばかりに返事をすると出て行った。

 ドアが閉じられて二人きりになると、司はちょっと落ち着かなくなってしまった。

「座れば?」

と、テーブルの脇の椅子を指す。およそ病室には不釣合いな革張りのクッションの効いた椅子だった。言われるまま並木は腰掛け、室内を見渡す。

なるほど、この部屋の装飾にはこの椅子とテーブルは合っていた。

「いい趣味してるだろ」

嫌味っぽく司が言ったので、え? と司を見た。

「親父の趣味なんだ。落ち着かねえ部屋だろ。 好きじゃない」

見れば、ソファも黒の革張りで何処かの応接室のようだ。壁には湖をモチーフにした絵が掛けられている。そう言えばベッドも普通のパイプベッドではない。サイズもセミダブルより一回りは大きいだろうか。テーブルの上の水差しもクリスタルガラスで、グラスとペアになっている。

「光月さんて・・・ 」

並木は言いかけて止めた。

「何?」

「あ、いや・・・」

「司でいいよ。 何となくあんたにはそう呼ばれたい。っていうか呼んで欲しいのかも」

並木を見ながら最後には呟いていた。その目は懇願こんがんするかのように切ない目をしている。

並木は思わず何かがこみ上げて来るような気持ちをおさえながら俯いた。

その時ドアが開いて雅が入って来た。


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