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第五章(四)

錯覚(四)

 司はいつの間にか眠っていた。

その眠りは何故か心地いいものだった。

夢の中で亮がフルートを奏でていた。司は自分の部屋のソファに横たわって目を閉じて聴いていた。音色が止むと バタン、と扉の閉じる音がして、目を開けると亮は何処にもいなかった。

「 兄ちゃん!?」

ハッとなって目を覚ますと、看護婦が一人入って来る。

 夢か・・・

がっかりしたようにブラインドの閉じられた窓を見た。

「ご気分はいかがですか?」

看護婦は腕時計を見ながら司の脈を計った。

「・・・・」

「窓、開けましょうか?」

司が黙って窓を見ているのに気付いて声をかけた。

「ああ」

看護婦がブラインドを開けると眩しい光が差し込んで来る。

 もう、昼ごろなのか。

「今日はいい天気ですよ。暖かいですし」

そう言いながら窓をほんの少し開けた。ヒヤッとした風が入って来る。しかし、病院独特の匂いを消してくれそうだ。

「お昼、お持ちしますね。・・・ あ、それといつもの、ね」

司がこちらを見たのに気付き、付け加えると出て行った。

暫くして、先程の看護婦が戻って来た。

「ここへ置いておきます」

そう言うと、ベッド脇のテーブルの上に、食事の乗ったトレーと新聞の束を置いて出て行った。

 司はじっと窓の外を見ていた。

秋晴の空を雲がいくつか流れて行く。時折なんという鳥だろうか、二、三羽追いかけっこをしているかのように通り過ぎて行く。

 一時間ほどしてまた、看護婦がドアを開け覗き込んだ。ベッドを見ると、向方を向いたまま動かない司に声をかけた。

「光月さん」

「・・・・」

返事がない。もう一度呼ぶがやはり返事がなかった。トレーを見ると手を付けずそのままになっている。新聞も先程と同じ状態だった。

寝てしまったのかと思い、静かにドアを閉じて去って行った。

 陽の光が優しいオレンジ色になり始めた頃、雅が入って来た。

司は向方を向いたままだった。

 寝ているのか? 

近寄ると、目を開けて窓の外を見ている。

ベッド脇のテーブルには手付かずの昼食とシワ一つない折りたたんだ新聞の束が置いてある。

「何だ、食べてないのか。いくら病院の食事は美味しくないからと言ってもなぁ、お前のは特別メニューなんだぞ。おとなしく静養するなら好き嫌いしないで食べてくれよ」

「・・・・・」

聞いているのかいないのか、それとも聞こえないのか、ピクリともしない。

「司?」

呼んでも返事がない。

「 ・・・さ、 ・・・・ つかさっ、司っっ 」

何度目かの呼び掛けに、ようやくこちらを向いた。

 !? 

しかし、視点が合っていない。

司はぼんやりと雅を見ていた。雅は驚き慌てて脈を計るが正常だ。聴診器も当てたが異常はなかった。

こんな気の抜けた司を見るのは、八年前に親友の亮が死んだ時以来だ。

雅は不意に今朝司が、うわ言のように言っていた事を思い出した。

 亮がどうしたというのだ

そして、昨夜司が病院へ運ばれた時の事を思い出そうとしたが、治療に専念していた為思い出せなかった。ただ、紀伊也が異常なまでに心配していた事だけは確かだった。

さっき、秀也が来ていた時に訊いておけばよかった。

雅は後悔したが、司は誰にも会いたくないとはっきり言ったのだ。とすれば司の事を考えれば他の者に訊く訳にはいかない。主治医としては何とかしなければならなかった。

「亮がどうかしたのか?」

恐る恐るだが、単刀直入に訊いてみる。回りくどい言い方より司にはこの方が効果的だ。

 亮!?

司はハッとして目を見開くと、目の前に雅がいる事に気付いた。

「あ、ボン?」

ニコッと微笑んで言う司は、いつものようでいてそうでなかった。

雅は安心していいのか判らず戸惑ってしまった。こんなに甘えたような微笑み方は今までの記憶にない。

どの言葉から話しかけようか、そう思っていた時、司が口を開いた。

「ボン、聞いてよ」

そして雅は、次の言葉に一瞬、自分の耳を疑った。

「兄ちゃんに会ったんだ。ねえ、亮兄ちゃんやっぱり生きてたんだよ。良かったぁ。何処にいたのかなぁ」

「何言って・・・」

「翔兄さん達といたのかなあ。ねえ、ボンは聞いてないの?」

とても甘えた声だった。雅はどうしていいか解らない。

「そう云えば、真一兄さんも翔兄さんも相変わらず帰って来ないし・・。 やっぱ、忙しいんだろうな。それで亮兄ちゃんも行ってたのかなぁ。 ・・・、 ねえ、ボンはどう思う?」

「どうって・・・」

「あ、ごめんごめん。うちの事情話してもしょうがないよね」

「司?」

「何?」

「いや」

何とあどけない目をしているんだ。

雅は発作で亮の幻でも見たのだろうと思った。

「安定剤をあげるよ。 もう少し休んでいなさい」

そう優しく語りかけるように言った。

「うん」

司は素直に頷くと目を閉じた。

雅は急いで安定剤を取りに行き戻って来た。

 司は大丈夫なのだろうか。

ベッドの傍へ行き、顔を覗き込むとおとなしく目を閉じている。顔色も悪くない。とりあえず安定剤を打った。

司はそのまま深い眠りに落ちて行った。

 とりあえず、様子を見よう

雅は自分自身を落ち着かせようとした。

一体何があったというのだ。紀伊也に訊いてみようか、いやしかし、司の事を考えたら・・・。

一人で押し問答をしていたが、今日一日は様子を見る事にしよう。そう決断した。

雅は度々、司の病室を訪れ様子を診た。しかし、目を覚ます気配もなく、安定した呼吸で眠っている。その度に胸を撫で下ろしていた。

その日は当直ではなかったが、司が気になり病院で夜を明かす事にした。


 ******


 翌早朝、雅はやはり気になって司の病室を訪れたが、司はまだよく眠っていた。

結局、昨日の夕方から眠ったままのようだった。一瞬、死人のようだと思い、まさか、と顔を近づけてみるが軽い寝息を立てている。

ホッと胸を撫で下ろし、病室を出た。

 午前の診療が始まる前にもう一度、病室を訪れた。ドアを開けると司がこちらを見た。

「ああ、ボンか」

そう言うと天井を見た。その声はいつもの司の声だった。

雅は一瞬戸惑ったが、

「気分はどうだ?」

と、いつも通り話しかけた。

「ああ、何だかよく寝たよ。寝過ぎで頭がボーっとする」

体を起こしながら言い、こめかみを押さえた。

「無理をするな」

「何だか、気分も悪いよ」

そう言うと、頭を伏せた。

ふと、雅は昨日の事が気になった。

「司、昨日の事・・・、 覚えてるか?」

 ん? と顔を上げて雅を見る。

「昨日?  ・・・、 あれ、昨日? 昨日は確か鎌倉行ったんだよなぁ。なぁんだか、つまらん取材だったな。女性雑誌ってのはどうも苦手だ」

 覚えて、ないのか?

「その後は?」

「その後? 何だっけ、・・・、テレビ局行って・・・、その後何したっけ? あっれー、 覚えてねーや」

上を見上げ、考えていた。思い出そうと必死で考えた。しかし思い出そうとすると胸が苦しくなってくる。落ち着こうと思い、大きく息を吸って吐いた。

雅はそんな司を注意深く観察した。

「局に行って・・・、番組? ・・・ 収録? ・・・、急に苦しくなって・・・。何で? フルート? ・・・ ああ、フルート・・・、亮? 亮・・・」

ハッと、突然思い出したかのように目を見張る。

「そうだ、亮兄ちゃんが・・・ っ ・・・っっ 」

急に胸が締め付けられるように痛み出した。

「どうしたっ!?」

胸を押さえてうずくまる司に落ち着くよう呼吸を整えさせる。

「はぁっ、はぁっ、・・・ あいつ・・・ あいつ、誰だ・・・ はぁっ、はぁっ・・・ 」

思い出せない。

 頭が錯乱しているようだ。

突然、部屋の灯りが消えたかと思うとまた点いた。雅はマズイと思った。司の脳波が錯乱状態に陥っているのだ。念のため用意していた鎮静剤を打つと、司はそのまま意識が遠のき深い眠りについた。


 今日は外来の患者も少なかったので診察を早目に切り上げ、司の様子を診る事にした。

病室には指示があるまで誰にも入室させないよう、きつくナースステーションに指示していたので、秀也達四人はまた追い返されてしまった。

紀伊也は今朝、強い脳波の乱れを感じて気になっていたが、雅の指示だけに帰らざるを得なかった。

「何だろうな、あの面会拒否ってのは。何か気に入らねぇ」

晃一は相変わらずぶつくさ言っている。仕方がない、とナオがそれをなだめていた。

秀也は徐々に不安を感じ始めていた。ただ単に静養したいのではなく、本当に会いたくないのではないかと思い始めて来たのだ。

四人はとりあえず紀伊也のマンションへ行く事にした。何かあったら紀伊也へ連絡するように看護婦に伝えていた。


 ******


 雅は司を診ながらどうするべきか考えていたが、もう暫く様子を見ることにした。

亮がどうしたのだろう。何があったのだろうか。

昼食の時間になり、看護婦が訪ねて来る。雅は自分の分もここへ運ぶよう指示した。二人分運ばれて来る。

ソファに座りながら昼食を取り、食べ終わる頃司が目を覚ました。はしを置いて近寄ると、ぼんやり天井を見ている。

「司」

呼びかけると、視線を雅に向けた。

「ああ・・・、ボン?」

「気分は?」

「最悪・・・」

そう言うと、一度目を閉じ、再びゆっくり開ける。

「何かオレ、夢でも見てんのかなぁ。・・・、 亮兄ちゃんに会った気がしたんだ・・・。 変だよなぁ、もう八年も経つのに・・・」

「なぁ司、覚えてるか? 俺とお前が最初に会った時の事」

雅は突然、そんな事を訊きたくなった。というよりは思い出していた。

「え? 何言ってんの? そんな昔の話覚えてねぇよ。それに、オレまだガキだったし」

司は笑って応えた。

「そっか、お前五歳だったもんな。ホント、ガキだったな」

雅も思い出して笑った。

「何だよ、ソレ。 五歳の時じゃ、オレ天才だったんじゃないの」

嫌味っぽく言い返すと体を起こした。

「まあ、確かにな。モーツァルト音楽コンクールだっけ? 入賞したの。 それであのピアノ買ってもらったんだろ? 覚えてるよ。家に遊びに行ったら自慢してたよな。ガキのクセに何だコイツって思ったよ」

「いいだろ、別に。 欲しかったんだから、あの時は」

馬鹿にされたようで司はムッとなった。それを見て雅は全く成長してないな、と笑う。

不思議と司も次第に精神が安定していき、落ち着いていくのが自分でも分かる。

しかし何故、発作を起こしたのか原因が分からない。というより、思い出せずにいた。

急に黙った司に雅は不安になった。

「司?」

「あ、ああ、大丈夫。 ごめん、水飲みたい」

雅はテーブルの上にあった水差しを取り、グラスに注ぐと司に渡した。司はそれを手に取ると少しずつ飲んだ。

久しぶりに胃の中にものが入って来たので、何だか気分が悪くなり、グラスを置くと横になった。

「どうした? 気分、悪いのか?」

少し顔色が冴えないのに気付く。

「うん、ちょっと気持ち悪い。暫く寝るよ」

「そうだな、きっと腹も空いてるんだろ。とりあえず点滴を一本入れとくか。途中で食べられそうなら、食べろよ」

そう言うと、部屋を出た。 点滴を持って再び中へ入ると司は既に眠ってしまっていた。







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