第四章(十の2)
晃一の部屋で一日中映画を観ていた秀也の胸のポケットから電話の呼び出し音が聞こえる。
何気に見ていただけで、内容すら覚えていない。ただ、つけていたという方が正しいかもしれない。二人ともうつらうつらしていた。
そんな時に突然沈黙を破るかのような音に、ハッと驚いて慌てて出る。
「もしもし」
「秀也?」
聞き覚えのある声にハッとなったが、名前を言いかけて止まった。
「急いで来てっ、司が大変っ」
「えっ!? わかった、すぐ行く」
電話を切って立ち上がると、既に寝てしまっていた晃一が体を起こした。
「ナオからだよ。司が大変だって」
え!? 何っ。 慌てて晃一も立ち上がるとテレビを消し急いで司のマンションへ向かった。
玄関のチャイムを鳴らすと紀伊也が顔を出した。二人が紀伊也を見ると、その顔からは何も感じ取れない程無表情だ。二人は不安になって急いで靴を脱ぐと居間へ入るなり、愕然と立ち尽くしてしまった。
「ちょっ、やめろっ、ばかっ」
「いいじゃぁん~。飲ませてよ~」
ソファに仰向けに寝ている司が両腕を伸ばし、ナオの首にその手を絡ませ顔を近づけさせている。しかも両脚をナオの体に巻きつけている。それをナオが必死で抵抗していた。ゴホっ、ゴホっ と咳き込みながら司はナオを潤む瞳で見つめている。
「何、やってんだ」
晃一が呆れて言うと、ナオは何とか首を入口に向けて二人に気付いた。
「秀也、何とかしてくれ。司のヤツ風邪ひいて、熱もあるんだけど薬を口移しで飲ませろって、さっきから・・・・、 こらっ、やめろっ」
「ナーオちゃん、早くゥ。 早く飲まないと熱上がっちゃうよ」
再び顔を向かせると司が唇を近づけていく。
「やってろ、ばかっ」
ずかずかと二人に近づいて行くと、秀也はナオの頭を押し付けた。見事に二人は唇を合わせたが、突然押さえ込まれるように塞がれ、それが暫く続くと苦しくなっていく。そのうち下にいた司は咳き込みそうになり、もがいて暴れ出し二人は転がるようにソファから落ちた。
「 っテェなっ 何すんだよっ。 ゲホっゲホっ」
見上げれば、呆れ果てた秀也と晃一の視線とぶつかる。更にナオの降参した視線とが交わった。四人が何となく目を合わせて苦笑いを浮かべていると、紀伊也が台所から出て来て皆を呼んだ。
「できたよーっ」
ふと、ダイニングテーブルを見れば、土鍋が置かれ野菜が山盛りに積まれたザルまである。
「げっ、もしかしてそれは・・・」
晃一がダイニングテーブルに駆け寄って紀伊也を見ると、紀伊也は嫌味っぽい笑みを浮かべ司に視線を投げ掛けながら「そう、鍋。司のリクエストだから」と言って、再び台所へ戻っていく。
「おっまえ、昨日食ったばっかじゃんっ。またかよっ」
近づいて来た司の胸倉を掴むと怒鳴った。
「あ、そうだっけ? でも、ホラ食べてない人もいるでしょ」
と後ろにいるナオを親指で指すと、ねっと振り向いた。
晃一が、あっとナオに視線を移すとナオは照れたように俯いた。
「それに、今日は松坂牛のしゃぶしゃぶだよ」
紀伊也が肉の山とワインを手に現れる。
「当然、ナオのおごりだから」
言って司は悪戯っぽく笑った。
「そりゃ、ご馳走様。なら、遠慮なくいただくぜ」
嬉しそうに嫌味っぽく晃一は言うと、紀伊也の手から肉を取り上げ、
「秀也、食おうぜ。今日はクーラー ガンガンつけて」
と付け加えれば、
「ああ、当然当然。司もナオに夢中できっと熱いと思うし」
と秀也は司を睨みながら言った。
「えーっ!? オレ、マジで風邪ひいてるんだけどぉ、そりゃないよ。それにナオを連れ戻したのオレだよ」
と情けない声を出す。
「それはそれ。これはこれ。さ、五人揃ったんだ、乾杯しようぜ 」
五つのグラスにワインを注ぎながら紀伊也が言うと、皆一つ一つグラスを手に取って高々とかざした。
「ジュリエットに乾杯」
司が言った。
「何だそりゃ」
晃一が待ったをかけ訊くが、ナオは司を見ると苦笑した。そして、
「ジュリエットに乾杯」
と、グラスを重ね合った。
当てもなく彷徨い歩いて行くナオを探しに、方々へ散っていた四人がようやくナオを見つけ、共に同じ方向を見据えて歩き出した瞬間だった。
一人が抜けても司のジュリエットは成り立たない。あの時、震える手で祈るような気持ちでナオの肩を抱いていた。
ナオが戻って来てくれた時、やっと明日香との約束を果たせた気がした。
『お兄ちゃんをよろしくね』
最期に電話を切る前に言われた言葉だった。 皆と同じように笑うナオを、今も何処かで明日香が見ているかもしれない、そう思うと、司は、何処かで見ているかもしれない明日香に微笑んだ。