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第四章(十)


 皆が帰った後、どっと疲れが出た司はそのままソファに倒れ込むように足を投げ出し横になると目を閉じた。

 あのライブの日、前々からナオの様子は気になっていたのだ。それに皆が気にしていた事にも気遣い、極力自分は気にしていない素振りを装っていた。

 そして受けた指令の為、夜中の12時を回っていたが、用意された車に乗り込むと岐阜から東京へ戻り、そのまま八ヶ岳へ向かわされた。そこで突然振り出した雨の中、決して表には出ない事件の人質の救出をするハメになり、今度は再び東京へ戻ってフランスで起こった連続殺人事件の犯人の透視をさせられた。それに係わっているのが能力者である事が分かると、近いうちにフランスへも赴かねばならなかった。極秘の内にインターポールへ引き渡さなければならない。それが新たな指令だった。

その間にもジュリエットとしての活動もある。ある程度曲も出来上がっているので、レコーディングにも入らなければならなかった。

「疲れるなぁ・・・」


 一時間程深い眠りに陥っていた時、部屋の電話で目が覚めた。

「もしもし、司!?」

慌てたようなその声は宏子だった。

「何だ、宏子か」

「ねえ、ナオ、そっちに行ってない?」

「ナオ? 来てないよ。お前ら今日、一緒だったんだろ?」

確か紀伊也がそう言っていた。だから夕食もえて誘わなかったのだ。

「そのつもりだったのよ。彼から電話もらって約束したのに、来ないのよ。携帯もつながらないし、マンションにもいないの。でも車はあるのよ。約束すっぽかすなんて急用ならあんたに呼び出されない限りあり得ないでしょ。だから電話したんだけど・・・ 」

「ひっでぇな。 何だよそれ、あのな・・」

「でも、あんたの所にいないならどこに行ったのかしら」

司の声は聞いていない。文句を言いかけたところでさえぎられてしまった。

しかし、一体どこへ行ったのだろう。何か胸騒ぎを覚えた。

「宏子、今どこにいるの?」

「マンションの前」

司は、待ってろと言うと車のキーを持って部屋を出た。

いつもならバイクを使うのだが、瞬間的に車のキーを掴んでいた。

ナオのマンションの前に着くと、宏子が携帯電話を抱えて立っていた。

「本当に約束したんだろうな」

念を押すように訊くと、当り前でしょ、と云わんばかりに頷くが心配そうな顔つきだ。

「最近変わった様子なかった?」

司が訊くと、宏子は落ち着いて考えようとしたが、不安が先走りうろたえて司の顔を見あげるだけだ。

「そう言えば、お前この前言ってたよな。ナオが浮気してるかもしれないって。あれの根拠は何だよ?」

宏子はその質問に思わず自分の携帯電話を見た。

「あ・・・ そう言えば、電話。しょっちゅうかかって来てたのよ。話し方からして男と話してるとは思わなかったわ。心配しなくていいから、とか何とか言ってた気がする。それで、てっきり浮気かと思ったのよ。それで問いただしたのよ。浮気してんのかって」

「お前、訊いたの? 自分の事は棚に上げて」

思わず呆れた。 と、ちょっとそれは別でしょ、と宏子は司の体を叩く。

「違うって。 あの子とはそんな関係じゃないって」

「そりゃ、そう言うよな。普通は・・・」

当然の台詞だろうと呟くが、次の宏子の口から出た名前に思わず絶句してしまった。

「確か、由美ちゃん とか言ってた気がするわ。私もあの時頭に血が上ってカーっとしちゃってたからよく覚えていないけれど、確かそんな名前だと思ったわ 」

そう言うと、宏子は思い出したかのように唇を噛み締めた。

 司はこれまでのナオの沈んだような顔を思い浮かべながら、徐々に自分達から離れていくナオの真意が一本の線で繋がっていくのを感じた。

 原因が分かったのだ。

早く連れ戻さないと取り返しのつかない事になる。

「宏子、お前は家に帰ってろ」

そう言うと車へ走る。

「どこに行くの!?」

「ナオを連れ戻す」

自分自身にも言い聞かせるように車に乗り込むと、アクセルを踏み込んだ。


 久しぶりにハンドルを握りながら亮の言葉を思い出す。

『余り深入りするな。お前はあくまで他人だ。四六時中付き添って不安を取り除いてあげる事なんてできやしない。その子にのめり込んでしまうと返ってお前の方がおかしくなってしまう。相手の心の奥底に潜んでいるものが何なのか分からずに、不安が不安を呼んでいつしかお前までがそれに侵されて、うつ病になってしまうぞ。 ミイラ取りがミイラになるようにな 』

あの時の亮のさとすような目が異常なまでに怖かったのを覚えている。

 心の奥底に潜んでいるもの

それがまるで魔物であるかのように感じた。

それは、暗く底のない穴に落ちていくような感覚にも似ていた。

今、まさにナオがその底なしの穴の淵に立っているのだ。もしかしたら既に片足を入れているかもしれない。

『そうなる前に、専門家に診てもらう事だ。司はただ、待っているだけでいい。その後、しっかり受け止めてやれ』


「ばかやろうが・・・」

そう呟くとハンドルを力強く握り締めた。

夜のハイウェイを一台の濃紺のジャガーが西へ向かって走って行く。


 ******

「司も消えた?」

朝になっても何の音沙汰もなく、不安になった宏子は今日のフライトを休んで晃一のマンションに来ていた。秀也も昨夜から一緒だ。

「連れ戻すって、どういう意味だろうな」

秀也が首を傾げる。

「まさか、本当に浮気してんじゃねぇの?」

勘ぐるように言う晃一に宏子は睨んだ。

「でも、そんな事じゃあいつは行かねぇよ」

秀也は、プライベートに首を突っ込むのを嫌う司が、浮気相手の女の所からナオを連れ戻す事はあり得ないと断固として否定した。

「だよなぁ」

晃一もそれだけはあり得ないと納得するが、二人が何をしに何処へ向かったのか皆目検討もつかない。

「とにかく、待ってろと司が言ったんだろ?」

秀也の問いかけに宏子が頷いた。

「なら、待ってるしかねぇな。俺達じゃどうする事もできないさ」

晃一はそう言うと秀也と顔を見合わせ黙って頷いた。

二人が戻って来た時には、いつものナオが姿を見せる事を期待して。


 ******


 ハイウェイを降りると昼近くになっていた。昨夜までの疲れもある。途中のサービスエリアで何度か休憩を取っていたせいもあった。

「はぁ、しっかし遠いなぁ。こんなに運転したの初めてだ」

車を止めて腰を伸ばすと、一軒の家を見つめた。

こんな事したくないけど、悪く思うなよ。そう心の中で呟くと神経を集中させた。

 やっぱり・・・。

居て欲しくない、そう願ってたのだが、彼女と談笑しているナオを見て諦めた。

 司は小さな溜息をつくと、エンジンを止めて車から出た。

玄関のチャイムを押す。

扉が開き、顔を覗かせると、母親は驚いて目を見開いたまま声を出す事も出来ない。

司は黙って軽く頭を下げると、中へ入った。そして、ためらわず居間のドアを開けた。

 突然、ドアが勢いよく開いたのでナオと由美は驚いて入口を見たが、入って来た人物を見てさらに驚いた。

「司?!」

何故ここに司がいるのか分からない。

ナオは自分を刺すように見ている司を茫然と見つめた。

「ナオ、何やってんだ」

「 ・・・・・・ 」

「何をやってるんだと、訊いているんだ」

まるで自分を責めているように聞こえる。

「司こそ何しに来たんだ」

「お前を連れ戻しに来た」

ナオの反論するような口調にすかさず応える司に、ナオは一瞬ためらいにも似た息をついた。

「余計な事をするな」

そう言ってナオは司から目を逸らせた。

「余計な事だと? それはお前のしている事だ。もうこれ以上関りあうなと前に言った筈だ。なのに何でこんな所に居るんだよ。オレはお前の方が心配なんだ。皆だって心配してるんだぞ。 お前がお前じゃなくなってるって」

「俺は大丈夫だよ。そんなに心配する程の事じゃない」

司の不安気な言葉に優しくいたわるように応えるが、急に真顔になると

「それに、放ってはおけない」

先程とは逆に今度はナオが司を射るように見た。が、司はそれを跳ね返すように言い放った。

「ほっとくんだ! 彼女は明日香ちゃんじゃないっ」

「わかってるよ」

力なく応えるナオに司は更に続ける。

「わかってねぇよ・・・、お前は彼女に明日香ちゃんを重ねているだけなんだ。もう、お前の明日香ちゃんはいないんだ」

「わかってる・・・」

「何もわかってないっ、今の彼女にお前は必要じゃない。その子には両親や兄弟それに友達だっているんだ。彼等から彼女を引き離すなっ」

「何、言って・・・」

司が何を言っているのかすぐに理解できないが、何故か胸が突き刺さるように痛い。

「これは本人と周りの問題だ。お前がいつも一緒にいて解決してあげられる訳じゃない」

「だからこうして・・・」

「だからこうして、わざわざ東京から会いに来てるって言いたいのか?! 彼女や家族にしてみたら大きなお世話だ」

「そんな事ないです。神宮寺さんのおかげで由美も元気に・・・ 」

司の剣幕にたまりかねて傍で聞いていた母親がかばうように口を挟む。由美も司とナオを交互に見ていたが、母親に同調するように頷いた。

しかし司は、そんな二人に目もくれず真っ直ぐにナオだけを見ている。

「違うっ、それはオレ達が有名人だからだ。あんた達にとってオレ達は雲の上の存在でしかない。それが身近に降りて来たから浮かれてるだけだ。今、由美ちゃんにとって必要なのはナオじゃない。君にとって必要なのは自分自身と向き合う事だ。 ナオ、もうこれ以上は止めてくれ。 彼女に変な期待を持たせるな」

吐き捨てるように言う司に思わずナオは立ち上がり、睨み据えた。

「何馬鹿な事を言ってるんだ。お前がそんな成り上がりのような言い方をするヤツだとは思わなかった、見損なったぞっ。お前の言いたい事はそれだけかっ?!」

今にも掴みかかってきそうな勢いのナオに思わず引いてしまった。

「何で、分かってくれないんだ・・・」

「分かるも何も、どうしてお前は余計な口出しをするんだ? それに、司がはじめに彼女の事を見つけたんだろう。それを途中で放り出すような事をするお前が分からないよ。俺はお前とは違うからな」

「ナオ、お前がそうまで言うなら勝手にするがいいさ。でも、彼女と最後まで関わり合うならジュリエットを辞めてくれ」


 え? 


司の思いがけない言葉にナオは信じられないと司を見つめた。

「彼女と付き合うなら辞めてくれ。お前じゃないナオはオレ達には要らない。お前じゃないナオとはステージには立てない」

搾り出すように言う司は、自分でも何故ここまで言っているのか分からず自分自身を疑う。

一時いっときの判断で今まで築き上げて来たものが、一瞬にして崩れ落ちていくのを感じて苦しくなっていく。

「司、お前自分で何言ってるのか分かってんのか?」

尚も信じられないと司を見つめた。

「当り前だっ。冗談でこんな事言えるかっ。お前の魂がどっか行っちまってるんだ、オレ達が必死で追いかけてるのにどうにも捕まらねぇ。晃一も秀也も紀伊也までもがあっちこっち向いて探しまくって、今じゃみんなバラバラだ。ナオがどっかに行っちまったからだろっ」

司は吐き出すように言うとナオに歩み寄り両肩を掴んで、茫然と立ち尽くすナオを揺すった。

「ナオ! どうして分かってくれないんだっ。 今のお前は・・・、 今のお前はあの時のオレと同じ事をしているんだぞっ。もうこれ以上苦しめるなっ ・・・頼むから、やめてくれ。オレ達の所へ戻って来てくれっ」


 『あの時』の司と同じ事。

『あの時』を繰り返さない為にやってきた事が、結局同じ事の繰り返しだったとは。

ナオには信じられなかった。つぐないのつもりでやっていた事が、また同じ過ちを繰り返そうとしていたのか。確かにナオは自分自身見失いかけていた。心の奥底に潜む何かを探そうとしていたのだが、逆に自分の心の中にあるものが何なのか分からなくなってきていた。

掴まれた司の両手が震えている。血を吐くような切ない叫びがナオの胸に突き刺さる。

こんなにも自分の為に必死になって自我を取り戻させようとしてくれている司に、自分の不甲斐なさがやり切れなくなる。

そして、司の自分達を思う気持ちに熱いものが込み上げ空いていた胸がいっぱいになってきた。

「司、・・・ ごめん」

司の顔をまともに見る事ができなくなって俯くと力なく呟いた。

司はナオを一瞬見上げたが、拳を一つナオの胸に打ちつけ、

「頼むよ」

と懇願するように呟いた。


 司は、ナオに由美とこれ以上関わり合わない事を約束させ、由美には専門医でしっかりカウンセリングしてもらうように言い、自分達で見詰め合って解決して生きて行くように説得し、ついでに中途半端な付き合いをした事にびを入れ、ナオを外に連れ出した。

 家の前には濃紺のジャガーが停まっていた。

「お前、車で来たの・・・?」

息を呑んで司を見ると、「そうだよ」と横目で軽く睨まれ、早く乗れと促された。

 司はエンジンをかけアクセルを踏むと、すぐにハイウェイを走らせ、一番最初のサービスエリアに入って車を停めるとエンジンを止めて外に出た。

そして、車に寄りかかるとタバコを一本吸った。

ナオも黙って降りて寄りかかると同じようにタバコを吸う。ちらりと見ると二人は目が合った。

ナオは申し訳なさそうに何か言いたそうだ。 司はふんっと鼻を鳴らしタバコを捨てて足で踏み消すと、車のキーをナオの目の前にぶら下げ、それを落した。

チャリンっ、とキーが音を立ててナオの手の平に落ちる。

「東京までよろしくね、運転手さん」

そう言うと、助手席のドアを開けた。

「ちょっ、交代してくれるんでしょ?!」

慌ててナオが司に手を伸ばすが、

「何、言ってんの?」

司は冷たく突き放すように言って、そのまま車に乗り込んだ。

シートを倒して座り込む司を見てナオは苦笑すると運転席に乗り込み、エンジンをかけアクセルを踏んだ。



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