第四章(九)
それから数ヵ月後の週末、司は珍しく事務所の女性陣と共に、とあるアジアンダイニングバーに来ていた。
傍目から見れば、サングラスをかけて濃紺の麻のスタンドカラーのシャツに黒のコットンジーンズを身にまとい、その背格好、仕草からして男である事は間違いなく、それを囲むように女性達が座っている。その光景は厭らしい程にハーレム状態だった。
「たまにはいいねぇ。胡散臭い野郎共じゃなくて、美しい花に囲まれるってのも」
煙を天井に向かって吐きながら言う。
「司さんて合コンとかした事あるんですか?」
宮内のアシスタントをしている香織が訊く。
「あるよ」
思い出して、一人で吹き出してしまった。
まだ、高校生だった頃、当時大学生だった晃一とナオに連れられて女子大生と男女五人ずつの計十人で合コンを行った。と言っても司は正真正銘の男ではないから、男四人の女六人、だったのだが。
行ったところで、司もつまらなそうに酒を呑んでいたのだが、その内の一人が司に興味を持ち始め、話している内に盛り上がり、なんと、彼女を口説き落としてしまったのである。その後始末は晃一に任せたのでその後どうなったのかは分からないが、それから何回か合コンをする度に一人、二人と口説き、最後には全員を虜にしてしまった事もしばしば。おかげで彼女達の友情が壊れていくのをしょっちゅう目の当たりにしていた。
こちらがちょっと海外に住んでいたと言えば簡単に堕ち、いとも簡単に彼女達の友情が壊れていく様を見ては嘲笑っていたのだが。
「やだ、酷い。それってただ単に女心をもてあそんだだけじゃない」
口を尖らせ、司を睨みつけると、他の女性達も眉をひそめた。
「まあ、いいじゃないの。時効なんだし。でも、簡単に騙される方も騙される方だぜ。恋の駆け引きもできないようじゃ、合コンなんてしたって仕方ないよ」
そんな話をしながら、司も何か歌になりそうな材料はないか内心探しながら彼女達に恋愛について訊いたりしていた。
が、思った程収穫はなさそうだ。
それより、ブースの壁を挟んで聞こえる後ろの集団の方が気になった。
どうやら、そちらは正真正銘の合コンのようだ。女性陣の作ったような笑い声、恐らく普段の笑い声より一回りは高いだろう。そして、男性陣の大仰しい態度、見なくてもその話し方から伝わってくる。
そんな見え透いた見せ掛けだけの出会いで、果たしてどこまで恋愛に結びついていくのだろうか。ふと、その事を目の前にいる彼女達に心理を聞いてみたくなった。
その時、どこかで聞き覚えのある声が自分達の名を口にしているのが聞こえる。どうやら彼女達は航空会社の客室乗務員で、どの有名人と会った会わないの話をしているらしい。
「ジュリエットのベースのナオとは学生の時、ゼミが同じだったの。だからボーカルの司ともたまに会ったりしたわ。あの子なら私の言う事聞いてくれるわよ」
そんなセリフが耳についた。
あいつ・・・
思わずムッとして立ち上がると、彼らの背中越しから顔を出す。
「誰が、お前の言う事、聞くだって?」
え?!
そこにいた全員が声の方を見上げた。ブースの壁に両肘をついて、片手にはタバコを持ち、サングラスをかけた司が顔を覗かせている。 うっそーっ?! と全員が驚き司に釘付けだが、一人だけ蒼褪めて司を見ている。司もその彼女を睨むように見ていた。
「いいのかよ、こんな所で呑んでて」
「はは、久しぶりね」
小さく手を振りながら笑うその頬は引きつっている。
「何が、久しぶりだよ。いいなぁ、宏子は」
タバコを吸い、上に向かって煙を吐いた。
「気楽で」
嫌味たっぷりに言い放つと顔を引っ込め、元の位置に座った。
「今の知り合い?」
香織の質問に、まあね、と応えながら、目の前のビールを一気に飲み干すと灰皿にタバコを押し付けた。帰る合図だ。彼女達は急いで仕度をする。司の機嫌がこれ以上悪くならないようにだ。司は財布からカードを抜くと香織に渡した。すぐに店員を呼び、支払いを済ませると立ち上がった。
再び顔を覗かせ、「それじゃ、オレ帰るから。ごゆっくりどうぞ」と、意味深に言う司を宏子は焦って追いかけた。
「ちょっと、司」
肘を掴んで振り向かせる。
「何だよ」
「ちょっと、訊きたいんだけど」
その口調は先程見せた作ったようにはにかんで話す素振りは毛頭なく、そればかりか司を従えるような言い方だ。
「先週の土、日って確かオフよね」
「そうだけど」
「あんた、彼と一緒だった?」
「違うよ。・・・、 どうしたの?」
一瞬考え込むような素振りを見せた宏子に逆に訊いた。
「なぁんか、最近おかしいよのね。オフの日、家にいないみたいなの」
「晃一と一緒に行ってんじゃないの?」
晃一と一緒ならどこかの海でサーフィンだ。秀也もそうだったが、ナオと一緒だとは言わなかった。それに、午後には司の家に来ていた。
「二日も一緒って事はないでしょ。それにオフの日、必ず晃一と一緒に過ごすってあり得ると思う?」
「あり得ねぇな。気色悪ィ」
二人が朝から晩まで共に過ごす事を想像して思わず身震いした。
宏子は何か心配事でもあるかのように頬に手を当てた。
トゥルルル・・・
甲高い携帯電話の音にまた顔を見合わせる。これで何度目だろう。
席を立ち、楽屋を出て行くナオを訝しげに見送る。しかし誰も詮索しようとは思わなかった。
ただ少し心配だった。
最近疲れているのか顔色が冴えない。それに話しかけてもどことなく上の空だ。晃一と司の言い合いにも興味なさそうに無視している。晃一と秀也にしても、ナオが珍しく波に乗る事に対し、興味を抱かなくなった事には不審に思っていた。
「最近おかしかねぇか、あいつ」
とうとう、堪えきれず晃一が口にした。
今夜のライブもいつも通りに終わった。
ナオの電話が終わりその後ライブに入ったのだが、いつもと何ら変わりなく会場は盛り上がりを見せ、興奮の渦に包まれてステージを後にしたメンバーは、いつもと同じように着替え会場を後にしたが、打ち上げの後、一人ナオだけを除いて、今四人でホテルのバーで飲み直しているところだった。
晃一は自分のグラスを手に取り、ウィスキーを一口飲んで司に視線を送る。
司はタバコに火を点けながら一瞬、晃一の視線を受けたが、すぐ目を逸らせた。
「そう?」
気にする素振りも見せず、煙を天井に向かって一直線に吐いた。
「秀也もそう思わない?」
矛先をこちらに向けられ、秀也は一瞬司を見たが、司は自分の吐いた煙の糸をじっと追っている。
「確かに元気はないよな。疲れてんじゃないの。紀伊也はどう思う?」
「どう思うって言われてもねぇ、まあ、何があったかは知らないけど、らしくないと言えばあいつらしくないよな。心ここに在らずって感じで集中できてないみたいだし。司だって感じてるだろ?」
紀伊也も自分の目の前のグラスを手に取るとブランデーを一口含み、ソファにもたれると司に視線を送った。
三人の視線を集めた司はテーブルの中央に置かれた灰皿に手を伸ばし、灰を落としながら、
「ほっといてやれよ」
と言い、ブランデーの入ったグラスを手に取るとソファにもたれて一口飲んだ。
「でも、気になるだろ」
秀也と紀伊也は、溜息にも似た小さな息を一つ付くが、晃一は違っていた。
メンバーの中でもナオとは一番付き合いが長い。それに、プライベートな事でも悩みなど打ち明け、相談もしていただけに気になる。ただ、打ち明けるのは専ら晃一の方だった。
「気になるなら、お前が直接訊けばいいだろ」
「そうだけど・・・。 何か、冷たいな、お前ら。ナオの事何とも思ってないの?」
余りにも無関心な態度に少し腹が立つ。
「あのなぁ、あいつが何も言わねえんだから、いいだろが。逐一詮索するなよ」
仕舞いには、司まで晃一に苛立ってくる。ぐいっとブランデーを飲んだところで、入口に視線を感じてグラスを置くと、タバコを消して立ち上がった。そして、黙って人影のない入口に向かって歩き出して行った。
「何だよ、司のヤツっ」
チッと舌打ちすると、晃一は司の背中を睨んだ。
皆の視界から完全に消えると、透が電話を司に渡した。黙って電話を受け取り一瞬透を見たが、その目を見た透は幾分青ざめ、二、三歩下がった。背筋に冷たい物が流れるような冷酷な目をしていたからだ。
「わかった」と、電話を切ると、チッと舌打ちして電話を透に返す。
「何か言われたら、実家に戻ったと言っておけ」
そういい残し、その場を後にした。
晃一が部屋へ戻ると、既にナオは寝ていた。
やはり疲れているのだろうか。司の言うとおり、放っておいた方がいいのだろうか。
波打つ肩を見ながら考えた。
翌日、朝からスタッフは司の姿が見えない事に慌てたが、先に東京へ戻ったと知って一応ホッとするが、それよりもメンバーを驚かせた事が起こった。
新幹線に乗り込み、扉が閉じられたところで、先程まで一緒にいた筈のナオの姿が見えないのだ。
あっと、紀伊也が声を上げ、指差す方を見れば、反対側のホームにその姿を見つけ、見る見るうちに遠去かってしまった。慌てて携帯電話にかけたが、電源が切られていた。
「何なんだよっ。 司といい、ナオといい、あいつら勝手な事ばかりしやがってっ。皆に迷惑かけてるって、分かっててやってんだっっ」
勢いよくシートに座り込みながら、晃一が怒鳴った。
「秀也っ、司をどうにかしろよっ」
怒りの矛先は常に秀也に向かう。
「あのなぁっ、そう何でもかんでも俺にあいつを押し付けるなよっ。アイツが消えるのは今に始まった事じゃないだろっ。それに明日はオフだ。あいつらが今日、これから何しようが勝手だろうがっ」
さすがに秀也も言い返した。
昨夜、晃一が堪え切れずにナオの事を口にした時から、四人の間に何かギクシャクした空気が漂っていた。
本当は皆、気にかけていた。ライブもいつも通り終わったとは言え、それは単に何の失敗もなく無事に終わっただけであって、五人が一つのステージで、一つの魂の中に溶け込んで、同じ時を同じ魂で分かち合っていた訳ではなかった。
何かがずれていた。まるで、四人とナオの間に見えない壁が立ち塞がっているようだったのだ。それは司が最も感じていた。
「もう、やめろよ」
堪りかねて紀伊也が言うが、いつも以上に黙って前を見据えている。
もし、この場に司がいたら大喧嘩になっていただろう。昨夜も司が席を外して正解だったのだ。
あの時、司と晃一の間には険悪のムードが漂っていたし、秀也にも紀伊也にも何か得体の知れない苛立ちを感じていた為、もし、あの時二人が言い争ったところで残りの二人がそれを止めることが出来たかどうかは自信がない。それよりも火に油を注ぐ結果となったかもしれなかった。
三人は押し黙ると、それぞれ違う方向を見据えて帰路に着いた。