第四章(七の2)
部屋へ入り暫くすると頼んでおいた物が届く。それらが全てテーブルの上に置かれた。ナオは少々呆れ顔だ。水の入ったペットボトルが10本、シャンパンがクーラーボックスに入れられ、ブランデーのビンが1本。それぞれのグラスが2個ずつ。
「うーん、少し酔ったかも。 眠いよ」
ジャケットを脱ぎ捨てるとそのままベッドに倒れ込んだ。
ナオは水を飲みながら脱ぎ捨てられた司のジャケットを拾うとクローゼットにしまった。
「そりゃ、あれだけ呑めば酔うだろ。 二人で一升だって言っても殆どお前一人で飲んでたようなもんだしな。ホント底なしなのな。で、これも呑むつもり?」
目でテーブルの上のシャンパンとブランデーに視線を送った。
「うーん、当然。 でもその前に寝かせて」
言い終わらないうちに軽い寝息を立て始めた。仕方なくナオは司の靴を脱がせると自分はシャワールームへ向かった。
いくら広いベッドとは云え、その真ん中に一人で寝られていたらさすがに二人では狭く感じる。
ナオは司を向方へ押しやると少し距離を置いてベッドに横になった。
薄暗い天井を見上げる。
先程の司との会話を思い出した。ふとした時に見せる司の物憂げで寂しげな表情、いつもそれが気になっていたのだが、それがどこから生まれて来るのか何となく分かるような気がした。
歌の詞でも、どこか満たされない切ないラブソングが多いのは、独りで生きて来た中から求める愛情なのだろう。ステージで弾きながら目の前で歌う司を見ていて堪らなく切なくなる時がある。
ふと、隣で寝ている司を見ると、相変わらず寝息を立てていた。
ったく・・・。 思わず苦笑すると、目を閉じた。
・・・・。
突然、バチンッとナオの首辺りを何かが襲った。
ん!?
目を開けると司の手が乗っている。
おいおい、
手を掴んで離そうとした時、そのまま抱きついて来る。
「ちょっと、司」
「うーん、・・・秀也ぁ」
こらこら、いくら体型が似ているからとて間違えるなよっ。
ナオは呆れて司の体を離しにかかったが、次の言葉にその手が止まった。
「寂しいよ・・・」
んん・・・
僅かにいつもと違う男の匂いで目が覚めた。誰かの腕枕でその筋肉質の厚い胸板に寄り添っていた。
あら?・・・。
一瞬、自分はどうしたのか、考える。
由美の家に行き、その後ホテルへチェックインだけし、食事に行った。ナオと。
えっ?
そっと体を起こすと寝ているのは、やはりナオだった。気が付いた瞬間、カァっと顔が熱くなり、慌ててベッドから降りると窓際へ行った。
タバコを吸おうと上着を探すが見当たらない。仕方なくテーブルにあるナオのセブンスターに手を出し、火をつけた。
一服吸って、落ち着かせる。
ああ、驚いた。
指先のタバコを見つめ、思わず苦笑してしまった。
ベッド脇の時計を見れば、部屋に入ってからまだ二時間しか経っていない。火を消してシャワーを浴びに行った。
バスローブを羽織り、タオルで髪を拭きながらテーブルに近づくとソファにタオルを投げて手ぐしで梳かし、髪を左右に振った。
クーラーボックスからボトルを掴み上げると、シャンパンをグラスに注いだ。ボトルを戻してグラスを取り上げ一口飲んだところで、気配を感じて振り向くと、ベッドの上でナオが体を起こしてこちらを見ていた。
「あ、ごめん。起こした」
ナオは苦笑しながら首を横に振るとベッドから降りてこちらへ来る。
司はソファに腰掛けるとシャンパンを飲み干した。
「ナオも飲む?」
頷くのを見て、二つのグラスに注ぐと一つをナオに渡した。司はまるでジュースを飲むかのように一気に空にする。
「お前、あれだけ呑んでおいて、よくそんなに一気に飲めるな」
呆れたように感心しながらナオもグラスを口につけた。
「うーん、シャワーの後はこれに限るよ。ね、ナオ、オレの上着知らない? タバコが入ってるんだけど」
「ああ、クローゼットの中」
クローゼット? グラスを置いて立ち上がると首を傾げながらクローゼットを開いた。いつの間に入れたのか、一緒にナオの上着もある事からナオが入れてくれたのだと分かった。
そこからタバコの箱を二つ出す。一本抜いて火をつけながらナオの隣に座った。
お互いタバコを吸いながら目が合った。
一瞬、時が止まったが、次の瞬間、ニヤッと司が口の端を上げて笑うとナオはゴクンと生唾を呑み込みそうになった。
イヤな予感がした。
「ナーオちゃん」
的中したかのように司の頭がナオの肩に乗る。思わずギョッとして見下ろすと、尚も上目遣いに見ている。
「照れなくてもいいじゃない。オレ達、そういう関係なんだから」
「ばかっ、あれはお前が俺を秀也と間違えたんだろが」
司の顔めがけて煙を吐きつけた。
ケホっ、ケホっ、顔をしかめて肩から離した。
「秀也と?」
「そーだよ。 秀也ぁ って抱きついて来たのはお前だよ」
「うっそぉ?」
驚いて目を見開く司に呆れると溜息をついた。が、敢えてその後、司が寂しいと言った事は口にしなかった。無意識に発した本音だからだ。恐らく秀也にも面と向かって口にした事はないだろう。
「ナオ?」
急に考え込むように、目を逸らせたナオが気になった。
「お前がさ、本当に男だったらって」
「え?」
グラスを取り、再び口につけ一気に飲み干すナオを見つめた。
「明日香が言ってたよ。遺書があったんだ。 お前宛の手紙のような気もしたけど、俺や両親にも言いたかった事だろうな。 苦しい時に司と話ができて安心した。悩みを分かってくれて嬉しかった、って。 もし司が本当に男だったら、もっと好きになって恋に苦しんでそっちの方で死んでしまうかもしれない、と書いてあった。 司がもし、本当に男だったら割り切れたかもしれないともあった。 女だと分かった時、悩んだらしいよ。俺に取られるんじゃないかって。 笑っちゃうだろ 」
そう言って司を見ると、先程まで冗談めいていた表情が影もなく消え失せ、今までに見た事もない程、切ない表情をしていた。
- もし、本当に男に生まれていたら・・・
何度、この言葉を口にし、悩み、苦しんだ事だろうか。自分の体を傷つけた。心も、そして何より身内の心を傷つけた。
父を落胆させ、悩ませた結果の育て方だった。そして兄を失望させた。母も血は繋がっていないとは言え、司への接し方に悩んだ事だろう。それに、何よりも亮、大好きな亮を苦しめる事はなかっただろう。
- もし、自分が本当に男として生まれていたら
司はもう自分を呪うしかなかった。
パリンッ
手にしていたシャンパングラスが音を立てて砕けた。
「司っ!?」
ナオの驚きの声に我に返って気が付くと、左手に砕けたガラスを握っている。チクリと痛みを感じると、手の平から温かい血が流れた。
そっと、テーブルの上に割れたグラスを置くと、右手に持っていたタバコを一服吸い、煙を吐きながら灰皿に押し付けた。
「何やってんだ!? ばかやろうが」
伸びてきたナオの手を払い除けると立ち上がった。
「大丈夫、大したことないから」
そう言って手の平を見つめると、ぎゅっと握り締めた。
ナオの不安な顔に気付くと、黙ってバスルームへ行き、水を勢いよく流す。
タオルを手の平に巻き付け出て行くと、ちょうどチャイムが鳴らされ従業員が箱を持って現れた。
ナオが呼んだのだ。彼に割れたグラスを片付けさせ、司はブランデーの栓を開けるとそれを口に含み、ブシュッと霧状に自分の手の平に噴きつけ、ガーゼと包帯を器用に巻き付けた。
従業員が出て行くと、ナオは大きな溜息をついた。
「まったく、どうしたんだよ、いきなり・・」
司の突拍子もない行動にはいつも度肝を抜かされるが、それも慣れている。
ただ、ナオには先程司が見せた、身を切るような切ない表情が忘れられない。
「ごめん、つい力入っちゃった」
バツの悪そうな目をした司には呆れてしまう。
「ったく、お前の握力ってどれ位なワケ?」
「さあね、試してみる?」
悪戯っぽく笑うと右手でナオの左手を握ったその瞬間、そのままナオの胸の中へ抱き込まれた。
え?
一瞬ためらったが、そのまま身を任せていた。
「司、余り意地を張るな。お前にはいつも手を焼かされるが、俺達だって、お前がそうやって我が儘言ってくれてる方がホッとするんだ。心配なんだよ。亮さん亡くしてからのお前は自分に無理ばかりしているような気がする。時々自分自身を誤魔化しているようにも見えるよ。もっと、素直に生きてみろよ」
・・・・
司は思わず目を閉じた。
「兄ちゃん、みたいな事言うんだな」
ナオの腕に抱かれながら呟いた。
『意地を張るな。自分の気持ちに素直になれ』よく亮の腕の中で言われた。
「何だか、俺、亮さんの気持ち分かるような気がする 」
え? どきっとしてナオを見上げた。
ナオは司を見下ろすとふっと微笑んだ。
「亡くしてから気付くなんてな。 明日香の事、あいつ本当に可愛かったんだ。 小さい頃なんて、お兄ちゃん、お兄ちゃん、てずっとまとわりついてた。 一人で留守番して寂しかった時なんかこうやって抱き締めてあげれば良かったんだ。 いつの間にかあいつの寂しい気持ちなんて忘れていた。いろんなしがらみから守ってやりたかった。せめて相談くらい乗って上げればよかった・・・、大切な妹だったんだって。なのに、俺・・・ 」
司に明日香を重ねたのだろうか、抱き寄せる腕に力が入る。司は目を閉じた。
「オレは明日香ちゃんじゃないよ 」
瞬間、ナオの手が緩んだ。
司は体を起こすとナオから体を離し、ブランデーをグラスに注ぐと一つをナオに渡した。
「ナオ、オレ達恋人同士に成り損ねたな」
ちらっとナオを見ると、グラスに口をつけ一口飲む。
「妹を亡くした兄と、兄を亡くした妹。なかなかいいシナリオだと思うけど」
「ドラマにもならないよ」
思わずナオは苦笑するとブランデーを口に含ませる。
「いや、なるさ。 最後には決して結ばれる事のない、お決まりのラブストーリーでね」
そう言って一気にグラスを空にした。そして立ち上がると、
「さあて、寝ますか」
と、ベッドへ向かった。
ナオもグラスを空にすると、従業員が来る前に羽織ったバスローブを脱いでベッドへ入った。
「お前は脱ぐな」
へ?
バスローブの紐を解きかけたところで釘を刺すように言われ、見ると呆れたように睨んでいる。
「何で?」
「何でじゃねぇだろ。状況を考えろ。ったく」
言いながらベッドを見る。広いとは云え、ベッドは一つしかない。
はいはい。 仕方なくそのままベッドへ入るが何だか落ち着かない。
ごろごろ、寝返りばかり打ってみた。
その時突然、ナオが司の上にまたがりバスローブの肩を肌蹴けさせた。
え!?
「ほぉら、ビビってんじゃねぇかよ。こういう事なんだから我慢して寝ろ」
スルっと袖を抜けて司の細い二本の腕が伸びるとナオの首に絡みついた。
「へへ、仕返し。ナオちゃんだってビビっちゃってんじゃないの。それにさ、お前だってオレだって、互いの裸は見慣れてるんだから今更いいじゃない。なーんか、こんな重たいもん着て寝るの嫌なんだよね」
「あのなぁ、この状況じゃ誰が見たって誤解すんだろ」
「誰が見るんだよ」
「・・・・・・」
「ふふん」
含み笑いをする司にナオの背中に悪寒が走る。
「お前、誘ってんの?」
「うーん、そうかも」
「ばか、秀也が知ったら殺されるぞ」
「黙ってりゃいいだろ」
「あのなぁ・・・」
「はは、冗談だってば。 ・・・、あ、ナオっ、ちょっと、冗談だって言ってるのに」
ナオの顔が近づくと司の胸に顔を埋めた。そして顔を上げると、冗談だろ?と意地悪そうに笑った。
ったく・・・。 内心焦ったものの司はナオをマジマジと見つめた。
「ねえ、ナオ」
真剣な目をする司に思わずゾクッとした。
また、イヤな予感が走る。
「何?」
「これから、ナオに絡んでいい?」
「は? だって、今冗談だって・・・」
「ん、本気だよ。明後日のライブから絡んでいい?」
ライブね・・・。 ホッと胸を撫で下ろす。
「いいけど、どうしたの?」
「いや、お前さ、絡まれんの好きじゃないかと思ってたけど、そうでもなさそうじゃん。きっと、いい演出出来ると思うぜ」
そう言って再び腕を首に巻きつける。
「あのなあ。でも、秀也に恨まれるのだけは勘弁だよ」
「大丈夫、あいつにもいい刺激になると思う。最近マンネリ化してるから」
「ライブ?」
「まあね」
そして強引に引き寄せると自分の唇をナオの唇に押し当てた。
「何だよっ!? 今の!」
怒ったように体を起こした。
「ん? 練習、大丈夫だったろ?」
「何が!?」
「感じたの? オレの事」
「何、バカな事言ってるんだよ」
「だろ? これならイケルよ。ステージの上でも気兼ねなく大胆にイケルよ」
確かに今、司にキスをされても何も感じなかった。それに二人共に上半身裸で抱き合っているのだ。ナオは司の意図している事を何となく理解したが、気兼ねなく大胆に、とは想像がつかないだけに恐ろしい。そのままバスローブを脱ぎ捨て、背を向けて眠りについた司を見つめた。