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第四章(五の3)

 結局、夕方まで眠ってしまった司は目を覚ますと、耐え難い空腹感と晃一のメモに苦笑した。

食事をしに外へ出ようとしたが、マスコミの姿を見つけて仕方なく病院の食堂で済ませると、いくつかの新聞を手に病室へ戻った。

 途中、担当医師を訪れた。

「分かりました。そういう事なら仕方ありませんね。但し無理はしないで下さいね」

カルテを閉じながら諦めたように言う。

「それと、彼女の事よろしくお願いします」

司は頭を下げると部屋を出て行った。


******


『あの子が、精神病?』

何を馬鹿な事を言っているのだと言わんばかりの形相でこちらを見ている。

『まだ決まった訳ではないんですが、その可能性が高いと思います。精神病って言ってもそんなに重たいものでもないですし、パニック発作と言って、ある条件がそろうと起きる症状で、とりあえずは薬でも治まりますし』

明日香とナオがいない事を見計らって母親に会いに来た。明日香のこれまでの様子を話し、一刻も早く医者にせた方がいいという結論に達したのだ。

 今の司には、もう相談する相手もいない。

亮にパニック障害ではないかと言われた時、すぐに医者に診せた方がいいとアドバイスを受けたのだが、当時の日本にはそれを理解している医者がすぐに見当たらなかったのだ。

そうこうしているうちに亮が亡くなり、その事でかなりのショックを受けた司は暫く誰にも会おうとせず、自分の心も閉ざしていた。

それが秀也と逢った事で、何とか本来の自分を取り戻せるようになり、気が付いた時に明日香は既に高校へ進学しており、久しぶりに話を聞くとやはり症状は同じだというのだ。しかも悪い事に更に深刻で、それが原因で学校でも孤立しかけていた。明日香も自暴自棄になりかけ、辞めたいとまで言い出していた。

『今まで、本当に大した病気もしなかったのよ。それに精神病だなんて・・・、いい子だったのに。・・、 直人なおひとについて行ったからかしら。もう、あの子も大学に行ってまでバンドだなんて・・・。こういう言い方はあまりしたくないけれど、あなたに逢ったからなんじゃないのかしら? 直人にとってはいいお友達かもしれないけれど、高校生を夜遊びさせるようなバンドだなんて感心しないわね。それに、あなただって高校生でしょ。あなたの親は何て言っているのかしらね』

『 ・・・・・・ 』

明日香の事が心配で来たのに、その原因が自分ではないのか、更には自分の行動までも非難された。それについてはしたる事ではない。

 しかし、親というものがそこまで自分の行動を見ていたのだろうか。

放任の中で監視はされていた。が、自分の記憶の中に一度足りとも生活を共にした事のない司にとっては理解できなかった。

ただ何となく、明日香の事に関しては母親に相談するのがいいのだろうと判断したのだ。

やはり兄であるナオに言うべきだったのだろうか。

 自分がそうしたように。

『オレの事はどうだっていいんです。ただ、オレは明日香ちゃんが心配で・・・。 学校でも孤立してるみたいだし、それに辞めたいとまで言っている』

顔色の変わった母親を見て口をつぐんだ。暫く沈黙が続いた。

『どうしたらいいのかしら』

困ったようにポツリと呟いた。

『いい先生を紹介してもらったんです。今度、病院へ行こうと思います。その前にお母さんに了承を得ようと思いまして、今日来たんです。明日香ちゃんには内緒にして下さい、オレがお母さんに言った事。彼女、誰にも知られたくないって』

『そうね、そんな恥ずかしい事、誰にも言えないわね。私からもお願いします。この事は黙っていて頂戴。直人にも言わないであげてね』

思わず母親を見た。

『恥ずかしい事』・・・

彼女があれだけ苦しんでいるのに、それが恥ずかしい事などとよく言えたものだ。

これなら言わなかった方が良かったのかもしれない、と後悔した。


******


「言わなかった方が良かったのかな・・・」

ベッドに腰掛け、片膝を立てて抱え込みながら呟いた。

そうすれば、あの家族は明日香の事を未だに悔やんではいないだろう。ナオも司の事を恨んで終わっただろう。

何も知らず、明日香が自殺したのは司に失恋したからだ、そう云った間違った理由だけが真実として受け取られればそれで良かったのかもしれない。それだけでも十分な理由になるのだ。

司が云ってしまった為に、同じ家族でありながら明日香の苦しみを一つでも取り除く事が出来ず、又、それを分かち合う事も出来なかったと両親とナオは今でも悔いている。

 特に最近のニュースで「いじめが原因で自殺」という見出しにはつい敏感になっていた。途中、ナオが心理学を学び出したのもそれが原因だ。あの時のナオは見ていられなかった。人が変わってしまったように熱心に学んでいたが、気違いにも見えた。このままでは気が狂ってしまうのではないかと思った程だ。

「でも・・・ダメだ。やっぱ、逃げちゃいけないんだ」

司は噛み締めるように自分に言い聞かせた。


 当然のように病院の食事に手を付けず、売店で買ったミネラルウォーターを飲んで就寝しようとするが、昼間寝過ぎてしまった為に眠れない。

ナオを恨みつつもふと秀也の様子が気になった。滅多に風邪もひかず到底倒れる事のなかっただけに心配になる。

確かに昨夜枕元にいた時、顔色が優れないとは思った。いつも心配ばかりかけて世話になっているのは分かっていた。確かに晃一の言うとおりだ。

 一旦気になると居ても立ってもいられなくなるのが司の悪いくせだ。

案の定、いつものごとく荷物を抱えると辺りを伺いながら外へ出た。

 一瞬ぶるっと身震いした。病院の中は一定の温度が保たれており上着など必要ないが、さすがに三月の上旬と云えばまだまだ冷える。コートを持って来てもらわなかったのは失敗だった。しかも上着はコンサート会場の楽屋の中だ。急いでタクシーに乗ると行き先を告げた。

部屋のドアが開き司が顔を出すと、驚いたように紀伊也が迎えた。

「お前、また、やっちゃったの・・・?」

紀伊也に荷物を預けると中へ入った。

「まあね・・・。それより、秀也はどうなの?」

ベッドで眠る秀也の顔を覗き込む。照明が暗いせいで顔色こそ分からないが、息遣いや表情でその様子が思わしくない事が見て取れた。

「あまり良さそうでもないんだね。・・・、熱、あるじゃない」

額に手を当てながら紀伊也を見ると、難しそうな顔をして頷いた。

「明日、東京に戻ったら病院へ連れて行くつもり。多分過労だから二、三日入院すれば大丈夫だと思う。その間にツアーの準備とかスケジュールの調整とかあるし、司も忙しくなりそうだよ 」

「そっか・・・。アイツら(スタッフ)も徹夜だろ? とんだ災難だったな 」

秀也の顔を見ながら呟くように言った。

「本当に事故だったの?」

疑いの眼差しを司に向けて紀伊也が訊いた。

一瞬鋭い目をしたが視線を外すと、「ああ」と、宙を見たまま応えた。それ以上二人はこの事については触れなかった。

 その夜、司は秀也の隣で寝る事にし、紀伊也は司が使おうとしていた部屋で眠った。紀伊也にも休養が必要だった。 

 翌日、全員が疲れの残る朝を迎えた。

チャーリー始め、スタッフは皆メンバーに構っていられなくなり、結局司は退院の手続きをする為に再び病院へ行かなくてはならなくなり、担当医からお小言をもらって帰って来た。

ナオと晃一は会場の様子を見に行ったが、余りに悲惨ひさんな状況に絶句して帰って来た。

紀伊也は秀也に付き添っていたが、幾分落ち着いたので少し安心した。


「はぁ、まったく、医者ってのはイヤな性格してるぜ。勝手に人を押し込めておいて出て行ったら勝手過ぎます、だと? どっちが勝手なんだよ。 ったくぅ」

隣で聞いていた秀也は苦しい息遣いの下、苦笑している。通路を挟んで座っていた紀伊也も呆れ返って司を見ている。

「お前はあれだな。金づるのいい患者だが、最悪に我がままな患者だな」

前の座席から晃一が身を乗り出して言った。

「何だよ、それ。 患者が我が儘なのは当り前だろ。それに高い治療費払ってんだ。そうそう言いなりになってたまるかよ」

「何、ワケ分かんない事言ってんだよ。お前さ、もしかして雅先生以外信用してねえだろ」

「ボン? アイツ程、信用のならない医者はいないね。ま、腕だけは認めるけど」

そう言って舌を出す。光生会のみやびは司の主治医だ。主に心臓内外科を担当するが、内科外科と名の付くものは全て修得し従事している。

「お前を診る医者は大変だよな。同情するよ」

「うるせぇな、それよりどうだったのよ。そっちは」

ああ、と晃一は通路を挟んで隣に座っているナオと顔を見合わせると溜息をついた。

 今は東京へ向かう新幹線の中だ。

暖房が効いて暖かいので皆上着を着けていないが、それは脱いでいるのではなく失くなってしまったのだ。幸いな事に何故かコートだけはホテルに置いて来ていたので、皆それだけを手元に置いていた。

「無事だったのは、俺達の体と司のフルートだけだ」

晃一は天井を見つめた。

「そっか・・・」

司も紀伊也の隣に置いたフルートのケースを見つめ、内心ホッとした。

「めちゃめちゃだったよ。あん時は必死だったけど実際現場見たらゾっとした。なぁ、ナオ」

「ああ、ホント。よくあれでこっちに死傷者出なかった、って感心するよ」

「でも、二人亡くなったんだろ」

紀伊也が気の毒そうに言う。

「二人か・・・」

司も思い詰めたように呟いた。

 昨日の新聞を思い出す。

レストランの従業員が一人と、清掃のパートで来ていた女性が一人事故に巻き込まれ亡くなったのだ。

コンサート会場の方では、数千人という観客がいたにも係わらず死傷者が出なかった事に、各紙ともメンバーのことを称えてはいたが、実際には二人が死亡し重傷者も出ているのだ。それに愛用していた楽器や機材は全て失くなってしまい、スタッフも徹夜の作業と対応に追われ憔悴しょうすいし切っている。皆としてはやり切れない気持ちでいっぱいだった。それにメンバーの中でも一人、その心労により倒れた者もいる。

「秀也も災難だな」

晃一は司を睨みながら、哀れむように言った。

司としては返す言葉もなく、心配そうに秀也を覗き込んだ。

そんな司に秀也は横目でチラッと見ると舌を出した。

「もう、無茶するなよ」

「そうする・・・」

秀也が倒れたのには余程ショックだったのだろう。司は素直に反省すると自分のコートを秀也に掛け、その下から腕を握り締めた。

他の三人も何となく安心すると、そのまま目を閉じ、一路東京へ向かった。



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