第四章(三)
お? カツアゲか・・・。女同士ってのもなかなか迫力あってこぇーなぁ。 どうすっかなぁ、巻き込まれたくねぇしな・・・。
自分達のライブ公演の帰り道、メンバーと早く別れて路地裏を出た所で、五、六人の女の子達が一人の女の子を囲んで何か責めているようだ。
夜のこの辺りでは当り前のようなこの光景に、司は見て見ぬ振りをしようか迷った。しかもどうやら彼女達は今夜のライブに来ていたと思われる。場所もライブハウスの裏だった。
あれ?
腹を蹴られ、前のめりになった拍子に囲みが解けて顔が見えた。
「おいおい、何やってんだよ。今夜のライブで飛び跳ねて、まあだ体力余ってんのぉ?」
突然背後から声をかけられ、ビクッと彼女達は一斉に振り向く。そこには先程まで自分達が熱狂し焦がれて声援を送っていた司が、ボストンバッグを肩に担いで立っていた。
よく見れば見知った顔の子達だ。いつも司を遠巻きにしている、いわゆる親衛隊の内の何人かだった。
「なぁんだ、お前らか。一体何してんだよ。こんな一人相手に」
「だって、コイツ生意気なんだもん。初めて来たのに馴れ馴れしく皆と話しちゃってさ。司くんだって腕回してたじゃない。恋人でもないくせに」
一人が口を尖らせる。
「あのなぁ、初めて来たからって生意気にされちゃたまんねぇだろ、バカか」
呆れると彼女を押し退け、中心にいた女の子の腕を掴んで立ち上がらせると、顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 明日香ちゃん」
「 ・・・・・・ 」
無言だが震えている。司は明日香の肩に腕を回して抱き寄せた。
「あのねぇ、この子はナオの妹なの。お前ら知らないの? ったく、この事がアイツに知れたら、お前らオレ達のライブ出入り禁止になるよ。ああ見えても、アイツ怒るとすっげぇこえーから」
とたんに、彼女達の顔色が変わる。お互い顔を見合わせると、うなだれてそわそわし出してしまった。
「 ったく、今日のところは勘弁してやるから、次からは仲良くしてやってよ。・・ ホラ、行けよ」
うんざりして追い払うと、まだ震えの止まらない明日香を心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫?」
しかし、明日香は司を見ようともせず宙を見たまま怯え、震えが益々激しくなっていく。そのうち、ひきつけを起こしたかのような息遣いになっていく。
「ちょっ、どうしたの? 大丈夫?!」
驚いてバッグを置くと、背中を摩りながらその場に座らせた。
「こ、殺される・・・」
目を見開いたかと思えば、ぎゅっと目を閉じ両手で頭を抱え、激しく肩で息をしている。
こんな症状を見るのは初めてだ。が、以前自分が似たような経験をしている。
「発作? ねぇ明日香ちゃん、心臓悪いの?」
その問いかけに明日香は首を振る。司もナオから聞いた事がない。暫く司は明日香を抱いたまま治まるまで待った。そして、呼吸が安定し、震えも止まったところで自宅まで送り届けたが、明日香からこの事を黙っているように口止めされた。
その後何回か、ライブに顔を出すようになり、例の彼女達とも話をするようになってはいたが、何となく様子がおかしいのを司は気になって見ていた。一人はぐれ、後を追うと同じように発作のような症状が見られ、いつもそれを介抱していた。
「それ、パニック障害じゃないかな」
「パニック障害?」
ソファにもたれて話を聞いていた亮がグラスから顔を上げて言った。
「聞いた事ない? 日本では全く知られていないけど、欧米じゃ当り前のようにある症状だよ。体の方は病気ではなく何ともないんだけど、ある一定の条件が揃うと起こる発作みたいのかな。 突然動けなくなって、苦しくなったりするんだ。まるで、自分の周りだけが真空状態のような感じになってね、息をする事が出来なくなる。それが頻繁に起きて病院へ行って検査するだろ? でも、体の異常は見られないから、疲れてるだけですよって言われて終わりみたいね、この国では 」
「でも、発作が起きるんだろ?! 明日香ちゃんだって苦しそうに息をするんだ。それに・・・、でも・・、殺されるって・・・言ってた」
頭を抱え、怯えた目で司を見ながら毎回泣いていた。
「で、病院は行ったの?」
「ううん、行きたくないって。それに、一緒にいてあげると落ち着くんだよ。近くにいる時は発作起きないし」
「そ、じゃ今は司が彼女の抗うつ剤になっている訳か」
くすっと笑う。
「ちょっと、笑い事じゃないっしょ。・・・ って、それって精神病って事?」
「一種のね」
「それじゃ、病院行きたくねぇだろうな・・・」
「彼女いくつ?」
「オレの1コ下 」
「15か・・ 」
二人は顔を見合わせると、溜息をついて黙ってしまった。
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ハッと目を開け、体を起こすと頭がふらついて体全体が鉛のように重たい。気が付くと腕から点滴の管が伸びている。
「司、大丈夫か?」
声の方に目をやると、心配そうに秀也が見ている。まだ、ステージ用の衣装を身に着けていた。
「そっか・・・」
ふうっと、一息ついた。ライブ中のとんだ災難事故だった。
「それにしてもひどい治療だな。頭がフラフラする」
「仕方ないだろ。一酸化炭素中毒による心臓発作なんだから、普通だと思うけど」
窘めるように言う秀也に、チッと舌打ちをした。それを見て秀也は苦笑する。
「もう、大丈夫そうだな」
「当り前だ、・・・ところでナオは?」
広場でナオに預けた由美という子が気なった。咄嗟にナオに預けてしまったが、あれで良かったのだろうか。あの時ナオの一瞬曇った顔を思い出したがもう遅い。ナオは既に彼女と一緒だ。
「さっき、ここへ来たけど、お前寝てたからホテルに戻るって言ってた」
「え、同じ病院なの?」
「誰と?」
「誰って、あの彼女と」
「え? あ、ああ、あの子ね。らしいよ。司、悪いけど俺、ホテルに戻るわ。皆も待ってるし、この格好じゃ、いくらなんでも、ね。それにしても先にチェックインして荷物置いといて良かったって、皆んな言ってたよ。まぁ、楽器や機材なんか全部やられちゃったけど、お前のおかげで怪我人出なかったし、大してパニックにもならなかったって、感心してたぜ 」
秀也は笑いながら言うと立ち上がった。
「あ、司、ここは光生会じゃないから抜け出すなよ。明日、着替えを持って来てやるから今日はおとなしく寝てろよ」
釘を刺すように司を見た。はいはい、と首を竦めながら部屋を出て行こうとする秀也を目で追う。
「フルート、そこにあるから。 ったく、そのフルートには妬けるよ。じゃね」
ベッド脇の台の上にある黒いケースを指して、秀也は出て行った。
司はじっとそのケースを見ていたが、ふっと、微笑むと体を元に倒して目を閉じた。