第三章・家事(一)
この章だけはちょっとコメディで、他の章とは余り関わりないです。
第三章 家事
「 うわっ 」
秀也は居間へ入るなり何かに足を取られ滑りそうになって、慌ててドア枠に掴まりバランスを辛うじて保った。
ふうー、驚いた
ホッと胸を撫で下ろし顔を上げると、あっ、と言ったまま呆然と部屋を見渡す。
何なんだ、これは・・・
今までに見た事のない散らかりようだ。
ハッと足元を見ると白いタオルのようなものを踏んでいる。にしては少し大きい。何だろうとそっと摘んで取り上げる。
バスローブぅ?
よく見るとあちらこちらに白いタオルが散乱している。
「ああ、悪いねぇ、気を付けて歩いてくれる。とりあえずコーヒー淹れてるから」
台所から顔を覗かせると、ニッと笑って司は顔を引っ込めた。
「どうしたの? これ」
秀也は壁伝いに歩くと台所へ入った。そこでもまた息を呑む。
シンクの周りや床には弁当の空箱、菓子の空袋等々とにかく『ゴミ』が散乱している。辛うじて空いていると思われるスペースにコーヒーメーカーが置かれ、湯気が立っていた。
カップにコーヒーを注ぐと一つを秀也に渡し、足で行く手を阻むゴミ共を蹴散らし台所を出た。
居間へ入ると、同じように足でタオルを引っ掛け遠くに投げていく。ようやくソファに辿り着くと、今度は新聞を手で払い除ける。司は秀也も居る事に気が付くとその新聞を取り上げ、テーブルに置いた。
そこへ座れということなのか。というより、そこしか座るスペースがない。
ふうーっと、一息ついてコーヒーを飲む。
「いやぁ、参ったよ。 弘美ちゃんにストライキ起こされちゃってさ」
「スト? 賃上げか。そりゃそうだろ、この苛酷な労働じゃな」
思わず弘美に同情し、呆れて部屋を見渡す。
「何だよ」
ムッとして司は秀也を見た。
「違うよ。多分ばあやに入れ知恵されたんだ。なかなか帰らないから帰って来いって事らしい」
「それだけかなぁ・・・」
司の視線を避け宙を見ながらカップに口を付ける。チラッと横目で見ると、「何だよ、何か言いたい事でもあるワケ?!」とこちらを睨んでいる。
しかし・・・。
「なぁ司、で、お前どうすんのよ、これ」
「どうするかなぁ・・・」
ったく、
「ちょっと言わせてもらうけどさ、たまにはお前自分でやろうっていう気はないワケ?! だいたい俺呼び出したのだって、これ片付けんの俺にやらせようと思ったんだろ。それにお前女のクセに何でゴミの一つも捨てられないんだよっ。洗濯だって放り込んでスイッチ押せばできんだろ。 しかも・・・、何でこんなとこにシャツが脱ぎっ放しで置いてあんだよっ。せめて洗濯機ん中、入れとけよな。・・・ おいっ、司っ、聞いてんのかよっ! 」
見るとソファにもたれ足を組んでタバコをふかし、煙を天井に向かってゆーっくり吐いている。
秀也に気が付くと、ははっと満面の笑みを浮かべた。
秀也は、はぁっと大きな溜息をついてカップをテーブルに置くと、タバコを取り出して火を点けうなだれると、足元に向かって煙を吐いた。
「わかってんなら話は早いよ。もう10日目になっちゃってさ、いい加減バスローブが切れてきたのよ。だからどうしようかと思ってさ。秀也、頼むよ。オレ手伝うからさ」
「ばかやろっ、手伝うのは俺の方だ。お前が自・分・でやれっ」
「ええっー、だって、ゴミ袋どこにあるか知らないし、洗濯用の洗剤だってどこにあるか知らないよ」
「ゴミ袋は食器棚の右端の引出しの一番下。洗剤は洗面台の下の開き扉の中っ!柔軟剤も一緒に入ってる。ついでに風呂洗う洗剤とスポンジもその中のバケツの中に入ってるよっ」
呆れて言いながら口調が強くなってくると、最後には火のついたタバコを司の目の前に突きつけていた。
ったく、何で俺が知ってんだよっ。
「ほぉら、秀也の方が知ってるじゃん。それに洗濯なんかした事ないから、やり方分かんないし」
え? 思わずタバコを落としそうになった。・・・ ちょっと待った・・・ 付き合ってかれこれ五年以上経つがそんな話は聞いた事がない。
「洗濯、した事ないの・・・?」
「うん」
「本当に?」
「うん、何で?」
「何でって・・・ ずーっと一人暮らしだったろ?」
「そだけど、それがどうかした?」
「ちょっと、待て」
秀也は一旦言葉を切ると、タバコの火を消しコーヒーを飲んだ。司もつられてタバコを灰皿に押し付けるとカップに口を付けた。まじまじと秀也に見つめられて思わず照れたように目を伏せると、コーヒーを飲んだ。
「お前さ、東京戻ってからっていうか、デビューしてからここにずっと住んでるよな、一人で。 で、今までずっと弘美ちゃんにやってもらってたの?」
また、先程の話の続きだ。
「そだよ。週2回は来てもらってたかな。ツアーん時は帰って来た日か次の日にも来てもらってたけど」
「高校ん時はどうしてたんだよ。あん時も一人だったろ? まさか東京から静岡まで通ってもらってたんじゃねぇだろうな」
「高校ん時?」
司はカップをテーブルに戻すと再びソファにもたれ、懐かしそうに宙を見た。
「ああ、あん時ねぇ。近くのアパートに弘美ちゃんが来てくれてたんだ。はは、弁当も律儀に毎日作ってくれてさあ。 まぁ、たまに実家の方に戻らなきゃいけなかった時は、週末にまとめて持って帰ったけどね」
「え? 近くに住んでたの?」
意外と云えば意外だが、過保護だと云えばそれまでだ。それにそんな事一言も聞いていなかった。
「あ、うん。 ホラ、でもお前が来る時は彼女も遠慮してたよ。さすがに」
司は立ち上がると、鳴っていた電話を取る。
何やら黙って聞いていたようだったが、くるりと向きを変え、秀也を見てニヤっと笑い、
「ご心配なく。他から雇ったからもういいよ。ばあやにも伝えといて、姑息な事は考えないようにって。体に障るから。じゃね 」
そう言って電話を切ると、再び秀也の隣に座った。その瞬間、頭をはたかれた。
「誰を雇ったんだよっ、誰を?! お前、自分の恋人を奴隷のように・・・」
「あれ? だってよく言うじゃない。恋の奴隷とかって、どっかの歌のフレーズにも出てくる・・」
「お前なぁ、いい加減にしろよ。別れるぞっ」
「ええーっ、それは困る」
駄々をこねた甘えた声を出す司に思わず苦笑してしまった。
ったくしょうがねぇなっ
「ホラ、始めるぞ。さっさとやんねえと日が暮れちまう」
司を促して立ち上がると、まずコーヒーカップを台所に運んだ。
にしても、汚ねぇな・・・。
はあ、と二度目の大きな溜息をついた。
まず秀也は、ゴミ袋を引出しから出すと台所に散乱しているゴミを片付けさせる。次に居間へ行き、あちこちに散っている白いタオルの塊を拾い上げ洗面所に運ぶ。ついでに脱ぎっ放しのTシャツにブラウス、Gパン、ズボン、タンクトップそれらも拾い上げ一緒に運んだ。
10日分の洗濯物の量は見事だった。
到底一回で洗えるものでもないし、二、三回に分けたところで全て干す事は不可能に近い。備え付けの乾燥機を使っても入る量は限られているし時間もかかる。
タオル関係の物は近くのコインランドリーに行く事にした。ジーンズ以外のズボンとアイロンがけの必要な物はクリーニングに出す事にし、他は何とか洗濯機で間に合いそうだ。
それに、司にやらせなければ意味がない。
台所へ行くと、何とかゴミだけは片付いている。秀也は安心するとゴミ袋を二つ出した。コインランドリー用とクリーニング用だ。
「え? クリーニング? ・・・ どこ使ってんのか知らないよ」
「だろうな・・・。 訊いた俺がばかだった」
「どこ持ってくの?」
「俺が使ってるとこにする。その方が面倒臭くなくていい」
そう言うと、洗面所に戻り仕分けをした。
「ねえ、ついで。これも持ってってー」
見るとジャケットを五着抱えている。チラッと見て溜息をつくと
「ゴミ袋に入れとけ」
と冷たく言い放った。
司は「ゴミじゃないのにィ」とぶつくさ言いながらゴミ袋を取りに行く。玄関へそれらを運ぶと居間でゴミを拾っている司の元へ行く。
「司、クリーニング代っ」
ったく何で俺が立替なきゃなんねーんだよっ。と急に思い出したのだ。
「ああ、ごめんごめん。いくら?」
「さあ」
訊かれても分からない。
「あのキャビネットの一番上の引き出しにあるからテキトーに持ってっていいよ」
テキトー? 思いながら引出しを開けると一万円札がばらばらっと束になりかけ、重ねて無造作に入っている。
「はあっ? 何だよ、この札束」
「ああ、それね。昨日銀行に行って降ろしたんだけど、20万のつもりが間違えて200万になっちゃったんだよね。面倒だからそのまま持って来ちゃった」
あっけらかんと言う司と無造作に押し込められている福沢諭吉の顔の集団に、今日三度目の大きな溜息をついた。そこから数枚抜き取ると
「タバコとジュースおごれよな」
と、一言断ってマンションを出た。
秀也は自分のマンションの駐車場に車を止めると、まずクリーニングに出し、一旦車に戻りコインランドリーへ行った。
コインランドリーの待ちいすに腰掛けマンガを読みながらふと顔を上げると、大丈夫なのだろうか? と不安になった。
一応教えては来たのだ。
洗濯機の使い方を。
しかし・・・。
ごくんと生ツバを呑んで立ち上がろうとしたが、ぶんぶんっと頭を左右に振って、
「だめだ、甘やかしちゃ」
と、自分に言い聞かせると再びマンガに目をやった。